警官が適切に発砲してこそ治安は守られる(平成15年10月18日)

 10月16日岩槻、18日市原と僅か3日の間に警察官が正当防衛で拳銃を使用する事件が2件起きた。産経Web-Sで見ると、警察官が拳銃を発砲せざるを得なかった事件は今年だけで10件近くある。警察官が必要な場合には適切に拳銃を使用しなければ、今日のような事件は今後そこいら中で起こるだろう。そうでなくても日本の治安、というより犯罪発生の状況は絶望的である。果物や米を大量に盗む事件が多発するなどと言う今まで考えられなかった事が起きている。1回1〜数台の規模だから、ニュースにならないが、全ての新聞販売店がバイクの盗難に悩まされている。今年神奈川県内で盗まれたバイクはもうとっくに100台を越えているのではないか。今日の主題は新聞販売店のバイク盗難の話ではないので、この件はその内新聞裏話に書こうと思うが、いずれにせよ今まで安心出来ていたことが、今や一つも安心な事のない犯罪天国である。

 まあ、とにかく凶悪な犯罪も非常に目立っている。一家惨殺事件は全国各地で起きるし、殺害の仕方もいよいよ残忍だ。そもそも猟奇犯罪という言葉があるように、かつての古き良き日本では、こういう事件は滅多になく、極めて異常だから猟奇的という言葉を使ったのだ。今や猟奇犯罪という言葉を聞くことはない。日常化してしまったからだ。どうしたら減るのだろう。少年犯罪にしろ、簡単に殺してしまうということにしろ、我々はよく戦後教育の成果だと言っているが、もっといえば戦後民主主義、戦後平和主義の成果といえる。警察に対する世間の冷たい視線、発砲という行為そのものが悪のように取り扱われ、拳銃の使用が厳重に制限される。警察官が発砲するたびに、そこの署長が「発砲は適切」などと言い訳がましく記者発表しなければならない。挙げ句の果て「踊る大捜査線THE MOVIE2」では拳銃使用許可が出ないで騒ぎになる。

 今日の事件だって、高校1年生が警察官に刃物を3丁も持って襲いかかったということが事件なのであって、警察官が発砲したことが事件なのではない。早く警察官が凶悪犯罪現場にあって銃を撃つのは当たり前という世の中にならなければならない。戦争も犯罪も抑止が肝心である。犯罪の現行犯現場では容赦なく警察の正義の銃が火を吹くというのが当たり前になれば、犯罪発生率は何10%も減るだろう。日本は400数十年前に豊臣秀吉が刀狩りを実施して以来、一般庶民が武器を持たない歴史の最も長い国である。武器を持っているのは治安維持担当者と犯罪者だけである。日本はアメリカのように一般庶民が武器を持たないと安心して暮らせない野蛮な国ではないのである。そんな野蛮な国に逆戻りせず、治安を維持(治安維持というだけで、治安維持法を想起してヒステリックに叫ぶ奴もいる。サヨクだ)するためには、警察官が適正に拳銃を使用し続け、悪いのは犯罪者という当たり前のことが当たり前に思える世の中にならなければならない。GTOの冴島みたいな警察官も困るが、普通の警察官は皆、使命感に燃えて犯罪撲滅に向けて日夜、身を危険にさらしている。日本をよくするには治安維持を妨害する連中を黙らせる事から始めなければならない。そうそうそういえば、「テロリズムに対する資金供与の防止に関する国際条約の締結について承認を求めるの件」という国会の批准案件で共産党すら賛成しているのに反対した政党が一つだけある、そう、社民党だ。反対しそうなのが他にも思い当たるだろう。こういう輩を撲滅しない限り日本は犯罪天国になっていくだろう。警察官が適切に発砲してこそ治安は守られるのである。あえて言おう、「どんどん撃て」と。今後新聞はじめメディアには警官発砲を先にせず、事件を先にして欲しいものだ。

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