宗教的価値観は超えられない(平成13年9月13日)

 先月、映画「マーシャル・ロー」をビデオで見た。オサマ・ビン・ラディンに相当する人物を米軍が極秘に捕らえる。それを引き金にイスラム原理主義者がニューヨークでバスジャックし、そのバスごと自爆するなど次々爆弾テロを起こす。ニューヨークに戒厳令が敷かれ、アラブ系の住民が次々に球場に仮設された収容所に押し込められる。CIAの女捜査官はかつて訓練したイスラムゲリラに繋がるアラブ系大学教授と懇ろになりながら、協力者にする。しかし、その教授自身が原理主義者の中核的存在で、最後に自爆テロを起こす。全てが終わった後、戒厳司令官(ブルース・ウィリス)は人権無視の容疑で逮捕される。この映画は、ケニアなどの米大使館爆破事件を受けて作られたものだが、なんと似ていることだろう。しかし、この映画のテーマは、戒厳令の否定だった。しかし、今回のテロ(=戦争)はそんな平和主義幻想など吹き飛ばすものである。あの、ビルへの正確なヒットを見たか。必中の信念、大義のためなら命をいとわない、敵はキリスト教徒、ユダヤ教徒であり、民間人を含む全ての米国人である。アメリカ人はカミカゼの恐怖を蘇らせているだろう。かつての敵は共産主義者だった。しかし、共産主義は自ら自壊した。テロリストとの対決はラディンの組織などではなく、イスラム原理主義そのものであり、最終的にはイスラム教そのものを敵としなければならないだろう。まさしく、ハンチントンの文明の衝突そのものだ。宗教的価値観が違う者同士が単に平和を好むだけで手をつなげるはずがない。日本と中韓が歴史認識で激突するのもむべなるかなである。

旅人罵詈雑言のトップへ

旅人のほーむぺーじ トップへ