さよならセンプラ(平成16年9月14日)

 おかげさまで無事かつ強引に夏休みを取った私は、今日久々に千葉市内に車で出かけたのだが、そこで恐るべき光景を見てしまった。それは、千葉セントラルプラザの解体工事現場だ。通称センプラと我々が呼んでいたその建物は、かつては奈良屋百貨店という県内でも老舗の百貨店で、屋上に観覧車があった。すぐ近くの田畑百貨店や扇屋百貨店と並んで千葉市三大百貨店だった訳だが、「たばた」が火事で「パルコ」になり、程なくして「ならや」は「三越」と提携して「ニューナラヤ」となり、国鉄千葉駅の近くへ行ってしまった。そして、奈良屋のビルをそのまま改装して出来たのがセントラルプラザである。残念ながら観覧車はなくなってしまった。小学校3年の頃だったらしい。そのセンプラ、千葉市で最初のプレイガイドがあり、これまた千葉で最初のタウン情報誌「フリータイムズ千葉」の編集部があったことで、用もないのによく出入りしていた。また、県下最大級の多田屋書店があったこと、レコード屋も楽器屋もあったことで、中学から高校にかけては年がら年中入り浸っていたものだった。

 高校時代は、放送部の連中といつもつるんで国鉄千葉駅や京成千葉駅まで歩いていたので、帰りに何かしらの用があって立ち寄るスポットだった。大半が多田屋での立ち読みだったが、サーティーワン・アイスクリームで月末にくれるカレンダー目当てに行くとか、何かと言えばセンプラ、とりあえずセンプラと寄っていたものだ。吉田拓郎のコンサートチケットを買うためにセンプラの前で徹夜で並んだこともある。これは何だ。そう、いわゆる青春の一コマだ。若き日の想い出のたくさんつまった場所、それがセンプラだったのだ。

 そのセンプラが3年前についに閉店した。社会人になってからは、高校の文化祭を見に行った帰りに打ち上げで寄るくらいしか行かなくなってしまっていたが、閉店はさびしく、ビルの壁に大規模な落書きがされて社会問題化したりしていつもなんとなく気になってはいた。しかし、いよいよ解体というのは知らなかった。閉店の跡はどうなるんだろうなどと思いながら、忘却の彼方になりつつあった。そのセンプラが解体されている。東京サンケイビルが新ビル建設のため解体されたときは、既に新ビルの住民になっていたし、老朽化していたのだから仕方ないと思いつつ、解体工事を新ビルから見下ろしていても、さほどの感情の揺さぶりはなかった。たかが10年(おいおいそんなにいたのかよ)住んだだけだし。

 しかし、今日偶然近くを通りすがって、あるべき所にあるべきものがないのを見たとき、思いっきり寂しさが溢れてきた。まさしく、「えっ。。。。。(絶句)」という感じだった。工事はもうほとんど終わっており、今月末には終了するらしい。工事の標識を見たが、解体工事とあるだけで、○○ビル建設工事じゃない。ということは、当分ここは駐車場か。こんな、千葉市中央のスペシャルなかどっこで、新ビルのあてなしにただ解体されるなんて。諸行無常、盛者必衰を思い知らされた気がした。まさしく青春の一コマそのものであるところの、あのビルが今はもうない。

 ただひたすら悲しいとしか言いようがない。今日私は、出身高校の滅亡しようとしている放送部に苦言を呈するために千葉市内に出かけていったのだったが、先制パンチを食らってしまった。高校を訪問した後、私はすぐさま高校時代の友人の墓へお参りに行ってしまった。かつて、一緒に放送部で泣き笑いし、センプラでバカ言いながら立ち読みしたり、レコードを漁ったりした友の墓へ、時代がまた一つ終わったと報告をしに。そして、さよならセンプラともう一度現場へ戻って心の中でつぶやいたのだった。

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