政治には往々にしてある?(平成14年8月15日)

 今日、8月15日、敗戦記念日、本来ならば、私は長野市内で花岡信昭の県知事選のポスターを貼りまくっているはずだった。本来ならとかはずだったという言葉を使わなければならない事自体、はなはだ不本意なのだし、この前の11日のコラム自体削除してしまいたい想いなのだが、あえてそのままにしておこうと思う。14日、告示日前日朝、長野市に車で到着した私は花岡氏のポスターを貼ってもらえる人の所へ向かうべく、事務所にいた。候補者本人はお母さんの入院している病院に行ったということで来ない。一方秘書や事務長の顔色や挙動がどうもおかしい。と思いつつも、早く出ないと午後までに帰って来れないと思い、2件ほど長野市内で所用を足した後、長野道を南に向かった。1件目が終わって2件目に向かおうと山越えしかけたところで、事務所から電話がかかってきた。「詳しいことは分かりませんが、立候補を取りやめるらしいんです」と電話の主は言う。私は聞いた「誰が?」。もちろん花岡さんのことだった。そんな馬鹿なと思って、産経WEBのi-mode版を見ると、花岡氏が長谷川氏と政策協定を結び、立候補辞退とある。1時から県庁で記者会見しているということだ。体中から力が抜けていく気がした。「何それ」っと言う想いが駆けめぐり、気が遠くなりそうになりながら、次にいくところに取りやめの電話をして、長野に向けて引き返した。長野に向かう車を運転しながら、私がいろいろお願いした人達に電話して謝まり続けた。その間、あれこれと考えがよぎった。自分は自分に出来ることを出来るだけやろうと、手弁当で長野にかけつけた。それは花岡氏が、反田中であり、かつ反長谷川を標榜して立候補するということで、その男気に感じ入り、また、地理的に長野をよく知る産経人として、会社が一切応援しない中、そう言う人間もいた方がいいかなと思って応援していた。また、辞めたとはいえ、産経の看板記者だった人が選挙に出て、恥ずかしい選挙戦を戦って欲しくないという個人的な想いからも応援しようと思った。しかし、結果は戦う前に退場だった。

 事務所に戻ると、既にテレビカメラや報道陣がつめかけ、花岡氏が記者団と即席会見していた。記者会見が先で、事務所のスタッフにはまだ、本人の口からは説明がないとのことだったので、ずいぶんと長い時間だったが、愕然とイスにもたれて待っていた。事務所では、その脱力感をこう表現していた、曰く「全力で自転車を漕いでいたら、いきなりチェーンがはずれた」、「大恋愛の末の結婚式で花嫁に逃げられた」等々だ。花岡氏が戻ると、「すまないな、でも政治には往々にしてあることなんだよ」と言うので、私は「納得いきません」と言った。本人が奥へ呼ぶのでついていき、話を聞いた。事務所開き直後に倒れたお母さんのことなど、本音の話だったが、私は、「それならお母さんの事だけで十分で、長谷川との政策協定なんて余計ですよ」と言った。いずれにせよ、花岡氏にとっては、進むも地獄、退くも地獄の状況だったようだ。こういうことがあれば、裏で金が動いたとか、すぐ世間は勘ぐる。私はこの2日間事務所の中でいろいろ見聞きしていたが、そんな事は絶対にないと断言出来る。12日の東京での励ます会はそれはそれは盛り上がったのに、僅か20数時間後にこの結論とは、あの参加者にどう説明するのだろう。金返せという人もそりゃあ居て当然だ。私だって、会費の他にカンパもしてるし、既に3回長野入りして、交通費やら宿泊費やら何万円とかかっている。しかし、事務所の経理事情を知れば、それも言えない。走り続ければ、自転車操業でも頑張っていけたかもしれないが、止まってしまった今、来るのは請求書と苦情電話だけ。確実に赤字という状況の中で、数百万円のパーティーの収益なんて返せる訳がない。花岡さんはきっと、政治記者30年の政治のプロなどと言っていたが、本当に純粋に長野のことを心配していたのだろう。政策協定を結び、実際にそれを詰めに自らが乗り出している姿をみれば、もう何も言えない。でも、こんなに直前になって降りるくらいなら、お母さんが倒れた時点で、それでも行くなどと言って欲しくなかった。そう考えれば、鷲沢長野市長などという単純な仲介者ではなく、もっともっと大きな力が働き、ありとあらゆる圧力と脅し、懐柔があって、結局花岡さんがその圧力に抗しきれなかったと考えるより他ない。金で買収という事になれば、当然蹴られるから、そんな問題ではないもっと大きな何かが花岡さんを断念させたのだと思う。そう言う意味では、しがらみの少ない市川氏よりも花岡さんの方がターゲットになったのかもしれない。

 しかし、花岡さんをこれまた純粋に支援していた人達の気持ちはどうなるのか。私は目の前に居たから、納得はしないまでも理解は出来た。しかし、パーティーに集まった人々、告示後に応援に来ようと思っていた人達の気持ちは置き去りにされたままだ。そして、一生懸命走り回った人達は、恥をかくとともに、お詫びしまくらなくてはならない。今朝、私は嫌な夢を見た、立候補辞退を知らずに、大月みやこが長野駅に降りてくる夢だ。大月みやこは来なかったが、会社のある人から、お祝いの花が届いていた。その花は夕方までむなしく事務所入り口に放置されていた。本人が一番苦しいのは重々理解出来るが、田中康夫に言われるまでもなく、説明責任は果たして欲しいと思う。本当に長谷川陣営から金などもらっていないこと、辞退した時点でのおおまかでもいい、会計報告などだ。一番苦しいのは本人であることは分かるが、今後の花岡さんの人生を考えれば、それが最も大事だと思う。政治には往々にしてあることなどと済ませて欲しくない。政治のプロにはそれで通るだろうが、我々素人にはやはり納得がいかない。

 所詮、選挙はスタッフや支援者の思惑など関係なく、候補者本人のものだ。でも、やっぱり、降りるくらいなら最初から出ないで欲しいし、お母さんが倒れた時点でとりやめていれば、もっと犠牲は少なくて済んだ。本人は、出走前に辞めたことで余力を残したと思っているのだろうが、今のままなら、どのみち田中の勝ち。政策協定も絵に描いた餅。そして、本人には敵前逃亡の印象だけが残る。特にあのパーティーに集まったきらびやかな正論文化人や産経支持者には。会社でも降ろしに走った一派があるようだが、一桁万の敗戦よりも深い傷を産経という名前に対して与えたとしか思えない。いずれ、気持ちが整理出来たら、今回の選挙については今一度総括して書いてみたい。今はまだ、怒りと、落胆と、同情が混在していてどうしようもないから。

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