一本化こそが田中康夫の思うつぼだった(平成14年8月30日)

 さて、いよいよ泣いても笑ってもあさって、9月1日が長野県知事選の投票日である。勝負は告示前日についてしまったようなもので、後はどれくらい差が付くのかというところだ。あまりに一方的すぎて、関心が異様に高いにも関わらず、投票率が激減するかもしれない。告示前日にというのは、つまり、花岡さんが無理矢理降ろされたことによって、形はどうあれ、長谷川陣営の翼賛体質が白日の下にさらされてしまったからだ。

 そもそも、県議会や市町村長側が勘違いしているのは田中票とか反田中票といったものが存在すると思っていることだ。存在するのは旧体制票と反旧体制票であって、池田元副知事を担ぎ上げた勢力に対する批判票が、田中に向かって怒濤のように流れたのが前回の知事選だったのだ。別に田中に期待している訳ではなく、吉村県政の停滞に飽き飽きした県民感情がアンチテーゼとして田中に破壊者として振る舞うよう求めているのである。そして、たかだか1年8ヶ月ではその感情は払拭出来ていない。謹慎していたかに思えた八十二の茅野氏や商議所の仁科氏が結局は田中を支持したことでも分かる。県議会側がやるべきだったのは、その反旧体制票を田中から引っぺがし、別の候補に向かわせることによって、三つどもえ状況を作り、後は、田中以外の2者の内の勝ち馬に乗るという手段をとることだった。そのためには、県政会なり政信会なりが分裂してでも、長谷川、花岡をそれぞれ個人的に応援していく状況を作り、翼賛選挙でないイメージを作って、田中に向かっていた反吉村票を自分たちのもとに取り戻すことが必要であった。田中が人気があるのではなく、自分たちがいかに不人気かということに気付くべきだったのだ。

 いまさらもう遅いのだが、花岡さんが降りていなければ、そういった風が吹いたかも知れない。少なくとも私は、反田中・反長谷川を標榜する花岡さんの主張と名前が浸透すれば、風が吹く可能性は十分あると思っていた。だからこそ自分なりに一生懸命動いていたのだ。花岡さんは立候補辞退の記者会見で、田中氏に長野県から出ていってもらうことこそが大義と言っていたが、民意は違うのである。そして、その民意は来年4月の県議選で、もっと恐ろしい事態を引き起こすだろう。田中党の旗揚げと、その旗を借りた共産党系無所属議員の大量当選である。田中圧勝の県知事選の後、県議会側がやるべき事は、田中側の準備が整わない内に、議会を自主解散し、繰り上げ県議選を行ってしまうことである。そして、2度と不信任案など出さず、4年間辛抱して、田中が自ら転ぶのを待つことだ。今度不信任案を出せば、今度こそ田中は議会解散に打って出るだろう。そして現在の県政会以下の県議会多数派議員達は得体の知れない市民派の仮面をかぶった候補者達に叩き落とされることだろう。このまま行けば長野県はおしまいだ。

旅人罵詈雑言のトップへ

旅人のほーむぺーじ トップへ