無読対策こそこれからの業界の使命(平成15年2月19日)
 本社には改廃権がある。私は改廃そのものを否定する訳ではないし、時には強制改廃が必要な場合もある。しかし、それは取引上重大な支障を来して改善の余地がなく、放置すれば最悪の事態を招くと思われる場合に限定すべきだと思う。間違ってもあいつは俺に逆らったからとかいう理由で感情改廃などすべきでない。ところがこの業界、販売店が辞める原因の大半は実は担当員との確執が原因なのではないかと思うことがある。

 10年ほど前、まだ3−8ルールも6−8ルールもなく、原則として新聞販売にいっさい景品が使えなかった頃、正常販売のためには本社が蛇口を締めなければだめだという、いわゆる蛇口論という言葉があった。ある地区の店主会・実行委員会に出たときに某系統の店主からその蛇口論が出た。さらに、蛇口でなく末端で使うなということなら、紙を増やさなければ改廃されるのは店の方だと言って結構険悪なムードになりかけた。私は副張付担当だったが、正張付の某社担当が答えて言った、「今時、納金をちゃんとしていれば、紙が増えないと言うだけの理由では改廃なんて出来ませんよ」と。私は「ひょーっ、そんなこと言っていいのかよ」と思ったが黙っていた。最近では紙が増えないどころか減る一方になっていて、1社だけ増えている産経が怨嗟の的になっている訳だが、紙が減っていながら納金しているということは非常に大変なことである。全体に横這いとか微増と言う中で1店だけが紙を減らしているのならそれは納金していても改廃の対象だろうが、今や減紙は景気・販売政策・紙面の不人気等の構造的な問題である。店だけの責任を問うのは不公平というものだ。ちなみに先の某社では最近、納金が入っていてもやたらと改廃が行われている。

 新聞販売店も一般の商店と同じく独立自営業者だと私は思っている。独立自営業者は売り上げを増やして経費を抑え、、儲けを増やすことがその存在意義だ。新聞社が販売店というシステムを採用しているのも、その生存本能を最大限利用するためのはずである。一般の商店と同じであるならば、一番大事なお客様は読者のはずなのだが、現実は読者よりメーカーの方を向くような習性が身に付いてしまっているような気がする。読者を荒らして損をするのは結局は自分たちだという自覚があれば正常化は出来るはずである。増紙競争を拡材競争に変えてしまったことが、新聞への信頼を損ね、現在の無読の増大を招いたと言える。その根底には自分の社さえよければ他社は出し抜いてもいいという毎度々々繰り返されてきた、あくなき部数拡大へのエゴがある。私の信念では、正常販売の実現は現地店主間の信頼関係しかないと思っているので、そういった店主会を年中開催することこそが過剰な拡材競争を抑制出来る唯一の手段だと思う。拡材競争ではなく、商品への信頼、お店への信頼を獲得することによって読者を増やしていくという、商売本来の姿に戻るべき時が来ているのではないか。それに気付いていろいろな試みを始めているお店もたくさんあるが、未だに改廃怖さに本社の言うままに拡材を浪費するセールスを受け入れているお店がある限り、この業界の将来は暗いと言わざるを得ない。

 新聞販売に携わっていて紙が増えることぐらいうれしいことはないはずだ。業界全体が減紙傾向にある中、他紙をひっくり返すために大きな労力を割くよりも、やはり無読をいかに呼び戻すかに知恵を絞るべきではないのか。現に産経では新規申し込みの3割近くが無読からというデータもある。無読対策こそが業界生き残りをかけた使命ではないだろうか。いずれにしろ、子供の目に新聞を触れさせること、そのためには教師の無読をなくすことがまず第1である。

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