白谷君への手紙(平成12年10月31日)

前略 白谷様

 貴兄に産経新聞をお読み頂いてから、ほぼ半月が過ぎました。その間、なかなかシビアな紙面批評を頂き、さすが見るところは見ていると敬服致しております。ところで、今日31日で8回目を数えました連載、「日中再考」につき、ご感想を"ノート"にてお聞かせ頂ければ幸いです。

草々

PS 「日中再考」を書いている、古森義久中国総局長について簡単に説明します。彼は、元々毎日新聞の外信部記者で、ベトナム戦争中にサイゴン特派員をしていたスター記者でした。一方、我が産経には近藤紘一という特派員がおり、現地の女性と再婚し、当社のスター記者でした。後に「サイゴンから来た妻と娘」という本が売れたこともあります。古森記者と近藤記者は現地では大の仲良しでした。

 南ベトナム解放戦線というのが実は北ベトナム軍であることは、国際的には周知の事実でしたが、日本ではあまり知る人はなく、近藤記者の書く記事で、産経の読者が知るのみでした。古森記者もその事実を記事に書いて本社に送稿していましたが、ことごとくデスクに握りつぶされていたのです。解放戦線が北の軍隊では都合が悪かったのかもしれません。

 戦争が終わり、近藤記者はさらにバンコク支局長をしていましたが、やがて病に倒れ、86年に亡くなりました。翌年、古森記者は、近藤記者との友情、書きたいことを書かせてくれる、毎日社内の派閥抗争に嫌気が差したなどのため、産経に移籍しました。産経に来てからの13年の大半はワシントン特派員でした。そして、一昨年、産経としては追放以来、約30年振りに開設された中国総局に赴任したのです。産経は文革時にその本質は権力闘争だという欧米では常識だった記事を載せ続け、北京政府の逆鱗に触れて、当時の柴田穂特派員が追放され、北京支局は閉鎖となりました。日中国交正常化に伴い、各社が台北から支局を引き上げる中、産経は台北と香港の支局から中国情報を発進し続け、ついに一昨年、北京政府と和解し、台北支局を残したまま、北京に支局を復活するに至ったのです。古森記者は、北京政府に阿ることなく、産経の中国報道を続けてきましたが、11月1日付で中国総局長から局長待遇特別記者ワシントン駐在、論説委員として転任しました。後任は今年6月鳴り物入りで産経に移籍してきた元共同通信論説委員長伊藤正氏です。

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