いつまで愚行を繰り返すのか(平成13年8月18日)

 愚行といっても罵詈雑言に書いているような、中韓への土下座外交のことではなく、今回は自分のことである。この文章は、傷心の上り新幹線の中で書いている。

 私が交通違反常習者で、今回も免取の危機に直面していることは先日書いたばかりだが、その最も緊張して過ごさなければならない時に、あろうことか事故ってしまった。平成13年8月18日(土)午後4時30分頃、石巻市の南に隣接する矢本町の国道45号線路上で右折しようと止まっている車に追突事故を起こしてしまった。*錦糸町事件以来約8年振りの事故なのだが、違反に最新の注意を払っていたはずの私がなぜまた事故ってしまったのか。はっきり言って、急ブレーキを踏んだことは覚えているが、その前のことを覚えていない、よそ見していた記憶はない、逆光がまぶしかった記憶はある、あんな広い道路の真ん中に車が止まっているなどとは考えも及ばなかった、相手は右ウィンカーを出していたと言うが、見えなかった。考え事をしていたのだろうか、おそらく約60kmくらいで走っていたと思うが15mのブレーキ痕(警察発表)を残して、あと一歩のところで止まれず、カマ掘ってしまった。左にハンドルを切ろうとしたブレーキ痕が空しい。直前の訪店で自分の違反歴の話をし、慎重に転しているという話をしたばかりだった。あと残り1店回れば、今日は東京へ帰るという目前の事故だった。

 何であれ、事故は事故であり、しかも相手は止まっていたのだから、おそらく100対0だろう。魔が差した、とか、済んでしまったこととか言えば、聞こえはいいが、いかんせん、過去に全損自損事故2回、示談にした追突、衝突事故3回、人身事故1回の経験があり、免停歴5回、免取1回の常習者である。これは明らかに愚行だ。やはり、私は車を運転してはいけないのだろうか。昭和58年に初めて免許を取って以来、通算走行距離は30万kmをゆうに超える。ある意味、車とともに生きて来た、レガシィとともに生きてきた私だが、運転には向いていないのだろうか。車がなければ仕事にならないが、どうにかするしかないのか。喉元過ぎれば熱さ 忘れる体質がいけないのか。いずれにせよ、事故処理は保険屋さんに任せるのだから、自身は深く反省して今度こそ事故も違反もしないように注意しなければならない。

*錦糸町事件=平成5年に首都高速小松川線下り錦糸町ランプ付近で、入り口から入ってきたトラックとタクシーをよけて、側壁に激突した事件。ウィンカーを出さずに急に右車線に出たタクシーを避けようとして起きた。奇跡的に負傷者はいなかったが、初めて自ら新車で買った初代レガシィは5万kmを目前に全損廃車となり、JAFに錦糸町から本八幡まで引いてもらうという屈辱を味わった。以後、中古車で通しており、その後事故は起こしていなかった。

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