官僚制度(組織)の功罪(平成12年12月28日)

 アメリカ大統領選の決着が着いて、ブッシュ政権の閣僚が続々と決まりつつあるが、民主党から共和党への政権移行に伴い、高級官僚の猟官運動も本格化している。私はアメリカという国があまり好きではないが、ところどころ素晴らしいと思うところがある。政権交代に伴う、このトップ全体の総入れ替えもその一つだ。おそらくは、州知事が変わっても同じだろう。日本では自民党政権だろうが、細川連立内閣だろうが、官僚機構の構成員はほとんど変わらない。吉村県政から田中知事体制になった長野県庁でも同じだ。まあ、それはそれでいい。しかし、石原都知事の言うように、官僚は政治家が政治を行うための行政官(ツール)でなければならない。ところが、みなさんご承知の通り、実際はそうではない。官僚出身の政治家が職掌する業界の利益を代表し、ボンクラ2世代議士が、官僚の意のままに動かされている。

 日本における官僚制度の歴史は、もちろん大和朝廷発足以来の歴史があるのだが、そもそもは中国の官僚制度を手本にスタートし、幾多の工夫が加えられ、時の政権の執行機関として機能してきた。私は官僚機構というのは、国家にとって必要不可欠だと思う。特に、発展途上の国の舵取りには国を引っ張るエリートがしっかりしなければ、その国は沈没してしまうだろう。しかし、組織という不思議な生命体は、常に自己防衛本能と自己繁殖本能を持つものだ。従って、リーダーがきちんと制御しなければ暴走してしまう。暴走というと聞こえが悪いが、ようするに、組織防衛のためには、自分達が何故存在するのか忘れてしまうということである。

 繰り返しになるが、明治維新時のような混沌とした社会を立て直すには、官僚組織を立ち上げ、そのリーダーシップによって国を引っ張っていかなければ、どこかの国の餌食になってしまうだろう。明治時代というのはそうした意味で、強いリーダーシップと官僚組織が車の両輪として機能し、外国からの圧力を跳ね返して、国家建設をするという一つの目的に向かって邁進していた時代であったと思う。しかし、官僚組織が成熟し完全に歯車化し、文官だけでなく、軍組織までが官僚主義に陥ると、結局は国を滅ぼすことになる。

 官僚組織が職分を忘れ、組織防衛を第一に考えるようになったら、容赦なく破壊しなければならない。戦後日本を建て直し、新国家建設と世界の先進国に再び復帰するにあたっては、官僚の力がフルに発揮されたと思う。吉田茂や池田勇人は官僚を非常に重用したというが、その強いリーダーシップで見事に官僚を使いきったと言えるだろう。だが、大政治家といえる政治家がいなくなり、単なる権謀術数だけの政治家ばかりになってしまうと、知識と経験と巨大組織を持つ官僚機構には歯が立たない。官僚組織のリストラクチュアリングこそが本当の行革だとすれば、今こそ大政治家が出て、官僚機構を作り直さなければならない。

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