吉田拓郎と私

(平成11年11月)

音楽との出会い  
 
 私の好きなアーティストは属性でも紹介したように、ミスチル、拓郎、ユーミンといったところですが、他にはビートルズ、井上陽水、ELTなどが好物です。

 さて、初めて音楽と出会ったのは、小学校5年のときに親に英語の勉強を迫られ、初めてラジカセを買ってもらった時でした。基礎英語をやれと言われ、それが変じてニッポン放送のポップスベスト10を聞くようになりました。その頃チャートインしてたのが、ポール・マッカートニー&ウィングスの「ジェット」、スージー・クアトロの「悪魔とドライブ」、グランド・ファンクの「ロコモーション」、スリー・ドッグ・ナイトの「ショー・マスト・ゴー・オン」といったところでした。これらの曲は今でも好きですが、ウィングス以外のモノは音源を持ってません。誰かあったら貸して下さい。

 で、「ジェット」「バンド・オン・ザ・ラン」と続けて気に入ってしまい、ポール・マッカートニーへとのめり込み、そこからビートルズへと逆行していったのでした。従ってあこがれた楽器も先にベースで後からギターという複雑な嗜好になってしまったのでした。

文化祭

高3の文化祭でのベーシスト旅人

吉田拓郎との出会い  
 中学1年の時、従兄弟からお下がりのフォーク・ギターをもらいましたが、勉強不熱心な私は、どうやって弾けば良いやらわからず、しばらく放置してありました。大勢の人たち同様、押さえられるコードはC、Am、Emぐらいなもんでした。

 中2になったとき、たまたま通りかかった公園で、同じクラスのD君が大学生と一緒にギターを弾いているのを見かけ、格好いいと思い、それまであまり話したことがなかったのですが、ギターを教えてもらうようになりました。最初の頃、拓郎の「落陽」「人間なんて」「蒼い夏」あるいは陽水の「東へ西へ」「神無月にかこまれて」などをいっしょに練習しながら、だんだんとのめり込んで行ったのを覚えています。校内では、時を同じくしてギターは一気にブームになっており、気の合う仲間同志でバンドを組み始めました。

 僕たちも拓郎、陽水を中心にフォークをやるようになり、中学時代はもっぱら文化祭を目指して活動し、卒業のときには、謝恩会に出たり、卒業コンサートをやったりもしました。卒業時点では完全に拓郎の虜になっており、当時拓郎はセイヤングをやってましたが、眠い目を擦りながら、土曜の夜中に起きていたものです。そして、高1の夏、愛知県篠島に拓郎のオールナイトコンサートをD君と一緒に見に行きそれからの数年は拓郎のツアーがあれば片っ端から行ってました。

 高校時代はフォークソング部で拓郎を歌いまくり、放送部では、時々ちゃっかり拓郎の曲をかけてました。

フォークソング部

高校時代の私(多分「贈り物」かなんか唄ってたんじゃないか)

拓郎ファン旅人のその後  
 既に才能の限界を感じていた私は高校を卒業するとギターから足を洗ってしまいましたが、拓郎ファンは現役でした。しかし、85年のつま恋を境に拓郎の音楽活動が控えめになり、自分で弾かないだけに、だんだん曲も覚えなくなって、少しずつ離れて行ってしまいました。それでも、オリジナルアルバムが出れば買うし、ツアーがあれば必ず行きます。今回のツアー「20世紀打ち上げパーティ」も先日長野で見に行きました。しかし、22年のファン歴の私も、Kinki Kidsに骨抜きにされつつある拓郎に違和感を覚え初めているのは事実で、古い曲をいっぱいやってくれるんだけどいまいち楽しめない自分がいました。

 しかしながら、今の自分を形成する上で、拓郎が与えた影響は非常に大きく、拓郎を聞いていなかったら、きっとミスチルも聞いていなかったでしょう。

 最近、また少し、ギターに興味を覚えはじめ、結婚式以外で弾いたことなかったのに、こないだ久々にスタジオに入って、ピアノと併せて練習するなんてしゃれたこともやってしまいました。

バックステージパス

長野での拓郎のコンサートで売ってたグッズ

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