タッチ(平成16年8月8日)

 ちなみに「みゆき」も読んだのだが、あだち充のかつての大ヒットマンガである。先日たまたま家へ帰る電車の中で網棚に乗っていた、あだち充作品集的な雑誌を読んだのがきっかけである。「タッチ」はかつて亡くなった友人が愛読しており全巻借りて読んだ記憶があるのだが、改めて全巻読んでしまった。所詮マンガだから別にここで内容について評論しようとも思わないのだが、タッチもみゆきもテレビで見なければ面白いマンガである。紫門ふみにしても何にしても、テレビになるとどうしてこうもつまらなくなるのだろうと思うのだが、それも今日の主題ではない。問題はこの「あだち充作品集」的な代物である。最近コンビニの雑誌棚でよく見かけるのだが、弘兼憲史の「課長島耕作+マガジン」なんてのもあって、思わず「加治隆介の議」をまた全巻読もうかなと思ってしまったほどだ。人気作家の作品を3〜4作第1回から数回分ずつ雑誌形式で掲載していくものだが、うっかりそれにはまると、漫画喫茶で全巻通し読みをするはめになる。つまり、そうしてはまった結果、今回、「タッチ」と「みゆき」の全巻制覇を成し遂げてしまったわけだ。

 出版社がこうした企画モノを出すようになってきたのは、やはりコンビニの影響が大きい。コンビニ売り専用のB6ワイド版やB5の雑誌型単行本が大流行である。一方で復刊した漫画アクションは「同棲時代」や「女ともだち」といった大昔のマンガの復活版を掲載している。通常出版社はマンガ雑誌に載せ、それを単行本化して一粒で2度おいしい(作家にとっては単行本が売れなければちっともおいしくないらしいが)商売をしている。それが、こうした企画モノで3度おいしい思いが出来るのだから、コンビニさまさまなはずだ。一方で私の大好きな漫画喫茶の影響もある。法的には実に面倒な問題(レンタルビデオCD屋は著作権料を払うが、現行法では漫喫は払わなくていい)を含んでいて、作家や出版社が訴えようにも訴える事が出来ず、アピールを出すなど運動はしているもののあきらめが先に立っている漫喫と新古書店だ。漫喫や新古書店のおかげで、ある一定の発行部数は確保出来ても爆発的なヒット単行本は今後なかなか出ないだろう。この、誰もが漫画喫茶で単行本を読めてしまうと言う状況に対する、出版社の企画で勝負といったところがコンビニと組んだ雑誌型単行本と○○作品集なのではないか。

 しかし、この作品集、実は漫画喫茶の集客に貢献してしまっているのではないかというのが、今回突然「タッチ」全巻制覇してしまった私の感想である。小学館だって今更「タッチ」の単行本が売れると期待している訳ではないはずだ。こういう思い切って古い(ちなみに「タッチ」は昭和50年代末の作品、そう、あなたが生まれた頃ですよ)ものなら我々のような中年になったコミック世代(ちなみに「タッチ」は高校から大学にかけて少年サンデーに連載されていた)は、コンビニに置いてあるとつい買ってしまうという、まさしく中年の懐古趣味をターゲットにした素晴らしい企画である。だが、困ったことに後を引く。そこである一定の人は次号に期待し、またコンビニに足を運ぶ。一方、漫喫を利用し慣れた人は、速攻漫喫に飛び込むと言うわけだ。それが証拠に、私が最後の4巻を読んで棚に戻しに行ったとき、2巻から9巻までが無かった。誰か同じ考えの人が読んでいるのだ。2人の違いは4巻ずつ読むか8巻ずつ読むかの違いだけである。

 漫画喫茶を法的規制に乗せると言っても、結局は一定の、雀の涙のような著作権料を払わせるだけだろうから、そんな労力を使うよりは、一粒で3度目の新しい企画を考えてコンビニで売った方がはるかに利益が上がる。出版社の企画の苦悩はこれからも続くだろう。

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