お気楽極楽とは(平成17年1月29日)

このブログのタイトル、お気楽極楽スーパーの由来は、元コラムの旅人お気楽極楽にもあるように、あの永遠に不滅の究極のお水のおねえさま向け番組、フジテレビ「ウゴウゴルーガ」の番組の中で発せられる掛け声から来ている。

人生やっぱりお気楽極楽の精神でありたいものだ。今年の旅人のほーむぺーじ巻頭言にも年賀状にも、お気楽極楽の精神でと書いた。身の回りに何が起ころうと、ありのままに受け入れ、焦らず騒がず、淡々と、そのときそのとき最善の道を選んで歩んで行こうということで、ホームページタイトルやハンドルネームの由来であるミスチルの「旅人」という唄もその精神で貫かれていると思う。

私自身に人生の重大事が起きたとしても、全ては身から出たさび、天災ではなく人災なのだから、なるようになるしかならない。その場その場での選択を間違えないようにしてぶつかっていくしかない。そう、気持ちは常にお気楽極楽の精神で行くしかない。

前回、責任感がこの世を動かすと書いた。たまたま、自分が犯したミスを題材にしたのだが、書きたいことは他にあった。本当は責任感の欠如がこの世を滅ぼすと書きたかったのだ。この世の全ての人々の行動は、責任感があるから前に進んでいる。私個人の行動を振り返って見ると、あと一歩のところで切れそうになったり、自暴自棄に陥って切れてしまい、すんでのところで命拾いという綱渡り状態が続いている。責任感の綱は細くてもろいものだ。自分さえよければどうでもいいやという心と自分が全部かぶれば全て丸く収まるという心が綱引きする中で、なんとかきちんと折り合いをつけて綱から落ちないようにやっている。しかし、本当にもろいものだ。そのもろい綱を強固なものにするのは、強い信念と責任感なのだと私は思っている。大多数の人はそこに信仰というものが入るのだろうが、私の場合は信仰はないので、人より頼るものが少ないかもしれない。

今後とも信仰なんかにすがる気はないから、自分の信念を強くもって生きていくしかない。でも、やっぱり弱いものだから、お気楽極楽の精神でということになる。なんか今の迷いの精神状態を表したような話になってしまった。

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