波瀾万丈の1年(平成17年12月31日)

 今年の年賀状で私はこう言っていた。「(前略)私は今年後厄ですが、自己責任の原則に基づき、相変わらず好き勝手に綱渡り人生で生きていきたいと思います。(中略)「人生はいつもQ&Aだ!永遠に続いてく禅問答」と「お気楽極楽」を合い言葉に頑張っていきたいと思います(後略)」

 後厄の1年があと少しで終わる。42年の人生で最も波瀾万丈だったと思われる、まさに綱渡りの1年だった。今年は元旦早々から上司と夜中の2時過ぎまで飲んだところから始まった。そして、1月の中旬には、「おせっかいはけがのもと」と書けなかった一連の舞台の序章が始まり、2月にはその事件を上塗りする事件を引き起こし、3月1日には16年10月の最初の事件の裁きが出た。それで話は終わったはずだったが、2月の事件について追い込みをかけられ、4月からは現在の会社に出向になった。今まで本社から電話で怒鳴りあげ続けて来た部下1なんてのと同じ職場で仕事をするはめになったわけだが、最初の内はどうやら招かざる客状態だったようだ。新しい職場で席の温まる暇もなく、父親が突然亡くなった。GW直前の事で、ようやく忌引きから出社したと思ったら、生涯の盟友ことり氏が椎間板ヘルニアで倒れて入院し、現在も杖をついて仕事をしている。私の仕事はと言えば出向の指示内容を自分勝手に解釈し、お客さん状態の中でもひたすら全力で仕事をしようと努めた。そうこうしていると、この会社の問題点もいろいろ見えて来た。それについてごたくぬかしていた秋口、現在のポジションの辞令を受け、ヒラから2階級特進で現在の管理職をやっているという訳だ。次長の経験すらない私が、伝票にハンコを押し、新入社員やアルバイトの面接をし、部内異動ながら人事異動をし、部の予算折衝をしている。恐ろしいことである。担当員をしていなかったらきっと出来なかっただろう。50人になろうとする部下の皆さんを率いて、いよいよ来年はこの会社の存亡をかけた戦いに挑もうとしている。

 一方で8月末から突然始めたダイエットで、ついに76kgという16年ぶりの数字までこぎつけてきた。はっきり言ってもう、ダイエットを続ける必要などないのだが、部下1にミシュラン(のマスコット)などと言われては、上等じゃないかと来年3月に18年ぶりの70kgに挑戦しようとしている。

 このように、仕事でもプライベートでも狂いそうなほど波瀾万丈の1年を過ごしてきたこの後厄の平成17年ではあった。22才で親友の死を目の前にして以来、自分は既に余生だと好き勝手やってきた私だが、今や好き勝手もそうそうは出来ない。しかし、自分の信念だけは変わらない。産経新聞を増やすことが明日の日本の幸せにつながるという考えだ。それこそが私を突き動かす最大の思想であり、全てのことはその信念を実現するためのサポーターだと言える。来年は波瀾万丈ではないかもしれないが、狂気の1年となるかもしれない。今までも120%の力を降り注いで仕事をしてきたつもりだが、来年は300%の力を出して、1年で燃え尽きるくらいのつもりで、私亡き後の世の中のために働こうと思う。そのためには、喉に刺さった最後のトゲを3月に無理矢理引き抜くことが最初の難関となる。このプライベートの大事業を通過して初めて、安心して仕事に邁進出来るというものだ。

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