日本の教育もまだ捨てたもんじゃない、かな?(平成14年1月5日)

 ご承知のように、(知らない人は自己紹介のページ参照)私は、3年半以上、妻子と別居しているわけだが、今日、お年玉と遠隔地保険証を持って、11ヶ月ぶりに連中の部屋に顔を出した。以前は、お年玉や誕生日のプレゼントだけ置いてそそくさと立ち去ったものだったが、最近はずうずうしく上がり込んで長居するようになっている。妻子は3人で住んでいた(といっても、そもそも私は某所に書いてあるように、まともに住んでいたわけではないが)検見川のテラスハウスに未だに住んでいる。部屋でトールペイント教室をやっているため、1FのLDK部分手前側に極力構造物を置いていない。何か妙に部屋が広く感じる。いや、そんな身の上話は今回の主題ではない。せっかく行っても会話の種がないので、子供に身長、体重、足のサイズ、帽子のサイズなどを聞き、髪型がおかしいとかいちゃもんつけて時を過ごしていた。すると、ある賞状が目に入った、東電主催の絵画コンクール小5の部で、優良賞(県内約8000人の参加者中最優秀から数えて26位以内)をとっていたのだ。うーん、さすが母親が美術教室もどきをやっていると、子供もすごいものだと感心していた。おっと、こんな自慢話が主題ではない。で、やれ通信簿を見せろだのなんだのと学校の話をしていると、なんと今期娘は放送委員をやっているではないか。うーん、蛙の子は蛙、って、主題からどんどんそれて行くぞ。で、ひょんなことからたんぼの話になった。ああ、やっと主題が始まった。

 検見川小では、校外学習として、今年の5年生全員でたんぼで米を作ったというではないか。どこの学校でもたたみ6畳くらいの実験田みたいなのがあるものだが、検見小5年がやったのは、写真から想像するに、少なくとも2アールはある本格的なたんぼである。それを苗代づくりから案山子作り、稲刈り、脱穀まで全部手でやったというのだ。脱穀などは昔の器具でやったらしい。

 5年生の父兄の中に農家の家があり、休耕田を持っていた。先生が提案したのか、父兄が提案したのか分からないが、とにかく学校から歩いて45分もかかるところにあるその休耕田で米作りの実体験をしようということになり、児童もPTAも先生も一緒になって半年間米作りにいそしんだと言うわけだ。これは農家の人、あるいはちょっとでもかじったことのある人なら分かるように、とんでもないことである。田が狭くて人手がべらぼうにあるからいいようなものの、ヘリでの農薬散布以外は、ほぼ無農薬でやろうと言うのだから、草取りやら何やら、膨大な手間暇がかかる。交代だとしても、あるクラスが田に行けば、そのクラスは行き帰りの90分も含めて、午前中全部農作業に取られる。通常の授業を切り詰めてもそれだけのことをやるというのは、学校とPTAの協調と献身的な奉仕がなければ絶対に出来ない。そして、近頃の学級崩壊状況から言えば、田植え一つとっても、もう強烈な重労働なのだから、当然はみ出すガキも出るだろう。それを見事にまとめ、収穫まで漕ぎ着けたというのは快挙と言ってもいいだろう。まさしく、生きた教育である。今時こんな体験の出来る学校が公立小学校であったとは、本当に驚きである。

 娘と言えば、2年ほど前に行った時に、学校周辺の神社を片っ端から案内してくれたことがある。神社といっても小さな祠のようなのもいっぱいあったのだが、これも授業の一環で、検見川という漁師町の歴史とともに、神社巡りをやったというのだ。今の戦後世代、日教組世代の教師なら、神社など目の敵と思っていたのだが、これも実に素晴らしいことだと感心したものだ。

 新しい歴史教科書をつくる会や自由主義史観研究会に参加して、日本の教育の現状を憂いていたのだが、小学校でこういう教育がまだまだ行われているなら、日本の教育もまだまだ捨てたモノじゃないと思った次第である。

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