その日は近づいている(平成14年12月18日)

 既に21世紀も丸2年が過ぎようとし、世紀末世紀末と大騒ぎしたのは遠い過去になりつつある。世紀末が暗い時代を象徴する言葉だとすれば、今もまだ世紀末だと言わなければならないだろう。どちらかと言えば、今こそ”末法の世”と言う方がピンとくる。日本の絶望的な状況は何も変わっていない。が、今年は少しまともになる兆しが見えた年かもしれない。一つは外務省の手柄立てたい跳ねっ返りがお膳立てしてくれた外交上の歴史的出来事によって、その報道のされ方に問題はあるにせよ、北朝鮮という国の実像と、北に好意的な連中の欺瞞が国民の前に赤裸々にさらけ出されたことだ。そしてもう一つは言わずと知れた、産経新聞の夕刊廃止による増紙傾向である。来年はこの2つを基点に、憲法・教育基本法という、戦後日本人を腑抜けにしたGHQの贈り物からの脱皮への一里塚の年になって欲しい。それにしても、来年はいよいよNBC搭載ノドンが降るかも知れないが、ミサイルが降って初めて目が覚める人がまだ多いのは困ったものだ。雨が降ると天気予報が言えば、傘を持って出かけるのに、日本にミサイルを向けている国が周りに2つもあるのに有事法制すら先送りにして平気なのはなぜだろう。

 「人が死ぬやその善行は墓場に葬り去られ、悪行は千載の後まで残る」かつて、私が好きな言葉としてこのHPで初めて書き始めた頃のコラムで紹介した言葉である。世の中には人の数だけ正義があるというタイトルの文章の中に書いたものだが、都合のいい正義に、最近本当にうんざりしてきた私としては、千載まで残る後ろ指を指されないようにしたいものだと思っている。先の言葉を「一つの悪行が、全ての善行をうち消す」と言い換えてみたい。「一つの失敗が、全ての功績をうち消す」と言い換えてもいい。先日起きたある事件で、最近つくづく思う。さらに言い換えてみたい、「人に見えない功績はいくつあっても、いくら大きくても一つの悪行はチャラにならない」

 約束の日(エヴァンゲリオンの中でキール議長が言ってるせりふみたいだな)は近づいており、私としては明日その日が来たとしても後悔はない。17年前のあの日を境に私の余生は始まった。余生にしては非常に楽しい人生だった。そりゃそうだ若いんだから。歌もいっぱい歌った、楽しい仕事もした、つらい仕事もした、結婚もした、この世に血のつながった子供も存在する、富士山頂にも3回登った、素敵な恋と死にたくなるような失恋もした、残された日々も信念に基き、やりたいように過ごしていくだけだ。そう、心残りは親不孝と新聞裏話に書きたいことが書けないくらいかもしれない。その日はいよいよ近づいている。いつかは分からないが、しかし近いことは確かだ。これからもその日に向かって淡々と生きていこうと思う。

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