雪印社員一同の広告を見て(平成14年3月24日)

 今朝の朝刊に雪印乳業の広告が載った。2002年3月、雪印というその広告は、社員一同という名前で自社の体質を恥じ、謝罪し、今後の改善と変革を誓っている。別に、謝って済む事じゃないとか、自虐的だとかケチをつけるつもりはない。全国紙各紙などに10段広告を打つということは、それだけで数億円の費用がかかる訳だが、それだけの経費をかけても、今後とも会社を存続し、企業の生まれ変わりをアピールし、今後の生き残りに賭けようという事だろう。あまりに自虐的なその内容はともかく、その心意気は素晴らしい事だと思う。私にはこの広告が地味でありながら、非常に心に残った。今でも私は雪印製品を差別せずに買っているが、これからも(もし売っていればだが)何の気なしに買うだろう。

 さて、あまりに自虐的と言ったのは、これが何も雪印だけの問題ではないからだ。この広告の中で、彼らは、"「自分さえ良ければ(助かれば)いい」「すべて他人事。すべて他人のせいにする」これが今までの企業・雪印の人格です。"と言っている。おいおい、それは企業・雪印じゃなくて、国家・日本の間違いだろうと言いたい。薬害エイズでのミドリ十字と厚生省、狂牛病事件での様々な関係事件(この中には雪印食品だけでなく、最近判明した様々な原産地偽表示も含まれる)、バブルを煽った自業自得の不良債権を国の金で処理してもらって平気な銀行、郵政の選挙違反、KSD、鈴木宗男、外務省の様々な不祥事、今の自民党体質を作った張本人の娘としてでなければ政治家になれなかったはずなのに、それは棚に上げ、辞めた後もそれでも今までよりずっとましな首相を批判し続ける、売国外交を恥じない元外務大臣、人のことはさんざん嘘つき呼ばわりしといて、自分が税金詐欺まがいのことをやっていても即座に議員辞職すら出来ないピースボートねえちゃん。ちょっと思いつくだけでもこんなにある。雪印の人格じゃなく、戦後日本人の人格じゃないのか。戦前的なものを全否定した結果として、道徳が置き去りにされ、それとアメリカナイズされた資本主義万能の考え方が結びつけば、そこら中でこんな事が起こるのは必然じゃないのか。

 前後するが広告の中で、彼らはこうも言っている、"企業というものに人格があるならば、雪印は、感謝という心を持っていなかった、といえます。消費者の皆様、酪農家の皆様、牛乳販売店の皆様、お取引先の皆様、株主の皆様に向ける感謝がないことにさえ、気づいておりませんでした。"まさしく身につまされる言葉である。販売店は敵だなんて思うメーカーもある中、私自身は、常に販売店の気持ちを考えて仕事をしているつもりだが、それとここでいう感謝の心はちょっと違うような気がする。トップページにランダム表示している自然社の新生活標語に「周りに支えられていることに気付いただけ感謝の思いは深まる」という言葉がある。それに気付いて、数億かけてアピールした雪印は立派だ。

 雪印や、昨今の様々な不祥事を批判することは容易い、しかし、我々日本人はみな、明日は我が身なのではないだろうか。先の新生活標語に「社会現象は他人事ではない、自分もそれを育てた土壌の中にいる」という言葉がある。肝に銘じよう。(次回予告:ジェンダーフリーは心の環境破壊)

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