偽善的オウム擁護論(平成12年12月15日)

 先日、足立区の某所を通りがかった時のこと、異様な横断幕にお目にかかった。「オウムは出て行け」だったか、「この街にオウムはいらない」だったか、そんなような文字が踊っていた。「○○建設はマンション建設をやめろ」みたいな世界である。その建設業者は建築基準法上の許可を得てマンションを建設している。それと同じように、オウムの構成員は破防法が適用された訳ではなく、宗教団体の認可が取り消しになった元宗教団体員でただの人の集まりである。

 今の日本国中、おそらくどこへ行ってもオウムの連中は地域社会に受け入れられないだろう。当たり前である。仮に末端の一人一人は知らなかったとしても、サリンをばらまくよう指示した奴の教義を受け入れ、今でも信奉しているのだから。(おっといけない。刑が確定するまでは推定無罪ってか?)人数の多い少ないの問題ではない。

 オウムへの破防法適用に反対した連中の大半は、本当の理由を隠して、とにかくオウムが破防法適用に値する団体ではなくなったことばかりを言い立てていた。曰く「幹部の大半が逮捕され、もはや組織的活動は出来なくなった」「オウムは壊滅的打撃を受け、信者数も激減している」。しかし、壊滅的であって、壊滅したわけではなかった。完治しなかった水虫がまたぞろ悩ますように、長野県内でも多くの場所で住民とのトラブルが起きた。

 オウム信者とて人間であり、生きる権利はある。しかも、破防法を適用せず、個人個人の信者は人畜無害と決定したのだから、オウム追放などと言わず、暖かく隣に住まわしてやろうではないか。もしくは、オウムが隣に来て嫌な人は、今すぐ、破防法適用に反対した朝日新聞、共同通信や進歩的文化人に彼らを引き取ってもらうよう、申し入れしに行くべきである。

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