脳死と安楽死と尊厳死(平成21年7月13日)

 Googleで検索した時にちょうどいいようなタイトルにしてみたのだが、内容の伴わない、参考にならない文章でごめんなさい。
 改正臓器移植法A案が、参議院で可決成立した。私は以前からドナーカードにおそらく使えないであろう肺と肝臓以外全部○つけてある。自分はもらおうとは思わないが、提供する意志はずっと持っている。別に脳死段階で全然構わない。
 A案に賛成した議員は勉強していないとか、外野で騒いでいる市民団体と称する左翼もいる訳だが、これは死生観の問題で、以前に死刑の事を取り上げた時に書いたように、脳死・臓器移植の問題にも宗教観、死生観、国家観の点で埋めようのない溝が存在する。つまり、脳死を人の死として認めるか認めないかはイデオロギーの対立なのだ。ちなみに外野で騒いでいる市民団体とやらは、当然のことながら少年法の強化には反対だし、日本を貶めることに熱心で、もちろん死刑には反対だ。
 左翼はいつも論点をすり替えるし、代案は出さない。はっきり言ったらどうなのか、「移植しなきゃ生きられないなら死ぬしかないでしょ」と。彼女らが言っていることはそういうことなのだが、心臓が動いていて、生体的には成長もするのだから、脳死者は死んでいないし、脳死を人の死とするのは殺人だと主張し、進んで臓器提供しようとする人まで縛ろうとする。
 あんたは脳死・臓器移植には反対だろうし、自分は人のために提供なんかしないんだろうから、それはそれでいい。世の中には臓器提供したくない人もいるし、してもいいという人もいる。そして、本人がよしとしていても、家族が反対することもあるだろう。そんな人の臓器まで無理矢理むしり取るとこの法律に書いてあるのか。中国の臓器売買じゃあるまいし、そんなことしていいとは書いてない。左翼の連中はきっと、日本の侵略のせいで中国では無理矢理さらった子供の臓器が売買されるはめになったと何でも日本のせいにしたいのだろう。さすがにそこまでは言わないか。
 話が大幅にそれたが、脳死状態でも、心臓は動いていて髪の毛も伸びると言う人達は肝心なことを忘れている。生命維持装置と一括りに言われる膨大な医療技術あっての心拍非停止状態だということを。もし、延命医療が行われなければ、脳死と心臓死にはほとんど時間差がないだろうことは、医学の発達した現代において、一顧だにされない。延命するのは前提条件なのだ。
 改正法A案の2つの重要な改正点の内のもう一つ、15歳未満の子供の臓器移植を認めるという案件だが、これは別に脳死とリンクしている訳ではない。A案への恐怖を煽ろうとする連中は2つを一体化させて、反対の怒声を上げているわけだが、2つの問題はそれぞれ別個の問題である。さて、先ほど自分については脳死で心臓差し上げますと書いた訳だが、自分の子供の場合はどうなのかと問われれば、これはもうその時になってみなければ分からないというのが率直なところである。絶対に差し上げないと言っていても、目の前に必要としている子が居て、その子のためにと考えるかもしれないし、そもそも自分の子供が死ぬことを想定しないから、千万が一そうなったら差し上げますと言っていても、実際に心臓が動いていたら、嫌だ嫌だとダダをこねるかもしれない。多分みんなそうだろう。
 タイトルを脳死と安楽死と尊厳死としたのだが、それぞれ意味も場合分けも違う。私はこの3つを全て認める立場だが、この3つを全部認めない人もいてもいいし、どれか1つあるいは2つ、認める人もいるだろう。3つのシチュエーションの共通点は。いずれも、その状態になった時点では本人には意思決定能力がないということである。その時誰がそれを決めるのか。誰も決められないんだと言って、他に生きる可能性のある人を殺していいのか。そこに関わっている、本人の家族と医師がそれぞれの死生観に基づいて決めるしかない。法律では出来るようにしておいて、拒否権を与えるという道しかあり得ない。
 家族は法律用語じゃないとか、てめえは家族解散式やったからいいんだろうが、なめるのもたいがいにしろよ、福島瑞穂。次の選挙で自民党負けるのは仕方ないが、社民党は死滅させて欲しいものだ。

旅人お気楽極楽Sのトップへ

旅人のほーむぺーじ トップへ