公共事業と呼ばずに社会基盤整備と呼べば(平成13年6月30日)

 公共事業という言葉は最近、というより自民党批判者の間では昔から、あまりいいイメージではない。利権の巣窟というイメージもさるものながら、税金の無駄遣いという意識が強いからかもしれない。一概には言えないが、その最たるものは、都道府県市町村のハコモノである。地方分権だとか財源の移譲だとかが叫ばれているが、あんなものばかり作られたら、国民の税金はいくらあっても足りない。長野県なんか脱ダムの前に脱美術館・博物館と言って欲しいものだ。

 地方を回り始めて3年も経つとやはり東京にいたら見えないものが見えてくる。整備新幹線は確かに無駄かもしれない、本四架橋も赤字垂れ流しかもしれない、東京湾横断道路なんてはっきり言っていらない。でもやっぱりこれらは必要なのではないか。本当に新幹線・高速道路様々である。長野を担当しているときに、長野道や上信越道がなかったらと思うとぞっとした。今、石巻から気仙沼へ行くのに一苦労である。それでも仙台から石巻まで自動車専用道路で行けるだけましなのだが、もし、三陸自動車道が八戸まで延びればこんな便利な道路はないと思う。ましてや、磐越道、山形道や秋田道など、今ではあって当たり前のものがなかったとしたら、それは首都圏や近畿圏の住民が田舎をいつまでも田舎として閉じこめ差別し続ける策略にしか見えないだろう。

 全国でせっせと美術館や博物館を作っていた金でたとえ50kmでも高速道路網を延ばしていればなあと思う。これは東京に住んでいたら分からない。いや、外環道あたりに反対してる連中からすれば道路は公害と騒音をまき散らす怪物なのかもしれない。しかし、それはアクセスの揃っている都市住民の空気のような感覚である。地方の人間にとっては物流の動脈を開通させることは悲願でなのだ。もしかしたら、これらの道路(あるいは新幹線)が過疎の勢いを少しでも食い止めているのではないかと思うようになった。

 私は日本中がミニ東京化することには反対だが、地方の良さを延ばしつつ、生活を向上させるにはまだまだ必要な公共事業はたくさんあると思う。田中角栄の「日本列島改造論」は、思想としては間違ってなかったと思う。公共事業とひとくくりにせず、交通網の整備は社会基盤整備なのだと考えれば、本当に必要な建設工事はまだまだたくさんある。

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