新聞休刊日は何故あるのか(平成14年2月27日)

 3月の新聞休刊日の様相が次第に明らかになってきた。産経以外の東京紙5紙は休刊日を取り消して通常発行。地方紙はバラバラで、前回英断と誉めたつもりの我が河北はなんと通常発行。それに対し、前回くそみそに言った信毎は予定通り休刊。信毎は2月はオリンピックという大義名分があったから、ある意味仕方ないかなと思う。まあ、どっちもどっちだが、今長野の担当をやってたら、3月2日(11日の休刊日当日ではない)には面白いモノが見られたと思うが残念だ。それにしても、静新は凄い。東京紙の動向に微動だにせず両月とも発行しない。

 さて、このページは別に新聞関係者や2ちゃんねらーのために書いている訳ではないのだが、今回は、今話題の新聞休刊日とは何かというテーマに取り組んでみたいと思う。新聞社は報道を使命としているので、本来新聞は毎日出さなければいけないものという考え方が、編集を中心に根強い。大昔、新聞休刊日は元旦、春分秋分(いずれも翌日)の年3回しかなかったと聞く。その後少しずつ増えて、年8回の時代(私もこの時代に入社した)が長く続き、つい10年程前に現在の月1回年12回になった(一部地方紙除く)。新聞社は出したいのに何故休刊日があるかと言えば、販売店の休日のためだということになっている。まあ、その通りなんだが、値上げの理由と同じで、本社側にも隠れた理由がある。輪転機やコンピュータ等の点検その他オーバーホールだ。今や新聞製作自体が高度に機械化されすぎて、365日フル発行したいと思ってもそうはいかない。

 それはさておき、休刊日が主として販売店のためにあるのは厳然たる事実である。首都圏の近代化された年商何億という大手販売店を見慣れていると忘れがちだが、元来新聞販売店は家族労務、個人営業が主であり、配達従業員は子供達が中心であった。わずか25年前には全国の販売店従業員の*半分が新聞少年だったのだ。新聞は値段が安いのと朝早い仕事であるため慢性構造労務難業種であったため、休日配達要員までを確保することは販売店経営上難しく、大半の従業員が休刊日しか休みがないという時代が続いた。バブルで労務難が極限に達した頃、ようやく年12回の休刊日が確立したのだ。地方や首都圏でも経営規模の小さい販売店では、今でも家族労務が主のところが多く、従業員を休ませても所長や家族は休めない。あるいは、家族従業員の慰安旅行を実施したくても休刊日以外は出来るはずもないのである。他業種の個人商店なら定休日を設けることが出来るが、新聞販売店は新聞が店に届く限り、配らなければならないのだ。

 産経が首都圏近畿圏で即売での休刊日発行を決めたのも、読者ニーズに応えつつ販売店労務を守るにはこれしかないという決定打だったからである。もちろん、一般紙として産経だけが休刊日即売をやれば、多くの初見の読者が産経に触れてくれるという下心があったことを、社告でも素直に告白している。ところが、夕刊廃止問題で産経憎しとなっている大手各社は、産経の休刊日即売潰しのために超過剰反応とも言える、全国的な休刊日特別版の宅配でこれに応じた。まさしく、右の頬を殴られたら、全力で殴り返すというヤクザの資質そのものだ。産経は販売店を思って即売だけとしたのに、他社は目先の産経潰しのためには販売店などお構いなしという態度に出たのだ。私はこれを見て、金の卵を産むガチョウの寓話を思い出した。

 産経にも大手紙にも業界での生き残りを賭けた戦略・戦術という側面があるが、馬鹿としか言いようがないのが、東京紙につられて休刊日を潰す地方紙である。彼らには、東京紙が発行して浸食されるのは困るという動機があるが、地方の合売店は東京紙だけなら配りたがらないという戦略上の優位性を全く利用していないという愚かさがある。ただでさえ、普及率60%以上という独占状況があり、合売店に対して絶大な統制力を持つ彼らが、本社の足下の県庁所在地の状況しか見えずに、山間の販売店の反感を買うようなまねをしている。ここでもガチョウの腹を裂いているのである。

 一方で再販維持を声高に唱え、産経のいち販売店のモニターチラシを狂ったように非難しながら、他方で平気で再販の基盤である全国同一価格を崩す大新聞社と、それに追随する独占地方紙、全く新聞社のやることは勝手気ままとしか言いようがない。読者にしてみれば、一度配れるものは毎回配れると思うだろう。紙の新聞の断末魔の声はパソコンとインターネット発展を待つことなく、新聞社自らの手で聞かされるかも知れない。
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