拡張員はなぜいるか(平成13年10月3日)

 昔、まだ学生だった頃、今は亡き友人(東工大生)の下宿先でこんな現場を目撃した。2人でインスタントラーメンかなんか食べていたところ、何新聞か忘れたが、新聞の勧誘が来た。友人は最初開き戸を少し開けたが、相手がティッシュの箱を挟んで来たので、それを押し出して、ピシャッとドアを閉め、「いらねえって言ってんだろう」とでかい声で叫んでいた。何もそこまでしなくてもと思ったが、「相手してると30分も居座られるからいいんだ」という。

 また、あるときこれは読売新聞だったと思うが、うちに勧誘に来て、母が「うちは産経しか取りませんから」というと、その拡張員が「ああ、産経は安いからな」と捨てぜりふを言った。そこで、母は「安いから取ってんじゃないわよ」と言って、ドアが壊れんばかりにバーンと閉めてしまった。

 私が新聞社に入るなど夢にも思っていない頃の話である。うちの社に、ある県の販売店の会の会長の娘が社員として勤務しているが、彼女が新入社員の拡張研修のレポートにこんなことを書いていた。「子供の頃から店に出入りして遊んでもらっていたおじさんたちが、あんなに世間で怖がられ、嫌われているなんて初めて知った・・・云々」。そう、新聞拡張員(今、業界では新聞セールスマンと呼んでいるが、ここではあえて拡張員と書くことにする)は昔からそういイメージで見られていた。

 こんなに嫌われる拡張員を新聞社は何故使うのか。

 それは、新聞は紙面(商品価値)で増やすものではないからだ。拡張団というシステムを最初に構築したのは、故務台光雄読売新聞社会長である。彼は、報知新聞の販売担当者だった戦前に既に職業拡張員を導入し、戦後、読売新聞でそれを体系化した。彼はかつて、会合でこう言い放ったという。「白紙でも売ってみせる」と。戦後の物資の不足した時代、人々は新聞の購読どころではなかった。そこで、生活必需品である鍋釜を提供して購読させるのが職業拡張員の仕事になった。鍋釜が普及すると、次に大量消費される洗剤を配るようになった。かつて洗剤メーカーは新製品を作ると、新聞社に安く提供し、市場調査に使ったという話もある。

 こうして、インテリが作ってヤクザが売ると言われる、今の新聞販売手法が確立したのだ。当初は新聞を読まない人に無理矢理読ますために拡張員と拡材は誕生したのだ。しかし、新聞普及率が極限まで来ると、いつしか、その手法は相手の紙をたたき落とすための方法に変化し、拡材戦争はどんどんエスカレートした。無読の人に売るという原点はどこかに忘れ去られ、今また、新聞を読まない人が増えてきている。

 新聞社の担当員として、私もその方法を否定はしない。しかし、産経新聞は紙面で売ることも可能な新聞である。私は産経新聞を増やすためにはあらゆる可能性を試してみたいと思っている。拡張員の存在も含めて。

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