新聞の将来についてふと思った(平成14年9月8日)

 先日、恐るべきHPを発見し、現在リンクのページのトップを飾っている。「どの新聞社も取り上げない新聞の勧誘問題」というホームページだが、その中の醜い景品競争というコンテンツで、イギリス労働党機関誌から出発したデイリー・ヘラルドという新聞の広告収入獲得のための部数拡大と、そのための景品導入について述べ、その末路を語っている。部数の拡大が必ずしも広告収入につながらず、かえって部数維持拡大のための経費が会社の経営を圧迫し、ついには他紙に部数でも追い抜かれ、廃刊に至ったというものだ。一概に日本の新聞販売競争とは比べられないが、日本の超大手新聞では、現実に一軒の新規読者を獲得するために数万円の経費がかかるケースもある。その経費の大半は販売店が負担しており、折込収入がそれを支えている。本社は部数を増やせ増やせと号令をかけ、販売店が頑張るという図式だ。欧米の新聞は本社が直接販売する方式を採っており、景品競争は直接本社経営を左右するが、日本では販売店とセールスチームが最前線を担っており、欧米とは事情が違う。東京産経では折込が少ないためこうした拡大する景品競争、高騰するセールスカード料についていけず、現在の部数差がついてしまったとも言える。近頃、折込がなくなったらとても販売店をやっていけないという声をよく耳にするが、折込がなくなったら、今のような部数競争が出来なくなるのと、超大手新聞社の社員のべらぼうな給与を下げざるを得なくなるということではないだろうか。

 我が社ではインターネットでの購読申込が前年比3倍以上だそうだが、よくよく考えてみれば、私なども、何か申し込みするとき、郵送、メール、HPからの申し込みという選択肢があると、HPから申し込んでしまう。以前はネットで申し込むのはおたくな人達かと思っていたが、何のことはない、今やHPから申し込むのが一番楽だし、一般的だということだ。担当者と話していて、「そういやあ何でもかんでもネットで申し込むよなあ」と言っていると、担当者曰く、「でも旅行の申し込みはネットでしないですね」、「何で?旅行こそネットの方が簡単じゃん」、「いや、いろんなパンフレットを並べて比べてみたいじゃないですか」。う〜む、なるほど、紙媒体の一覧性ってやつだな。確かにいかにマルチタスクといえども、限られたディスプレイの中で並べて比べて見るのには限界がある。やっぱり、紙を広げてみるのが一番。そう考えれば、紙媒体の将来はまだまだ安泰とも言える。しかし、今後の新聞の敵がインターネットであるのは動かせない事実。インターネットの売りが速報性ならば、やはり新聞は一覧性・解説性を全面に押し出して売っていくしかないし、紙面製作にもより一層の工夫が求められる。

 今や無読層というのは、いくら景品を積んでも読まないものは読まない。それは新聞に価値を認めない層であって、若い人の新聞離れというのはそこから来ていると思う。その一因は、学校の先生が新聞を読まないこと。新聞を読まない先生が教える子供達が大きくなって新聞を読むとは思えない。今、日販協で「全ての教室に新聞を」という運動が展開されようとしている。誠に結構なことだが、そもそも先生方が新聞を読まないのでは、教室の片隅に新聞がうずたかく積まれて、何の価値もない、それこそ子供達に新聞はいらないものという印象を与えかねないのではないかと危惧する。ネガティブキャンペーンになってしまうが、新聞も読まない教師に自分の子供を預けられないという世論を喚起する(というよりは煽る)方が重要ではないかと私は思う。今の先生方がいかに新聞を読んでないかは、販売店でちょっと調べればすぐ分かること。「全ての教師に新聞を」

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