転落はいつも美名から始まる(その1)(平成14年1月24日)

 男女共同参画社会、なんと響きのいい言葉だろう。ワークシェアリング、実に聞こえのいい言葉だ。平和、平等、誰もこの言葉には逆らえない。しかし、平等とは何か。平等にはスタートの平等(機会均等)とゴールの平等(結果平等)とがある。世の中には結果平等を理想とする人たちがいる。私は彼女等、彼等をこう呼ぶ。共産主義者。そう、能力に応じて働き、必要に応じて受け取る。これが共産主義の最終形である。

 今、日本は失業率が5.5%になり、さらなる大失業時代を迎えると言われている。これに対し、労働省や労働組合がオランダで成功した例などをもとにワークシェアリングの導入を訴えている。雇用を守るため、仕事を共有し、少ない利益をみんなで分けようということだ。しかし、みんなで共有できる仕事とはなんだ。所詮は単純労働じゃないのか。まあ、世の中の単純労働の大半をワークシェアリングすれば、かなりの失業者が減らせるだろうが、それは単にアルバイトが増加するだけではないのか。

 しかし、もっと恐ろしいことは、日本では一度そういうものが定着し、一定の勢力を持つと、それが既得権益になるということである。結果平等社会に一歩近づくということだ。失業したから、必死で仕事を探すとか、何か新しいことにチャレンジしてみようという努力の目が、ワークシェアリングによって摘まれるという状況が来ないと言えるだろうか。元々そういうまじめで努力家の人はほんの一握りしかいないのだから、ワークシェアリングとは関係ないと言えるが、ここで問題なのは、右へならえの日本人の特性である。ワ−クシェアリング層が一定以上の数になると、確実にその人達は発言力を持ち、能力ややる気のある人達の足を引っ張るような事態になることを私は危惧する。失業率の問題はそういった共産主義的思想ではなく、産業構造の転換なり、ベンチャーの育成なり、別のもっと資本主義社会に合った考え方で解決法を探るべきだ。そう、機会均等主義で。

 失業率の増加を怖がって、安易にワークシェアリングなどという、共産主義的手法に頼ろうとするのは、景気が悪いからといって、国民の税金を次々に無駄な公共事業に注ぎ込んで、国家財政を極限までおかしくしたのと同じ結果を招くような気がする。人々に生きる活力、努力すれば報われるというモラルがあれば、失業なんか怖くないと私は思うのだ。

 おまえは失業したことがないからそんなことが言えるとか言われそうだが、我が社の今回の作戦が小さな成功しか収めなければ、うちの会社だって非常にやばい状態になる。日頃会社で好き放題の事を言って、アウトローやってるんだから、いつリストラになってもおかしくはない。私だって、たまたま目の前に見えないだけで、崖っぷちに立って、必死でどうにかしようと考えているのだ。自分が何を出来るかであって、他人の仕事のおこぼれに預かろうなんて気持ちは私にはさらさらない。

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