時速2000kmで直径250kmの巨大な影が地球上を西から東へ駆け抜ける(平成21年7月22日)

 今回のタイトルは言わずと知れた皆既日食の事。気象庁のホームページでひまわりから見た月の影の動きが見られるが、まさしく直径数百kmの月の影が時速2000km以上で地球上を夜明けとともに西から東へ駆け抜ける圧巻の画像だ。
 日本国内で46年ぶりの皆既日食ということで大フィーバーだった訳だが、今回は南西諸島、前回は道東で日本の端と端である。関東で見られる皆既日食は26年後。ちなみに前回は1887年で、併せて150年近い年月を経ないと日常生活の中では皆既日食を見られない。やはり、しし座流星群と同じようにその辺で気軽に見られるスーパー天体ショーは一生の間に一度巡って来るか来ないかなのだ。
 皆既日食、皆既日食と大騒ぎだが、関東の大部分で見られる3年後の2012年5月21日午前7時34分の金環食だってスーパー天体ショーには違いない。マスコミは3年後の金環食より生きてるか分からない26年後の皆既日食を強調しているが、今の内に日食グラスを手に入れておかないと34ヶ月後にはまたまた大フィーバーだ。
 今回の日本で見られる皆既日食を知ったのは2年くらい前、偶然ネットで検索している時に悪石島の小学校の校庭が最高のビューポイントだと何かのBBSで見たときだ。それまで、地理の大好きな私でも悪石島もトカラ列島も知らなかったのに、日食帯の中心線が通ってくれるおかげで、新しい日本を発見した。もちろん、ここ数日で日本中誰も知らない者のない、日本一有名な島になった訳だ。私も2年前にちょっとは、いやけっこう行きたいと思った、その小学校の校庭に30数万払って集まった数百人は、運が悪かったのかよかったのか。暴風の中、6分25秒の白昼の暗闇を味わえてやはり幸せだったのだろう。上海に行った2万人もほぼ暗闇を味わっただけのようだから、本当はインドに行くべきだったのだ。だとすれば、2006年のトルコやエジプト、昨年のモンゴルでもよかった。っていうか、にわかでないプロの日食ハンターは当然行ったんだろう。でも日本で見られるとなれば、上海はともかくインドは行かないわなあ。
 で、自分はどうだったかと言えば、今回31年ぶりに欠けた太陽を見た、のだと思う。1978年10月2日、西船橋−新松戸間がその日開通した武蔵野線の電車の中からちょこっと欠けた太陽を見たのが唯一記憶に残っている部分日食だ。その後も東京近辺で見られた食分30%以上の部分日食は81年7月31日、85年5月20日、87年9月23日、88年3月18日、92年1月5日、92年12月24日、97年3月9日、02年6月11日とずいぶんあるのに、しかも88年なんてのは、今回とほぼ同じ75%の食分なのに記憶にない。あの635の年なのだが、きっと狂ったように仕事していて日食どころではなかったに違いない。そして、今回もこれだけの大フィーバーでなければこの曇り空で部分日食ごとき見ようともしなかったに違いないが、たまたま今回の日食タイムは11時半からの私の昼食時間帯ということで、ampmでサンドイッチを3つ買って、サンケイビル前の広場に出た。見渡す限り、雲、雲、雲。太陽がどの位置にあるかすら分からない。サンドイッチ全部食べ終わってしばらくして、ようやく雲が薄くなり40%くらいに戻った部分日食が一瞬見えた。夏至からほんの1ヶ月であるから、ほぼ真上、いい加減首が疲れていたが、太陽を指さして、「出た出た」と口走ったのは言うまでもない。その後もしばらく見続けて、雲から数回覗いた部分日食を見て、とりあえず満足して職場に戻った。いやあ、見られてよかった。
 さて、次回テンペル・タットル彗星の回帰が2031年。その4年後、2035年9月2日に関東でも見られる皆既日食がある。今次しし座流星群は1997年の彗星回帰の後、2001年の大出現でやはり4年後だった。運が良ければ同じ年の9月と11月に皆既日食としし座流星群がその辺で見られるかもしれない。ちなみに私は生きてれば72歳。両方見たら死んでもいいってくらいのスーパー天文ダブルヘッダーだが、いずれにしろ一生に一度でいいから皆既日食を見てみたいものだ。ま、皆既日食はしし座流星群と違って、世界のどこかでほぼ毎年起きるんだから、26年待たないで、来年イースター島行きますか。

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