日本にはイラクに派兵しない自由はない(平成15年12月31日)

 新潮をにぎわせているどこかの宗教政党の党首が先日突如としてイラクのサマラを訪れ、米軍やオランダ軍の庇護の下、防弾チョッキに身を包み、ほんの3時間ほどの滞在で、サマラは比較的安全、と自衛隊派遣にお墨付きを与えるパフォーマンスをしてのけた。自衛隊派遣も我が党が実地検分しなければ簡単には認めないぞというつもりなのだろう。しかしながら、これぞまさしくええかっこしいという点で小泉首相が北朝鮮に行ったのと似ている。確かに危険には違いないが、ブッシュがバグダッドにエアフォースワンで降り立ったのとは危険のレベルにおいて1と5ぐらいに違う。本人にしてみれば内心怖くて怖くて仕方なかったかもしれないが、日頃、なめたらいかんざきなんて言ってる人だから党内やバックの宗教団体、自民党に対するええかっこしいとしか思えない。サマラだけでなく、外交官2人の殺害現場を検分しに行ってお題目を唱えて来たというならまだしも命懸けの無私のパフォーマンスとも言えるが、実に目を疑うようなええかっこしいぶりであった。政治家がパフォーマンスが好きなのか、パフォーマンス好きな輩じゃないと政治家になれないのか、多分後者だと思うが、パフォーマンス嫌いの私としてみれば全くよくやるよと思うばかりである。

 それに引き替えブッシュのバグダッド訪問は本当の意味での命懸けである。アメリカ国内に居ても大勢のSSに囲まれていなければ安心出来ないくらい常にやばい立場であるのに、敵のまっただ中、別に極秘でなくても毎日狙われているバグダッド空港の米軍基地だ、何も知らないテロリストがバズーカ砲打ち込まないとも限らない。そんな強烈に危険なところへ出向くのだから、大統領選対策のパフォーマンスなどというのはあたらない。大東亜戦争中に天皇陛下が上海や南京に行くようなものだ。

 さて、我が自衛隊のイラク派兵問題だが、我々派兵賛成派は対米追随の親米ポチ保守などと言われている。しかし、日本の現状で派兵しないなどという自由があるのか。私はないとはっきりいいたい。今の日本はアメリカを中心とする国際秩序の中で生きていくしか道はない。そして、日本の現状とは何か。アメリカの保護国である。誰がどう言おうが、日本はアメリカというお釈迦様の掌の上の孫悟空である。日米安保条約はアメリカが日本を守るという条約であって、相互安全保障条約ではない。つまり片務契約だ。軍事面でおんぶしている国が真の独立国であるはずがない。アメリカの政策へ多少の異論を唱えることがあったとしても、それは親に対して子がだだをこねている姿でしかない。一生懸命反米を唱える人達に聞きたい。アメリカと対等に渡り合うために日本はどうすればいいのかと。西部先生や小林先生はもちろんわかっているだろうが、左翼的反米主義の連中は答えられないだろう。アメリカと対等に渡り合い、アメリカの対イラク政策を公然と間違っていると非難出来る国になるためには日本もフランスのような国になるしかない。それは何か、再軍備・核武装・安保廃棄(または対等な条約への改正)の三位一体の改革だ。集団自衛権などは初歩の初歩だ。そしてこの三位一体の改革のために最も必要なことは憲法改正しかない。憲法を改正し、真に国際社会において、果たすべき役割を果たし、アメリカのやり方が間違っていると思えば、堂々と諫める。それこそが国際社会において名誉ある地位を占めることだ。

 では、それが出来るのか。憲法改正が出来ても、核武装・安保廃棄は絶対にアメリカが認めない。徐々に徐々にアメリカの核の傘から脱し、アメリカと対等に口をきく国になるためにはあと50年はかかるだろう。しかし、はじめの一歩は憲法改正である。日本が生きていくのには、実はアメリカの保護国である方がはるかに楽なのだ。それでいいのか。それでいいはずがない。アメリカと協調しながらアメリカを諫められる国に日本がなれるのか否か、ひとえにここ数年の内に憲法改正出来るかにかかっている。

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