旅人罵詈雑言へ 旅人お気楽極楽へ 平成12年の今日のコラムへ
このサイトをお気に入りに追加するにはここを

旅人新聞裏話       
このコーナーでは、旅人が10有余年の新聞社暮らしの上で体験したことなどを適当に綴っていきます。
ここに書いてある意見は私の個人的見解であり産経新聞社の公式見解ではありません。あしからず。
東京産経は今、勢いがあります。私と一緒に販売店をやって産経を増やしてみたいという方是非ともご一報下さい。折り合いがつけば日本全国どこへでも会いに行きます。
<目次>

担当員にカーナビなんていらない(平成16年12月5日)
新潟県中越地震2(平成16年11月7日)
新潟県中越地震(平成16年10月25日)
クレーム不感症(平成16年7月11日)
返上のダブルスタンダード(平成15年10月30日)
販売店のバイクは何故こんなに盗まれる(平成15年10月29日)
公正取引委員会に問いたい(平成15年4月27日)
恐怖政治と朝令暮改が指示待ち族を作る(平成15年4月3日)
無読対策こそこれからの業界の使命(平成15年2月19日)
諸悪の根元は補助金か(平成15年1月26日)
本社は無謬である(平成14年12月31日)
士農工商担当員(平成14年11月29日)
朝鮮民主主義人民共和国(笑)からの産経新聞に対する過分なるお褒めのお言葉(平成14年10月27日)
版帯の不思議(平成14年9月15日)
新聞の将来についてふと思った(平成14年9月8日)
休刊日問題とは一体何だったのか(平成14年7月29日)
担当員であること(平成14年6月17日)
チキンレースに負けたのは(平成14年5月31日)
新聞販売店の持つ可能性(平成14年5月10日)
系列とはおそろしきもの(平成14年5月6日)
憎悪、怨念、愛、打算そしてビジネス(平成14年5月4日)
あくまでうわさ話(平成14年4月23日)
初心は忘れるもの(平成14年4月19日)
インターネットが見出し人間を増やす(平成14年4月17日)
小さな成功、大きな成功(平成14年4月8日)
ちょっと一服(平成14年3月18日)
読売新聞の恐れる産経一人勝ちとは?(平成14年3月13日)
新聞戦争は仁義なき戦い(平成14年3月10日)
お人好しでは生きていかれない(平成14年3月3日)
電子新聞は新聞社をどうしたいのか(平成14年2月28日)
新聞休刊日は何故あるのか(平成14年2月27日)
このページも大変なことになってきた(平成14年2月16日)
再販を踏みにじっているのは誰だ(平成14年2月12日)
産経夕刊廃止が三紙に与える影響(平成14年2月2日)
スヌーピーを侮辱する奴は許さないぞ(平成14年1月27日)
緊急特集!!三大新聞のエゲツないやり口(平成13年12月29日)
新聞界は朝読スタンダード(平成13年12月8日)
横浜問題の解決にあたって(平成13年12月1日)
拡張員はなぜいるか(平成13年10月3日)
新聞定価は安くない?(平成13年8月18日)


担当員にカーナビなんていらない(平成16年12月5日)
 私は現在担当員ではないが、自分は昭和の担当員という意識を持っている。今ではすっかりおやじになってしまった絶滅寸前の昭和の担当員だ。どこの社でも、現役の担当員で昭和の時代から担当やってる人間は少数派になっているのではないか。おやじになってしまったからか、例によってまた今時の若いモンはの話になってしまう。

 以前にも書いたことがあったかも知れないが、かつて我が社で地方を回る担当員にレンタカー制度が導入された時、その説明会で、ニッポンレンタカーの担当者に「カーナビついてますか」と聞いた奴が居て、後ろの方から「担当員はカーナビなんか使うんじゃねえよ」と叫んだ私である。今でもその思いは変わらないばかりか、益々強くなっている。日本の若者はどんどん低きに流れている。ただでさえ地図の見方一つ知らないのに、カーナビに頼っていれば、その地区についてその特色も、住んでいる層も詳しくなるものはいないだろう。店と言えば、店主と店舗と従業員だけで、区域という重要な要素についてはどこかに置き去られてしまう。

 これもまたよく言っていることだが、担当は、その地区において、自系統の新聞販売に関しては全知全能の神でなければならない。担当員は区域に応じた販売戦術を考える必要がある。社の看板=権力をバックにして、ただ増やせ増やせというなら、担当員なんて誰でも出来る。長野県なら長野県、都内中部なら都内中部という地区を歩いて、自分の目で区域を見て、ここではこういった手法が適当だという物を見出さなければならない。もちろん都内なんて車で回るのは馬鹿げているのは重々承知の上だ。そして、そうした中から副産物も出てくる。そもそも長野の担当をやっていなければ、中越地震で長野県側からの方が確実に被災地に早く近づけるなどという発想は出てこないだろう。地図を見て瞬時にどこが近いか見分ける能力と、過去に近くまで行っていたという経験の賜物である。

 地図の読めない担当にはそれが出来ないというのが私の持論である。カーナビに頼っていれば、カーナビの辿るラインしか分からない。地図を見て、地形、道路を覚えてから、自分の目で確かめつつ走り回ることで、区域が見えてくる。最近はむやみやたらと区域を削ったり、くっつけたりすることが多いわけだが、それは区域を知らなければおかしな区域を自ら作り出してしまうことになる。迷惑するのは、そこの店主と次の担当員だ。

 自分の区域内にある町字名くらい聞いたらどの辺と分かれよ。といいたい今日この頃なのだが、書類ばっかり書かされて、そんな余裕のない担当員は可哀想だなあなどと思いつつ、担当生活15年で10箇所の担当をした知識をベースに毎日毎日区域台帳とにらめっこしてますます地理に強くなっていく私なのだった。

旅人新聞裏話のトップへ

新潟県中越地震2(平成16年11月7日)
 あれから2週間が経った。あっという間の2週間だった。地震から10日後の11月2日、私は再び中越の地に向かった。我が販売局長、東日本販売本部長兼山静信越販売部長そして飛び入りで参加した社長秘書の現地専売店見舞&激励訪店の運転手兼案内人としてだ。今回は地震直後に行った十日町や小千谷の他に、入広瀬や見附、栃尾も日程に含む1泊2日の訪店である。10日経って現地を訪れて、日本の土木技術は凄いと思った。今回現地を訪れるにあたり、近くまで新幹線で行ってレンタカーを借りることになった。前回の経験からやはり4駆でなければダメだと思い、越後湯沢のニッポンレンタカーでは全部出払っていたので長野で借りて、前回同様越後田沢から新潟入りすることにしたのだが、当日まで毎日新潟土木事務所や道路交通情報センターのサイトを見ていると、応急復旧処置という注釈付で、日に日に通行止め箇所が解除されていく。例えば、私が写真を載せている117号線の十日町から小千谷に入ったところの崩落現場など、帰りに通ったのだが、既に山側に片道交互通行ながら、ダンプも通れる舗装道路が作られていた。一般車は通行止めになっていた関越道も既に緊急車及び支援車両は走っていたし、6日には全線通行止め解除になった。現地にどんどん支援物資を入れなければならないのだから、まず真っ先に道路をどうにかしなければならない。地震翌日には通行止めをどこかで突破しなければ入れなかった小千谷市内にも、入れるようになっていた。正直言って4駆は必要なかった。それを言うと長野側から入る私のプランがお釈迦になるので黙っていたが、別に4駆でない普通のワゴンで十分だった。本当に日本の土木技術は凄い。

 道路を先頭に現地は徐々に復旧してきており、避難した車でいっぱいだった十日町高校のグランドも数基のテントが点在するだけで、皆家に戻っているようだった。十日町の店で改めて所長に話を聞くと、今回の地震は家や体ごと思い切りねじられるような揺れだったということだ。我々が普通体験する地震は縦揺れなら突き上げられるような感じだし、横揺れなら波に揺られるような感じだが、それとは全く違う揺れというより思いきり揺さぶられるという感覚がねじられると言う言葉から想像出来る。十日町の店はあらゆる部屋の壁にひびが入っており、その揺さぶりの凄さを感じさせた。現在、市が建物の被害程度を調査して歩いており、赤(危険)黄(要注意)緑(調査済)の3ランクに分けてポスターを貼っており、十日町店も小千谷店も黄色が貼られていた。今や、現地の人々にとって最大の不安要因は余震よりも雪である。あっという間に冬がやってくる。そして、この一帯は日本一の豪雪地帯だ。地震で弱った家にも容赦なく一晩1mの積雪が降り注ぐ。せめて暖冬で雪が少ないことを祈るしかない。そうでないと、雪による2次災害がこの地域を襲うだろう。

 よく人から聞かれるのは、新聞は配られているのかどうかだが、地震の翌日でも十日町の店はほとんど配っていた。しかし、停電が続いていたため、普段なら間違えることのない交差点でもうっかり通り過ぎてしまうなど、困難を極めていたようである。その後しばらくは避難所にも配達していたが、皆車中泊して、朝になると家にいったん戻るため、基本的に各戸配達に戻したようだ。小千谷店では山古志村を区域として抱えている。誰もいないからもちろん配らないのだが、従業員の家が流されてしまったそうだ。我々は行かなかった場所だが、越後川口だけはつい最近まで、町に新聞輸送のトラックが入れず、隣の堀之内まで取り出しに来てもらっていた。山古志の次にひどいのはおそらく川口だろう。そして小千谷だ。今回は長岡から小千谷に入ったのだが、長岡市を北から南へ小千谷に近づくにつれ、屋根にブルーシートを貼った家が目立った。瓦が崩れてしまったのだ。そして、例の放置新幹線も長岡の小千谷寄りの高架上にまだそのままだった。今日7日遺体が搬出されたが、皆川一家の乗っていた車にもまだブルーシートがかかっている光景を目撃した。そして、長岡から小千谷市内に入ると、地震翌日より多少は片づいているものの、ほとんど無惨な状態そのままであった。雪が来る前に何とかしないと大変だ。作業人員が圧倒的に足りないという感じである。うちのえらい人達も最後の訪店地小千谷に入って初めて、今回の地震の想像を絶するひどさを実感したようである。

 NHKが初めてという24時間テレビをやっていたが、本当に今我々に出来ることを考えなければならない。復旧が進み、現地の人達が少しでも普通に近い暮らしが出来るようになるために、我々として何が出来るのか。ボランティアに参加出来ればそれもいい、募金しか出来ないとすれば、少しでも募金しよう。祈ることで事態が好転するなら、祈りも捧げよう。いずれにしろ何かをしなければ。

旅人新聞裏話のトップへ

新潟県中越地震(平成16年10月25日)
 それはまるで、自分の真下の地面の裏側をを巨大なヤスリで思いっきり素早く擦られたとでも言おうか、あるいは地面の下のゴジラかガメラがいきなりぞわっと動いたとでも言おうか、10月23日午後5時56分の地震(小千谷震度6強)を販売局で感じた時とも、24日午後2時21分の地震(小千谷震度5強)を柏崎インターの出口渋滞中に感じたのとも違った。24日午後4時6分に震源直上の小千谷市で感じた震度4の余震は、本当に思わず悲鳴の上がる、今までに体験したことのない感覚の地震だった。おそらくあの本当に恐ろしい揺れを、小千谷及びその周辺市町村の人々は23日夕方から今に至るも、そしてこれからしばらくの間ずっと経験し、おびえ続けなければならない。被災地の大半のところでは、いつ家が崩れ落ちるか分からない恐怖のため、車の中や原っぱ、校庭、駐車場などで今も生活している。たいていのことには割と平然としている私もあの揺れにはさすがにビビった。阪神大震災の被災地を全く見ていない私としては、全く初めての経験だった。

 10月23日夕方、その日は休みで、夕方若干の仕事を片づけるために私はちょうど会社にいた。最初の震度6強は300km離れたサンケイビルの窓、柱をきしませ、ギーギー音を立て、我々のいる8Fも舟を漕ぐように大きく揺れたものだ。これはでかい、きっとどっかでかなり大きな地震が起きているはずと思うや、テレビからは新潟県中越地方で震度6強という第1報を伝えていた。そして、それは、僅かの間に2度、3度と起こり、これは大変なことになる、今日は長丁場だと覚悟したのだった。翌朝刊の新潟及び長野版の降版繰り上げが決まり、社にいた若い衆にFAX連絡させ、とりあえず一段落と思って、テレビを見ていた。そのうち、新幹線が脱線だの、高速はもちろんそこら中の一般道が通行止めになっているのと少しずつ情報が入って来る。当該部の次長が専売店に再度FAXを流し、局長と電話している光景を見てはっとした。FAXは?届いたのか?あわてて、送信記録の通知を見ると1回目に送ったFAXは121件中49件しか届いていなかった。FAXといえども一般電話だし停電すれば使えない。何回か再送信を繰り返し、FAXの届かないのはまさしく今回の被災地区の販売店数十店だった。その中には産経の専売店も数店含まれる。この非常事態に新潟担当は運がいいのか悪いのか、被災地の長岡にいた。担当とも店とも連絡が取れない状態の中、明朝10時から東日本販売本部の全員と管理部門の部長を集め、会議を開くという話が聞こえて来た。会議?何考えてんだと会議の嫌いな私はすぐ思う。10時間後に会議やってどうすんだ、情報もないのに、まったく、と思った私は、いつもの悪い癖が出て、局長に電話していた。「会議なんてやって、どうすんですか、すぐ誰か現地に飛ばすべきです。局長が行けと命令して、部長に言っといてさえくれれば、俺はすぐ準備して現地に行きますよ」と興奮して言う私に、局長は喜んで行けと命令してくれた。但し、注意書きがついた、絶対に1人で行ってはならない、必ず2人で行けと。そして、たまたま、そこにいた数人の担当員の内の1人に白羽の矢が立ち、とりあえず緊急に必要と思われるモノだけを買って情報収集と現地専売店(越後田沢、十日町、小千谷)の激励に向かうことにした。その時既に24日0時半、長い長い1日が始まろうとしていた。

 車で来ていた担当にいったん自宅に送ってもらい、2人とも準備をして出発した。途中数カ所のコンビニで水や懐中電灯などの買い物をし、もしかするとその3専売店には紙が届いていないかもしれないと、浦安工場に寄って、あらかじめ頼んでおいた車に積める必要最小限の数百部の本日の朝刊を積んで新潟に向かった。浦安工場を3時過ぎに出て、途中交替しながら関越・上信越道と飛ばしに飛ばし、1店目、越後田沢に着いたのが7時ちょっと前。パン屋さんと喫茶店を兼営している新聞販売店だが、中に入ってみると喫茶店部分のカウンターの中でグラスや皿が割れて散らばっている。これは凄いと思いながらも、特に停電も断水もせず、パン屋の仕込みも出来ているので大丈夫だなと思った。しかし、その日、小学校で予定されていたお祭りが中止になり注文された100個のサンドイッチがパーになると嘆いていた。仕入れして準備が整って、後は作って届けるだけだという。「じゃあ、それは我々で買い取って、この先の十日町や小千谷に持っていきますから作って下さい。その間に我々はまず様子を見てきますから」と言って店を後にした。十日町までは15分くらいだからだ。途中、田沢の店から電話が来て、サンドイッチは学校で引き取ってくれることになったから大丈夫ですという。これで心おきなく奥まで進んで行けると思ったのは、ちょうど十日町市に入った頃だった。それまでとは道路の様子が違う。うねり、亀裂、小さな陥没、段差などが次々と我々の目に飛び込む。やっぱり凄い、と思いながら、街中に入って行くと、至る所、壁やガラス、塀などが崩れている。そして、十日町の専売店に到着。ちょうど奥さんが配達途中に店に戻って来ており、様子を聞くとともに家の中を見せてもらった。仏壇は傾き、キッチンは食器棚が倒れて、什器類が散乱しており、本当に大変な様子が一目で分かる。昨夜はみんな車の中で寝たという。ここで若干の支援物資を渡すと、新潟担当が行く予定になっている小千谷に向かうことにした。長岡から来たんじゃ、おそらく何も持って来れてないだろうということで、10時からの会議までに向こうにも行って、何が必要なのか取材する必要があったから、とにかく小千谷に行ってみることにした。

 別のページに掲載した写真はこの後から始まる。国道117号線で小千谷に行くことにした我々はまさしく小千谷市という看板を見た後、すぐに警察の通行止めの検問現場に引っかかった。社員証を見せ、行けるところまで行きたいと言うと、マスコミのみなさんがこの先にたくさんいますが、この先の陥没現場から先はどうかと思うと言うので、行けるところまで行かせて下さいと言って、その場をすり抜けた。そしてすり抜けた先にあったのが、写真冒頭の数枚の現場である。写真はとったがこれではどうにもならないと思い、迂回することにして、近辺の抜け道と考えられるところを数カ所まわって見たが、他の写真にあるように倒木や土砂崩れで行き止まりになっているか、はなから通行止めで完全にロックアウトされている。これではどうにもならないと思った我々はいったん十日町に引き上げることにした。会議が始まるまでに写真をアップし、つながらない電話を何回でもかけ続けて、とにかくレポートしなければならないからだ。

 十日町でもう一度所長や家族に取材し、写真をホームページにアップして報告すると、本社から、緊急援助物資を積んだワゴンを2台出すことになった。おまえらは早めに引き上げて来いというが、こうなったら意地でも小千谷入りするぞと覚悟を決めた。いったん長野県内に戻り、上信越道から北陸道に入って、柏崎経由でなら入れるだろうと思ったからだ。十日町と小千谷は完全に分断されている。十日町は長野に向かって扉が開かれているが、向こう側の長岡が被災しておおごとになっている以上、小千谷は陸の孤島になっているに違いない。この目でそれをみるまでは帰れないと思った。北陸道は柏崎の20km手前の柿崎までしか通っていなかったが、柿崎ICの出口渋滞に引っかかって、いよいよ高速を降りようというちょうどその時、柏崎まで高速が開通した。ついてる、このまま突っ走れば、柏崎は出口渋滞してない。そして、柏崎ICを降りると、小千谷に向かう国道291号線を走った。しかし、やはり通行止めで途中迂回させられることになった。結局、国道252号へ戻り、峠越えをして、小国町に入り、再び291号に戻って小千谷に入ることにした。しかし、ここでもまた通行止め。しかし、警察がいない。我々は通行止めを強行突破することに決めた。その道で見たものは、まさしく通行止めにするにふさわしい道路だった。運転の素人には通り抜けるのは至難の技と思われるような、縦に地割れし、1mも上下にずれた道路、道の3/2くらい占拠した倒木、思い切ってうねったあげくに急に段差がある。そんなもののオンパレードだ。後刻、後続の応援隊にこの様子を克明に教え、くれぐれも無理をするなと警告したのは言うまでもない。

 それやこれやの苦難を突破し、小千谷の市街地で我々が見たモノは、みなさんがテレビで見た惨状そのものだった。潰れた家、陥没した道路に落ちた車、厚さ10数センチの壁が四角くはがれ落ちて鉄筋が剥き出しになった信金、いたる所の土砂崩れ等々だ。そして、小千谷の店にたどり着いた4時過ぎ、冒頭の余震に遭遇したのである。小千谷の所長一家はここには書き尽くせない恐怖を語ってくれた。この奥にある山古志村は、おそらく全員移住を余儀なくされるだろうということもその場で聞き、後で夜テレビを見て、逆に生き残っている人がたくさんいて安堵したものだ。我々の持ってきた若干の物資を渡し、精一杯の激励の言葉をかけた後、店を後にし、小千谷市内をひと通り見て回って、我々はその場を去ることにした。相棒を終電までに長野駅に送り届けたかった私は、柏崎に戻るよりもなんとしても迂回路を探して十日町から長野入りしたかった。結局通れるのはさっき来た道だけと悟り、来たときよりもブロックがきつくなった国道291号線を夜の闇の中、ヘッドライトに照らし出される地面の段差の影に細心の注意を払い、来たときに道路の右左どちら側を通ったかを思い出しながら、再び小国町内に戻った。そこは、電気のまったくついていない沈黙の世界だった。路上に停めた車の中に避難している人をみかけながら、もう、ほとんど当てずっぽうに西へ西へと走った。相当大回りしたつもりになっていたので、峠を越えて、向こう側に夜景が見えた時には長野県境まで来てしまったかと思った。しかし、それは十日町市だった。電気が戻ったのだ。もう一度十日町店の所長にあいさつしてから帰ろうと店に行ってみると真っ暗。目の前の十日町高校のグランドに車で家族3人犬2匹が避難していた。余震が怖くて店には居られないのだ。小千谷で見た惨状を話すと、十日町はまだましですねと少し気持ちが楽になったようだった。十日町を後にし、おそらくは長野県に入ったあたりですれ違っただろう、後続の応援隊に後をまかせて我々はひたすら長野に向けて走った。なんとか終電1本前の新幹線に相棒を乗せ、ホテルに入った私は、小千谷で撮った写真をアップすると、EZTVで展開している今見てきた光景を見ながら、泥のように眠ってしまった。目覚ましも、夜中に何回も入ったウェザーニュースの地震速報メールも気付かずに。

旅人新聞裏話のトップへ

クレーム不感症(平成16年7月11日)
 私が入社してしばらくは、うちの会社の交換台も24時間営業していた。まだフリーダイヤルなんて普及していない時代だから、販売の苦情も代表電話にかかってきて、交換嬢がお客さんの住所を聞いて、販売局の各現場部に回してくる。その地区の担当がいなければデスクが聞いて処理するなり、たまたまそこにいた担当が処理するなりしていて、おおらかな時代だった。しかし、それは昼間の話で、夜も9時頃にかかってくる苦情はたいてい酔っ払いであり、しつこいのが多くて、へたなのに捕まると平気で1時間くらい相手をさせられたものだ。大体昼間店廻りして、夜社へ帰って書類をやるというパターンだったから、うっかり電話を取ってそんな酔っ払いに捕まると貴重な書類作成の時間を取られたあげく、電話を置いたら、「やめたぁ、もうやってらんねえ」と飲みに行ってしまうというのが常だった。うちの場合、固定読者が多かったせいか、不着の苦情なんてのは今の比ではなく、その場にいる人間がたまに電話を取る程度で済んでいた。その状況はフリーダイヤルが導入されたことと、夕刊廃止&スヌーピーTVCM路線で新規読者が激増したため、急激に増え、一変した。局のスローガンに迅速・丁寧なクレーム対応なんて3本柱の一つとして取り上げられ、販売管理部の庶務なんてセクションがお客様センターと名を替えて花形部署になるまでになった。クレーム対応部署が脚光を浴びるなど、実は嘆かわしいことなのだが、現実にクレームが多くこれを解決していかなければ増紙など覚束ないのだから仕方がない。

 2大新聞などではクレームと言えばセールスの苦情なのだろうが、うちの場合はもはやセールスの苦情など無きに等しいくらいだ。最近多いのはクレジット決済導入に伴う、引き落とし関連の苦情だ。まあ、これだけ新しい読者が増えてくれば、しばらくは仕方ないと思うのだが、不着なんてのは人間のやっていることだからゼロにはならない。我々に出来る事と言えばいかにゼロに近づけていくかの不断の努力だけだ。新聞っていうのは毎日配っているからこそ配れるのであって、ビジネスアイのように日曜休刊くらいならまだしも、週3日だの、普段配っていない所に週1回だけ配達なんてそんな新聞受けてくるなと言いたいものだ。話は横道にそれたが、ここ2年くらいの間に取り始めた読者だと、直接社に申し込んでいるからお店の電話を知らない、もしくは、自分は本社と契約しているんだから店は関係ないと言わんばかりの人が多くなった。

 まあ、それにしてもクレーマーの多いこと。私はヒラだが責任者なので、こりゃだめだという電話ばかり回ってくるが、まあ、示し合わせたかのようにパターンが一緒だ。もともとこっちサイドに非があるのだから反論出来ないことを足許見るかのようにガツンガツン言ってくる。鬼の首を取ったようとはこのことかと思う。曰く、「あんたじゃ話にならない、責任者を出せ」、「どうやって責任取るんだ」、「金払わねえぞ」、「会社の正式の文書で謝罪せよ」、「上の人間に言うぞ」、「民主主義を標榜する新聞社がそんなことでいいのか」などなどである。そしてまずフリーダイヤルにしかかけない。うちのフリーダイヤルは他の電話に回せないのだが、他部署でないと答えられないようなことでも、ここで答えろと言って、折り返し電話すら拒否する。こちらが名乗っているのに自分の匿名性を担保にしようとする人間はまともに相手にしないことにしている。まあ、私の場合、特に悪質なクレーマーというのは自分の中で出来上がっていて、折り返しにさせず、フリーダイヤルに固執し、関西弁でまくし立て、やたら責任を追及してくるのが最悪のクレーマーで、これはひたすら嵐が過ぎ去るのを待つしかない。最初の2、3ヶ月は結構いきり立って反論したりもしたものだが、最近はクレーム不感症になって、なんでもハイハイ、申し訳ありませんと連呼するいい子になってしまった。そうでないと、あんな連中全力で相手してたら、毎日毎日ストレスで頭おかしくなっちゃうもん。

旅人新聞裏話のトップへ

返上のダブルスタンダード(平成15年10月30日)
 トップページに書いているように、この2年間の産経取引返上問題と三社協定の事を全部書くときは当然この新聞裏話も最終回になるし、旅人のほーむぺーじも更新停止する。三社に対して文句を言いたい訳だが、産経新聞社のやり方にも問題がない訳ではないし、そのことも含めて書けば、担当員も産経新聞の社員も辞めなければいけないだろう。もしかしたら、人生も終末を迎える時かもしれない。

 それにしても不思議なのは某社の取引返上が何故神奈川県でばかり起こるかだ。もちろん理由は分かっているのだが、それは最終回に書くことであって、今書くべき主題ではない。私は湘南事件の時には当該地区担当ではないにもかかわらず、現地に延べ3週間駐在して店作りの現場監督をやっていた。その時はこれが返上のピークと考えていたものだったが、実際にはその後も返上は続いている。返上問題全般の事はいずれ最終回で書くが、何故我々神奈川県の担当だけがこんなに苦労しなければならないのかという不平を今日は書こうと思う。

 返上は全体で起きてるんじゃない神奈川県で起きてるんだ、と言いたい訳だが、店主交代があって新しく所長が来るときには産経は取り扱わないことになっているという。それはそれで構わないし、我々もただただ仕事として粛々と引き取って専売網を強化していくのみである。しかし、新しく所長が替わるといっても千葉県でも埼玉県でも所長交代はあり、産経を取り扱っている店もあるはずだが、神奈川以外でそういうケースで返上されたという例をこの半年に限っては聞かない。もちろん私のブロックでも引継に際してそのまま継続して取引してもらったケースはある。あの大騒ぎの7月に引き継いだのだから唯一の例外と言ってもいいかもしれない。しかし、返上は神奈川県で起きて、千葉や埼玉では起きないのである。これはまぎれもなくダブルスタンダードである。うちの神奈川県担当員団をいじめるだけでなく、是非とも千葉や埼玉や都内の担当員団にも苦労させてやって欲しいものだ。それらの地区では返上があって専売を打てれば確実に専売網が強化されるから苦労する担当連中も本望というものだろう。

 ちなみに現在我が社ではこちらから好き好んで戦争しかけて複合店から紙を取り上げて専売を打つという政策は採っていないし、今まで良好に取引関係を続けてきた所長さんとはこれからもさらに良好な取引関係を続けたいと願っている。親子であろうと子弟であろうとだ。神奈川県では良好な取引関係にある所長さんが新店を引き継ぐ際には取り引きしてもらえないことに某社の方では決まっているようだが、それでも現在取引頂いているお店については今後も良好に取引していきたいと願っているのである。

旅人新聞裏話のトップへ

販売店のバイクは何故こんなに盗まれる(平成15年10月29日)
 35台。私がこの7月末から10月末までに耳にした神奈川県内の新聞販売店で盗まれた配達用バイクの台数である。実際には聞こえない事件もあるし、3ヶ月の話だから、この1年で優に100台を超える台数が盗まれていると見ていいはずだ。ガキのいたずらでなければ大半が今頃東南アジアで活躍していることだろう。新聞販売店のバイクはありかがはっきりしている上に、仕事の性質上確実に人の目の届かない時間帯があり、機種が揃っており、しかも、防犯に対する対策が採りにくいので好き放題に盗まれている。

 都内では組合がアンケートを始めているというし、一都三県あるいは全国に広げればもの凄い台数のバイクが盗まれていると想像出来る。全てが新車でもないし、全てが廃車寸前でもないが、下取りに出せば3万くらいにはなるから、仮に全国で一年に1000台盗まれたとして、被害総額は3000万円だ。しかも下取り価格の話であって、代わりの新車を買えばいきなり2億という数字になる。1000台での話だから、もしかすると全国の販売店の新車購入に費やした金は10億を超えるかもしれない。これは大変な数字である。ところが、新聞やテレビで報道されることはほとんどない。たまに、イチ時に23台盗まれたとか11台盗まれたとかいった場合には新聞に載るが普通は1台から数台単位なのでニュースになることもない。盗まれた店としてはたまったもんじゃない。3台以上盗まれたら大抵の店は配達に支障が出る。何としても早く犯人を捕まえて欲しいものだが、捕まったという話も聞かないし、警察も真剣に取り扱ってくれているとは思えない。

 盗んだ奴も見たこと無ければ、どういう風に運ばれて、どういう風に捌かれるのかも見たことないので想像でしかものを言えないが、おそらく犯人は複数で、新聞販売店の作業時間帯について熟知しており、そして盗んだバイクを売りさばく方法を知っている者達である。終電後紙が来るまでの間でなおかつ折込のトラックをも避けての仕事であるから、もう完全に販売店バイク専門の窃盗集団と考える他ない。ハンドルロックすればスケーターボードに乗せて押し、チェーンをかけてもその数台をまとめてクレーンで吊り上げて持っていくプロ集団だ。売りさばくのはベトナムをはじめとする東南アジアで、全て部品にバラして別々に箱詰めしてしまうだろうから輸出現場を押さえても証拠がない。とすれば、盗んだ現場からずっと尾行して船積みするところまで押さえなければ一味の全貌は分からない。一体誰がやるのか。警察に動いてもらうにしても一件一件が小さすぎて動いてくれないとすれば、やはりおおごとにしていくしかないのではないか。先程言ったように、全国では数千万から億という被害総額になる。

 犯罪に対しては何と言っても抑止力が大事である。その第一は監視の目である。広く世間にこの犯罪の存在を認知してもらうことから始めなければならない。各社の販売局は編集に働き掛けて記事にしてもらわなければならない。日販協や新聞協会はどういう場合に盗まれているか、台数や曜日日付時間帯など、現状分析をして警察庁や加盟各社に呼びかけて世論喚起に努めるべきである。そうして、一般の人でも車で通りがかった際に新聞販売店の前で深夜にバイクを触っている人間が居たら怪しんでもらうことが必要である。一般に新聞販売店は深夜作業だから、店の前で人がバイクをいじっていてもあまり怪しまない。おそらくおまわりさんでもそうだろう。とにかく、バイクを組織的に少しずつ大量に盗んでいる集団がいるということを事件として認知してもらわなければ始まらない。

 次に防衛である。最終的には発信器や防犯カメラでもつけるしかないのだろうが、やはり最低限ハンドルロック、チェーン、自動感知式ライトなどは必要だろう。現地店主会なりグループ店でのパトロールなりも必要かもしれない。犯人グループが逮捕されて、犯人にリスクを感じさせない限り、販売店のバイクは盗み続けられるだろう。何とかしなければならない。

旅人新聞裏話のトップへ

公正取引委員会に問いたい(平成15年4月27日)
 「ヨネックス立ち入り〜他社製品排除 働き掛けの疑い 公取委」(直リンク御免)

 今月初旬に新聞に載った、大手スポーツ用品メーカー、ヨネックスがバドミントンのシャトルの販売をめぐって独禁法違反容疑で立ち入り検査を受けたという記事である。この記事の中で、ヨネックスは自社の圧倒的に優位な立場を利用し、全国の小売店に対して、他社の関連用品を扱わないよう不当に働き掛け、従わない小売店にはペナルティーを設けていた疑いが持たれているという。どこかで聞いたような話だ。

 新聞販売店は個々の新聞発行本社と取引契約を結んで新聞販売を生業としている。ほとんどの新聞社は、販売店が新たに他の新聞を取り扱う場合には現取引先である発行本社の同意を得なければならないと規定していると思われるが、いったん取引を開始したならば、他の新聞社との取引内容についていちいち同意を得なければならないようには規定されていないはずであるし、そんな契約はそれこそ独禁法違反だと思う。現実には契約書に明記してあるわけでもないし、FAXを含む文書での産経との取引妨害の明確な証拠があるわけでもない。しかし、現に指令は飛んでいるし、産経の部数内容は各社の担当に厳密にチェックされ、予備紙の部数まで細かく指示されている。今回の場合は産経90万部ということで、産経のみがターゲットになり、他の取扱紙が大量に余っていても目をつぶっているようである。産経の90万部達成が面白くないのはよく分かるが、自店で取扱紙の予備紙を何部にするかはそのお店の自由裁量であるはずだし、かつてのような若干多めの予備紙というわけではなく、わずか数部の世界だ。かつて公正競争規約上2%だった予備紙だが、2%未満の数字を平然と指示している。自系統紙でない取扱紙のわずかな取引部数にまで干渉するのは、冒頭のヨネックスのような事例と違わないだろうか。例えばキリンビールの営業マンが街の酒屋さんや量販店に行って、アサヒビールの取引内容を調査し、仕入れ数が多すぎるといちゃもんをつけた時、公取委は黙って見ているのだろうか。キリンビールの仕入れを増やしてくれということは出来ても、アサヒビールを仕入れるなとは言えないはずである。それと同じ事ではないのだろうか。まあ、しかし、担当員は言うだろう、無理強いしている訳ではありませんし、逆らったからといって改廃するわけではありませんよ。或いは、上の命令で仕方ないんです。

 産経包囲網はまだ続いている。一昨年暮れからの凄まじい産経バッシングのようなことはないが、相変わらず産経返上の声は聞こえてくる。産経の申し込みをしたお客さんに自店の主取扱紙を勧めるとか折込が入りませんよとか言っているという声も聞こえる。即入の連絡をして、今日の新聞を持ってあいさつに行ってくださいとお願いすると、予備紙がないから持っていけないとか、様々な嫌がらせが現在も続いている。それでも、販売店自ら扱いたくないというならまず仕方がない。しかし、ある社の担当員などは我が社の当該地区の担当に増減の行き違いを指摘して、「こんなことでは産経を返上しなければなりませんね」などと平気で言ってくる例もあるという。さて、公取委でももうこのページの存在などすっかり忘れてしまっているだろうが、発行本社が販売店に対して別の取引先との取引解除を働き掛けるのは不公正な取引に当たらないのだろうか。是非とも聞いてみたいものだ。

旅人新聞裏話のトップへ

恐怖政治と朝令暮改が指示待ち族を作る(平成15年4月3日)
 最近の若い社会人は指示待ち族が多いと言われて久しい。教育のせいなのか、テレビのせいなのか、あるいはマンガのせいなのか、思考能力の乏しい若者が次々と社会に送り込まれているようである。しかし、もともと思考能力を備えていても、ちゃんとした大人であっても、指示待ち族を作ることは簡単である。人は自分の意見が絶対に通らないと悟ったとき、あるいは自分の全人格が否定されたと認識したとき、指示待ち族に転落するのだ。放任主義がいいとは思わないが、過度の干渉も自分でモノを考えない習慣を作る。

 従業員でも担当員でも近頃じゃ若いもんが多数を占めるようになってきた。我々が若い頃は(ってお前はそんなに年寄りかって言われると困るが)仕事は教わるモノではなく、先輩の仕事を見て自分で覚えるものだった。というか、その徒弟担当員社会の最後の世代かもしれない。最近は箸の上げ下ろしまで教えなければ自分で勉強しない若い奴が多いと嘆いていたら、最近はそうでないと無理ですよと隣の後輩が言う。自分で判断する習慣のない社員ばかりになってしまえばその組織は崩壊するだろう。

 目標達成が至上命題なのは営業セクションの宿命だが、そのための手法として恐怖政治を敷けば、いつか自分で判断出来ない社員ばかりになってしまうに違いない。自分がさぼりたいから言い訳する人間ばかりではなく、自分の信念に基づいて異議を唱える者もいる。そうした声を圧殺し、為政者が自分の手法を押しつけていけば、最初は多少の抵抗を示していた者も、あきらめとともに言われた通りに仕事するようになる。その方が楽だからだ。社内に張り巡らされたスパイ網、、、緊急に行われる夜8時からの会議、、、早朝訪店させ、その店に電話を入れいちいち確認する、、、都合の悪いことには触れず、自分の方針に都合のいい事実だけを断片的につなぎ合わせて部下を叱責する、、、この非常時に何でこんなに休むんだと言いながら、労働組合には休めと言っているのに休まないんだという、、、現場の担当頭越しに後任店主を決定し、現場の担当がそれを知るのは引き継ぐ店主より後、、、等々の上司の振る舞いが次第に部下のやる気を削ぎ、最終的には指示待ち族を作って行く。

 朝令暮改もまた指示待ち族を作る。上司から出された方針がコロコロ変わっていると、せっかくやっていたことが台無しになる。そうすると部下は様子を伺いながら仕事をするようになる。現場で店主に話をするのは結局は担当員だから先月言ったことが今月ひっくり返ったら、自分が嘘を言ったことになるのではっきり完全に決まるまでは何も話せない。不良拡張団は整理すると言っていたのに、いざ紙が増えないとなれば、突然ライバル系統から億単位の引き抜きを行う。実配主義で行くといって残紙の整理を続けながら、前年比予算比で減が続けば結局は目標数達成を要請する。ご時世だから海外研修は禁止と言いながら、ある特定の団体には目をつぶる。

 まあ、やる気をなくしていると思いこんでいるのは私だけで、みんなそれが正しいことだと信じて一生懸命やっているんだと思いたいが、自分のしっかりした信念と仕事に対する誇りを持ってやっていないと気がつかない内に指示待ち族に転落しているかもしれない。おっと、もう指示待ち族になっちゃったかも。(※ここに出て来る例は別に特定の系統を指している訳ではありません)

旅人新聞裏話のトップへ

無読対策こそこれからの業界の使命(平成15年2月19日)
 本社には改廃権がある。私は改廃そのものを否定する訳ではないし、時には強制改廃が必要な場合もある。しかし、それは取引上重大な支障を来して改善の余地がなく、放置すれば最悪の事態を招くと思われる場合に限定すべきだと思う。間違ってもあいつは俺に逆らったからとかいう理由で感情改廃などすべきでない。ところがこの業界、販売店が辞める原因の大半は実は担当員との確執が原因なのではないかと思うことがある。

 10年ほど前、まだ3−8ルールも6−8ルールもなく、原則として新聞販売にいっさい景品が使えなかった頃、正常販売のためには本社が蛇口を締めなければだめだという、いわゆる蛇口論という言葉があった。ある地区の店主会・実行委員会に出たときに某系統の店主からその蛇口論が出た。さらに、蛇口でなく末端で使うなということなら、紙を増やさなければ改廃されるのは店の方だと言って結構険悪なムードになりかけた。私は副張付担当だったが、正張付の某社担当が答えて言った、「今時、納金をちゃんとしていれば、紙が増えないと言うだけの理由では改廃なんて出来ませんよ」と。私は「ひょーっ、そんなこと言っていいのかよ」と思ったが黙っていた。最近では紙が増えないどころか減る一方になっていて、1社だけ増えている産経が怨嗟の的になっている訳だが、紙が減っていながら納金しているということは非常に大変なことである。全体に横這いとか微増と言う中で1店だけが紙を減らしているのならそれは納金していても改廃の対象だろうが、今や減紙は景気・販売政策・紙面の不人気等の構造的な問題である。店だけの責任を問うのは不公平というものだ。ちなみに先の某社では最近、納金が入っていてもやたらと改廃が行われている。

 新聞販売店も一般の商店と同じく独立自営業者だと私は思っている。独立自営業者は売り上げを増やして経費を抑え、、儲けを増やすことがその存在意義だ。新聞社が販売店というシステムを採用しているのも、その生存本能を最大限利用するためのはずである。一般の商店と同じであるならば、一番大事なお客様は読者のはずなのだが、現実は読者よりメーカーの方を向くような習性が身に付いてしまっているような気がする。読者を荒らして損をするのは結局は自分たちだという自覚があれば正常化は出来るはずである。増紙競争を拡材競争に変えてしまったことが、新聞への信頼を損ね、現在の無読の増大を招いたと言える。その根底には自分の社さえよければ他社は出し抜いてもいいという毎度々々繰り返されてきた、あくなき部数拡大へのエゴがある。私の信念では、正常販売の実現は現地店主間の信頼関係しかないと思っているので、そういった店主会を年中開催することこそが過剰な拡材競争を抑制出来る唯一の手段だと思う。拡材競争ではなく、商品への信頼、お店への信頼を獲得することによって読者を増やしていくという、商売本来の姿に戻るべき時が来ているのではないか。それに気付いていろいろな試みを始めているお店もたくさんあるが、未だに改廃怖さに本社の言うままに拡材を浪費するセールスを受け入れているお店がある限り、この業界の将来は暗いと言わざるを得ない。

 新聞販売に携わっていて紙が増えることぐらいうれしいことはないはずだ。業界全体が減紙傾向にある中、他紙をひっくり返すために大きな労力を割くよりも、やはり無読をいかに呼び戻すかに知恵を絞るべきではないのか。現に産経では新規申し込みの3割近くが無読からというデータもある。無読対策こそが業界生き残りをかけた使命ではないだろうか。いずれにしろ、子供の目に新聞を触れさせること、そのためには教師の無読をなくすことがまず第1である。

旅人新聞裏話のトップへ

諸悪の根元は補助金か(平成15年1月26日)
 10年くらい前、当時の社長にレポートを提出したことがある。秘書室経由だから、実際に社長が読んだかどうかは分からないが、要旨は次のようなことだったと記憶している。「社と店は共同体であり、オールトータル(社と店)での産経新聞の収入は発行部数にかかわらず、読者の支払う購読料と本社広告と店の折込で成り立っており、そのオールトータルの取り分の配分方法が、原価と補助金システムである。この3大収入の前には事業収入など小さいものだ。社は製作・運営経費、店は販売・運営経費とお互いに経費がかかるのでこの経費を計算してお互いが食っていけるようにならなければこの共同体は崩壊する」

 原価とマージンとは言っているが、合わせればイコール新聞代定価のことだ。この誰でも分かる1+1=2の計算を複雑にしているのが補助金システムである。製造業ではどこの業界でも販売奨励金のようなものは存在しており、より多くの商品を売る人にはマージンの他にバックリベートが支払われる。こうしなければ、誰も余計に売ろうとはしないからだ。しかし、このより多く売る人と言うのは裏を返せばより多く仕入れる人のことである。いつの間にか、より多く売るではなく、より多く仕入れるが基本原則になってきてしまったのが新聞販売業界の現状だと言える。社にとっては発行部数の維持増大のため、店にとっては折込と補助の獲得のためと、どちらにとってもメリットがあるからであって、それがさらには、多く仕入れれば、その分の仕入れ原価は安くなりますよ、その金で折込を獲得し、その資金で読者を増やしてくださいという指導になっていった。さらには自社系統の折込代理店を作り、さらに折込を獲得しやすくすることによってより一層の部数拡大競争に拍車がかかるという構図になっていったのが、新聞販売業界の歴史だ。ところが読者がいないのに紙を取って折込を獲得するのは折込詐欺だと今回の大和事件での地位保全訴訟で、こともあろうに本社側から提起され、裁判所もそれを認定してしまった。実際詐欺なんだから裁判所は当然認定する訳だが、本社があそこまで公然と積み紙は折込詐欺と断罪してしまったからには今後残紙が発見されれば改廃するかどうかはともかく、即座に紙を切らざるを得ない。今まで黙視していたライバル系統だってこれからは黙っていないのではないか。自分の残紙と相手の残紙と天秤にかけて、相手の方が血が流れるとなれば、当然刺しにいくだろう。代理店ではなく、直接スポンサーに写真でも送って。現にある県で残紙を理由に販売店と系統折込会社に右翼が脅しをかけた例も最近あったらしい。

 補助金が出て上紙原価が安くなる一方で、折込という莫大な別収入のシステムがあり、新聞には予備紙が必要ということになれば、それはどんどん拡大解釈され、本社に隠して紙を積む人も当然出てくる。それを断罪するならシステムの見直しまで図らなければ直らないのではないか。諸悪の根元は莫大な折込と上紙原価=補助金なのではないか。昔、ある店主が言っていた。補助なんて人聞きが悪い、マージンが欲しいと。マージンでも補助でもいいが、要は実売読者数に対してのマージン(補助)制度でなければ、今後も折込詐欺は続いていくだろう。新聞販売店というシステムが何故考え出されたか、これは系統会というシステムにも言えるが、要はいかに本社のリスクを回避し、いかに効率的に部数を増やしていくかだったはず。折込詐欺を奨励しているのでなければ、発見次第切るなり改廃するなりして欲しいものだ。そうでないなら感情改廃と呼ばれても致し方ないだろう。

旅人新聞裏話のトップへ

本社は無謬である(平成14年12月31日)
 このコラムをスタートした当初は、自分の友人など新聞と縁のない人が中心に見ていたので、読者に新聞業界で自分が何をしているかを知ってもらうつもりで書いていた。昨年の今頃は産経の夕刊廃止に対する包囲網を見て頭に血が上り、年末から春先まで、過激な三紙批判を展開していた。今年の元旦は仙台から車を飛ばして本社に帰り、朝5時に出社して不測の事態に備えたものだった。休刊日即売発行問題が沸騰していた今年前半は、2ちゃんねるにアドレスを貼り付けられたおかげで本社秘書室やら、公取委やら、全国の新聞販売業界関係者やら大変数多くの人達に見て頂いたようである。その後内容が腐っていったので、一日のアクセス数も最盛期の1/3程度まで減り、もはや業界注目のHPとも言えなくなって来た。まことに喜ばしいことである。これでまた好き勝手が書ける。来年は私の担当員としての信念を中心に書いていこうと思う。

 さて、今年前半は産経を語らずして新聞販売業界を語れないほど、産経の話題で持ちきりだったが、最後に来て、一気に主役交代し、世界最大の発行部数を誇る新聞社が話題の中心になってきた。といっても、話題の内容は社の政策全体ではなく、個別の店の強制改廃やライバル紙の有力セールスチームの移籍といった事象が話題になっている。強制改廃あるいは普通の改廃なら既にこの2年近くで随分と数多くの販売店が血祭りに上がっており、今回の大和事件が初めてではない。裁判が起きていると言っても既に去年から二桁の訴訟を抱えているらしいし今更珍しいことではない。珍しいのは販売店主が地位保全の仮処分申請をしたことに対し、発行本社側から出した陳述書が販売店主側から関東一円の同系統販売店に送られ、それがそこいら中に出回っていることである。陳述書によると、改廃の理由は過剰予備紙であり、上紙原価が安いことを利用してそれを遙かに上回る折込料を詐取していたというものだ。陳述書の内容自体は読んでいて至極もっともな事が書いてあり、業界の内情など知らない人が読めば、当然店側が一方的に悪いと思うだろう。しかし、よく読むといくつか不審な点がある。本社は既に一年以上前にその店の過剰予備紙を問題にしていたということだが、過剰予備紙が悪だといい、それに気付いていたなら、当然速やかにそれを是正する、つまり一度は切るはずだ。切ってそこから再スタートとなるはずなのに、5店のうち2店を先に引き継いでいって、最後に3店を一気に紙止め強制改廃へと持っていったのが実際のところである。現に昨年産経が余っているといって予備紙ゼロにさせたあげくに読者の切替を奨励していたのだから、自分の紙だって余っているのは悪だというなら、気付いた瞬間に社側から切るべきである。折込料の詐取と言うなら、知っていて1年以上も放置した本社も同罪ということになる。今回の大和事件以外にも同じ神奈川県内で数店が改廃になっており、その度に紙が何千と切れている。このことを見れば、今後も過剰予備紙を発見すれば直ちに改廃し、残紙を切るのだろうと期待出来る。というか、満天の下にその方針を晒してしまった以上、そうせざるを得ないだろう。

 押し寄せる無読化の波に有効に対処していかなければ紙は余る一方である。そう、本社が店に期待するのは常に増紙であり、無読が増えようが、対抗店が強かろうが、社から金が出なかろうが、団が少なかろうが、折込が少なかろうが、店着が遅かろうが、紙面が今の世論に合わず批判に曝されていようが、紙を減らすことは許されない。紙を取れば取るほど上紙原価が安くなる制度をひいているのは本社である。自系統にたくさん折込が入るように系列の折込会社を作ったのも本社である。取り紙で他紙を圧倒し、折込を獲得してその資金でカードを買って増紙するというシステムを構築したのも本社ではなかったのだろうか。一方で積み紙を発見すれば即改廃という方針を10年以上も貫いて来た社もある(ただし首都圏で)が、突如として過剰予備紙は折込詐欺と言い始めた社もある。残紙を買い取ってでも発行部数を維持する社もあれば、東京紙は切らせても自紙は切らせない社もある。今や減紙の要因の最大のものは無読の増加である。無読がなぜ増えるかと言えば、それは新聞が必要のないものになってきているからであり、それを食い止めるため、社も店も日夜努力していかなければならない。

 本社の販売政策は朝令暮改である、販売店はそれについてこなければならない。店も増紙あるいは部数維持のために日夜努力しているだろう。努力していない店があるとすれば、私だって強制改廃に訴えるに違いない。結果だけを見て、プロセスを見ない販売行政を行っていればいつか販売網は崩壊してしまうのではないか。ましてや感情改廃などがまかり通っていたら、店主の心は本社からも商品からも離れていくだろう。昨今の話題の改廃事件の中に感情改廃の噂がつきまとっているのも事実だ。担当員や販売幹部がその店主を気に入らないからと言っていちいち改廃していたら本社のためにもならないだろう。私も自分の意思ではもちろん、上の命令であっても感情改廃だけは絶対にしたくない。

旅人新聞裏話のトップへ

士農工商担当員(平成14年11月29日)
 今、新聞販売業界で最もホットな話題は、言わずと知れた神奈川県大和市で起きている(起きた)事件である。しかし、言わずと知れているのは新聞販売業界だけの話であって、恐らくは当事者である大和市の当該区域の当該紙の一般読者ですら何とも思っていないだろう。ましてや、それ以外の世間一般ではそんな大事件が起きていること、あるいは、それが大事件であることすら認識されないだろう。今回はその内容については主題でないので触れないが、かつては、日常茶飯のように行われていた紙止め強制改廃が恐らくは過去最大規模で実行された訳だ。しかし、例えばその系統社の編集や広告、総務の人間にとってはおそらく他人事の様な世界であると容易に想像出来る。自社の部数を大幅に減らした店主をクビにした程度にしか思わないだろう。かつて一緒に仕事をしたある地方紙の元担当員は、強制改廃だけは2度としたくないと言った、そのぐらい強制改廃とは実行する担当員を精神面で蝕む仕事だ。この大作戦の現場を指揮した担当員はそれこそ命がけに近い想いで仕事をしていたはずだが、そんなことは他部署の人間には思いもよらないだろう。うっかりするとその担当員の上司までもがやって当たり前と思っているかもしれない。コンビニの本部が言うことを聞かないオーナーを潰すために目と鼻の先に新店をオープンするのと新聞の強制改廃とどちらがいい悪いとは言えないが、コンビニのエリアマネージャーも新聞の担当員もそれが社の発展のためと信じてやっている。

 週刊誌その他で新聞社の販売のことが取り上げられる場合、いい話は一つもない。あくなき販売競争による現場で乱舞する拡材や悪質拡張員の話であったり、灰皿を投げつけられたなどとの改廃された店主の恨み節であったり、はたまた販売局員がビール券を横領したという話であったり、拡張員が人殺しをした事件であったり、販売店主がピストルや麻薬を隠し持っていた話であったりと、全ては新聞販売の修羅場を映し出したものばかりである。そして言われることはと言えば、「新聞はインテリが作ってヤクザが売る」だ。確かにヤクザな商売だとは思うが、販売なくして新聞社が成立しないのは絶対に動かせない事実である。戸別配達する自営販売店の販売網のおかげで全国津々浦々で何百万という部数が維持できる。そして、その部数による販売収入によって新聞社の経営が安定し、その社の目指す新聞作りが出来るのだ。我々担当員はそれを意識的にしろ無意識にしろ誇りに思って仕事をしている。広告と違って世間の脚光を浴びることもなく、どちらかと言えば罵声を浴びながら新聞社を縁の下、いや地下の土台として支えているのだ。

 このタイトル、士農工商担当員はかつて私の職場で流行した言葉で、もっと言えば、士・農・工・商・犬・猫・担当員なんて言葉もあった。これを聞いた懇意の販売所長が、「じゃあ俺たちはそれ以下ですか」と怒ったが、担当員という言葉は販売を象徴する言葉である。最初タイトルを担当員墓掘り人夫論、つまり絶対に必要な職業なのに忌み嫌われる職業という話を書こうと思ったのだが、電子メディアの足音を聞くとき、今後絶対に必要とは言い切れない時代がやって来ようとしている。日本の新聞の発展の歴史は編集の表の歴史とともに、その裏で血と汗を流し、必ずしもきれいとは言えない仕事をしてきた販売人の苦労が作ってきた。新聞販売の特徴と言えば、現金小口商売、労働集約型、未明早朝業務、激烈な販売競争ということが言えるが、そうした中でかつての我々の先輩は新聞を配り、代金を回収し、部数を増やすために血のにじむような努力をしてきた。担当員は販売店のありとあらゆる事象に関与してきた。店舗や労務の確保、事故や火事の後始末、欠配騒動、夫婦喧嘩・離婚の仲裁、そして夜逃げ、それらの解決をして読者に円滑に新聞を届ける。それこそ新聞代原価を払わない店主に対して紙止め強制改廃もあった。全ては新聞社の発展のためだ。しかし、そのことが一般的に評価されることは過去も現在も未来もないだろう。それでも過去に比べれば遙かにきれいになったと言えるし、男女雇用機会均等法の施行とともに女性担当員も誕生しつつある。だが、これだけ現代化しても強制改廃は必要とされる。かつて、私は他局の人に「販売に来て担当員やってみれば。面白い仕事ですよ」と言って、「絶対に嫌だ」と言われたことが何度もある。おそらくそれはきつい仕事だと言う意味でだったのだろう。きつくて、汚くて、つらい仕事だが、会社の経営を根幹で支えている、それが販売であり、担当員という仕事だ。我が社の創業者は販売店主だったが、担当員出身で新聞社の社長になった人の話を務台さん以外に聞いたことはない。評価とまでは言わないし、世間一般に分かって欲しいとは言わないが、新聞における販売がどれだけ大変な仕事であり、でありながら低い地位にあるということを身内である社内の人達には分かって欲しいと思う。これが、この文のタイトル、士農工商担当員の意味である。

旅人新聞裏話のトップへ

朝鮮民主主義人民共和国(笑)からの産経新聞に対する過分なるお褒めのお言葉(平成14年10月27日)
 最近全然更新していないので、だんだん見に来てくれる人も少なくなって来た。まあそれは仕方がない。私の今の心境はと言えば、物言えば唇寒しというのが正直なところだ。新聞販売業界の種々の問題点について、書きたいことは山ほどある。厚木事件に端を発する日経問題とか、相も変わらず増大の一途を辿る無読者層の問題とか、社と店と団と読者を巡るビジネスの相関関係(誰が一番得しているか)とか、夕刊廃止半年を経た産経のその後のことなど、それはそれは書きたいのはやまやまだが物言えば唇寒しの心境では書く気も起きない。それよりも今は拉致を巡る北朝鮮問題の方が私にとっては重要だ。そんなわけで、最近改めて救う会全国協議会ニュースバックナンバーを読み返していたら、 平成12年2月24日付全国協議会ニュースに、同年2月11日付北朝鮮の新聞「民主朝鮮」(最高人民委員会常任委員会及び内閣機関紙)に下記のような、「『産経』はホラを吹くな」と題した産経新聞へのお褒めの言葉の全訳が載っていたのでついつい無断転載してしまった。全国協議会及び民主朝鮮(笑)の人ごめんなさい。(文中傍線、太字、色つけは全て旅人)

平成12年2月24日付北朝鮮に拉致された日本人を救出する全国協議会ニュースより引用

 最近日本の一部マスメデイアが反共和国謀略宣伝に熱を上げている。その先頭に「産経新聞」が立っている。

 去る 1月30日付「産経新聞」はインタビュー形式で「2000年日本外交の決定的局面、同一性の確立」という題目を掲げ「当面した最大脅威」だと言える北朝鮮といかに立ち向かうかということは日本の同一性確立の試金石だといえよう」とか何とか言いながら「拉致」などという問題をもってわれわれに再び難癖をつけた。言ってみれば日本の全ての政党と政府機関、社会団体、個別的人士すべてが我々に対するにあたり「拉致」問題を前面に押し立てて一様に出て行かねばならないということだ。

 訓辞を垂れるかのようなまねまでして反共和国謀略宣伝に熱を上げる「産経新聞」の言辞を見れば公正な言論機関ではなく、反共宣伝機関、情報謀略機関であるかのように感じられる。事実上「産経新聞」は言論社としての何の政治的一家言も客観性もない政治的売文家たちの集団である。体制の流れも見分けられず白黒を逆転していつも日本反動の意志と脚本に従ってラッパを吹きまくるのが「産経新聞」のお家芸だ。まさにそのために「産経新聞」はかつて人の意志によって偽の世論を展開して国内外的に恥さらしになったことが一度二度ではない。今回も例外ではないのである。

 「産経新聞」が騒ぎ立てるいわゆる「拉致疑惑」問題とは南朝鮮傀儡が投げかけた創作品だ

 今日本当局者たちは朝日関係改善問題と関連した我々の原則的立場の前に窮地に陥っている。過去日帝が朝鮮人民の前に繰り広げた罪悪を清算した基礎の上で朝日関係を改善しようというわれわれの正々堂々たる立場は世界の肯定的反応を呼び起こしている。反面いかにしても過去の罪業を隠そうとする日本当局の態度はその不当性からして世界的糾弾の対象になっている。日毎に不利になっている彼らの立場を逆転しようと日本反動たちがやっと考案したのが植民地下手人である南朝鮮傀儡が編み出した脚本である「拉致疑惑」問題だ。

 もちろん我々による日本人「拉致疑惑」というのが事実の信憑性を論じる一考の価値もない根拠のないものだということは再度語る余地もないことだ。

 日本反動はありもしない事実をついに既成事実化して世論化し、日毎に高まっているわが共和国の対外的地位を低めようとそれを一種の政治的取引材料として朝日関係改善にブレーキをかけようとしている。日本反動のこのような邪な心を庇護し代弁するのにまさに「産経新聞」が先頭に立っているのである。

 今回「産経新聞」は日本反動の不当な立場を再び代弁することによって正義と公正性、客観性を声明とする出版報道物としての体面を完全に喪失した御用売文集団だということを再び自ら見せたのである。

 「産経新聞」は自らの視点なく人の風に流された代価として幾ばくか受け取ったのかもしれないがそれが決して自らのためによいことになりえないということを心に刻まなければならない。

 日本に「産経新聞」のような言論機関としての使命にふさわしくない政治的偏見を持って右往左往する報道手段が数多くあることは当局者たちに責任がある。日本当局者たちは「言論の自由」という美名の下に出版報道物の卑劣な反共和国謀略宣伝を黙認増長している。いつもマスメディアを利用して不当な政治的目的を狙う世論を増長し自分たちは素知らぬ顔をするのが日本当局者の手法である。

 しかし今日のような明るい世の中「産経新聞」の虚言に耳を傾ける人間はいない。「産経新聞」は虚言のラッパを吹く代価を必ず負わされることになるだろう。日本当局者は烏合の衆が売文家たちを動員して何らかの政治的目的を達成しようと言う稚拙なまねにしがみつくのではなく一日も早く醜い過去を清算するための道に入らなければならない。過去に対する誠実な謝罪と保障がなくして朝日関係改善など絶対にありえないのである。

 反共和国謀略策動が日本に損害しかもたらすものがないということは時間が証明してくれるだろう。(南チョヌン)

 お褒めの言葉ありがとうございます。というか本当に笑わせてくれる。赤字の数の多さで分かるように、北朝鮮がいかに産経新聞の論調を嫌がっているかが手に取るように分かる。傍線部分は拉致について北朝鮮がいかに言い逃れしようとしていたかの証明であり、裏を返せば、産経だけが常に拉致問題を真剣に報道し続けて来たことの証左である。彼らは今頃こう思っているだろう。「産経新聞」さえなければ、拉致問題などないことに出来て、とっくの昔に馬鹿な日本の政治家や外務省を操って国交正常化し、金や米をむしり取れたのにと。

 対北朝鮮や対中国、かつては対ソ連問題などで産経は相手側にずっと嫌われ続けて来た。それこそが産経の存在意義であり、共産主義という幻想と戦い続けて来たことによって、強固な固定読者を獲得してきたと言える。産経がこの立場を放棄したとき、あるいは産経以上に産経らしい主義主張を他の新聞がするようになれば、産経新聞はなくなってしまうだろう。一方で産経のこの主張が北朝鮮の主張通り反動とされ、日本国内でも誤解されて部数が過去も現在もあまり変わらないというのも事実だ。生活改革もいいが、拉致事件も台湾独立も大事だ。産経は今後も日本で北朝鮮や中共に歯に衣着せない新聞で有り続けなければならないと思う。

旅人新聞裏話のトップへ

版帯の不思議(平成14年9月15日)
 新聞は発行地域で一斉に配達される必要があるため、工場から遠い方は早版、一番近いところは最終版という風に、各社2版制から5版制くらいに分かれている。早版は締切が早く、遅版は締切が遅いため、編集は極力遅版区域を拡大したいと考えている。そして、その究極は最終版地域の拡大だ。新聞は読者が手にして初めて新聞となるのであって、それまではどんなに情報がつまっていようがただの紙だ。最終版の締切については協定があって、よほどの大事件がない限り、それ以上後ろには引き延ばせない訳だが、早版地域を遅版地域に格上げするのは可能だ。分散工場を続々と設置していった背景には、増頁競争による一工場の印刷能力の限界の他、この遅版地域の拡大という編集サイドの野望がある。確かにうちの新聞の甲信越地区のように、野球の結果の載らない新聞では困る訳だが、最終版とその一版前で、どれだけの差があるというのだろうか。

 私は千葉市の生まれ育ちで、ずっと産経でいう14版(各社でいう13版)を読んできたのだが、別に不都合を感じたことはない。確かにいつぞや、アメリカでスペースシャトルが発射失敗して空中で爆発した事件が載った載らないで随分な騒ぎになったことはある。昨年の同時多発テロでも載った載らないが大騒ぎになった。しかし、事件は新聞の締切を待って起こるわけではない。締切間際の事件など毎日起こる訳ではなく、年に数回の話だ。全国紙で自社の部数の過半数を最終版が占める社はほとんどないのではないか。(ちなみに産経新聞は過半数を超えているが大阪本社の全体に占める最終版部数の比率が極端に高いためだ。東京本社版に限ればやはり14版以前の部数が過半数だ)昔に比べれば、鉛の活字がオフセットになるなど、新聞製作工程の格段の進歩が、締切から刷り出しまでの時間を大幅に短縮したのも事実だが、最終的には販売の現場にしわ寄せが来る。

 各版の締切降版時間の差は概ね1時間である。工場も造らずに1版下げれば当然印刷開始時間は1時間下がる訳だが、さすがにそんなことはない。しかし、工場を造ったと言って、それが距離にして1時間以内のところであれば、1版下げれば、たとえ何分でも店着時間は遅くなる。その分は配達人員の増強などで吸収しろということだろうか。販売経費を極限まで切り詰める中で、店着時間が遅くなれば、最終的に被害を被るのは、結局は読者だ。ある工場を廃止して遠くの工場から配送することになっても、一度最終版になった地区を上げるなんてことはまず考えられない。配達出来なければ話にならないのに、一度獲得した遅版はもはや編集の既得権なのだ。別に工場がなくなった訳ではないが、うちの社には現にそういう地区がある。販売のためであろうとなかろうと、新聞社の政策決定は全て編集主導でなされるのが常だ。別に悪いとは思わないが、せめて工場が遠くなったら、版を下げるくらいの当たり前のことが行われてしかるべきだと思うのだが、そういう議論が通った話は聞いたことがない。まあ、販売出身の新聞社の社長なんて、務台さんとうちの創業者の前田久吉翁くらいしか聞いたことがないのだからそれも仕方のないことか。

 部数競争の弊害が言われて久しいが、実は特ダネ特落ち競争の激しさも世間に見えないだけで、販売現場には歪んだ影響を与えている。夕刊を廃止した産経新聞くらい、この競争の土俵から離れて、解説性重視の重厚な紙面を徹底的に追及して欲しいものである。

旅人新聞裏話のトップへ

新聞の将来についてふと思った(平成14年9月8日)
 先日、恐るべきHPを発見し、現在リンクのページのトップを飾っている。「どの新聞社も取り上げない新聞の勧誘問題」というホームページだが、その中の醜い景品競争というコンテンツで、イギリス労働党機関誌から出発したデイリー・ヘラルドという新聞の広告収入獲得のための部数拡大と、そのための景品導入について述べ、その末路を語っている。部数の拡大が必ずしも広告収入につながらず、かえって部数維持拡大のための経費が会社の経営を圧迫し、ついには他紙に部数でも追い抜かれ、廃刊に至ったというものだ。一概に日本の新聞販売競争とは比べられないが、日本の超大手新聞では、現実に一軒の新規読者を獲得するために数万円の経費がかかるケースもある。その経費の大半は販売店が負担しており、折込収入がそれを支えている。本社は部数を増やせ増やせと号令をかけ、販売店が頑張るという図式だ。欧米の新聞は本社が直接販売する方式を採っており、景品競争は直接本社経営を左右するが、日本では販売店とセールスチームが最前線を担っており、欧米とは事情が違う。東京産経では折込が少ないためこうした拡大する景品競争、高騰するセールスカード料についていけず、現在の部数差がついてしまったとも言える。近頃、折込がなくなったらとても販売店をやっていけないという声をよく耳にするが、折込がなくなったら、今のような部数競争が出来なくなるのと、超大手新聞社の社員のべらぼうな給与を下げざるを得なくなるということではないだろうか。

 我が社ではインターネットでの購読申込が前年比3倍以上だそうだが、よくよく考えてみれば、私なども、何か申し込みするとき、郵送、メール、HPからの申し込みという選択肢があると、HPから申し込んでしまう。以前はネットで申し込むのはおたくな人達かと思っていたが、何のことはない、今やHPから申し込むのが一番楽だし、一般的だということだ。担当者と話していて、「そういやあ何でもかんでもネットで申し込むよなあ」と言っていると、担当者曰く、「でも旅行の申し込みはネットでしないですね」、「何で?旅行こそネットの方が簡単じゃん」、「いや、いろんなパンフレットを並べて比べてみたいじゃないですか」。う〜む、なるほど、紙媒体の一覧性ってやつだな。確かにいかにマルチタスクといえども、限られたディスプレイの中で並べて比べて見るのには限界がある。やっぱり、紙を広げてみるのが一番。そう考えれば、紙媒体の将来はまだまだ安泰とも言える。しかし、今後の新聞の敵がインターネットであるのは動かせない事実。インターネットの売りが速報性ならば、やはり新聞は一覧性・解説性を全面に押し出して売っていくしかないし、紙面製作にもより一層の工夫が求められる。

 今や無読層というのは、いくら景品を積んでも読まないものは読まない。それは新聞に価値を認めない層であって、若い人の新聞離れというのはそこから来ていると思う。その一因は、学校の先生が新聞を読まないこと。新聞を読まない先生が教える子供達が大きくなって新聞を読むとは思えない。今、日販協で「全ての教室に新聞を」という運動が展開されようとしている。誠に結構なことだが、そもそも先生方が新聞を読まないのでは、教室の片隅に新聞がうずたかく積まれて、何の価値もない、それこそ子供達に新聞はいらないものという印象を与えかねないのではないかと危惧する。ネガティブキャンペーンになってしまうが、新聞も読まない教師に自分の子供を預けられないという世論を喚起する(というよりは煽る)方が重要ではないかと私は思う。今の先生方がいかに新聞を読んでないかは、販売店でちょっと調べればすぐ分かること。「全ての教師に新聞を」

旅人新聞裏話のトップへ

休刊日問題とは一体何だったのか(平成14年7月29日)
 暑い夏だ。というより、東京はいつの夏も暑いのかも知れない。きれいな空気、湿度の低い気候に慣れきってしまった罰か、東京の夏がつらい。長野じゃあ楽しそうな選挙戦が始まるというのに、私はここで何をしているんだろう。

 その暑い夏の7月15日。何事もなかったかのように、産経を含む全ての一般紙は予定通り休刊日を貫いた。あの2月から5月の大騒ぎは一体何だったのか。W杯台風が洗い流してしまったのだろうか。来年の休刊日はいったいどうなるんだろう。4月頃には来年は9回だなどという声も大新聞の方から聞こえて来ていたが、今や何も聞こえて来なくなった。私の耳が遠くなったのだろうか。我が局長は、うちとしては年12回を堅持したいと言っていたが、是非そうあって欲しいものだと思う。

 2ヶ月前にチキンレースに負けたのはと題して、休刊日問題について書いて以来、このコラムの更新も億劫になり、月イチ更新というありさまだが、結局真相は分からず仕舞なので、書く気も失せてしまった。本当かどうか分からないが、公取から遠回しに行政指導があったとか、チキンレースを続けることによって、産経の休刊日即売そのものは成功しても、サンスポの休刊日即売で得られるはずの巨大な利益が無になってしまうので、社としてはトータルではかなりのマイナスなのだとか、いろいろ噂はある。公取は産経の休刊日即売について、店の方ばかり見て、読者を見ていないと不快感を示したそうだ。そもそも休刊日自体が、読者にとって不利益で、ましてや即売だけを発行して100円取るなど、実質値上げに他ならないとのことらしい。新聞販売店のために宅配を出さないというのは業者を保護して消費者に不利益をもたらしているということなのだろうか。では各社の2月の特別版についてはどのような見解だったのか、3月に休刊日を廃止したから不問なのか、あるいは3月に各社が休刊日を廃したの自体が公取の指導だったのだろうか。私は地方にいたせいか、人一倍、新聞販売店の零細性に敏感になってしまった。都会なら、週休代配システムをとることで休刊日がゼロになっても販売店労務はやっていけるだろうが、地方ではなかなかそうはいかない。公取は弱小ディーラーの保護ということより、やはり、消費者絶対主義なのだろう。だとすれば、かねがね消費者の多様な選択の可能性を求めて、コンビニ等での即売を奨励してきた政策の方も、もっと真剣に取り組んで欲しいものだ。競争排除まがいのことが公然と行われたことをどう考えているのだろうか。まあ、想像であれこれ書いても仕方がないのでこのくらいにしておこう。

 休刊日即売で、不公平だという読者の抗議が多数あったというが、あの当時は聞いたこともなかったし、楽しみにしているという声にかき消されていたのかもしれない。しかし、私の知る限り、休刊日即売を楽しみにしているひとはたくさんいた。販売店労務の問題を解決しつつ、読者のニーズに応える画期的な方法だと、私は今でも思っている。産経の休刊日即売を潰そうとするなら、各社とも休刊日即売を発行すれば、各社の恐れる産経一人勝ちなどなかったはずだ。2月3月の騒ぎはどう考えても過剰反応だったと思う。販売局内はもとより、編集の知人に聞いても、休刊日即売の停止は納得いかない人が多い。出来得るならば、そう遠くない将来に復活して欲しいものだ。何よりも、産経の夕刊廃止ショックと休刊日即売のダブルパンチが各社をして、必要以上に過剰反応させてしまったのだから、その衝撃が収まった頃、もう一度読者ニーズに応え、公取に文句つけられないよう、 形を変えてでもやって欲しいと、一産経読者としても熱望するものである。

 それにしても暑い。きっと今年はそれほど暑くないのだろうけれど、私には堪える。ああ、長野が恋しい。

旅人新聞裏話のトップへ

担当員であること(平成14年6月17日)
 お久しぶりです。今日は産経新聞社7月1日付異動の内示日でした。私も異動になりました。4年間の地方担当がついに終焉を迎え、先日書いた、辞めた担当のブロック(今は当該部の次長が代行している)に行くことになりました。首都圏の激戦区に行って、果たしてこのコラムを書き続けることが出来るかどうか分かりませんが、ネタは逆に豊富だと思うので、おっかなびっくり書いていこうと思います。

 さて、私は今度のブロックで10ブロック目になる。入社15年3ヶ月で内勤が1年半あることを考えると、1ヶ所の長さが短いことに気付くだろう。そう、私は2年以上やったブロックがまだ2ヶ所しかない。平均するとほぼ1ヶ所1年半だ。はっきり言って、満足に仕事したと思えるブロックは1ヶ所もない。私は、担当員は1ヶ所3年サイクルが理想だと思っている。昔、入社した頃、当時の局次長に言われたのが、1年目で全体を掌握し、2年目で増紙の端緒をつけ、3年目に成果をあげるつもりで仕事をしろということだった。私は、そんなこと言ってもみんな2年平均で替わるじゃないですかというと、とにかくそういうつもりでやれと言われた。今は携帯電話とパソコンが発達して、ずいぶんと仕事のスピードが上がったと思うが、人の心を掴む、あるいは動かすにはやはり3年計画の仕事が必要だと思う。そう考えれば、私は未だかつて満足に仕事をしたことがないことになる。

 担当員の仕事は販売店の増紙活動がしやすいように環境を整えることだと私は思っている。そのためには、販売所長との人間関係、信頼関係が重要だ。そして、産経新聞の専売網、販売網をどうやって維持発展させていくかを常に念頭に置いて仕事をしてきたつもりである。会社と販売店、部数と経費の間で悩みながら、どうすることが、今後の産経新聞の増紙のために有益かということが常に私の頭を悩ませてきた。人はそれぞれ考え方が違う。また、時の政権の方針も当然変わってくる。そういう葛藤に折り合いをつけながら、今まで生きてきた。そして、私には私の人生観がある。人生観の違いは一朝一夕では乗り越えられない。私はただ上の言うことだけを聞くロボットにはなりたくないし、ましてや集金担当にはなりたくない。私は野村克也が実は結構好きで、生涯一捕手ならぬ生涯一担当というのにもあこがれてはいる。

 人はなぜ出世したがるかと言えば、いい給料をもらうというより、ランクが上がればそれだけ、自分のやりたい仕事が出来るようになるからだと思う。しかし、そう考えた時、私の理想とする仕事は社長にならなければ多分出来ない。入社の時の社内報の自己紹介アンケートで、どこまで行きたいかという質問に、専務取締役販売担当と、大胆にも書いた私だが、多分専務では無理。もしかすると、うちの社では社長でも無理かも知れない。そう悟った時、目先の次長だの部長だのにこだわったら、きっと産経新聞の将来のためによくない(と自分では思う)仕事をしてしまうのではないかと考え、会社が要求することというのではなく、自分が産経新聞の将来のためになると考える仕事に、現在の与えられたポジションで出来る事を全身全霊を傾けてやろうと思ったのだ。だから、本当は私のノウハウなり何なりを生かして産経の増紙に貢献できるのは絶対にウェーブ産経だと自分では思っているのだが、会社がたとえば宮城の担当をやれといえば、そこを全力で、たとえば川崎の担当をやれというのならば川崎で何とか産経の読者を増やしたい。その一点に尽きるのだ。従って、生涯一担当員が似合うかななどと自分で悦に入っているのだ。

 それにしても、近頃のガキは一体何なんだと思う。根性がないとかいう以前の問題だ。2年連続で大卒新入社員が早期退職してしまった。もう、これからの若い奴には担当員なんて務まらないのではないかと思う。今年の野郎には目をかけてやろうかと思っていた矢先にもう辞めやがった。いっちょう、追いかけてって、落とし前つけさせるか。指でもつめさせて。

旅人新聞裏話のトップへ

チキンレースに負けたのは(平成14年5月31日)
 全然更新していないのに、毎日80アクセスもありがとうございます。ホームページっていうものは更新間隔が空いてしまうとだんだん面倒くさくなって、休止してしまいたくなるもののようですが、そんな気持ちに冷水を浴びせるような社告が5月31日、産経新聞に載りました。

 「6月3日の休刊日は通常発行します」と見出しを打たれたその社告は、ワールドカップのため、休刊日通常発行を告げている。そもそも、普通なら第2週の月曜あたりが休刊日になるものを、ワールドカップのためにわざわざ第1月曜日に持ってきたはずなのだが、今年に入ってからの一連の休刊日騒動の余波で各社が6月休刊日通常発行を早々と打ち出して来たのに対して、ついに我慢しきれなくなったのだろうか。せっかくここまでやってきたのだから、あくまで休刊日即売にこだわって欲しかった。

 しかし、問題はその休刊日即売だ。同じ社告は「7月以降の休刊日特別版は休止します」という見出しもついている。内容を見ると、"首都圏での休刊日特別版(即売のみ)は、七月以降は休止します。特別版が宅配読者に届かないことなどを考慮して、今後は休刊日の減小を検討しつつ、通常紙面のより一層の充実に全力を集中します。"とある。あの、1月以来の休刊日即売の社告でなんと言って来たのか。Sankei Web-Sの過去記事検索で見ると、"未来を見据え、タブーに挑戦し続ける産経新聞の休刊日即売朝刊と、新朝刊にご期待ください。"だとか、わざわざ記者会見までして" 「休刊日の朝刊がないのは寂しい、物足りないという読者や識者からの声があった。すでに(休刊日発行を)実施しているスポーツ紙の売れ行きは各紙とも通常の三割増しで、朝刊を望んでいる人が多いということが、この数字にも表れている」"と清原社長が発言した記事まで載せているではないか。何だ一体。"ふだん産経新聞を読んでいない人にも手にとっていただき、産経の素顔を知ってもらおうとの願い"からあれだけ鳴り物入りで大々的に発表して、スタートしたんじゃなかったのか。特別版が宅配読者に届かない?当たり前だろう。最初から言っているじゃないか。これじゃあ、休刊日問題で業界を混乱に陥れたとして追求された責任を認め、ごめんなさいしたのと同じだ。おまけに休刊日の減少を検討しつつなんて、まるで朝読のお先棒を担ぐような言葉まで入れて。来年休刊日が年9回になったりしたら、口火を切ったのは産経だと言われても仕方がない。

 一体何でこんなことになってしまったのか。真相は我々ぺーぺーには分からない。大体どの程度の収支だったのかも知らないし、大損はしていないと思っていたから、何万人という産経を知らない読者に読んでもらえるだけでも、もの凄いメリットだったはずだ。はっきり言って、休刊日即売を止めるメリットが何なのか分からない。社員を総動員してまでティッシュ配りをしたり、スポーツ共輸からの理由なき排除(独禁法違反のおそれあり)など各社の強烈な妨害を跳ね返して、首都圏のコンビニなどに必死で配置した現局長や即売担当の努力はどうなるんだ。あれほどまで猛烈に配置のお願いをしたのに、今度はお詫びの行脚をしなければいけない。鳴り物入りでやっておいて、すぐ止めたとあっては、もう一度やりたいと言っても、今度はなかなかやってくれないだろう。この手打ちの陰で、産経の即売配置が妨害なくスムーズに進むのなら、それは結構なメリットだが、もし、新聞協会の理事会で社長がいじめられないという程度のメリットなら、泣くに泣けない。本当に、一体何が起こったのか首を傾げる。

 まさか、上層部のだれかが個人的なスキャンダルを握られて、それをネタに脅かされたとか、6月3日の休刊日通常発行の新聞を配らないとか脅かされたというのが理由なら、チキンレースに負けたということだ。経費的に合わないなら、そうはっきり読者に宣言し、謝罪すべきだ。休刊日を3回減らせば、それだけ金がかかるのだから、それに比べれば、休刊日即売を続ける方が遙かに経費的に合うと考えるのは私が会社の経営を何も分からないひよっこだからだろうか。いずれにせよ、初期の目的を達成するまで、せめて1年くらい続けて欲しかった。ああ、悔しい。

旅人新聞裏話のトップへ

新聞販売店の持つ可能性(平成14年5月10日)
 産経新聞がNEWSVUEという電子新聞システムを発表したとき、ずいぶんと文句を言われたものである。しかし、新聞社がやらなくても、もし、ヤフーなどのネット企業が共同通信など通信社と組めば、実は明日にでも参入して来れるんじゃないのか。そうでなくても、すでに検索サイトやプロバイダーサイトではニュースを流している。現実問題として、新聞販売業界はインターネットの脅威にさらされている。いつの日か紙媒体が電子媒体に凌駕される日がくるかもしれない。今のようなシステムで新聞を拡材競争だけで売っていたらそう長くはないだろう。そうでなくても、若者の新聞離れ、活字離れは加速度的に進んでいる。次は合売化という流れになるのだろうが、電子媒体はケーブルを通して区域侵入してくるので、防ぎようがない。紙媒体を魅力的なものにし、販売店が新聞を土台に次のステージに昇華していかなければ生き残れないだろう。

 地方担当をしていると、合売店の所長さんと、よく”これから生き残って行くには”という話をする。私は新聞販売店、特に合売店には、努力とチャンスさえ逃さない目があれば未来があるという。どんなにインターネットが発達したって、情報だけなら運べても、電波では物は運べない。そして、新聞販売店にはデリバリー専門店としての芽がある。基地としての店舗、配達ツールとしてのバイクや車、そして、どこに何がある、誰がどこに住んでいる、そこに行くにはどうすればいいという、デリバリーのノウハウを持っている。新規参入でこれらを全部揃えようとすれば、結構な初期投資と蓄積とが必要になるが、既に新聞販売店は最初からそれを持っている。それを生かすも殺すも経営者の才覚次第だ。しかし、所詮は新聞屋なのだから、いきなり大きく出たら怪我をするだろう。新聞販売の周辺から手がけるのが肝心だ。チャンスは目の前をフワフワ飛んでいる。それを見分け、手を伸ばして掴むかどうかが生き残りの鍵になるだろう。

 このような話をするとき、私が必ず引き合いに出す販売店がある。長野県は丸子町の佐藤新聞店(0268-42-2223)だ。長野担当時代にずいぶんお世話になったお店だが、同店の久保山社長は、新聞販売店の生き残りのヒントになるような事業を少しずつ手がけていっている。上田市の南側に広がる丸子町、長門町、武石村、和田村という広大な区域かつ山間部のヤツデの葉のような配達経路を抱える販売店だ。我らが美ヶ原高原美術館も、このお店の区域の一番端にある。久保山社長のモットーは地域の役に立つ販売店、佐藤(新聞店)とつきあえばきっと得すると読者に思ってもらえる販売店になることだ。もうずいぶんと前から旅行代理店業務を手がけ、JRとの長い長い交渉の末、発券端末機の設置権を得た。このことによって、区域内の町村民は上田駅まで出なくても、列車の指定券が手にはいるようになった。また、まだヤマト運輸の配送網が整わない時代に、代理店として、集配だけでなく配送も請負い、ヤマトとのパイプを築いた。現在配送はヤマトが直接やっているが、ヤマトメール便の二次販売権を得て、独自の顧客開発と配送を行っている。民営化をにらんで、将来は郵便を取りたいと言う話を聞いたこともある。そして、今取り組んでいるのが、介護ビジネス、というより、介護を通じた読者サービスと読者維持だ。これはなかなか難しい事業だが、最初は買い物代行サービスを打ち出すことでスタートした。1回500円ということで採算をとるのは難しいようだが、新聞販売店に出来ることからスタートするという発想は素晴らしいと思う。社員さんに介護士の資格を取らせ、先々は本格的介護ビジネスへの参入も視野に入れているようだが、当面、老人世帯の話し相手などから始めているようだ。なんだそんなことかと思う人もいるだろうが、老人夫婦世帯が新聞を取っていて、おじいさんが入院してしまったとすると、おばあちゃんはまず新聞を止めてしまう。こういう経験はどんな販売店にも思い当たるだろう。そして、佐藤さんには世話になっているから新聞を止めるのはちょっとなと思わせる抑止力には十分になるということだ。久保山社長は言う、「誰でも考えることでも一歩踏み出すのは勇気がいる。でも、その一歩を踏み出さなければ何も始まらない」と。私は、どこの担当をしていても、この店のやっていることに常に注目していようと思う。一歩を踏み出す勇気を持った販売店だからだ。

 長野県では合売店と言っても、信毎の部数が圧倒的に多いため、信毎の専売店に東京紙が預けているというイメージが強いが、佐藤新聞店はスタートが読売の専売店、さらに先代会長はサンケイのセールスを皮切りに新聞販売業界に飛び込んだと言うことで、バランス感覚に優れており、部数の多寡に関わらず、どの新聞も大事に扱っている。アイデアもこうした中から生まれてくるのかもしれない。私は東北甲信越静岡を担当している部にいるので、いろいろな話が入ってくるが、合売店(気持ちは地元紙の専売店)の中には、部数の少ない新聞を扱いたがらなかったり、新規読者の連絡を露骨に嫌がるお店もある。コンビニが扱っている商品の数を考えれば、新聞の種類は遙かに少ない。全ての新聞の配達が出来ますというスタート地点に立てなければ、佐藤新聞店のように一歩を踏み出すことは出来ないだろう。紙媒体の衰退を演出するのは意外とこういう販売店なのかもしれない。このような販売店の将来は非常に危ういと思うがどうだろうか。

旅人新聞裏話のトップへ

系列とは恐ろしきもの(平成14年5月6日)
※この話は差し障りがありすぎるので、固有名詞は全て順番にアルファベットで伏せ字にしてあります。ABCに当てはまる言葉を知りたい方はメールでお問い合わせ下さい。

 明日は4度目の首都圏休刊日即売だ。まあ、ここまでくれば、ただ粛々と配置され、気に入ったお客さんに買ってもらえばいいのだが、相変わらず、気になる話がいろいろ飛び込んでくる。まずは、6月の休刊日が完全になくなってしまったことだ。本来ワールドカップの日本開催(おっと日韓共催か)という、歴史的イベントを考えれば、長野オリンピックで休刊したのにソルトレークシティ・オリンピックで特別版を出すことに比べれば、遙かに整合性のあることである。産経が宅配版を出すことには反対だが、サンスポの立場も考えれば、全国の新聞がみんな出るのにうちだけ出さないという訳にもいかないのだろう。うーむ、いくらの赤字で済むのだろうか。まあ、今更言っても始まらない。

 私は実配担当員なので、返品リスクを負わない即売会社というものに対して、あまりよいイメージを持ってはいなかったのだが、昨年のワンコイン作戦で産経の即売売れ行きが好調で、少しでも実売の増に貢献していると考えれば、今後、ちょっとは考えを改めようかなという気になってきた。ところで4月から産経新聞は、1面題字横にバーコードを入れるようになった。スポーツ紙ならコンビニも置いてくれるが、一般紙はなかなか置いてくれないため、コンビニ側の要請に応え、新聞としてのレイアウト上の問題やプライドなどに目をつぶって付けたものだ。バーコードを付けたからには、当然主要なコンビニチェーンに「ワンコイン産経」を置いてもらいたい。産経新聞としては、現在の致命的な知名度不足を補い、今まで産経を読んだ事のないお客さんに手にとってもらい、そこから新規の宅配申込につなげたいからだ。そこで産経社としては、まず販売店にバーコードが着いた事による地元コンビニとの配置交渉を依頼した。産経新聞としては、極力主要コンビニには配置したいので、本社としてもAやB、Cなど主要なコンビニチェーン本部と配置の交渉をしてきた。また、この機会に市場と販路の拡大につなげたい即売会社も、交渉の仲介に多大なる貢献をしてくれたようだ。そして、販売店で直接納入していないコンビニに対して、即売会社を通じて、5月1日からの産経新聞配置が決まった。と思っていた4月末、事件は起こった。

 D社が、わずか数日前になって突然、5月1日からの配送は出来ないと言ってきたのだ。理由は、"E系の販売店が産経新聞のコンビニ配置に反対しているとE新聞社から聞いたが、少しでも反対があるのならうちとしては出来ない"、というもの。あれだけ販売店の権益より、即売会社の販路を重視する政策を採ってきた、しかも、主筋の社からの反対があることなど当然分かっていながら、ビジネスのために今回の産経即売配置を推進してきた会社がだ。これはもう、相当の圧力がかかったとしか考えられない。あくまで噂だが、聞くところによると、E社のF局長がD社のG社長を呼んで、「誰の方を向いて仕事をしてるんだ」と恫喝まがいの圧力をかけたという話だ。これで、一気に話がひっくり返り、H社やI社など他の即売会社も5月からの産経の即売配置を見送ってしまったらしい。産経と協力関係にあるJ社が扱うコンビニだけは出来ないこともなかったが、とりあえずは見送ることに決めたようだ。同じAでもこの店はD社、あの店はH社、などと権利を持っている会社が複雑に錯綜しているらしく、県別に色分けしてあるBのようなケースであっても、同じ首都圏でかたや配置、かたや未配置ではまずいということで、今回は見送りとなったらしい。元々、Cの場合は都内で一般紙を全店置きたいということで、産経の場合、販売店の紙を別口座で納入して即売会社が配送し、精算するという方式を採ってきた。余談だが、私の担当地区ではCは一般紙もスポーツも販売店が直接納入し、H社が精算業務をしており、AやBではD社が納入精算を一手にやっているので、CあるいはKといったコンビニにはかなりのお店に産経新聞が配置されている。

 即売会社はH社はL系、I社はM系、D社はE系と色分けがあり、それぞれの成り立ちの事情から系列関係になっている。D社とE新聞社は今は資本関係はないらしい。各コンビニ本部は、5月1日から産経新聞を配置するということで、系列各店に既に通知を終え、バーコードでの商品管理の準備も完了していた。本部の顔は丸つぶれであり、現にあるコンビニ本部の雑誌新聞担当者は猛烈に怒っているらしい。即売会社にしてみれば、コンビニとの信頼関係は重大である。その信頼関係を損なってまで、資本関係のない会社の販売局長の顔色を伺わなければならないとは大変なことだなと思った。しかし、産経の増紙政策を一つでも阻止したいのだろうから、向こうも必死である。こちらも別な手段を考えていくしかないだろう。当面、全面的な即売配置は難しいのかもしれないが、時間の余裕が出来たことで、各産経販売店で、地元のコンビニへの売り込みを強化してもらえたらと思う。やっぱり、バーコードが付いているというのは強力な売り込み材料なのだから。

旅人新聞裏話のトップへ

憎悪、怨念、愛、打算そしてビジネス(平成14年5月4日)
 先日、ある会合で、新聞販売店の同業者の会合が開けない地区というのはどういう理由からなんでしょうかねえと問われた。私は一言、憎悪と怨念ですよと答えた。お互いの顔も見たくないような事をやっているから、会合など開けないし、逆に日頃から顔を合わせていれば、あまりえげつないことなど出来ないという意味合いで申し上げた。しかし、この憎悪と怨念というやつはやっかいである。新聞販売業は本来、市井の八百屋さんや肉屋さんと同じように地域の個人商店である。地域に密着した商売のはずなのだが、現実には地域の一人一人のお客さんよりも発行本社を見て仕事をせざるを得ない。個人の商売としては、メーカーより顧客あるいは自分の店の経営の方が大事なのにメーカー同士の思惑の方が優先する。そして、メーカーの親衛隊として損得抜きの戦争を繰り広げるというわけだ。結果として、えげつない拡材戦になり、煮え湯を飲まされた方は仕掛けた方に怨念を持つ、そしてそれは果てしなく繰り返されて行く。仮に販売店同士ではうまくやろうと思ったとしても、好戦的な販売幹部、好戦的な担当社員の下では、それは仕事しない店に映る。逆らえば改廃もあり得るのだから、それが嫌なら多少のえげつなさは目をつぶって戦争に突入せざるを得ない。やられた方は、それが本社の命令だと分かっていても、直接殴っているのは、目の前にいる対抗店だから、どうしてもその店主に対して憎悪を抱く。こうして憎悪と怨念の連鎖は続いていくことになる。

 本社間では戦争は当たり前だから、憎悪と怨念という言葉では説明がつかないように思う。所詮直接殴り合うのは現場だからだ。本社間まで憎悪と怨念が渦巻いていたら、とても毎月、新聞協会の理事会だの、中央協だの地区協だの支部協だのとやっていられないだろう。まあ、過去には支部協で灰皿を投げ合うなんてこともあったようだが、今はそう言う話は聞かない。みんな大人になったのだろう。しかし、昨年末の産経に対して各社がやったことは確実に怨念を生んだ。困ったことにこれは現場同士ではなく一つの販売店を挟んで発行本社が睨み合う形になったからだ。産経社は別に複合取引の三社系統の販売店に対して、来月から取引停止すると通告した訳ではないのに、一方的に読者に対して来年から配らないと言ってまわったのだ。首都圏での、限定された地域での出来事ではあったが、産経の東京本社全体に三社への憎悪を残した。あたかも、日清戦争後の三国干渉に対する臥薪嘗胆の合い言葉のように。表面上はみんなニコニコ仕事していても、おそらく深層心理に染みこんでいるだろう。個々の販売店とは、その後は良好な取引を続けているところもあるし、それこそ引き取らせて頂いた販売店もある。引き取ったお店には当然切替作業をされたが、その店としては自分のところの読者を売り渡さなければならないのだから、そりゃあ必死でやるだろう。自分がその立場に立てば、店の経営を守るためなら何だってやるかもしれない。おまえは今実際にやってるじゃないかと言われるだろうが、まあ、自分としては、読者を敵に回さないような方法でやりたい。しかし現実に動く、例えば電話セールスチームなどは相当にフラストレーションが溜まっていることも考えられる。汚いやり方はしたくはないが、横浜のA販売店や千葉のM販売店のやったことについては責められないと思う。

 タイトルが憎悪、怨念、愛、打算そしてビジネスとなっているのだが、愛や打算の話がないじゃないかと責められそうだ。まあ、憎悪や怨念は裏返して言えば、自紙への愛、本社との取引上の打算から来る。そして、最終的には全てがビジネスとして収束するはず。ところが、以前にも述べたように、新聞販売業界は右の頬を殴られたら、全力で殴り返すというヤクザの方程式が成り立っている世界だ。産経は全力で殴り返さず、ただひたすら耐えながら、新しい方策へと土俵を替えて行っている。だが、殴られた痛みは消えても心の傷が残る、あるいは自分の身内が殴られれば、自分は痛みを感じなくても悔しさを共有するのと同じで、我々の心に深く染みこんだはず。担当員の引き抜きまで起きればなおさらだ。

 ここまで書いて、ふと思ったのは世界情勢の話、イスラエルの兵士は一人一人のパレスチナ人には何の恨みもない、ロシアの兵士は一人一人のチェチェン人に何の恨みもない。おそらくその逆も真だろう。しかし、パレスチナやチェチェンの民は深くイスラエルやロシアを憎んでいる。戦争は始めるより終わらせる方が難しいという言葉も浮かんだ。新聞業界も世界情勢も共通する部分があるもんだ。

旅人新聞裏話のトップへ

あくまでうわさ話(平成14年4月23日)
※この話は差し障りがありすぎるので、固有名詞は全て順番にアルファベットで伏せ字にしてあります。ABCに当てはまる言葉を知りたい方はメールでお問い合わせ下さい。

 先日、我が社のAという中堅担当社員が会社を辞めた。産経の販売が、大変だがしかし最高に面白いこの時期に辞めるというだけでも、既に義のない男だと思えるが、まあ本人の職業選択の自由だから辞めたことについてとやかく言うつもりはない。彼もなかなか大変な人生を送っているなあと思う。B県警の幹部の息子に生まれ、せっかく入った国立のC大学を中退し、D大の政経学部に入り直し、親の援助はもらえないと、産経の奨学生になり、天下のE証券に入社したものの数年で退社し、産経の販売局に入った。そして、また我が社を辞める。E証券が潰れたため、次はうちの番かなどとジンクスめいた事を言う人もいるが、C大学は潰れてないじゃんって、私は笑っている。そうそう、まあ、年中愚痴ばっかり言ってる奴で、D大の政経学部出身者は使えないと私に思わせた人間の1人であることも事実だ。辞める直前、仕事上ちょっと世話していたことがあったので、打ち合わせしながら、辞めて何するのか聞いたところ、奥さんの実家に入って、向こうの家業を手伝うような事を言っていた。一説ではF新聞社に行くという話も聞こえていたので、そういうことなら、奥さんと会社の板挟みになって悩んでいるという話も聞こえていた事だし、まあ、しょうがないなと思った。

 ところがである、最近聞こえてきたうわさ話では、Aは、本当にF新聞社に行くらしい。G県担当という具体的な担当地区まで聞こえて来ている。複数の筋から情報が入っているということもあり、おそらく本当なのだろう。私が社に入って15年、今まで、同業他社に行った社員は何人かいる。当然のことながら、みんな辞めるまでは事実を隠して辞めて行った、そして、ある日突然他社の担当員として現れる。今まで私はそういう連中を許せないと思っていた。直近で最後に辞めたH担当にはそれこそ別れ際に、「百歩譲ってI社や地方紙なら許すが、三紙だったら地の果てまで追っかけて行って、東京湾に沈めるぞ」と言ってやったくらいだ。私としても、彼が辞めて他紙に行くことは、産経にとって大きな損害だと思ったからだ。ちなみに地方紙だったので、東京湾には沈めずに済んだ。

 店主さんが辞めて他紙に行くのは、商売だし、ある意味仕方がないことだと思っている。さすがに、都内東部担当時代に有力店主に5人(ちなみに自廃された店は都合9店)もJ系に行かれた時には気が狂いそうになったが、今にしてみれば、まあ仕方ないと思う。逆のケースも当然あることだし、この業界では日常茶飯事だからだ。しかし、社員、特に担当員が他紙に行くというのは、私には信じられない。記者の場合は自分の記事が載るならどこでもいいということもあるだろうし、他業種では同業他社に移るなんてのはよくあることなんだろう。しかし、新聞社の販売の場合は、流通ルートの上で、協調している部分もあるし、公正取引協議会など、古巣の社員と毎月顔を合わせる場面もある。私はアメリカ式のヘッドハンティングというのはどうも好きになれないが、同業でないところへ行って、今までのノウハウを生かすというならそこで頑張って欲しいと思う。だが、辞める直前まで系列販売店に号令を飛ばしておいて、ある日突然、対抗紙に行って正反対のことをいうなんて、どんな脳みその構造をしているのか開けて見てみたいものだ。まあ、世の中には、他紙に行って局長まで行っちゃう人もいるわけだが、きっとものすごく切れる人なのだろう。

 年末の産経に対する嫌がらせ騒動の時、読者の切替、従業員の引き抜き、店主の引き抜き、果ては担当員の引き抜きもやるという話まで出て、現実にある優秀な担当がJ社の試験を受けたとか、まことしやかにうわさが流れたものだが、幸いにしてガセネタだったようだ。ところが、ここへ来てのAのF社への敵前逃亡のうわさには驚かされた。驚かされはしたが、私個人としては、別に社にとって大きな損失とも思わないので、放っておけばいいと思う。ついでにもう2、3人使えない奴を持っていってくれないかなどと陰口を言っている今日この頃である。お前は使えるのかと言われそうだがそれはそれで棚に上げておきましょう。

旅人新聞裏話のトップへ

初心は忘れるもの(平成14年4月19日)
 会社で古文書が発見され、恐るべき文章が私の目に触れた。産経新聞と私で書いているように、私は15年前に入社し、2ヶ月間の販売店研修に行ったのだが、その感想文を販売報に載せられた。私が提出した文が大幅に改竄され、ずいぶんときれいな文章に直されているのだが、それを改めて読んで、背筋が凍る想いがした。

<新入社員販売店研修レポート・完全配達が販売の基本  ○○○○ (都内水元店で)>注:○○○○は本名

 販売店に(研修で)入り、一番大事だなと感じたことはやはり、読者と最前線で接しているということだった。

 その中でもっとも気をつけなければいけないのは不着と遅配。これが増紙の"敵"であることはいうまでもなく、配達にはかなりの集中力が必要である。その意味では時間指定である朝刊配達は販売店の命であると思う。

 実際、不着のために紙を、"落とした"区域も見かけた。完全配達こそお客さんとの接点としてもっとも心掛けなければならないものだと思う。

 また、読者とのつながりという点では集金も非常に大切である。愛想よく気軽に声をかけ、世間話などでお客様と顔見知りになり、さらに気に入ってもらえれば店の評判、さらに本社への信頼も高まっていくのではないかと思われた。

 わたしはこの二点に留意して日常業務を行うようにしてきたつもりである。

 いくらサービス品に気を配っても、配達や店の対応次第で、読者は逃げていってしまうと思う。

 セールスに関しては共働きが多く、昼はあまり仕事にならなかった。区域をもっていると集金、シバリ、オコシ、先オコシなどの一般業務を行うことで精一杯で、新刊飛び込みまでできる余裕がなかった。ベテランの専業さんで、区域の見込み読者を知っているくらい地域に精通しているのならともかく、一ヶ月程度の新人では、例え昼間の時間があるとはいえ、学生店員に毛の生えたぐらいの仕事が精いっぱいだった。

 (研修先の)都内・水元店は比較的基本業務のしっかりした店と思うが、オコシに行っても他紙が入っていたり(この場合はわたしがち帳簿をよくみていなかったせい)、「何月から購読するからといっておいたのに全々こないからよその新聞をとっちゃったわよ」という具合で、このような店の場合にはやはり交替読者をいかに固定化していくかが大事だと思った。

 今読んでみると、顔から火が出そうな恥ずかしい内容だが、入社3ヶ月で、新聞販売の右も左も分からなかったガキが素直に思ったことを書いたのだろう。私の担当員生活の原点は、この販売店研修にあった。最近の小僧は1ヶ月弱しか販売店研修をしないようだが、せめて、2ルーティン居なければ、店の仕事の流れは分からないと思う。ましてや、販売店に住み込んで、つぶさに内容を見たことのない担当はもう、なにをかいわんやだ。店の気持ちが分かりすぎたら担当員行政は出来ないとも言われるが、店のつらさ、大変さを身をもって体験していてこそ、愛情を持ってきついことも言える。この文章を読み返して改めてそう思った。あれから15年、お世話になった研修店の所長は数年前に亡くなった。水元に行けば、今でも、ああ、ここをこうやって配達していたなとか具体的な光景は思い出すが、それにしても、初心は忘れるものである。

旅人新聞裏話のトップへ

インターネットが見出し人間を増やす(平成14年4月17日)
 吉田拓郎の唄に「ひらひら」という唄がある。1973年のライブ収録のアルバム「ライブ’73」で発表された曲だが、その歌詞に、「喫茶店に行けば、今日もまた、見出し人間の群れが押し合いへしあい・・・」、「ラッシュアワーをご覧よ、今朝もまた、見出し人間の群れが押し合いへしあい・・・」とある。見出し人間とは何かというと、喫茶店に置いてある新聞、週刊誌の見出しだけ見る、あるいは朝のラッシュアワーに電車の中吊り広告の見出しだけをみて、世の中のことを判断し、背景や本質を深く考えない人間のことだ。拓郎自身の婦女暴行容疑での逮捕経験(嫌疑無しで不起訴になった)とその時マスコミに叩かれ、多くの人に誤ったイメージを植え付けられた経験から出来た唄である。見出し人間は、週刊誌の見出しに踊った、「よしだたくろう婦女暴行!?・・・」の活字に乗せられ、そうか拓郎ってのは唄も軽いけど、やっぱりそういう人間なんだとか、有名人なら何しても許されるんだろうって思っっている不遜なやつだと思った人達のことだ。

 あれから30年経った。今、世の中には週刊誌の中吊り広告に加え、インターネットのニュース速報という、もっとお気楽な見出し人間製造装置が登場している。この文章は最初お気楽極楽に書いていて、新聞裏話かな?、罵詈雑言に書くかなと迷ったのだが、紙媒体としての新聞の使命は極めて重要であるし、話がネットと新聞の連関になったので、結局こっちに載せることにした。私もi-modeでニュースを見る方なのだが、はっきり言って見出しの羅列を見ているだけだ。おそらく、それで済ましてしまう人は多いだろう。ただでさえ活字離れが急激に進んでいる今の日本である。見出しだけ見て済ましてしまう人間は30年前よりはるかに多いはずだ。新聞も本もなかった時代は情報自体が少なかったから、余計なことを考えないで済んだ。しかし、今は、背景も本質も分からない単なる情報が溢れかえり、そのことによって右往左往させられることが少なくない。TV、ネット、広告と情報の洪水の中で我々は今暮らしている。見出し人間はますます増えるだろう。

 新聞を取らない理由の一つに、「ニュースはテレビで見るからいい」という言い訳がある。これからは、ネットで見るからいいという理由が加わるだろう。それは何を意味するか。新聞が、テレビやネットが提供する以上の有意義な情報を伝えている媒体だという認識を読者に与えられないということだ。一言で言えば、新聞はつまらないのだ。テレビで見て知ってるよとか、ネットで見たよとかいう延長線上の記事しか載ってないと思われているのだろう。特に共同通信の記事を垂れ流している地方紙、あるいは、一つの記事を短くしてなるべくたくさんの記事を載せるという編集方針を採っている新聞においてはそれが顕著だ。産経新聞は夕刊を廃止して、解説性中心の紙面に脱皮しようとしている。もともと、読者から読むところが多くて困るとお褒めの言葉を頂くことが多かったのだが、ようするに今後、前日にテレビで見て知っているようなことはさらっと流して、そのニュースの背景と本質を探るというのが、今後の産経の編集方針になるのだろうと思う。

 編集面に限らず、産経のやっている挑戦こそが、紙媒体としての新聞の生き残れる可能性を模索するものだ。インターネットで速報性は極限まで進むのだから、新聞はそんなものと競争してはいけない。地方紙において、その地方のことはその新聞を読まなければ分からないというような、差別化され、特化された紙面編集をしていかなければ、逆に地方から、ある日突然読者が大規模に消滅するなんてことが起きかねないと思う。手前味噌だが、やっぱり新聞の衰退は文化の衰退だと思う。文字を読まない人間が今後どんどん増えれば、いつの間にか、人の頭脳は太古の昔に逆戻りなんてことになるかもしれない。紙媒体としての新聞は、生き残ることもさることながら、新しい意味づけをもって、読者に受け入れられ、もっと深く読んでもらえるような媒体に進化しなければいけないと思う。新聞の販売だって、今までの洗剤B券配達だけではいけない、新聞それ自体が情報媒体として魅力ある物だという売り込み方をしていかなければ。

旅人新聞裏話のトップへ

小さな成功、大きな成功(平成14年4月8日)
 産経新朝刊がスタートしたと思ったら、もう1週間経ってしまった。普段の月なら2、3日頃上京する私も、不測の事態に助太刀出来るよう、今度ばかりは1日早朝に社に上がった。前夜遅くまで、社員拡張カード等の販売店連絡に追われた余韻の残る販売局の静寂は、フリーダイヤルが電話代行会社から、本社に切り替えられてすぐに破られた。とにかく電話が鳴りっぱなし、不着不着不着である。今日から入るはずなのに入ってないという電話の大半は、洩れなく連絡したはずの社員カードとTVCM申込だった。しかし、フジテレビ「とくダネ!」で産経の夕刊廃止が取り上げられて以降、次第に申込が不着を数の上で圧倒し始めた。まあ、小さな所帯の少ない電話台数で受けているのだから、鳴りっぱなしも仕方がないが、ずっと話し中だったというお叱りを結構受けたものだ。その後、数日間はこの状態が続き、私のように東京に帰ると陸に上がった河童状態の人間は、ひたすら電話番をしていた。

 さて、心配された不測の事態はなかったが、仙台にいたら分からない様々な事態が密かに進行していた。某社の担当さんは産経を取り扱っている自系統店に対して、産経の紹介カードが何件来ていて、その系統紙から産経に変わったのは何件か報告させている。あるいは産経には規定のチラシ以外は一切入れない、自系統紙読者に対する紹介にはチラシが入らないと説明し、購読延長をお願いするとか、産経読者を自系統紙に切り替える最後のチャンス!と檄を飛ばしている。産経を取り扱っていない店には、産経に落とされたら、チラシが入らない事などを説明してクーリングオフさせ、自系統紙を継続させるなどと指示している。まあ、この程度なら当然あり得る話だが、これらに加えて、産経新聞を1部たりともプラス注文してはならないという指令が飛んでいる地区もある。紙が足りなければ配れないから、社員拡張はもとより、読者が自分の意志で申し込んで来ても配達しないということだ。これを競争制限、優越的地位の乱用とは呼ばないとすれば、この世に公正取引委員会など必要ない。

 それはさておき、この新朝刊作戦開始当初から、我が専務は「この作戦に失敗はない、どれほど大きな成功を収められるかだ」と事ある毎に、販売局員や販売店主を激励している。全くもってその通りだと思うのだが、じゃあ、大きな成功とは何か。それは、東京100万部の達成であり、あるいは東京100万部が視野に入る部数まで、出来るだけ早く持っていくことだ。それは現在の82万部をあと18万部増やすことだ。なんと22%増、比率から見れば我々にとっては絶望的に大きな数字である。しかし、大阪本社で120万部あることを考えれば、東京産経の部数は、150〜200万部くらいあったっておかしくないとも言えるのだ。逆に言えば、現在の82万部という数字は不当に少ないと言えるし、実は東京100万部なんて小さな成功なんじゃないのか。

 産経が18万部増やし、もし、三大紙を均等に食ったとしても1紙あたり6万部。微々たるとは言わないが、産経が22%という比率の増紙を目指しているのに比べれば、極めて少ない数字である。もし、読売1紙を食っても彼の紙は1000万部を割らない。朝日1紙を食ったとしても彼の紙は700万部を割らない。この大新聞の屋台骨が揺らぐとは思えない、その程度の数字なのだ。それより産経が夕刊を廃止し、セット地区の読者に統合版価格を周知してしまったため、これから急加速する夕刊離れはもう誰にも止められない。夕刊減による損害は産経に食われる部数の比ではないだろう。それを恐れて、しゃにむに産経潰しに走っても、産経を支持する熱烈な読者がいる限り、そう簡単にはいかない。その前に夕刊離れ対策が前面に立ちはだかるだろう。常に同じ土俵で勝負するよう仕向け、大新聞スタンダードを押しつけ、産経の部数を何十年も東京80万、大阪120万に押さえ込んできたつけが今、まわってきたと言える。産経のよさを読者が知るのはまだまだこれからである。

旅人新聞裏話のトップへ

ちょっと一服(平成14年3月18日)
 HPの更新っていうのも疲れるもので、ちょっと休憩。

 ということで、最近ネットサーフィンして見つけた、新聞販売店の従業員さん関連のHPを紹介しよう。と言っても、きっかけは新聞情報社のHPに載っていた、私のリンクのページで、最新お奨めHPに載せている、共同掲示板「新聞屋さん大集合!」っていうBBSを見たことから来ているので、このページを見に来る読者には既におなじみのページばかりかもしれない。それにしても、新聞情報社のHPはリンクが充実しており、全国の新聞社のリンクの他、販売店や個人のHPへのリンクも結構ある。しかし、残念ながらまだまだ不完全で、稲毛新聞なんていう恐るべき新聞や、我らが胆江日日新聞が載ってる割には、天下の長野日報や松本の市民タイムズが載っていない。もちろん今注目の旅人のほーむぺーじは載っていない。

 さて、まだ全部に目を通した訳ではないのだが、大半は奨学生や元奨学生のHPで日記と掲示板が中心である。しかし、Cross Stitch Street 〜さぎな的新聞屋さんLife〜は販売店の所長夫人のHPで、日記の内容も他とはひと味違う。また、ヴァルチャーさんという元産経新聞奨学生のWAKE UP!〜新聞奨学生の生活と意見〜というページはかなり細かくコンテンツが分かれており、これからじっくり読んでみようと思う。

 監査師太郎という人の新聞販売店のための団カード監査情報というページの掲示板は強烈。これぞまさしく生の声かという、拡張団情報満載である。吉田呟新聞というページは、配達集金のマニュアルとしても使えるし、ホンダ・プレスカブについてのマニアックな記述は非常に参考になる。

 THREE SPECIALというページの「仕事についてまじめに考えてみたい」というコンテンツは、既に更新停止してしまっているが、いち新聞販売店従業員から見た新聞販売業界について、体系的に考えを述べている大作であり、これからじっくりと読んでみたいページNO.1だ。新聞屋の謎?というページは辞書形式のフォームで投稿と解答という形になっており、解答が笑える。

 朝刊太郎の[魔法のiらんど]というページは携帯仕様のHPで今度i-modeにbookmarkして暇なときにゆっくり読もうかなと思う。そして、いじえすさんという、これまた産経の元奨学生で、現在販売店の主任をやっているという人のHIT POINT 〜ijies page〜というページはかなり自由な作りになっており、新聞トピックスというコンテンツの中のコラムはなかなか笑えるし泣かせる。最後に直接配達のページというところでは、冒頭、「新聞配達・牛乳配達・荷物配達・英会話教材の配達など世間には様々な配達がありますが、配達といえばやっぱり洗剤配達! 」と言い、バナーが隠密洗剤配達人。うーん、このタイトルだけでも中身を読んでみたくなる。なお、これらのHPの管理人連中の一部はオフ会等でつながっているらしく、それぞれ相互リンクが張られている。

 さて、これらのページを全部読むには1ヶ月以上かかるような気がするのだが、別にその間更新停止するということではない。この1ヶ月の間には、運命の日4月1日がやってくるので、当然更新されるはずである。しかし、HPの更新に疲れているのも事実だし、仕事に若干の支障を来しているのも否定出来ないから、更新されない間は、上記の各ホームページを是非読破して欲しいな、なんて思う。

旅人新聞裏話のトップへ

読売新聞の恐れる産経一人勝ちとは?(平成14年3月13日)
 ある地方の所長さん曰く、「だいたい、ドジョウ一匹池に飛び込んだくらいで洪水になるような騒ぎをするな」とかうちの局長曰く、「紙鉄砲鳴らしたら、ミサイル打ち返してきた」とか言われる一連の休刊日騒動だが、3月は産経以外みんな通常発行で、駅前で見本紙配らない分だけ外向けには静かな休刊日発行になった。文句一つ言わず販売店が協力してくれたのが、余程ありがたかったのか、隣の社では常務取締役販売局長名で感謝のFAXを流したようだ。その中に次のような文章がある。

 "現下の販売情勢は、休刊日問題を巡り大きく揺れ動いています。その主要因は産経新聞が夕刊発行を廃止するにあたり、不当廉売問題、夕刊否定のテレビCM問題、更に休刊日に即売版の発行と、3つの「禁じ手」を使ったことに端を発しています。"

 禁じ手?リンク先にあるように、一般に禁じ手とは将棋の禁じ手をもじっていうものだが、産経が読売に打歩詰め(歩を打って王を詰めること。歩が産経で王が読売か)でもかけてるって言いたいのだろうか。不当廉売問題は全社挙げてやった訳じゃないし、新年の販売店大会でうちの社長が厳に戒めている。夕刊否定のテレビCM?因縁以外の何者でもない。商品特性をアピールして何が悪いのか。ところで誰が禁じたんだ?休刊日に即売発行については次のように続けている。

"特に、休刊日には全ての新聞発行を中止して休刊としてきた経緯からして、即売版といえども新聞を発行することは、休刊日を実質的になくしたことになり、産経新聞が狙う一人勝ちを絶対に許すわけにはいきません。"

 全ての新聞発行を中止してって、スポーツ紙は昔から休刊日即売やってるじゃん。やっぱりスポーツ紙は新聞じゃないって思ってたんだ。まあ、報知新聞が増えると、報知なんか増やす暇あったら読売増やせって言う会社だからしょうがないか。きっと地方紙も新聞じゃないって思ってるんだろうな。いや、読売にあらずんば新聞にあらずって思っているんだろう。それにしても、産経新聞が狙う一人勝ちって、普通の人が考えれば、1030万部や830万部に対して、今回の夕刊廃止で例えば産経が800万部くらいになって、増えた600万部のうち、400万部くらい読売食って、200万部朝日食って、800対600対600くらいになって初めて一人勝ちっていうんじゃないのか?産経が目指しているのは東京100万部、20万部増である。全部読売を食ったって読売は1000万部を割らない。今までさんざん一人勝ちしといて絶対に許すわけにはいきませんとは全く恐れ入る。

 さらにこう続く。

 "産経新聞の目論見は、即売版で低価格紙を印象付け、勢いをつけようとするもので、万一、それを放置すればT紙やM紙も値安販売に追随する恐れがあります。"

 「目論見」ですって清原社長。せめて「戦略」くらいに言って欲しいものですよね。社長が個人的に尊敬しているというナベツネさんが見込んで東京に連れ戻した人の言葉です。T紙やM紙って引き合いに出されてますが、不当廉売やりますか?T紙さんM紙さん。

 "今回の産経問題は、再販制度のもとで定価販売を堅持する本紙にも大きな影響を及ぼすことが懸念され、進路を一つ誤れば、泥沼の乱売合戦に突入する兆しすらあります。"

 そうか、産経問題なのか。九州で自転車や冷蔵庫を配りまくった時はきっと西日本問題、あるいは熊日問題だったんだろうな。泥沼の乱売合戦って今までずっとそうだったと思うし、それをリードしてきたのは一体誰だったんだろう。まあ、定価販売を堅持するということは、朝刊単売も3007円の統合版定価に公式に決めるのだろう。3月25日頃に社告が出るかな?進路を誤らないでなおかつ定価販売を堅持するにはそれしかないはず。きっと公取委も苦虫を噛みつぶしているに違いない。何せ朝刊単売価格が何十種類もあることが、既に再販を崩しているというのが彼らの再販はずしの大きな口実だから、その口実の一つがなくなってしまうなんて、さぞかしやりにくいだろう。

 そんな、産経一人勝ちとか、大阪の地方紙にしてやるとか、今まで生かしておいてやったなんて言わないで、産経にもあと20万部くらい下さいよ。

旅人新聞裏話のトップへ

新聞戦争は仁義なき戦い(平成14年3月10日)
 どうも、社内を見ていると、産経新聞を隣の会社が潰したがっていて、あの手この手で圧力をかけてきているのにのほほんとしているように見える。そう見えるのは私だけなのかもしれないが、聞くところによると、隣の販売局長さんは今でも、「産経新聞は潰さなければいけない」と言っていると聞いた人がいる。読売のお店の中には、*産経を増やすとクビになると言って、隣の産経を扱っている店から産経新聞を買って、増えた新しいお客に配っているお店もあるらしい。また、ある地区では、昨年末に産経の切替と配達拒否を本社から指令されて、そんなモラルに反することは出来ないと逆らったために、産経を持っていようがいまいが、本社から強力な経営調査が入って、産経あるなしに関わらず、廃業に追い込まれているところがあるらしい。良心的なお店や良心的な担当さんも多いのだが、恐怖政治の下、産経潰しに狂奔せざるを得ないのだろうか。

 さて、明日3月11日はまたしても休刊日なのだが、東京紙で休刊するのは産経だけ。東京新聞が特別版である以外は、いずれも当初予定していた休刊日を廃止し、通常発行するとのことだ。噂によると、読売新聞は、産経が休刊日即売を止めるまで、休刊日を廃止し通常発行によるプレッシャーをかけ続けようとしているようだ。明日の朝、どこの地区かは分からないが、次のような文面のチラシ入りで、産経読者に読売を投函するつもりらしい。

 

ご愛読者の皆様へ

きょう11日は「産経新聞」の休刊日となる為、

「読売新聞」をお届けさせて頂きました。

 日頃はご愛読賜り心から感謝申し上げます。

 さて本日11日は3月の休刊日にあたり。産経新聞の配達

を休ませていただきます。

 しかしながら、読売新聞では、政治・経済情勢が緊迫の度

を深めている折、読者にご迷惑をおかけしないよう、通常通

り新聞を発行することに致しました。

 「朝、新聞が読めない」 などのご不便をおかけしないよ

う、日頃の新聞にかわり読売新聞をお届けいたしました。

 どうぞお読みください。

YC読売センター
所長・スタッフ一同

 とまあ、こんなわけだが、昨日は、福島の販売店から、産経の読者に福島民報を入れようと思っていると言う電話があったので、勘弁してくださいと断ったりしていて、まあ、親切心でそう言ってくれる店もある。しかし、このチラシは、産経を持っている読売新聞の店だけでなく、そうでない店も産経の読者に新聞を入れようと言うわけだ。まあ、そのぐらいのことは当然やるだろうし、当然やる会社で、それが怖いということで、朝日を始めとする他の新聞社は、休刊日を廃止せざるを得ないのだ。でもって、産経のお店だってみんなそういう危機感を持っているから、うちも、特別版を宅配用に送って欲しいと言ってくるのだが、それをやってしまえば、休刊日がなくなったのは、やっぱり産経のせいだということにされてしまうので、社も意地になって原則を貫いている。逆に言えば、よその社が無原則だからこんな混乱が起きていると言える。

 以前に、産経が経営難の時に専売を潰して、他系統に預けていった話をちらっと書いたが、だいたい預ける時は、「いやあ、専売じゃ産経さんも経費がかかって大変でしょう。うちで預かれば、*納金は安心だし、紙も減らしませんよ」なんてニコニコしながら言っちゃってくれたり、既にある系統に預けてあっても、「うちなら、紙も増えますから、是非うちに持ってきてくださいよ」なんて言う例が多いのだが、いざとなればこのありさまだ。まあ、それが甘言であることは分かっているのだが、結局専売の時に所長の顔で取ってもらっていた読者や目一杯サービスしてた読者は、みんな落ちてしまうから、紙が預けて増える例は極めて希である。(そんなことない、俺は預かって専売の時より増やしたぞって所長さんごめんなさい。でもごく少数だと思います)

 それが、ましてや持っている地方紙を投げさせたなんて経歴の持ち主が販売最高幹部に収まるや、本社の命令一つで、産経は全部切り替えろ、取引返上だ、配達を投げろとなってしまう。まあ、自分がその立場にいたらやらないかと言えば、きっとやるだろう。これが弱肉強食の新聞販売業界なのだから。そんなことも知らずに、読売とニコニコ提携してしまう我が社も我が社なのだ。早い内に気付いてよかったのかもしれないけど、今回の騒動が収まって10年もして、何もなかったかのように、また、「朝日一系統だけに預けたらだめだ、読売に分散しろ」なんて言ってるかもしれない。そうなりゃ、本当にうちの社は馬鹿丸出しだな、と思う。そんなことがありませんように。

*産経を増やす・・・一般紙及びスポーツ紙は新聞公正取引協議会の各県支部に部数報告しており、各社の担当員は対抗紙の部数が一目瞭然に分かるようになっている。

*納金・・・新聞販売業界では販売店から本社への原価支払の事をこう呼ぶ。今や納金なんて言葉を使うのは新聞とヤクザ屋さんくらいか。

旅人新聞裏話のトップへ

お人好しでは生きていかれない(平成14年3月3日)
 産経新聞と読売新聞が読売大手町工場での夕刊フジ、競馬エイトの印刷で合意し、さらに瀬戸内海を挟んで相互印刷を決めたとき、産経社内には今後は、読売とうまくやっていくのが社の方針だという雰囲気になりかけた。その一方で、読売社内では、いずれ産経は読売に吸収合併されるんだというのが、常識になっていたという。朝日新聞と論調の上で厳しく対立し、何事にも朝日との対比を際だたせていたので、編集的に言えばそう言う流れになっても不思議はないだろう。しかし、産経読売両社間で協調ムードが高まった時に、その両社内での受け止め方に羊とオオカミほどの温度差があったとすれば、今回の問題で、ナベツネ社長が怒り狂ってうちの社長を新聞協会副会長から引きずり降ろしたことも、至って自然な行動だ。何せ、自分の掌の上だと思っていたところが、自分の会社に不都合なことを始めたのだから。横浜ベイスターズ問題からフジサンケイグループと読売グループの間にはただならぬ雰囲気が漂っていたが、そこに産経夕刊廃止問題である、まあ、タイミング最悪と言えよう。しかも、相手の販売の最高責任者が、栃木担当時代に下野新聞と一悶着起こしている有名な人物と来ている。最高最悪のタイミングだった。

 どこの会社でも、組織でも、トップが替われば方針がガラリと変わるのは世の常だ。そんなことは当然呑み込んで生きていかなければやっていけないのだが、ある程度は相手を信用してかからなければ、必要な戦略はとれない。しかし、人間は経験や前例を糧として生きていく事が出来る。過去の歴史の中で何が起こって来たのか知らなければ、大やけどをする。多分今までは、やけどで済んできたのだろう。今回もやけどで済むことを祈っているが、やはり、信用出来ないものを100%信用してはいけない。一人一人はいい人で信用出来ても、組織としてまとまると全く信用出来ないなんてことが現実にはいくらでもあるということを、私の僅かな担当員生活の中で、いろいろ聞かされてはいたが、今回ほど目の当たりに見せられたことはない。そして、トップの方針次第で、どんなにいい人でも下はついて行かざるを得ない。誰でも我が身が可愛いのだ。

 昔、全社が社告を打って新聞販売正常化を宣言したことがあった。そして、ほとんどの社が忠実に守ろうとしていた時に、今こそ千載一遇のチャンスとばかりに全店に拡材を送り、他社が出遅れている間に一気にシェアを伸ばしたという事件があった。入社以来私は諸先輩からその事件を盛んに聞かされて来た。実に素晴らしい戦略である。普通の日本人には真似できない販売政策だ。それがいいとは思わないが、勝つためには何でもやる、そして、勝てば官軍というのが、この業界の常識なのだ。そして、お人好しの社はその度に弱っていった。これは産経だけの話ではない。今回、3社があたかも協調して産経潰しに走っているように見えるが、産経が万が一潰れた時に誰が一番得するのかよく考えた方がいい。これは、地方紙も同様だ。全ての流れを一つの戦略の上で運用している社と、その社の動きにつられて右往左往する社ではどっちが勝負の鍵を握るか目に見えている。もはや、右の頬を殴られたから全力で殴り返す時代じゃない。特に毎日新聞と地方紙にはよくよく考えて動いてもらいたいものだ。

旅人新聞裏話のトップへ

電子新聞は新聞社をどうしたいのか(平成14年2月28日)
 新聞社には販売局っていう組織があって、筆者はその一員なのだが、販売局は何をするところかと言えば、新聞を売るところである。極めて当たり前の話なのだが、新聞は本社が直接読者に売る物ではなく、販売店からの配達、あるいは駅売店等で即売するものなので、本社から発送して読者に届け、原価を回収して、会社の経営の根幹を支えるのが仕事だ。そして、部数を増やして社業を発展させるための様々な販売政策を企画立案実行していく部署でもある。従って、新聞社の中で新聞を売るのは販売局の仕事だというのが常識であり、社員拡張というと、露骨に嫌な顔をする人がいるらしい。正確には読者紹介と言うべきなのだが、新聞は配られてナンボの商品であり、配達されなければ、いくら拡張しても商品ではない。だからと言うわけではないが、販売局というのは実は配達局じゃないのかと思うことがある。

 それを如実に感じさせたのが、昨年夏に発表された、産経のNEWSVUE(ニュースビュウ=電子配達)の実用化を巡っての騒動であった。春先、突如として発表されたこの電子新聞は、デジタルメディア本部と(株)サピエンスの共同開発ということだが、内容はともかく、配信方法、課金システムという、まさしく紙ならば販売局が担当することまで、全てデジタルメディア本部が実権を握っている。この媒体が紙の読者に与える影響を考えれば、販売局がもっと関与してもいいと思うし、販売という営業面から考えれば、販売プロパーの人間がデジタルメディア本部の構成メンバーであっていいはずである。私のような下層の社員がウォッチングするに、どう考えてもそうはなっていないように見えた。現に我らが販売局長に「販売局ってのは産経新聞を売ってるんですか?それとも紙を売ってるんですか」と聞くと、一言「紙だよ」との答えが返ってきた。長年の販売のプロとしての白紙でも売る精神の発露なのか、電子新聞には手を出せないと言う自嘲なのか分からなかったが、その時、ガーンと頭を殴られたような感じになったのも事実だ。私は、産経の読者を増やすことが日本の将来にとって有益であると信じて頑張っているのであって、それが紙であろうと、ネットであろうとどっちでもよかったし、どっちも売りたかった。企業体としての産経新聞社の生存はもちろんその大前提であるから、社員として、企業利益の追求は当然のことと考えている。紙もネットも売ることが会社の利益になると信じており、社の営業成績を左右する、デジタル媒体の課金システムには多大なる関心を持っていた。しかし、私から見れば、デジタル媒体はあたかも聖域になっているようなのだ。

 昨年9月から1995円(税込)で発売?されたこの電子新聞はこの3月から紙の産経新聞とのセット購読料金が設定され、紙の読者及び販売店対策にも配慮されていることを伺わせる。まあ、1995円にしろ、朝刊+ニュースビュウ3450円にしろ、妥当な値段と思われるので、結果オーライでもいいのだが、販売プロパーであり、インターネットに若干の興味がある人間としては看過出来ないことが行われている。それは、コンテンツの安売りあるいは過度の無料配布だ。私は紙の産経新聞、サンケイスポーツ、雑誌正論の他に、産経Web-S(税込2100円)も購読?しているが、通常の産経Webで主要な記事は読めるし、速報はあるし、産経抄も主張(各社の社説に該当)も読めるので、今はこの有料電子メディアは過去記事検索にしか使っていない。まあ、そのためだけに毎月2100円払っているというべきか。しかし、こんなことはどこの新聞社のサイトでも同じようなものだろう。問題は、これも去年秋に始まった、ichimy.comというサービスと投資Webというページでやっているメルマガだ。

 ichimy.comは、私も登録しているが、自分の興味或いは必要のあるキーワードを登録しておくと、それに関連する記事が自分専用のページで見られるというサービスだが、なんとこれが無料。しかもバナーは一つしかついていない。様々な付加価値のついたコンテンツが用意されており、結構至れり尽くせりなのだが、収入はバナー1つである。これで月間いくらもらっているのか知らないが、記事が二次利用で"タダ"だという前提でも黒字とは思えない。しかも、ichimyは毎日メルマガを送ってくる。一方、投資Webのメルマガは株この一番というタイトルでメルマ!を使って配信されており、メルマガからも、もちろん産経Webからも見に行けるが、産経Web本体では有料版でないと見られないはずの記事が無料で読める上、その日の紙の新聞に載っていない記事まで載っていることがある。ここにもバナーは2つしかない。ichimyに比べると、日経も真っ青の充実したコンテンツに素人目には思えるが、全部タダ。もちろん紙の新聞だって、店によっては契約に応じて1ヶ月サービスってことをやっている場合もあるが、永久にサービスというのはあり得ないし、店は社に原価を払っている。

 幸いにして、産経の読者層の中心は、まだまだ高齢層が多く、インターネットで新聞を読もうという層ではない。しかし、紙の新聞を日々苦労して売っている立場としては、いくら読者層が違うといっても、これだけ大盤振る舞いされては腹が立つ。社の営業は現在のところ紙の販売・広告で成り立っており、電子媒体は大幅な赤字を出していると聞く。二次利用と簡単に言うが、新聞の製作にどれだけのコストがかかっていることか。応分の負担が出来るような収益を上げてから、こういった無料サービスをして欲しいものだ。ニュースビュウが成功(いったい何件獲得出来れば成功と呼ぶのやら)すれば、全社員を食わせていけると嘯く関係者がいるらしいが、果たして今の状態のままで、電子媒体が本当に社を背負っていけるのか、甚だ疑問である。インターネット大好きの私でも新聞は紙じゃなければ嫌なのだが、かつて、自身の仕事がネット関連でありながら、新聞はトイレで読めなきゃだめだといっていた友人まで、最近は新聞はネットで読んで折込だけ配達してもらえたらなんて言い始めた。今は過渡期だと言う関係者もいるようだが、過渡期の間に会社が潰れてしまったら、ネット新聞もヘチマもない。社の首脳はその辺のところをどう考えているのだろう。

 今回はえらい長文になってしまったが、これを見に来ている各社の販売関係者も、自社の電子メディアをよく点検してみたほうがいいと思うよ。

旅人新聞裏話のトップへ

新聞休刊日は何故あるのか(平成14年2月27日)
 3月の新聞休刊日の様相が次第に明らかになってきた。産経以外の東京紙5紙は休刊日を取り消して通常発行。地方紙はバラバラで、前回英断と誉めたつもりの我が河北はなんと通常発行。それに対し、前回くそみそに言った信毎は予定通り休刊。信毎は2月はオリンピックという大義名分があったから、ある意味仕方ないかなと思う。まあ、どっちもどっちだが、今長野の担当をやってたら、3月2日(11日の休刊日当日ではない)には面白いモノが見られたと思うが残念だ。それにしても、静新は凄い。東京紙の動向に微動だにせず両月とも発行しない。

 さて、このページは別に新聞関係者や2ちゃんねらーのために書いている訳ではないのだが、今回は、今話題の新聞休刊日とは何かというテーマに取り組んでみたいと思う。新聞社は報道を使命としているので、本来新聞は毎日出さなければいけないものという考え方が、編集を中心に根強い。大昔、新聞休刊日は元旦、春分秋分(いずれも翌日)の年3回しかなかったと聞く。その後少しずつ増えて、年8回の時代(私もこの時代に入社した)が長く続き、つい10年程前に現在の月1回年12回になった(一部地方紙除く)。新聞社は出したいのに何故休刊日があるかと言えば、販売店の休日のためだということになっている。まあ、その通りなんだが、値上げの理由と同じで、本社側にも隠れた理由がある。輪転機やコンピュータ等の点検その他オーバーホールだ。今や新聞製作自体が高度に機械化されすぎて、365日フル発行したいと思ってもそうはいかない。

 それはさておき、休刊日が主として販売店のためにあるのは厳然たる事実である。首都圏の近代化された年商何億という大手販売店を見慣れていると忘れがちだが、元来新聞販売店は家族労務、個人営業が主であり、配達従業員は子供達が中心であった。わずか25年前には全国の販売店従業員の*半分が新聞少年だったのだ。新聞は値段が安いのと朝早い仕事であるため慢性構造労務難業種であったため、休日配達要員までを確保することは販売店経営上難しく、大半の従業員が休刊日しか休みがないという時代が続いた。バブルで労務難が極限に達した頃、ようやく年12回の休刊日が確立したのだ。地方や首都圏でも経営規模の小さい販売店では、今でも家族労務が主のところが多く、従業員を休ませても所長や家族は休めない。あるいは、家族従業員の慰安旅行を実施したくても休刊日以外は出来るはずもないのである。他業種の個人商店なら定休日を設けることが出来るが、新聞販売店は新聞が店に届く限り、配らなければならないのだ。

 産経が首都圏近畿圏で即売での休刊日発行を決めたのも、読者ニーズに応えつつ販売店労務を守るにはこれしかないという決定打だったからである。もちろん、一般紙として産経だけが休刊日即売をやれば、多くの初見の読者が産経に触れてくれるという下心があったことを、社告でも素直に告白している。ところが、夕刊廃止問題で産経憎しとなっている大手各社は、産経の休刊日即売潰しのために超過剰反応とも言える、全国的な休刊日特別版の宅配でこれに応じた。まさしく、右の頬を殴られたら、全力で殴り返すというヤクザの資質そのものだ。産経は販売店を思って即売だけとしたのに、他社は目先の産経潰しのためには販売店などお構いなしという態度に出たのだ。私はこれを見て、金の卵を産むガチョウの寓話を思い出した。

 産経にも大手紙にも業界での生き残りを賭けた戦略・戦術という側面があるが、馬鹿としか言いようがないのが、東京紙につられて休刊日を潰す地方紙である。彼らには、東京紙が発行して浸食されるのは困るという動機があるが、地方の合売店は東京紙だけなら配りたがらないという戦略上の優位性を全く利用していないという愚かさがある。ただでさえ、普及率60%以上という独占状況があり、合売店に対して絶大な統制力を持つ彼らが、本社の足下の県庁所在地の状況しか見えずに、山間の販売店の反感を買うようなまねをしている。ここでもガチョウの腹を裂いているのである。

 一方で再販維持を声高に唱え、産経のいち販売店のモニターチラシを狂ったように非難しながら、他方で平気で再販の基盤である全国同一価格を崩す大新聞社と、それに追随する独占地方紙、全く新聞社のやることは勝手気ままとしか言いようがない。読者にしてみれば、一度配れるものは毎回配れると思うだろう。紙の新聞の断末魔の声はパソコンとインターネット発展を待つことなく、新聞社自らの手で聞かされるかも知れない。

旅人新聞裏話のトップへ

このぺーじも大変なことになってきた(平成14年2月16日)
 新潟の担当から、旅人ってどこの担当してる人なんですか、って朝日の担当に聞かれたよと言われた。北信読売会でこのページのコピーが配られたらしい(ってことは信毎の皆様も当然見るわな)。河北社の販売局行ったら、ホームページ凄いですねって言われた。2ちゃんねる見たら、毎日の奨学生が見てるらしい。ナベツネも見るのだろうか。いよいよ、新聞販売業界で知る人ぞ知るという恐ろしい状況になってきた訳だ。それでも書きたいことを書くぞ。おっと、更新頻度を上げないとそれこそ怒られちゃうかな。

 朝日新聞社は従業員の末端に至るまで、休刊日がなくなったのは産経のせいということを徹底しているらしい。専売店の従業員はおろか、関東のある合売店の従業員が、サンケイのせいで休めないと言っているのを聞いた人がいる。何度も言うが、産経は最初の社告以来何度も、あくまで即売だけで、宅配は、販売店従業員の労務事情のため出来ませんと公言している。休刊日宅配戦争の張本人である読売は、今回の休刊日に試読紙に読売とS紙(もちろん産経のこと)を比較したチラシを入れた。私たちは産経新聞を潰すために休刊日特別版を出してますと白状しているようなものだ。

 新聞販売業界は朝読スタンダードだと前に書いたが、特別版の配達は義務ではないらしいので、地方紙が発行しなければ、地方の合売店はまず配らない。河北新報社は創業者精神が休刊日ゼロを標榜しているにもかかわらず、2月は読売の挑発に乗らずに宅即とも出さなかった。これは英断である。このまま休刊日発行を続ければ、どこの社も値上げせずには生き残っていけないのだから、朝日読売が出すからと意地で出すのは、経営破綻への道である。地方紙の中には、河北も含め、元々休刊日が少ない社もある。最初から発行が前提なら経営計画上問題ないのだろうが、休刊日発行は1日分余計に紙面を作って印刷し、配送するのだから、広告が取れてもペイするものではない。今後とも発行を続けようと言うなら、その赤字を覚悟の上でやらなければならなくなる。放置すれば販売店労務どころの騒ぎじゃなく、新聞社の経営の根幹を揺るがす問題になっていくのだが、それが分かっていてかどうか、とにかく読売がやるのなら対抗上やらざるを得ないと子供じみた対抗意識を丸出しにする困った地方紙がある。そう我らが信濃毎日新聞だ。この会社はとにかく東京紙のやることにいちいち敏感なのだが、場所によっては普及率90%、長野全県平均でも65%あるのにどうしてそんなに怖がるのだろう。ただでさえ、長野県の合売店は家族経営のところが多いのに、足元から一揆が起きなければいいが、って余計なお世話か。信毎さん、休刊日宅配は産経のせいではありませんからね、よーく徹底しておいて下さいね。

 朝日新聞社は来月の休刊日廃止を機関決定したそうだ。2月は産経潰しのための3社連合だったが、3月は読売への対抗上だそうである。朝日が正式発行するため、日刊スポーツも正式発行するらしい。そうなると、休刊日宅配問題はスポーツ紙まで巻き込んだ複雑怪奇なにらみ合いとなり、全国的に業界は大混乱に陥るだろう。(産経もやるかもしれないが)発行する社は、社の責任において、全国津々浦々、読者に対して配達差別の起きないようにして欲しいものだ。そうでないと、笑うのは公取だけってことになりますよ。

旅人新聞裏話のトップへ

再販を踏みにじっているのは誰だ(平成14年2月12日)
 2ちゃんねるでは話題になるわ、他紙の担当員は見ているわ、我が社の秘書室でも話題になるわで、うっかりしたことが書けなくなってきたこのコラムだが、こうなってくるとちょっと意識しちゃうかな。

 さて、今日2月12日は新聞休刊日であったが、各社休刊日特別版を発行した。産経は首都圏・近畿圏を中心とする駅売店・コンビニ等での即売のみの発行だったが、読売、朝日、毎日、日経などは、首都圏及び東日本の主要都市で宅配まで実施した。今まで販売店の労務事情改善のためにといってようやく月1回の休みを実現してきたのに、産経潰しのためならそんな理屈は簡単に放棄出来るようだ。

 産経が休刊日即売を発表して以後、1月半ばになって読売が休刊日発行のための広告集めをしていることが判明、朝日毎日も読売がやるなら、対抗上やらざるを得ないとして、2月の休刊日は東京紙そろい踏みということになってしまった。しかし、休刊日を止めるのではなく、あくまで配達出来るところだけやるというのだ。再販制度を維持する理由として、全国同一の料金で読めるということをあげているのだが、休刊日に配られる地区と配られない地区があるのは、同じ料金を払っている読者に対してどう説明するのか。即売スタンドでは130円で売っていて、一方現読には無料で配達する。配られたところだけ別途課金するというなら別だが、明らかに配られないところと差別している。これで、産経浦安店の500円モニターチラシを社長会でまで持ち出して非難するというのだから呆れてモノも言えない。

 産経は不公平があれば再販を踏みにじることになるし、読者に失礼なので、1部たりとも配らないという方針をとった。読者には不評な部分もあろうが、産経としては販売店の所長・従業員に休みをとらせたいので駅・コンビニで買って欲しい。産経、日経、朝日、読売の4紙を取っている友人から、朝メールが入って、「産経だけ入らなかったよ」と言われた。夕方電話で話して理解してもらったが、「いやだねえ(他紙のやり方は)」と言っていた。

 今回の休刊日宅配で、読者に課金(つまり販売店に原価請求)しないとすれば、どの社もみんな巨額の赤字を覚悟での発行となり、販売店も大きな出費を強いられる。読売も朝日も来月以降の休刊日特別発行を続けるつもりのようだが、完全な消耗戦に突入してしまった。毎月やれば、年に数十億という新規経費になるのだが、相手を蹴落とすためのチキンレースの様相だ。自分のとこさえよければいいという、拡材販売と同じ手法がここでも採られる。休刊日に配られる、都市の専売地区読者はいいが、地方の合売地区読者をどうするつもりなのだろうか。どうやら、日本全国同一料金であまねく宅配するためという再販制度は、読売によって崩壊への崖を転がり落ち始めたようだ。

旅人新聞裏話のトップへ

産経夕刊廃止が三紙に与える影響(平成14年2月2日)
 2ちゃんねるに、善意だか陰謀だか取り上げられてしまったこのコラムだが、そんなこととは関係なく書き続けようと思う。2ちゃんねるから見に来た人に申し上げますが、私はまったくもって、ロムしかしておらず、従って自作自演ではありません。あしからず。

 四街道で産経を購読してくれていることり氏のところにも、ついに、集金の人から、4月以降配達できないかもしれませんと言ってきたそうだ。四街道の毎日新聞の店はそこそこの部数の産経を扱っており、取引中止すれば、店の経営的に少なからず影響があるはずだが、それでも言ってくるということは、本社からの相当強力な行政指導があるのだろう。まあ、それは致し方ない。しかし、なぜそこまで躍起になって産経を潰そうとするのか。産経が夕刊廃止、朝刊単独紙2950円になることによる影響が各社を存亡の危機に立たせることになるからだ。

 産経が2950円で朝刊を売ると言っても、かつて読売が中部読売でやったようなダンピングではなく、統合版価格に合わせた定価設定にするのだから、それ自体に文句は言えない。現在の産経も含めたセット地区の朝刊単売価格が、大幅に統合版価格を上回るものだったとしても、その客が全部産経に食われる訳ではないし、例によって拡材で押さえ込みにかかるだろうし、いざとなれば、販売店が現在得ている超過集金による利益を無視して、3007円の統合版価格に揃えてくるだろうから、おそらくそれほど心配はしていないだろう。一番問題なのは、3007円に朝刊単売価格を下げた時に始まるであろう、雪崩のような夕刊離れである。

 今まで、朝夕刊セットが一つの商品であり、朝刊だけ(あるいは夕刊だけ)とる場合には、それぞれの販売店がセット価格からの値引きということで、価格を決めていた。この値引額が少ないことにより、読者に対して夕刊も取った方がお得ですよとセット購読を勧めていた。ところが、3007円に下げてしまえば、その瞬間から、それなら夕刊いらないという読者が大量に出ることが容易に予想できる。東京本社管内で2百数十万部という夕刊を発行する朝読にしてみれば、この夕刊が一気に半分になるとか、100万部落ちるという事態も想定できる。そうならないという事態も想定できるのだが、もし、100万部落ちれば、単純に年間60億以上の売上が減ることになる。いくら朝読がこの不況にもかかわらず儲かっていても、社員の給料が平均で年収1000万以上などという状態は維持できない。給料を産経並みに引き下げれば儲かるだろうが、そう簡単に出来ることではない。銀行が行員の給料を下げたと言う話を聞かないのと同じだ。従って、そう簡単には朝刊単売定価を3007円には設定できないだろう。そうなると、方法は一つ。朝刊単売2950円という産経新聞を会社ごと潰してしまうことである。そのために今、首都圏では猛烈な産経イジメをやっているのだと私は思う。

 これは、企業の存亡を賭けた死ぬか生きるかの戦いだ。産経新聞の日本をよくするという灯を消さないためにも、私も、産経の全社員も死にものぐるいで巨大な朝読と戦うだろう。そして、我々は絶対に負けない。産経を支持してくれる強固な読者がいる限り。

旅人新聞裏話のトップへ

スヌーピーを侮辱する奴は許さないぞ(平成14年1月27日)
 私はスヌーピーが好きである。別に狂が付くほどではないが、産経新聞でスヌーピーの復刻連載を始め、キャラクターとして使い始めた時は躍り上がったものだ。それはさておき、三紙の産経イジメもいよいよ佳境に入ってきた。

 産経は2月から、新聞休刊日に即売特別版を発行することを年末に発表したが、これに対抗して、なんと読売新聞は全国的に宅配も含めて休刊日特別朝刊を発行するというのだ。しかも、同社の販売局長は産経対策と明言していると聞く。産経は東西で45万部発行と社告でも打ち出しているが、読売はなんと産経対策に759万部も発行するというのだ。たかだか45万部の即売版に対して17倍もの部数で対抗するのだという。どうせなら休刊日を止めてみせればいいのに。この読売の動きに対抗し朝日、毎日、日経、東京も形態は違えど、同様に2月12日の休刊日に新聞を発行するという。そして読売はこの件に関して、読売新聞の販売店で日経を扱っている店に対して、以下の通達をしたらしい。曰く、「休刊日に発行される特別版の宅配は読売だけ配るように。日経等諸紙の配達依頼が来ても配ってはならない」逆らったらどうなるか。現局長就任以来1年足らずで200店以上の販売店主の首をすげ替え、先日も北関東のある地区で、店を辞めさせるために、紙を降ろさず、全戸配布で対応した社のことである。この通達は、独禁法上の優越的地位の乱用に当たらないのだろうか。公取委の判断が注目される。

 私のブロックの朝日系で産経を扱う販売店に対して、朝日の社から、関東同様、余っている紙を切るように指令が出た。ある程度は仕方がないが、予備紙を1部も残さずに切れという指令を受けて困惑している店もあるようだ。誤配時の届け用や急な申し込みへの対応など、ある程度の予備紙は必要なのにそれも切れという。つまり、もし誤配などで紙が足りなくなったら、その読者には朝日を届けろと言っているに等しい。逆らったらどうなるか。これも優越的地位の乱用に当たらないだろうか。まあしかし、読売に比べれば朝日の販売局はまだ紳士的な方だ。

 数日前に新聞協会の理事会があったらしい。全国紙と主要ブロック紙、地方紙の社長で構成し、悪名高いナベツネが会長で、産経の清原社長は現在副会長である。その理事会で、今フジテレビで放映している産経のCMがやり玉にあがったらしい。私はずっと仙台にいるので、まだこのCMを見ていないのだが、夕飯はいるけど夕刊はいらないとスヌーピーあるいはチャーリー・ブラウンが言っているらしい。ナベツネが言ったのか、朝日の箱島社長か毎日の斉藤社長か、よってたかって、我が社の清原社長に対し「新聞業界あげて夕刊離れ対策をやっているときに、夕刊を誹謗中傷している。犬を使って夕刊離れを助長している。あんなCMは即刻やめろ。ついては清原社長に新聞協会副会長を辞任してもらいたい」と迫ったそうだ。産経は、もはや読者の夕刊離れは時代の潮流と悟り、苦渋の選択で、夕刊をやめるのだ。まして、協会加盟社の半分以上は夕刊を発行していない。どんなCMを流そうと、別にどこかの特定の新聞と比較広告をやっている訳でもないし、うちの勝手だろう。

 それにしても、犬を使ってとは不愉快な言葉だ。奴らはスヌーピーを侮辱した。スヌーピーをただの犬と言ったり、スヌーピーのぬいぐるみをゴミに出して平気な奴を俺は死ぬまで許さない。どんな手を使っても絶対に報復してやるから首を洗って待ってろよ。おっと私情が入ってしまった。まっ、冗談と言うことで。

旅人新聞裏話のトップへ

緊急特集!!三大新聞のエゲツないやり口(平成13年12月29日)

 産経新聞社は平成14年4月から東京本社管内で夕刊を廃止し、朝刊単独紙として生まれ変わることを平成13年11月7日に発表した。これに伴い、定価は現在の*朝夕刊セット3,850円が東北など朝だけの*統合版地区と同じ2,950円になる。このニュースはフジテレビ系列のみならず、NHKも他の民放系列も全国ニュースで報じたので、新聞関係者でなくてもご存じの方が多いと思う。産経としては社運を賭けた、乾坤一擲の大勝負なのだが、夕刊廃止、実質定価値下げということに危機感を抱いた三大紙から、現在強烈な妨害活動にさらされている。

 各紙とも朝夕刊セットが建前で売ってきた歴史的経緯から、夕刊離れを食い止めるため、朝刊だけを購読する場合は、3,925円のセット定価から、1〜400円値引きした程度の値段で各販売店が売値を決めて売っている。ここに産経が朝刊定価2,950円で殴り込みをかけるのだから、心中穏やかでないのは当然だ。しかし、彼らも統合版地区では定価3,007円で売っているのである。現実問題として*夕刊離れに歯止めをかけるためとは言え、実際に朝刊定価を過剰集金しているのも事実なのだ。産経の*専売店でもセット売りの現在は、統合版価格より150〜400円程度高めの設定で売っているところが多い。この、デフレの時代、さらに読者の夕刊離れも相まって、放置すれば、相当な読者が産経に流れると危惧していることは容易に想像出来る。

 そこで、各社は産経と取り引きしている自社系統の販売店に対し、様々な形で抵抗を試みさせようとしていると思える事態が、現在首都圏各地で多数発生している。産経新聞社は悲しいかな過去の経営難の折に、専売店を潰して各社の系統店に預けてきた経緯があり、全体では相当な面積の配達をこうした*複合店に頼らざるを得ないのが現状だ。そこが産経の最大の弱点であり、発行部数が他紙より少ない要因でもある。専売店がもう少し多ければこんな事態も発生しないのだが、会社や新聞の存続のためには仕方なかったと言える。預ける店が同一系統に偏るとその社の言いなりにならざるを得ないため、分散してはいるが、今回は三社連合とも思える締め付けである。
 最初は、取引上在庫となっている*予備紙のカットを要求してきた。それこそたとえ1部でもである。これには産経社もある程度応じざるを得なかった。
 次に、現在の産経読者に対し自系統紙への切り替え工作を展開しており、12月中旬以降、毎日毎日多数の読者から苦情電話が本社に入っていることで分かった。これで紙が余ればまた注文部数を減らし、最終的には複合店での産経の取り扱い部数を極限まで減らしてしまおうという作戦に思える。そのためには、様々な方法が採られている。下に紹介したある読者からの手紙はそうした、激烈な工作の一端を物語るものである。原文に忠実に打ち出してみたので一読してもらえれば幸いだ。なお、我々産経販売局員は*不測の事態に備え、1月1日朝5時に本社に集合することになっている。

<読者から本社に届いたお手紙>

各社のサンケイイジメ、ここまで来たか。
―サンケイボイコットの販売店に怒り

"ウェーブ産経"の発足、心よりお祝い申し上げます。

私儀
 サンケイ新聞とのお付き合いは四半世紀前にさかのぼります。
 当時、県警広報課に在籍していました折、記者クラブ加盟各社の記者諸氏のサンケイ記者イジメには
目に余るものがありました。
 その当時、中国ではサンケイ特派員の入国拒絶、内にあっては、日共言論裁判、「自由を賭けた闘い」
など、国の内外でサンケイは多難な時代、他の各社からは異質な存在であったのでありましょう。
 サンケイ記者イジメもそのようなことに影響されていたのかも知れません。
 以来、購読紙はサンケイ一筋を貫き通してきました。
 然し乍ら、ここに至ってサンケイイジメが購読者にまで火の粉が降りかかってきました。
 団地の各新聞販売所でサンケイボイコットの挙に出たのです。
 四月から実施されるサンケイ値下げに対抗して、本社からの指示と思われます。
 以下、その経緯について申しあげます。

 「一月からサンケイには折込み(広告)は入れないことになったんですが、それでもサンケイを入れますか。
他の新聞にかえていただけませんか」
 十一月末、集金に訪れた毎日販売所の集金担当の婦人の言に唖然。
 折込み広告は、地域社会の情報源、特に家内など、毎日の広告が楽しみだけでなく、日々の経済生活に
欠かすことのできないものですので、これが入らないでは家計に大打撃。
 「サンケイ値下げに対抗してなの、エゲツないね。そんな店との付き合いはやめにしましょう。」
 と、思わず集金人をどなりつけたが、集金女性には罪がない、反省、
 更めて、販売店に赴いて購読中止を宣告、

 「お父さん新聞どうするんです。新聞が入らないと、株価もテレビも、広告もない暮しなんて、ほかの新聞
でも変らないのじゃないの」
 「?ってなの。十二月まではサンケイ契約してあるんだから。」(※?は文字判読不能)
 「私、読売の店に行ってサンケイ頼んできますよ」
 と外出した家内
 「読売では一月からサンケイの看板降ろすんだって」に唖然
隣りのアサではサンケイを扱っていない。
 これで、この団地ではサンケイを読むことはのぞみなし、
 なんとひれつなこと、家内のさみしそうな顔。
 四半世紀のガンコ、折らなければならないのか、ふんまんやる方なし。

   十二月二十二日、所用あって外出。夕刻帰宅すると縁側に一見して"新聞のサービス品"とおぼしき洗剤
の大箱と発泡酒一箱、その箱には「毎日新聞社」とコピーされている。
 「なんだこれ」
 「お父さん、一年毎日でがまんして下さいよ」
 一年間、契約した由。
 拡張員の言、
 「お宅さんでは長い間サンケイお願いしていました、御迷惑おかけしますが今回サンケイ扱わなくなりまし
たので、毎日お願いしたいんです。できるだけサービスします」その条件として
一、購読料金は一ヶ月二千九百円、※1
一、一ヶ月無料※2
一、洗剤(ビーズ大箱一(600グラム入16コ))※3
一、発泡酒一箱(350ml24)※4(以上※印は旅人注:下記参照)
 これだけの条件では、うちの女房ならずともOKすることでしょう。
 女房どの拡張員の腹のうちを読んで
 「もっとサービスできないの」にさらにビーズの小箱六個※5を積みあげた。

 当分の間、新聞なしか、五キロはなれたJR駅まで求めに行こうかと腹をくくっていたが、留守のうちに女房
どのの戦果に脱帽、救われた感もあり。

 それにしましても、各販売所、いや各新聞社のイジメの体質は四半世紀前のと全く変っていない。
 長年親しんだ紙面と別れることの」さみしさ、全く目にしたことのない毎日の紙面に不安はありますが、サン
ケイと共に購読している月刊誌「正論」に救われます。
 「正論」誌と毎日を対比して読むことも勉強になると思います。
 サンケイ専売所ができることを祈念すると共に、ウェーブ産経の益々の御発展を祈念して筆をとめます。

平成十三年十二月二十七日
              ○○ ○○

二伸

 本夕刻、十二月分の集金に訪れた女性にいや味の一言。
 「あなたに罪はないが、販売店もエゲツないね、読者の読む自由を封圧するなんて、言論人のすることでないよ」
 「私たちにはなんにもわからないんです。四月ごろにならないと、本社の方針もはっきりしないんだそうですよ」
 「まあいいやさ、毎日や読売で方針が固まるまで、がまんするよ。だが、こんなことは決してプラスにはならない
でしょうよ。」
 長年つき合ってきた集金婦人には罪はないことですが、つい口から出てしまいました。

 この手紙は千葉県のある毎日新聞の専売店の読者(78)からの手紙だが、年末に向かって、朝日毎日読売の全部ではないが、かなりの数の店で同様の読者切り崩しが行われている。商慣習、商道徳上からも取引契約上からも許されざる行為であり、今は我々も臥薪嘗胆しているが、実際に配達放棄などの読者に直接迷惑をかける行為が行われた場合は当然な措置をとるつもりである。

*統合版・・・新聞は1日1回発行するか2回発行するかで、24時間編集と12時間編集に別れる。統合版は1日1回発行で、基本的には朝刊で発行される。夕刊に載った記事が朝刊に載らないという事態が避けられる。

*朝夕刊セット・・・1日2回発行される新聞を朝刊と夕刊に分け、12時間毎の編集で、その時点での最新のニュースを届けようと考え出された仕組み。セット版の朝刊しか読まないと、夕刊に載ったニュースを見逃すという事態が発生する。

*夕刊離れ・・・生活サイクルの変化に伴い、深夜に帰宅する独身者や共働き家庭では、家に帰っても夕刊を読む時間がなく、朝だけ新聞を読めればいいとして、夕刊はいらないという読者が増えている。この10年で東日本だけで各紙併せて100万部減った。

*専売店・・・新聞販売店の取引形態の一つ。ある系統の新聞を専属で扱う販売店のこと。1紙しか扱わない場合は単専、自系統紙以外の紙も扱う場合は複合専売店、あるいは単に複合店という。全紙扱う場合は合売店あるいは完全合売店という。

*予備紙・・・実際に配達される、あるいは即売スタンドに出すための新聞の他に事故や急な読者からの注文等に備え、各販売店が店内に取り置く紙のこと。残紙ともいう。2年前までは、新聞公正競争規約で、実売注文部数の2%と定められていたが、現在は撤廃されている。販売店が折込対策等で自ら過剰に予備紙を持つことを積み紙と言い、発行本社が強制的に積ませると押し紙というが、本社と販売店の合意のもとにそれぞれの販売店が独自の予備紙を取っていることが多い。

*複合店・・・専売店参照。また、自系統の紙を他系統販売店に預けている場合その店のことを複合店と呼ぶ。自社系の店が専売店。

*不測の事態・・・現在行われている読者の切り替え工作の中には、正月から産経を配達しないと読者に宣言しているものが多数あり、多くは読者に切り替えを迫る口実と思えるが、中には本当に配達を投げてしまう店も出るかもしれないという事態。その対応のため、販売局員は全員元旦早朝出勤となった。何も起こらなければいいが、、、

※1・・・今回の妨害行動に当たり、各社は産経浦安店等がモニターと称して大幅な値引き価格で新聞を売ろうとしたことを非難し、また切り替えの口実としているので、これは自家撞着。

※2・・・上に同じだが、新聞協会と公取委の間で再販問題をめぐり、同一紙の提供は景品(新聞側見解)か値引き(公取委側見解)かとの議論に決着が着いておらず、三社側は景品だから違反との立場である。

※3・・・現在の新聞公正競争規約では新聞定価6ヶ月分の6%までの景品しか認められていないのでこれも違反。

※4・・・当然違反

※5・・・これだけだったとしても違反

新聞販売業界は朝読スタンダード(平成13年12月8日)
 世にグローバルスタンダードという言葉がある。私はこれをアメリカンスタンダードと呼んでいるが、日本の新聞販売業界のスタンダードも実は巨大な両巨頭朝日読売のスタンダードでしかない。その一例が、新聞販売に携わる者は白紙でも売るんだという、景品販売至上主義である。あるいは拡張団至上主義と置き換えてもいいだろう。さらには、部数は力という部数至上主義である。

 それはさておき、今回産経が首都圏で朝刊単独紙に生まれ変わるにあたり、朝読スタンダードが崩れるのを恐れる朝日読売の本社主導での産経に対する様々な妨害工作が繰り広げられようとしている。彼らにとってのスタンダードとはこの場合、@新聞は朝夕刊で売る物A客が朝刊のみを要望する場合には、極力夕刊を取らせるようにセット崩れ価格(朝夕セット料金から若干の値引きをした値段)で売ることB新聞は再販商品だから定価で売るのはもちろんのことだが、定価であっても自分たちのシェアを脅かすような低価格の商品の存在は許されない。C値上げはあっても値下げはないD新聞はセールスの競争によって売る物であって、価格政策によって売る物ではないE自系列の販売店は自社の所有物であって、そこに配達委託している別の社は寄生虫でしかない。従って、そのような社が自社の気に入らない販売政策をとった場合には販売店に圧力をかけ、その社の商品に対し、差別的販売行動を取らせることが出来る。。。。というようなことである。

 この朝読スタンダードに従ってきた結果、産経は東京80万大阪120万計200万という数字にずっと縛られて来た。今回産経がやっていることは、地方で朝刊単独紙(統合版)として読んでいるお客さんと同じ朝刊単独紙なのだから、料金を揃えようとしただけである。朝読だって、都内では朝刊のみ3700円なんて値段を認めても、地方では統合版定価3007円を店に厳守させているのだから。

 産経が200万前後でずっと推移してきたのは、もちろん朝読と同じ土俵で勝負してきたからだけでなく、産経の独自の主張が世に受け入れられなかったからでもある。しかし、時代は変わり、産経の主張が正しかったことが次々に証明され、風は産経に追い風、朝日には強烈な向かい風となっている。このまま、だまって産経の販売政策を許せば、自分たちの1030万、830万という部数が脅かされると考えたのだ。

 そこで、やってきたのが、余ってようが余っていまいが、とにかく部数減の注文を入れてくるということである。店としてはやりたくないのだが、社の命令だから仕方がないというところもあるし、この際だから配達部数ピッタリにして1円でも経費を浮かそうというところもあるだろう。多くの店は、その地区の平均普及率を大きく下回っているので、そういう店については、産経としてはまずは売ってもらうことをお願いしている。こんな普及率のはずがないと。しかし、所詮本家の紙ではないから身が入らないだろう。今後、そういった店がどう出てくるか。次は販売権をお返ししますという話になるかもしれない。それを朝読のみならず、毎日も一緒になってやってきそうな噂もある。全ての販売店がそんな考えではないと思うのだが、何せご本家様は鬼より怖い。その点、産経専売店にとってのご本家様は金はないけどハートはあるということで、鬼のご本社様ではないと私は断言出来るのだが。

 この件は今後しばらく続けて書いて行きたいと思うので、今日はここまで。

旅人新聞裏話のトップへ

横浜問題の解決にあたって(平成13年12月1日)
 横浜ベイスターズの筆頭株主問題が、白紙撤回という形で解決した。ナベツネがこの問題でギャーギャー騒ぎ初めて以来、最終的にはこれしか方法がないと思っていたが、まさしくその通りになった。これでめでたしめでたしとなればよいのだが、事はそう簡単ではない。

 そもそも横浜の親会社問題は、大洋ホエールズ以来のオーナー、マルハの経営不振問題から発している。横浜球団はここ数年来、横浜に根を張る市民球団として生まれ変わろうと、球団名から、親会社の名前をはずす、あるいは独立採算制など様々な運営方法を試みてきた。一方横浜を支える親会社のマルハは商業捕鯨禁止、経済水域200海里時代突入以来、経営不振が続いている。

 23年前、親会社として球団維持が難しくなった大洋漁業は第3者割当増資により、国土計画に45%の株を保有してもらった。その2年ほど前、国土の堤義明社長は飛鳥田横浜市長(当時)に頼まれて横浜平和球場の再建建設に携わっていた。ビジネスは知っているが野球を知らない堤氏は大リーグの球場の例を日本に初めて採り入れ、年間シートを売りさばくことによって横浜市が1円も建設費を出すことなく球場を作るノウハウを与えた。この縁と中部藤次郎オーナーとの友人関係で堤氏は大洋の株を持つことになったのだった。

 大洋が横浜スタジアムに移った年の秋、太平洋クラブ、クラウンライターと看板を変えながらライオンズを運営してきた野球好きの財界人、中村長芳氏がにっちもさっちもいかなくなって、堤氏のもとに駆け込み、球団売却を持ちかけた。堤氏は商売にならなければ意味がないので、西鉄以来の九州の球団、ライオンズを西武線沿線の所沢へ移転するのを条件に引き受けることにした。そして、球団購入と選手強化資金を大洋株を売却することで調達することにしたのである。その話をどこから聞いたか最初に飛んできたのが鹿内春雄ニッポン放送副社長(当時、後のFCG議長、88年死去)だった。鹿内氏は国土の持つ45%を20億で買うと持ちかけた。堤が買った値の3倍だったらしい。これなら、ライオンズを買って、選手強化して、中村氏に退職金も出せると堤氏は考えた。しかし、大洋本社はその株譲渡に待ったをかけた。45%全部を一放送媒体に売らないで欲しい、TBSと2:1で売って欲しいと。20億の2/3は約13億だが、鹿内氏はそれなら8億しか出せないと言った。ニッポン放送としては大洋の持つ巨人戦の放映権独占が目的で独占出来ないならそんなに出せないということだった。そして、その条件通りに株の売買が行われ、現在のマルハ55%、LF30%、TBS15%という持ち株比率が出来上がったのだ。

 この時点で既にフジテレビはヤクルトスワローズの株を6.7%所有していた。昭和45年にサンケイ新聞がヤクルトに球団譲渡した際、サンケイは1/15の株を残し、その後フジテレビにこの株を譲渡していたのだ。今回複数球団株の保有という野球協約に抵触するというならば、既にニッポン放送が大洋の株を持った時点で問題にすべきだったのだ。今年の2月フジテレビの持つヤクルト株の比率は20%に増えた。あるいはこのとき問題にすべきだったかもしれない。

 今回の一連のナベツネの発言を見ているとその狙いはフジのヤクルト株放出にあったようだ。今、ヤクルトは巨人のライバルとして完全に立ち塞がっている。先代松園尚巳オーナーの時は、オーナー自らが巨人ファンと称していたチームがである。そのヤクルトでFCGが大きな発言力を持っていることをなんとしても阻害したい。巨人中心の球界を維持したいということではないのか。横浜はチームとしては強くなってきたが、球団経営としては脆弱である。横浜は放っておいても潰れるから、ニッポン放送のオーナーは認める代わりに、フジをヤクルトから追放しようとしたのではないか。八百長など起きないことは、一心同体のコクドと西武鉄道の2チームがあるアイスホッケーが証明している。ましてや、LFとCXは同じグループとはいえ、全くの別会社だ。今回、ニッポン放送が横浜の筆頭株主になるにあたって、FCGの羽佐間代表と横浜の中部オーナーはナベツネに挨拶し了承を得ている。ナベツネの尻を掻いたのはどうやら堤氏らしい。彼らの本音は、協約改正と球界再編成なのではないか。西武としては、伸び悩む観客動員を打開するには巨人と同じリーグに入りたい。横浜・ヤクルト問題を契機に1リーグ制や新リーグへと動けば儲けものと堤氏が考えたとしても不思議はない。踊りを踊ってくれる大声の役者を使えば可能かもしれない。球界の盟主として権力をふるい続けたい読売と商売の思惑が絡んだ西武が一致して今回の一件を潰したとしか思えない。そのためなら、横浜なんか潰れてもいいのだろう。いや、むしろ、市民球団を標榜する横浜は邪魔なのだろう。

 可哀想なのはマルハだ。ハードルを更に高くされ、自分たちの理想を引き継いでくれる買い手を捜さなければならない。

 ちなみに、巨人は球団ではない。株式会社よみうりという会社のいち事業部だ。「よみうり」とは読売新聞中部本社・西部本社を包含する組織である。つまり巨人は新聞社そのものなのだ。

旅人新聞裏話のトップへ

拡張員はなぜいるか (平成13年10月3日)
 昔、まだ学生だった頃、今は亡き友人(東工大生)の下宿先でこんな現場を目撃した。2人でインスタントラーメンかなんか食べていたところ、何新聞か忘れたが、新聞の勧誘が来た。友人は最初開き戸を少し開けたが、相手がティッシュの箱を挟んで来たので、それを押し出して、ピシャッとドアを閉め、「いらねえって言ってんだろう」とでかい声で叫んでいた。何もそこまでしなくてもと思ったが、「相手してると30分も居座られるからいいんだ」という。

 また、あるときこれは読売新聞だったと思うが、うちに勧誘に来て、母が「うちは産経しか取りませんから」というと、その拡張員が「ああ、産経は安いからな」と捨てぜりふを言った。そこで、母は「安いから取ってんじゃないわよ」と言って、ドアが壊れんばかりにバーンと閉めてしまった。

 私が新聞社に入るなど夢にも思っていない頃の話である。うちの社に、ある県の販売店の会の会長の娘が社員として勤務しているが、彼女が新入社員の拡張研修のレポートにこんなことを書いていた。「子供の頃から店に出入りして遊んでもらっていたおじさんたちが、あんなに世間で怖がられ、嫌われているなんて初めて知った・・・云々」。そう、新聞拡張員(今、業界では新聞セールスマンと呼んでいるが、ここではあえて拡張員と書くことにする)は昔からそういイメージで見られていた。

 こんなに嫌われる拡張員を新聞社は何故使うのか。

 それは、新聞は紙面(商品価値)で増やすものではないからだ。拡張団というシステムを最初に構築したのは、故務台光雄読売新聞社会長である。彼は、報知新聞の販売担当者だった戦前に既に職業拡張員を導入し、戦後、読売新聞でそれを体系化した。彼はかつて、会合でこう言い放ったという。「白紙でも売ってみせる」と。戦後の物資の不足した時代、人々は新聞の購読どころではなかった。そこで、生活必需品である鍋釜を提供して購読させるのが職業拡張員の仕事になった。鍋釜が普及すると、次に大量消費される洗剤を配るようになった。かつて洗剤メーカーは新製品を作ると、新聞社に安く提供し、市場調査に使ったという話もある。

 こうして、インテリが作ってヤクザが売ると言われる、今の新聞販売手法が確立したのだ。当初は新聞を読まない人に無理矢理読ますために拡張員と拡材は誕生したのだ。しかし、新聞普及率が極限まで来ると、いつしか、その手法は相手の紙をたたき落とすための方法に変化し、拡材戦争はどんどんエスカレートした。無読の人に売るという原点はどこかに忘れ去られ、今また、新聞を読まない人が増えてきている。

 新聞社の担当員として、私もその方法を否定はしない。しかし、産経新聞は紙面で売ることも可能な新聞である。私は産経新聞を増やすためにはあらゆる可能性を試してみたいと思っている。拡張員の存在も含めて。

旅人新聞裏話のトップへ

新聞定価は安くない? (平成13年8月18日)
 最近、産経の熱心な読者の方々と話す機会が多く、産経好きの人は裏を返せば大新聞嫌いの人が多いため、次のようなことをよく耳にする。曰く、「新聞の宅配制度が選択の自由を奪っている」、「宅配をやめて、みんなスタンド売りにすれば、今のような、大新聞の奢りはなくなる」、「景品やセールス料など販売経費を使わなければ、(オール即売が)実現出来るはずだ」等々である。ある意味では当たっているし、私も賛同出来るところが多いのだが、実は困った問題がある。

 それは定価の設定である。新聞は返品を前提としない、販売店買い切りのシステムによって定価を決め、予算を立て、企業として存立している。発行本社や販売店が使う、景品やセールスマージンは確かにそれなりに莫大な金額ではあるが、インスタントラーメン業界の巨額のTVCM経費に比べれば総額、対小売価格比率ともはるかに少ない。新聞の場合は広告が取れるというメリットもあるが、不況の今、広告の比重は落ちているし、発行部数が安定しなければ、現在同様の広告料金は頂けない。

 新聞において最も比重が高いのは、紙代、インク代などの原材料費を除けば、人件費である。朝日、日経、読売の社員の給料がべらぼうにいいのはともかく、産経や毎日の社員の給料は、普通の電機メーカー等とさほど変わらない。しかも、我が社にしてみれば、過去2回の産経残酷物語と言われる大リストラの後、今でも少数精鋭主義でやっている。それでも人件費は膨大になってしまう。

 これが、安定部数を望めない即売中心の販売になれば、今の定価はとても維持出来ない。この春、公取委が、新聞を含む著作物6品目の再販存置を決定したが、再販の裏付けのある宅配制度のもとでこそ、今の定価が維持出来るということを是非理解して欲しい。そして、今の1部売り定価は、あくまで月極定価から逆算して決めたものであることも理解して欲しい。オール即売となれば、TVCMとは言わないが、返品を前提とした価格算出をしなければならず、今の1部100円強では無理である。産経は9月1日から、1部売り定価を現行の110円から100円に値下げするが、それだってあくまで宅配へのハネ返りを見込んでの戦略的価格である。

 今、産経を読んでいない皆さんは、是非当社の意のあるところを汲んで、ワンコインで買いやすい産経を駅売店等で買って、他紙と読み比べて欲しい。

 今回は初回ということで、業界と自社の自己宣伝になったが、今後本格的な裏話になるかも。。。。。

旅人新聞裏話のトップへ

旅人のほーむぺーじ トップへ

このぺーじだけブックマークしている不逞の輩がいると聞いたので、トップページのアクセスカウンターの出張所を設けました。