日本人には宗教は馴染まない?(平成12年12月23日)

 オウムのことを書いたばかりだが、連中といい統一協会といい、どうしてああも完璧にはまれるのだろうか。考えてみれば、日本の歴史上の大衆的新興宗教教団は、日蓮宗にしろ浄土真宗にしろ、みんな似たようなものだ。麻原が日蓮大聖人と同じだと言うのかとお怒りを買いそうだが、始祖が時の体制から弾圧されるのはキリストも含めて世の常である。但し、今は信教の自由とやらのおかげで、サリンを撒いたり余計なことをしなければ、いくらでも新興宗教は作れる。

 戦争中の日本を天皇絶対の宗教国家と言った人がいる。日本人は極めて狂信的になりやすい性質を持っているのかもしれない。ちなみに今の信仰の対象は"平和"憲法である。何か一つのことを正しいと思い込むと思考停止してしまう民族。

 宗教とはいったい何なのか。人は一人では生きてはいけない、人の心の拠り所として宗教は存在するのだろう。キリスト教やイスラム教は砂漠で生まれ、その飢餓的な状況からの救いを与えようとする宗教である。そして唯一絶対神を必要としている。仏教は砂漠の宗教とは逆に自分を現在よりも過酷な状況に追い込む修行によって心の悟りを得ようとする。日本の神道はこれらと比べ、自然に恵まれ、外敵のいない海の中の島で生まれた。日本にしか通用しない宗教?である。

 宗教は心の葛藤を克服するための人間の哲学的営みである。生を死を考え、考え抜くことから宗教は始まるのではないか。いったんこれが正しいと決めつけてしまったら思考停止してしまう日本人には、生死を徹底的に突き詰め考えなければならない宗教は不向きなのではないか。

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