ジェンダーフリーは心の環境破壊(平成14年4月16日)

 ピースボートねえちゃんは今頃病院で何をしているんだろう。彼女はきっと悔しくて悔しくて仕方がないのではないか。もし、自民党議員が参考人或いは証人として招致された時に、体調不良と言って入院して出てこなかったら、きっと彼女は、仮病だとか、疑惑を晴らすために這ってでも出てきて証言するべきだとか言うはずだ。彼女が出て来られないと言うことは、これはもう、相当な体調不良であるとしか考えられない。女性差別と言われるのを覚悟の上で敢えて言わせてもらえば、彼女が男だったら、仮病としか言いようがないが、女性だからこそ、体調を崩してしまったのだと思う。それは、ジェンダーではなく、sexとしての性の違いによるものと考える。

 ジェンダーフリーとは、社会的、文化的に作られる男女の性差を克服しようという運動である。フェミニズムは本来男女同権運動であった。今、ジェンダーフリーとフェミニズムは同義語として社会に深く浸透しようとしている。私は男女同権主義には大賛成であるが、現在フェミニストが進めている、男女共同参画社会という名の男女画一化運動には大反対である。フェミニスト(=ジェンダーフリー論者)の進める男女平等は、最終的に男が男であることの否定、女が女であることの否定を目指しているように思える。その手始めとして行われているのが、男女混合名簿の推進であり、ひな祭りや端午の節句の否定であり、スカートの否定であり、男らしさ女らしさの教育現場での否定である。しかし、男らしさ女らしさというものは、全てが社会的、文化的に作られるものではなく、性別としての男、女として生まれた時の男性ホルモン、女性ホルモンのそれぞれの多寡によって形成されるものであることが、医学的には常識である。だからこそ、性同一性障害というものがあるのだ。特に先天性の場合、身体は男として生まれてきたのに、母親の胎内で女性ホルモンを多く浴びたために心は女性であったり、あるいはその逆であったりする。かつては、それが、精神病的に捉えられていたが、現在では医学の進歩と共に、社会の見る目ももはや差別的なものではなくなりつつある。

 しかし、現在のフェミニズム運動が進める男女画一化の企ては、性同一性障害を後天的に作り出す素になるのではないか。男の子が自分を男の子であると意識出来ない、女の子が自分を女の子であると意識出来ないように意図的に仕向けるような教育を進めることは、子供達の正常な精神的発育に必ず大きな影響を与える。オオカミに育てられて、自分がオオカミだと思って育ってしまったオオカミ少女のような状況になってしまうのではないか。こういう心配をすると、きっと、フェミニストはこう言うだろう。男とか女とかでなく、人間なのだと。つまり助産師だ。しかし、事は助産師とか看護師とかいった単純な問題ではない。人類の将来に関わる問題なのだ。

 3月に終了した、CXのドラマ「ロングラブレター〜漂流教室」では未来に飛ばされた主人公達が、現代の砂漠化や環境汚染の影響をもろに受ける設定だった。男女の区別をなくそうとする、ジェンダーフリー主義者の企ては、心の環境破壊、人類の未来を精神的に砂漠化しようとするものだと断言したい。

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