8月15日は敗戦の日(平成17年8月15日)

 小泉首相は今年も8月15日に靖国神社に参拝しないと示唆しているとのことだ。残念なことである。年に1度の参拝は欠かさないようなので、今年こそ秋の例大祭に参拝して欲しいと思う。と書いている今はまだ夜が明けていないので、本当は今日是非とも靖国参拝を果たして欲しいと思う。別に昇殿参拝でなく、一般の参拝者同様にお賽銭投げて参拝してもいいのではないか。昇殿参拝だけが参拝だとすれば、私など1回しか参拝したことがない。一般参拝者も暖かく見守るだろうし、選挙向けアピールも抜群である。総選挙を控えた今回の8月15日は、また違う意味での参拝になる。中国や韓国・北朝鮮、あるいは朝日新聞はヒステリックに非難するだろうが、中国や韓国・北朝鮮に阿らず、毅然として参拝する姿を示せば、小泉改革に懐疑心を抱いている潜在的保守層を造反者や民主党から取り戻せるだろう。だが、残念ながら小泉首相は8月15日を外すらしい。公明党に気を使っているようだが実に惜しい。

 さて、8月15日を終戦記念日というのは、敗戦後に日本を占領した米軍を中心とする連合軍を占領軍と呼ばずに進駐軍と呼んだのと同じ言い換えである。敗戦は記念出来ないから、敗戦の日と呼ぶべきである。米軍は日本の民主化のために駐屯した進駐軍であり、長い戦争が終わってよかったということで終戦記念日だ。日本人は言霊民族だから言い換えがお得意な訳だが、事実は事実として見なければならない。先の戦争が終わったのは負けたからであって、勝っても終わるのである。終戦記念日などと言い換えしていると負けたという事実が薄められる。

 私は先の大戦を侵略戦争とは呼ばない。ライオンがシマウマを侵略するとは誰も言わないように、この時代は弱肉強食の植民地主義、帝国主義の時代であった。それは、民主主義の国、アメリカであっても同様であり、中国大陸の門戸開放を呼びかけていたというのはすなわち、分け前をよこせということである。歴史は大きな流れの中で運命のように流れて行く。日本にとって、対米開戦は必然の流れだったし、アメリカは日本を対米戦争に引きずり込むべく画策していた。その時回避出来たとしても、いずれはアメリカと戦争することは避けられなかったかもしれない。唯一、対米戦を避けられる途があったとすれば、それはやはり、満州を含む、全中国大陸からの軍の撤退だったのではないか。果たしてそれが出来たかどうか。中国大陸からの全面撤退などと言う政策を掲げれば、その当時のどんな政治家でも軍人でも、クーデター以前に国民によって倒されたであろう。「満蒙は生命線」だったのである。

 そう、国民に倒されるのだ。満州からの撤退などその当時、誰一人考えられなかった。その意味ではやはり国家の総力を挙げて戦争に突入していったのであり、A級戦犯だのBC級戦犯だのと言うなら、昭和16年の日本国民は1人残らず戦犯である。連合国が戦犯を決めるなどナンセンスである。本来国家を敗戦に導いた政治家を裁くのはその国の国民である。天皇主権だというなら、輔弼責任を負うということだ。敗戦時の陸軍大臣であった阿南惟幾陸軍大将は「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」と書き残し、敗戦の朝、自決した。まさしく輔弼責任を負って、敗戦受容内閣の陸軍大臣として自決されたのである。日露戦争の第三軍司令官乃木大将は、明治天皇の御大葬の日に殉死自決したことで有名だが、彼が旅順攻略戦で失敗を繰り返し、6万人の死傷者を出していた頃、彼の留守宅は国民に石を投げられていたのである。本来、東条元首相こそピストルで胸を撃つのでなく、少なくとも頭を撃つか、割腹自殺すべきだったのである。戦時中の独裁的態度もあり、国民の人気は低く、退陣後の家族は東条の家族ということで生活に苦労したようだ。しかし、東京裁判での戦争責任者(自分は戦争犯罪者ではない)としての毅然とした態度は誉められてしかるべきだ。その結果として、戦勝国に死刑に処せられたとすれば、やはり国のために戦って死んだ人ということだ。ただBC級戦犯については昭和34年に既に靖国神社に合祀されており、A級戦犯が昭和53年まで合祀されなかったということはそれだけの熟慮あるいは逡巡があったことも想像出来る。

 いずれにせよ、A級であろうと、BC級であろうと、国のために戦って死んだ(形は法務死であるが)ことは自明であり、私はA級戦犯が合祀されているといって、それに対して異存はない。この際、東条が好きとか嫌いとかは別問題である。国のために亡くなった方々を慰霊するのは日本国民の義務であるという想いで、敗戦の日である今日は、靖国神社に参拝してから出社しようと思う。

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