責任感がこの世を動かす(平成17年1月7日)

 最近強く思うのは、この世を動かしているのは、人間の責任感だということだ。ナポレオンは人を動かすのは利益と恐怖だと言ったというし、最近も会社のどこかでそんなことを言った人が居た。ちなみに私は、夢や理想無しには人は動かないと思っている。さて、利益を与えられるとして、その利益を持ち逃げする人間を何というか、裏切り者である。恐怖から逃げたい人間は山ほどいる。利益や恐怖で人を動かそうとしても、その人間に利益や恐怖に対する責任感がなければ動かないのだ。

 会社では、給料をもらうと言うことに対する責任を果たすため、人は仕事をする。締切を守ることによって自分の作品が掲載されるという責任感から漫画家は締切を嫌々でも守る。結婚したら家族は守らなければならない。うん?まずいな、やっぱり俺は裏切り者だ。代表に選ばれた責任を全うするため、駅伝の選手は次の選手にたすきを渡す。

 給料もらってるのに病気で長期休職するのは会社に対する裏切りである。レギュラーの漫画家が全員締切を守らなければその雑誌は廃刊に追い込まれるだろう。旦那が家に帰ってこない家庭は崩壊する。駅伝はもちろんだ。人が責任を守るから、世の中は前へ進むのである。人間が裏切り者の集団だったら、とっくに絶滅いているだろう。中国が共産主義政権でがんじがらめにしなければ国家としてやっていけないのはそういうことだ。

 今日、私は責任を放棄してしまった。どんなに頭に来ても、お客様に対して切れてはいけないという責任が全う出来なかった。私は関西弁アレルギーである。最初に電話に出た女の子が申し訳ありませんを連発している。横から私が住所、TELを聞けと指示しているのだが、それも聞けないほど申し訳ありませんを連呼している。もう、私の頭にはクレーマーという先入観が出来上がってしまった。そして例によって、責任者を出せだ。私に替わると、もう、最初から一方的にけんか腰の関西弁でまくし立ててくる。こちらが状況を聞こうとしても、聞く耳持たずに一方的におまえんとこはどうなってるんや、何やってるんやの大騒ぎだ。とにもかくにも、何とか状況を聞くと、販売店の店内での連絡ミスにより、領収書の宛名が変更されていなかったことへのクレームだ。完全にお店のミスだが、聞く耳持たず、本社がちゃんとする言うといて、全然しとらんやないか、前回出た人間に替われというので、その人に替わって話してもらっている間に所長に電話をかけ、事情を聞いた。つまらないトラブルを初期段階で解決しなかったために、相手がいきり立っていることが判明する。しかし、関西弁でまくしたて、人の言うことに聞く耳を貸さないために、本来なら前回電話のすぐ後に解決出来そうだったものが、年越ししてしまったことが分かった。その後、もう一度電話に出た私は、もうとにかく関西弁のヤクザ口調でお前らなにやってるんや、今からそっち行って、会社にガソリン撒いて火をつけるまで言う相手に対して、どうぞお好きにと言わずに、もの凄い勢いで罵声を浴びせてしまった。その時点で、もう相手をただのクレーマーとしか見ていなかった。冷静に聞いていれば、相手が何故怒っているかは重々分かったはずなのに、関西弁が私に火をつけた。やってしまってから、しまったと思った私は、途端に低姿勢になったのだが、時既に遅し、相手はもっと上を出せと来た。幸い部長は外出中だったのでそう告げると、相手は気が晴れてから電話し直すと言って、電話を切った。そのあと私が受話器を放り投げたのは言うまでもない。しかし、このままではすまない。何とか今日中に終わらせないと。仕方なく、私は現地に行き、所長と一緒に謝罪と問題の解決を図ることにした。そして、実際に本人に会ってみて思った。電話はだめだ、やっぱり人は顔を見て話をしなければと。

 ああ、疲れた。責任を果たすのは本当に疲れるものだ。

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