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   旅人お気楽極楽    
このコーナーでは、旅人が日頃の生活の上で体験したことなどを適当に綴っています。タイトルの「おきらくごくらく」はあのCXの不朽の名作「ウゴウゴルーガ」から頂きました。
<目次>

早稲田には永久に勝てない気がしてきた(平成16年12月5日)
@yahoo.co.jpから来るメールは見ないぞ(平成16年11月23日)
劇場型台風(平成16年10月23日)
台風上陸のおそれ?!(平成16年10月10日)
さよならセンプラ(平成16年9月14日)
今さら人に聞けない(平成16年8月23日)
タッチ(平成16年8月8日)
選挙(平成16年7月11日)
豚丼(平成16年5月30日)
ただひたすら眠い(平成16年4月18日)
電飾狂想曲(平成16年1月4日)
レインボーブリッジから北アルプスが見える?(平成15年12月21日)
君と歩いた青春/流星・後藤由多加栄光の軌跡(平成15年10月29日)
不起訴嫌疑不十分(平成15年10月23日)
ニコニコ日記(平成15年10月13日)
レントゲン→CT→MRI(平成15年10月11日)
スーパー銭湯(平成15年8月13日)
うちのビルって学園祭みたい(平成15年8月12日)
火星大接近(平成15年8月3日)
更新しない(平成15年8月2日)
渋滞しない(平成15年6月15日)
ヤフオクで負けた(平成15年4月4日)
税務調査にも活用される旅人のほーむぺーじ(平成15年4月2日)
休みは先に取れ(平成15年3月16日)
ジョイサウンドはいい(平成15年2月19日)
首が据わってない(平成15年1月10日)
今までの帰省渋滞って何だったの(平成14年12月29日)
THE SHOW MUST GO ON(平成14年12月22日)
その日は近づいている(平成14年12月18日)
マネジメントアナリシスのITコンサルティング(平成14年11月20日)
車上荒らし(平成14年11月14日)
さん付け(平成14年11月2日)
今年の冬は寒いかも(平成14年10月29日)
ノーベル化学賞(平成14年10月10日)
夏休みと喪失感(平成14年8月18日)
ネクタイ(平成14年8月3日)
今やなくてはならないもの(平成14年7月29日)
遺言(平成14年7月15日)
フーリガンは来なかった(平成14年6月23日)
ニッポン・チャチャチャ(平成14年6月13日)
やっぱり書かずにいられない(平成14年6月9日)
恐るべしセブンイレブン(平成14年5月16日)
スキンヘッドにしてみて(平成14年5月6日)
今日はいいものを見た(平成14年4月27日)
旅人のほーむぺーじは商用サイト?(平成14年4月26日)
前門の痛風、後門の免疫不全、側面の薬漬け(平成14年4月7日)
気力は体力をどこまでカバー出来るんだろう(平成14年3月29日)
ぎりぎりで止める(平成14年3月3日)
旅人のほーむぺーじの未来予想図(平成14年2月24日)
スパムメーラーになってしまった、かも(平成14年2月3日)
やたらとアクセスが増えた訳(平成14年2月2日)
NHKラグビー中継副音声のわかりやすいラグビー(平成14年1月28日)
日本の教育もまだ捨てたもんじゃない、かな?(平成14年1月5日)
痛風の思わぬ副産物(平成13年12月12日)
ウィルスとアンチウィルス(平成13年12月2日)
ついに来た痛風大発作(平成13年11月24日)
今年のしし座流星群(平成13年11月23日)
初めて見た雲の上のカミナリ(平成13年11月12日)
おそらく今、エシュロンは機能不全(平成13年10月18日)
ドコモ圧勝でもない現実(平成13年10月1日)
交通事故は偶然の積み重ねで起こる(平成13年8月22日)
いつまで愚行を繰り返すのか(平成13年8月18日)
久々に拓郎のつま恋を聞いて(平成13年8月14日)
今年も炸裂!CHB高速花火大会(平成13年8月12日)
健康補助食品って一体何だ(平成13年6月15日)
交通事故死の確率は決まっている?(平成13年6月14日)
ソリューションはイリュージョン(平成13年5月19日)
この道はいつか来た道(平成13年4月10日)
女性は何でダイエットする?(平成13年3月31日)
女性は何で化粧する?(平成13年3月30日)
ついに仙台上陸(平成13年2月11日)
2年振りのミスチル(平成13年2月3日)
チェーンを禁止しろ(平成13年1月31日)
雪用タイヤ(平成13年1月27日)
白線流しを観て(平成13年1月20日)
雪の長野にさようなら(平成13年1月19日)

早稲田には永久に勝てない気がしてきた(平成16年12月5日)
 といっても、そもそも受験の偏差値をはじめとする学力では最初から負けているのだが、もちろんこれは80回目を迎えたラグビー早明戦の話である。今日は久しぶりにテレビでラグビー早明戦を見た。見たというか見ていられなかった。そもそも、フォワードの平均体重で早稲田の方が重いなんて、いつの間にそんなおかしな世の中になったのか。私が現役明大生で早明戦を国立に見に行っていた頃のフォワード平均体重は10kg近く差があった。そこで押す明治、しのぐ早稲田という面白みがあったのだが、フォワードも重い、伝統のバックスは健在というのではそりゃあ早稲田の圧勝になるでしょう。

 30点差。これが現在の差なのかもしれない。リーグ戦に最初大東大、続いて関東学院という突然変異のように現れた有力校のため、有望な高校生は分散する傾向にあり、北島御大という精神的支柱、巨大な金看板を失った明治にはかつてほど高校のスーパースターが入らないのかもしれない。それでも、高校日本代表または候補という選手がフィフティーンの内8人いるのだから、まだまだ捨てたモンじゃない。しかし、今日のゲームを見ていて、モールが押せない、スクラムが押せない、サイドが突破出来ないといった姿が目立ち、本当に見るに忍びない試合になってしまったものだと思った。かつてはトヨタの監督を務めた境監督も大変だなと思う。

 北島監督の死後、いろいろな事件が起きたことも影響しているかも知れない。かつて北島監督の下、長い間ヘッドコーチを勤め、コーチでありながら関東協会理事長まで務めた斉藤ォコーチが、自損事故なんかでラグビー界から引退していなければ、、、などと思ってもしょうがないのだが、やはりどこかで歯車が狂ってしまったような気がする。あと、5つで勝ち負け同数に追いつくと言うところまで来ていながら、この5連敗であっという間に元の木阿弥になってしまった。悲しいが今の状況ではこのまま私の目の黒いうちに早稲田に勝ち越すことはおろか、私の生きてる間は早稲田に勝てないのではないかと思ってしまう今日のゲームだった。

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@yahoo.co.jpから来るメールは見ないぞ(平成16年11月23日)
 毎日毎日50通以上のメールを頂くのである。1/3は@yahoo.co.jpというドメインからやってくる。半分は外人さんの名前で外国のドメインからやって来て、残りの1/6がユーザー登録している様々なサイトからのお知らせと仕事やプライベートのメールである。会社の問い合わせ専用アドレスに至っては放っておけば日に500通はスパムメールが来る。いつからこんな事になってしまったのか。というより、毎日漸増しており、私のページの場合には半年前には日に10通程度のスパムしか来ていなかった。まあ、自分のホームページに直アドレスを貼ってあるのがいけないのだが、このサイトを始めた5年前には考えもしなかったことだ。

 @yahoo.co.jpのドメインからやってくるメールはその大半が出会い系サイトのそのものズバリもしくは引っかけものである。かなで〜す、とか、お願い、とか、この間は楽しかった、とかついつい見てしまうのだが、中身を見ると何のことはない、出会い系サイトのお誘いである。巧妙なやつは、1回目にはサイトのアドレスや返信用のアドレスなど書かず、あたかも私信であるかのように装っている。うっかり返信などしようものならどんなことになるか分かったものではないのだが、考えてみれば既に相手は私のアドレスを認知しているのだから、まあそれ以上のことはないだろう。

 問題は私の使っているニフティにしても、その他のプロバイダーにしてもサーバー容量に制限があることで、ある一定数以上のメールが溜まると古いモノから削除されてしまう。幸いにして旧ニフティサーブ会員である私の場合、1000通(容量がオーバーすればそれまで)まで保存されるからまあ今の調子なら大丈夫だが、会社の問い合わせアドレスのように日に300も500も来るようになるとやばい。そもそも削除が面倒だ。会社のメール担当者の1日の仕事は一晩で200通という無駄なメールを削除することから始まるのだが、無造作にやっているとお客さんの本物のメールまで間違って削除してしまうことになる。英語や文字化けのタイトルは条件反射的に削除してしまうので、件名の書いてないメールなんか大事な問い合わせでも即ゴミ箱行きである。(私は最近、購読申込ページのメールでのお問い合わせの項に件名を日本語でと付け加えたくらいだ)

 会社のはco.jpだからだろうが@yahoo.co.jpのインチキメールはあまり来ないからいい。しかし、1日20件もの@yahoo.co.jpメールが送られて来て、しかも99.99%スパムだとすれば、これはもうヤフーメールは条件反射的に削除するしかない。送信元アドレスを詐称してようがなんだろうが、もうこれはヤフーとしても信用問題のはずである。一体どう考えているんだろうと他人事ながら心配になるが、自分の周りにもヤフーに会員アンケートやってもらおうなんてお人好しがいるんだからやっぱり他人事ではない。ヤフーの会員なんてのは何百万アドレスあろうがそんなもの実体なんかないと声を大にして言い続けるしかないだろう。同じヤフーでも@ybb.ne.jpならまだしも信用出来るぞと一応フォローはしておくが、いずれにしても@yahoo.co.jpのアドレスから来たメールは無条件に削除される可能性があるので、@yahoo.co.jpドメインで普通にメールしているあなたも気をつけた方がいい。 

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劇場型台風(平成16年10月23日)
 台風23号は超大型の名にふさわしい傍若無人ぶりで10月20日昼から21日朝にかけて、四国・近畿・中部・関東地方を串刺しにした。当初の予想進路のほぼ真ん中を進み、高知、大阪、奈良、滋賀、岐阜、長野、山梨、東京、千葉を抜けて太平洋へと抜けて行った。前回22号が予想進路の東側を進んだのに対し、今回は東側を進んでくれれば、「台風上陸のおそれ」で済んだのに、ずばりど真ん中、串刺しコースまっしぐらとなってしまった。上陸前の勢力が暴風域半径800kmという日本列島まるごと暴風域に呑み込む大きさの台風だ。

 今回の台風はNHKで一日中台風中継をやっていて、まさしくゴールデンタイムに日本のど真ん中を台風の目が突き抜ける様が全国民注視のテレビの中で展開していた。だまってテレビを見ていればいいのだが、今回も台風を甘く見てえらい目にあったり、果ては最悪の事態を迎えた人達もいる。思うに、日本人はもはや、台風も地震も噴火も事故も殺人事件も戦争までも、スクリーンやブラウン管の中のこととしてしか見られなくなっているんじゃないか。自身に降りかかる危険として実感出来なくなっているんじゃないだろうか。

 人は痛い目に遭うと次は警戒する。例えば、やけどという感覚は実際に熱いモノに触れて熱い思いをして初めて、熱いモノに触れればやけどするという感覚を得られる。しかし、テレビで見たやけどは、実際に熱さを感じないから、やけどの恐ろしさを実感出来ない。寒さは暖房の効いた部屋にぬくぬくとしていたら実感出来ないし、寒さに強くなるためには、少しずつ寒さに慣れなければ寒さに打ち克てない。戦争体験を風化させるなというのはどちらかと言えばサヨクの定番の文句だから、あまり好きではないが、もはやまったく身近に戦争を体験しなくなった国民はやはりある時突然暴発する危険な国民になりつつあるのではないか。全ての戦争に反対し、戦争に関わることを避け続ければ、いずれは破滅的な戦争で滅びていく国民になるような気がする。戦争も取捨選択して経験していかなければ普通の国、国民ではない。

 台風が自分の生命に危機をもたらすものと考えれば、まず出歩かないこと、ましてや屋根など登らないことが肝要である。どうして毎回屋根から滑り落ちて死ぬ人が出るのか、不思議で仕方ない。台風の進路にないからといっていい気になって北海道や九州でゴルフやってるとその内大変なことになるだろう。

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台風上陸のおそれ?!(平成16年10月10日)
 台風22号は史上最大級の名にふさわしい傍若無人ぶりで10月9日午後から夜にかけて、関東地方を席巻していった。当初の予想進路の最も東寄りを進み、伊豆半島、三浦半島から千葉茨城を抜けて太平洋へと抜けて行った訳だが、予想進路のセンターを進めば関東から東北まで串刺しになっていたことは疑う余地がない。昨今の進化した気象観測&予測技術なら、予想進路の外側へ外れることなど余程の別条件が発生しない限り考えられない。つまり、今回の台風は「上陸のおそれ」ではなく、「上陸確実」だったのだ。しかも、上陸前の勢力が920hPaという空前の低気圧だ。

 しかしながら、テレビニュース、新聞の1面見出しとも、あくまで、「上陸のおそれ」だった。おそれもへちまもあるか。この史上最大級の台風は絶対上陸するし、上陸しなくたって、かすめるだけでどれだけ被害が出るか分からない。台風の影響のない北海道辺りでのんびりゴルフでもやってれば危機感もないだろうが、まさしく台風の進路に串刺しされようとしている地域で仕事していた人間にしてみれば、もっともっと危機意識を持って台風への備えをしなければならなかったはずである。昔は台風が来るといえば窓に板打ち付けて、家の中でじっと過ごすというのが、台風に対する備えの定番だったが、今はそんな話は聞かない。遠くから飛んでくる看板で窓が割れることだって今も昔も変わっていないのにである。

 台風という天災に対して何か鈍感になっていないだろうか。その一つの現れが、「上陸のおそれ」という言葉だ。上陸するに決まってるのに「上陸確実」とは言わない。これはまさしく井沢元彦氏言うところの言霊信仰の現れだろう。台風が上陸するなどという縁起の悪いことは言わないのだ。「おそれ」というのは普通、まあ悪いことが起こらない方が確率が高いがもしかしたら起こるかもという場合に使うはずの日本語である。今回の台風で言えば数日前から直前までの予測円ではもしかしたら、かすめるだけかもというくらいのもので、「東海関東を直撃へ」というのが、正しい状況説明であり、読者・視聴者への警告になったはずだ。しかし、「上陸のおそれ」という言葉は、うまくいけばそれるんじゃないかという期待を見聞きするものに与える。今回の台風は史上最強の台風で関東を直撃するから十二分の警戒が必要ですよという明確なメッセージを見出しの上で訴えるべきである。確かに本文ではこの10年で関東に接近(接近もどうかと思うが)する台風の中では最大級という表現をしているが、見出しの与えるインパクトに比べれば印象に残らない。それほど見出しは大事なはずである。

 おおかみ少年に陥るのを避けたいという心理もあるだろうが、危機に際しては、声高に危険を警告しなければ多くの人が危険にさらされる。私辺りが会社ででかい声で叫ぶのもその意味でなのだが、あいつはうるさいなで終わってしまう。台風も年に9個も上陸するようではまた台風かで終わってしまいがちだ。しかし、台風が地震や火山噴火と同じく恐ろしい天災であることに変わりはない。言霊にとらわれている場合ではないのだ。上陸確実なら上陸確実とアナウンスして欲しいものだ。

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さよならセンプラ(平成16年9月14日)
 おかげさまで無事かつ強引に夏休みを取った私は、今日久々に千葉市内に車で出かけたのだが、そこで恐るべき光景を見てしまった。それは、千葉セントラルプラザの解体工事現場だ。通称センプラと我々が呼んでいたその建物は、かつては奈良屋百貨店という県内でも老舗の百貨店で、屋上に観覧車があった。すぐ近くの田畑百貨店や扇屋百貨店と並んで千葉市三大百貨店だった訳だが、「たばた」が火事で「パルコ」になり、程なくして「ならや」は「三越」と提携して「ニューナラヤ」となり、国鉄千葉駅の近くへ行ってしまった。そして、奈良屋のビルをそのまま改装して出来たのがセントラルプラザである。残念ながら観覧車はなくなってしまった。小学校3年の頃だったらしい。そのセンプラ、千葉市で最初のプレイガイドがあり、これまた千葉で最初のタウン情報誌「フリータイムズ千葉」の編集部があったことで、用もないのによく出入りしていた。また、県下最大級の多田屋書店があったこと、レコード屋も楽器屋もあったことで、中学から高校にかけては年がら年中入り浸っていたものだった。

 高校時代は、放送部の連中といつもつるんで国鉄千葉駅や京成千葉駅まで歩いていたので、帰りに何かしらの用があって立ち寄るスポットだった。大半が多田屋での立ち読みだったが、サーティーワン・アイスクリームで月末にくれるカレンダー目当てに行くとか、何かと言えばセンプラ、とりあえずセンプラと寄っていたものだ。吉田拓郎のコンサートチケットを買うためにセンプラの前で徹夜で並んだこともある。これは何だ。そう、いわゆる青春の一コマだ。若き日の想い出のたくさんつまった場所、それがセンプラだったのだ。

 そのセンプラが3年前についに閉店した。社会人になってからは、高校の文化祭を見に行った帰りに打ち上げで寄るくらいしか行かなくなってしまっていたが、閉店はさびしく、ビルの壁に大規模な落書きがされて社会問題化したりしていつもなんとなく気になってはいた。しかし、いよいよ解体というのは知らなかった。閉店の跡はどうなるんだろうなどと思いながら、忘却の彼方になりつつあった。そのセンプラが解体されている。東京サンケイビルが新ビル建設のため解体されたときは、既に新ビルの住民になっていたし、老朽化していたのだから仕方ないと思いつつ、解体工事を新ビルから見下ろしていても、さほどの感情の揺さぶりはなかった。たかが10年(おいおいそんなにいたのかよ)住んだだけだし。

 しかし、今日偶然近くを通りすがって、あるべき所にあるべきものがないのを見たとき、思いっきり寂しさが溢れてきた。まさしく、「えっ。。。。。(絶句)」という感じだった。工事はもうほとんど終わっており、今月末には終了するらしい。工事の標識を見たが、解体工事とあるだけで、○○ビル建設工事じゃない。ということは、当分ここは駐車場か。こんな、千葉市中央のスペシャルなかどっこで、新ビルのあてなしにただ解体されるなんて。諸行無常、盛者必衰を思い知らされた気がした。まさしく青春の一コマそのものであるところの、あのビルが今はもうない。

 ただひたすら悲しいとしか言いようがない。今日私は、出身高校の滅亡しようとしている放送部に苦言を呈するために千葉市内に出かけていったのだったが、先制パンチを食らってしまった。高校を訪問した後、私はすぐさま高校時代の友人の墓へお参りに行ってしまった。かつて、一緒に放送部で泣き笑いし、センプラでバカ言いながら立ち読みしたり、レコードを漁ったりした友の墓へ、時代がまた一つ終わったと報告をしに。そして、さよならセンプラともう一度現場へ戻って心の中でつぶやいたのだった。

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今さら人に聞けない(平成16年8月23日)
 今さら人に聞けないというキャッチが密かに流行っているらしい。フジサンケイビジネスアイのPR版に日銀って何?というフレーズが載っていて唖然としたが、いくら日経が書かないと言っても小学生じゃあるまいし、そんなことも分からないようじゃ、新聞読む以前に字も満足に読み書き出来ないだろう。うん?そうか、だいたいうちのガチャピンあたりがその程度なんだから仕方ないのか。前回書いた、最近コンビニの棚をにぎわせているマガジンブックの中にも今さら人に聞けない常識辞典のようなものが結構目立つ。うちのガチャピンさんもあまりにも常識が無いのでその手のマガジンブックを1冊プレゼントしてやったのだが、やってから1ヶ月以上経ってODAって何だって聞いても判らないくらいだから、きっと読んでないのだろう。

 そう考えると本当に日本の未来は暗いものに思えてくる。どう考えても文部省の推進したゆとり教育の弊害としか思えない。昔は中学校で習っただろうと言えば、何か聞いたような気がするけど忘れちゃったよなんて答えたものだが、今じゃそもそも授業に出て来ない事が多いんだからしょうがない。ゆとり教育という教育の内容がどういうものかよく分からないが、最近の若いのは知識もないが考えるということも不慣れのようだ。自分で考える習慣がないから、ちょっとしたことでも考えもせずに人に聞く。人に聞けばまだいいが、聞きもせずにとんちんかんなことをやって先輩を困らせてくれる。幸いうちの新人は聞く方だが、聞く内容がとんちんかんで困ったもんだ。

 これが、うちの新人だけがたまたま馬鹿なだけだったらいいのだが、先日、恒例の花火大会の時に久々に会った、IT系の会社に勤めている同級生が言っていた。「最近の考えの浅い20代には絶望してるよ」と。ITソリューションの会社の若手が考え浅かったら、うちのような文系会社どうすりゃいいんだろうと思うのだが、ことほど左様にきっとそこいら中で同じように嘆いている人がいるに違いない。先程、女子マラソンを見ていて、解説の有森裕子が、50m後ろから迫る選手の気配は分かるのかと聞かれ、自分が通り過ぎた後も沿道の歓声が続いているとどのくらい後ろに敵がいるのか想像が着くと言っていた。オリンピック代表選手はその道のプロだから、経験則から判るだろうが、普通の考えの浅い20代だったら、自分への歓声がずっと続いているくらいに考えてしまうのではないか。何事も起こる事象には因果関係があるということが分かっていない。朝のインタビューを聞いている限りでは、金メダルを取った野口みずきも考えの浅い20代かもしれない。

 考えが浅い、考えが浅いと言っているが、考えるためにはその土台になる経験、知識が必要である。その経験、知識がゆとり教育のおかげで例えば我々の世代に比べると3割くらい少ないのではないか。社会に出てから、これをどうにかするのは並大抵ではない。既に頭は固くなり始めているわけだから、なんとか頭をほぐすところから始めなきゃいけないが、とりあえず、絵クロスでもやらせて因果関係を探る勉強でもさせますか。

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タッチ(平成16年8月8日)
 ちなみに「みゆき」も読んだのだが、あだち充のかつての大ヒットマンガである。先日たまたま家へ帰る電車の中で網棚に乗っていた、あだち充作品集的な雑誌を読んだのがきっかけである。「タッチ」はかつて亡くなった友人が愛読しており全巻借りて読んだ記憶があるのだが、改めて全巻読んでしまった。所詮マンガだから別にここで内容について評論しようとも思わないのだが、タッチもみゆきもテレビで見なければ面白いマンガである。紫門ふみにしても何にしても、テレビになるとどうしてこうもつまらなくなるのだろうと思うのだが、それも今日の主題ではない。問題はこの「あだち充作品集」的な代物である。最近コンビニの雑誌棚でよく見かけるのだが、弘兼憲史の「課長島耕作+マガジン」なんてのもあって、思わず「加治隆介の議」をまた全巻読もうかなと思ってしまったほどだ。人気作家の作品を3〜4作第1回から数回分ずつ雑誌形式で掲載していくものだが、うっかりそれにはまると、漫画喫茶で全巻通し読みをするはめになる。つまり、そうしてはまった結果、今回、「タッチ」と「みゆき」の全巻制覇を成し遂げてしまったわけだ。

 出版社がこうした企画モノを出すようになってきたのは、やはりコンビニの影響が大きい。コンビニ売り専用のB6ワイド版やB5の雑誌型単行本が大流行である。一方で復刊した漫画アクションは「同棲時代」や「女ともだち」といった大昔のマンガの復活版を掲載している。通常出版社はマンガ雑誌に載せ、それを単行本化して一粒で2度おいしい(作家にとっては単行本が売れなければちっともおいしくないらしいが)商売をしている。それが、こうした企画モノで3度おいしい思いが出来るのだから、コンビニさまさまなはずだ。一方で私の大好きな漫画喫茶の影響もある。法的には実に面倒な問題(レンタルビデオCD屋は著作権料を払うが、現行法では漫喫は払わなくていい)を含んでいて、作家や出版社が訴えようにも訴える事が出来ず、アピールを出すなど運動はしているもののあきらめが先に立っている漫喫と新古書店だ。漫喫や新古書店のおかげで、ある一定の発行部数は確保出来ても爆発的なヒット単行本は今後なかなか出ないだろう。この、誰もが漫画喫茶で単行本を読めてしまうと言う状況に対する、出版社の企画で勝負といったところがコンビニと組んだ雑誌型単行本と○○作品集なのではないか。

 しかし、この作品集、実は漫画喫茶の集客に貢献してしまっているのではないかというのが、今回突然「タッチ」全巻制覇してしまった私の感想である。小学館だって今更「タッチ」の単行本が売れると期待している訳ではないはずだ。こういう思い切って古い(ちなみに「タッチ」は昭和50年代末の作品、そう、あなたが生まれた頃ですよ)ものなら我々のような中年になったコミック世代(ちなみに「タッチ」は高校から大学にかけて少年サンデーに連載されていた)は、コンビニに置いてあるとつい買ってしまうという、まさしく中年の懐古趣味をターゲットにした素晴らしい企画である。だが、困ったことに後を引く。そこである一定の人は次号に期待し、またコンビニに足を運ぶ。一方、漫喫を利用し慣れた人は、速攻漫喫に飛び込むと言うわけだ。それが証拠に、私が最後の4巻を読んで棚に戻しに行ったとき、2巻から9巻までが無かった。誰か同じ考えの人が読んでいるのだ。2人の違いは4巻ずつ読むか8巻ずつ読むかの違いだけである。

 漫画喫茶を法的規制に乗せると言っても、結局は一定の、雀の涙のような著作権料を払わせるだけだろうから、そんな労力を使うよりは、一粒で3度目の新しい企画を考えてコンビニで売った方がはるかに利益が上がる。出版社の企画の苦悩はこれからも続くだろう。

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選挙(平成16年7月11日)
 参議院議員通常選挙である。お気楽極楽に書くからには政治的な話ではない。21年前に選挙権を得て以来、おそらく延べ40近い選挙があって、30回近い投票機会があっただろう。そのうちやむなく棄権してしまったのがほんの数回あるが、ほとんどの選挙は投票してきた。大部分が自民党候補だったが、自由党が存在したときは自由党に、新進党が存在したときは自民か新進か迷いつつ投票してきた。小泉純一郎が首相でなかったら、迷わず民主党というところなのだが、実に悩ましい今回の参院選であった。あったと言いながらまだ投票に行っていない。これからなのだが、既に投票する人は決まっている。今回は選挙区は自民党だが、比例区は友達に頼まれた民主党の某電気メーカー労組候補に投票することにした。今までは必ず自分で考えて投票していたので、今回だったらきっと比例は竹中平蔵だっただろう。しかし、いつもいつもお世話になっている友達が、電話一本で済むところ何回もハガキや手紙を送ってくるのでは、それを無にする訳にはいかない。そう言うわけで今回は民主党だ。これが民主党だから投票するが、公明党や共産党だったら絶対しないし、そんな奴はそもそも友達じゃない。もちろん、私の身の回りに学会員の人が居ないわけではないが、その人達は別に言って来ない。

 まあ、そう言うわけで今回初めて人に頼まれて投票する訳だが、それだって、民主党の旧社会党=総評官公労系の候補だったら投票しない。だからやっぱり候補者で選んだんだという言い訳を自分にするためにこれを書いていると言うわけだ。でも、人に頼まれて投票する人ってやっぱり多いんだろうな。そこいら中にある共産党系の病院なんて死んでも行っちゃいけないなと改めて思う。

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豚丼(平成16年5月30日)
 吉野家の牛丼がなくなってはや3ヶ月。カレー丼ってやつは出た当初にすぐ食べてみた。なか卯や松屋の豚丼豚飯も割と早い時期に食べてみた。しかし、吉野家の豚丼だけはなかなか手が出なかった。別にファンというわけではなかったが、牛丼に関しては絶対吉野家のが一番と思っていたから、カレー丼や焼鶏丼など別メニューとして導入したものでなく、まさしく牛丼の代用品として導入された豚丼に関しては、先入観もあり、まずかったらがっかりするという想いもあって食べる気が起きなかったのだ。先日、思い切って(そんなたいそうなことかい)吉野家の豚丼を食べてみた。

 がっかりしたというのが正直なところである。米国産牛肉の輸入禁止措置が続き、牛丼販売停止に追い込まれた時、オーストラリア産など他の牛肉に変えない理由を吉野家は何と言ったか。「当社が使用しております牛肉は、当社独自仕様の米国産ショートプレート(バラ肉)で、米国以外の国から一定量を安定的に調達することは非常に難しい状態です。」というのがWeb上の吉野家公式見解であり、当時の新聞等では、永年米国産バラ肉に吉野家独自の味付けをしてきたため他の牛肉で代用するのは困難とのことであった。それはその通りなのだろう。穀物を食わせて育てる米国牛と牧草で育てる豪州牛では味も違って当たり前だ。問題なのは、吉野家の豚丼と銘打って出すにあたって、味付けは牛丼を踏襲してはいないものの、豚肉のスライスの仕方がまるっきり牛丼だということだ。一言で言えば食った気がしない。同じスライスでこれほど違うものかと思い知らされた。豚丼は牛丼の牛を豚に替えて生姜を入れたりして味を変えてはいるが、スライスを牛丼と同じくすることによって、牛丼風に見せているのである。はっきり言って牛丼風の豚丼はうまくない。なか卯の豚丼の方がよっぽどいい。吉野家の芸の無さに唖然とさせられた。牛丼界の雄が転落する様を見せつけられるようである。これなら小学校の給食のカレーのようなカレー丼の方がまだましである。牛丼戦線でダントツだった吉野家も、単品至上主義のつけで他の味を作ることに関して、後塵を拝してしまったというのは間違いないようだ。今後何か豚丼が変わったとかのインフォメーションがない限り、吉野家の豚丼を食べることはないだろう。

 それにしても恐ろしいのは、こんな状況でありながら、未だに新規出店していることだ。先日千葉市の中心部を歩いていて、おいおいこんなところに吉野家あったっけっていうど派手に目立つところに新規出店していた。そこは、丼系ファーストフードの集中している所なのだが、こんなところに今の手負いの吉野家が出店して大丈夫なのかと他人事ながら心配してしまった。店舗数拡大(という名の自転車操業)こそが経営危機を回避する手段なのだろうか。米国産牛肉の輸入が再開してもハンナンはもう当てにならない。吉野家が今後どうなっていくか、豚丼は食わないが注目し続けようと思う。

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ただひたすら眠い(平成16年4月18日)
 気がついたら、3ヶ月もこの三大コラムを書いていない。暇がないと言えばそれまでだが、これだけ開く程時間がない訳ではない。時間は確かに多少はあった。しかし、1月15日に内勤への内示が出て以来、今日まで文章を書く気が起きなかったのも事実だ。担当員と内勤の最大の違いは、プレッシャーである。正直言って、担当やってる内の方が時間は作れたが、極端な話人の命まで背負っているプレッシャーがあった。内勤になるとそういうプレッシャーはないが、処理しなければならない事務量に応じて時間が削られて行く。特に今のポジションは何もなければさほどでもないだろうが、転宅時期でなおかつフジサンケイビジネスアイの新装刊とそれに伴う大キャンペーン、さらには最近産経が手を染めたスポンサー企業による一括大量購読と、近来まれに見る本社カードが大量生産されている。その連絡作業も膨大だが、その事によって再生産される大量のクレーム処理と本社一括集金読者の増大に伴う振り替え作業と事務量はかつての数倍、数十倍である。コンピュータと通信が発達しているから出来ることで、そうでなければとっくに放りだして逃げ出したくなる程の事務量である。ある意味新聞社の販売局がかつて経験したことのない事務量ではないか。私は担当員時代、どちらかと言えば自由放任主義だった。新聞販売業界が永年築き上げて来た販売店というシステムが、新聞社の経営のためにも紙を増やすためにもやはり最良のシステムだと思うからだ。販売店というシステムについてはいずれ新聞裏話で書こうと思っている話なので、ここでは触れないが、最近うちの社も含め、どの社も社主導で店を縛り付ける販売政策に大きく傾いていて余りいい感じがしない。

 そんなこんなで気がつけば、4月も半ばを過ぎている。2月、3月はひたすら走りまくった感がある。自分がこんなにタフだったのかと思うくらい、生活のほとんどを会社で過ごし、これだけ無茶な毎日を送って、風邪一つひかない。4月に入り、ようやく先の3つの事柄がひと山越え、多少気持ちにも余裕が出てきたと思ったら、あの3ばかトリオの事件である。まあ、新聞社として号外ネタというのは避けて通れない仕事の一つだからしょうがないが、結局ただの人質事件でなく、左翼に政治利用された極めて政治性の高い事件として注視し続けざるを得なくなった。そんなこんなで、この2ヶ月半走って来たわけだが、その後遺症か、最近時間があってちょっとふかふかのイスに斜めに座ったりするとすぐ寝てしまう。寝ても寝ても眠い。春眠暁を覚えずの時節柄より一層眠気を誘うようである。17年間の社員生活とその大半を占める担当員人生に身体が蝕まれているのもあるが、この2ヶ月半の物理的な忙しさが余計に身体を痛めつけているようである。まあ、まだまだ忙しさは続くわけだが、眠れるときは眠ろう。出来れば1回入院して何もかも忘れて眠り続けてみたいものだ。

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電飾狂想曲(平成16年1月4日)
 この年末年始もそこいら中の家々でクリスマス・イルミネーションが輝いた。それは数年前から町田市の緑山を中心に流行り始めたらしい。家庭の門、塀、壁その他にクリスマスツリーにつけるような電球をつなげたものをつけて、夜、家を飾り立てるものだ。商店やレストランなどがやるなら分かるが個人家庭がやるのは一体全体どうしたことか。そもそも電飾とは商業用は言うまでもなく、果ては神戸ルミナリエや東京ミレナリオ、あるいは仙台の光のページェントの様に大々的なものに至るまで、人に見せることでその意味を見出すものである。個人宅の電飾は基本的にはその全貌は家の中から見えない。つまり、通行人や隣近所に見せる事を目的として飾り立てているのだ。緑山では並びの家が片っ端から電飾をやっていて、車で観光に来る人が絶えず、一昨年あたりから自粛し始めたらしいが、100円ショップでも電飾が買えるようになって、もはや流行ではなく一般的と言えるような状態になってしまっている。我がマンション群でも結構な数の部屋でベランダに電飾していたし、この田んぼの上に出来た新興住宅地では緑山に負けず劣らずの強烈な電飾合戦を繰り広げていた。実は私も結構電飾を見るのは好きなのだが、悲しいかな11時を廻るとほとんどの家が消してしまう。消すぐらいなら点けるるなよと言いたい。

 かくしてそこいら中が電飾だらけの平成15年の年末となった訳だが、これはやはりその大本のミレナリオなどの影響が強いのではないか。年末の夜、川崎から帰ってきて日比谷通りを会社に向かって走ると、東京駅方向への右折は禁止だし、見ればえらい行列が丸の内仲通りの横断歩道を渡っている姿が見える。渋滞はするし、我々近隣で働くものには迷惑な存在なのだが、おそらく期間中何百万人という人達があの電飾を見に集まるのだろう。うちの会社も協賛に名を連ねているので、あまり批判すると怒られるが、元旦のカウントダウンはともかく、全くあんなもの見るために集まる人達も集まる人達だが、金を出す方も出す方だ。協賛のポスターに名前を連ねるだけでなーんもメリットがないような気がする。2年くらい前までは国際フォーラムにブースを出していたようだが、本体ミレナリオから遠く遠く離れたサンケイビルで共催イベントやって公式グッズのテント出してもあまり意味がないような気がする。大晦日のカウントダウンでパッと点灯する電飾自体は確かに綺麗だが、家庭の電飾といい、イベント電飾といい、こんなことやってる国が不況のまっただ中とは外国から来た人は誰も信じないだろう。

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レインボーブリッジから北アルプスが見える?(平成15年12月21日)
 さっき、天気予報を見ていたら、最低気温長野−8℃と表示していた。昨夜は上信越道更埴まで雪で通行止め。来た来た来たあ〜、って感じのこの冬一番の寒さな訳だが、今日12月21日はこの上ない晴天だった。普通の人は月曜も休んで4連休だから、このいい天気に出かけない手はないと観光にでも行くのだろう。12月はケツが決まってて余裕のない担当員としては、20日(土)、21日(日)、23日(祝)訪店を入れていて、今日も今日とて愛車レガシィで湾岸習志野からレインボーブリッジ経由で川崎へ向かって走っていた。湾岸を走っている最中から、今日は富士山がきれいだなあと思っていた。本当に澄んだ青空だ。そして、レインボーブリッジである。踊る大捜査線the movieUで封鎖しようとして出来ないから京都の建設中の高速を使って撮影したあのレインボーブリッジだ。レインボーブリッジでないことがバレてしまうシーンがあって、それは橋の後方に山が映っているというモノだとメイキング番組でやっていた。しかし何の何の、レインボーブリッジの後方はビルだけでなく、箱根・丹沢と秩父の山並みがたっぷり拝めるのである。もちろん我らが富士山も真っ白い姿がバッチリだ。さて、レインボーブリッジをお台場側から都心に向けて頂上を越え、下りにさしかかろうとするとき、はっと気付いた。左に箱根・丹沢の山々、右に秩父の山々なのだが、真ん中遙か彼方に白く雪化粧した連峰が見える。あれは何だ?位置から考えると、どう考えても北アルプスだ。っと瞬間的に思ったが、既に視界からはその山々は消えていた。う〜む、都心から北アルプスが見えるものだろうか。と気にしつつ環状線から2号線に入り、荏原で降りて中原街道を走る。東京と川崎の間に架かる橋、丸子橋。そこで右側を見たとき、またしても白い連峰を見た。あんなに真っ白な山はこの辺にはない。考えられるのは、北アルプスか八ヶ岳しかない。しかし、12月にはじからはじまであれだけ真っ白なのが八ヶ岳とは考えにくい。家に帰って、夜、地図で見てみると、北アルプスと八ヶ岳はほぼレインボーブリッジから同一線上にある。なんとかもう一度確かめてみたい。午後、日吉東急の5階駐車場に車を停め、その方向を見てみたが、もう日が西に差し掛かっていて、薄ぼんやりとしか見えなかった。しかし、あそこなら朝よく晴れていれば確認出来るはずだ。なんとしてもこの冬中に確認したい。何でそんなにこだわるかって?だって、長野の一番奥のほとんど岐阜県ってところですよ北アルプスは。うれしいじゃない見えれば。長野にいるみたいで。

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君と歩いた青春/流星・・・後藤由多加栄光の軌跡(平成15年10月29日)
 オムニバスアルバム花盛りである。特に70年代を中心にして、邦楽洋楽問わず、レコード会社横断で次から次へと出るわ出るわだ。そんな中、この春、フォーライフからこれまた強烈なアルバム2枚組2セットが出た。私はオムニバスアルバムがあまり好きではないので気にも留めなかったのだが、先日CD屋でつい目に留めてしまった。タイトルは「君と歩いた青春」と「流星」、そしてサブタイトルが「YUI Seventies」だ。なんと憎いタイトルだろう。それぞれの曲目をちらっと見て、ついつい衝動買いしてしまった。1970年から80年までのユイ音楽工房所属だったアーティストの曲を計76曲集めたアルバムだ。70年に小学校に入り、79年に高校に入学し、76年から吉田拓郎ファンであり、中学高校時代にギター片手に歌っていた人間としては「だめじゃんこれ、買っとかなきゃ」と瞬間的に手にとってしまったのだ。拓郎一派、かぐや姫一派を中心にロブバードだの庄野真代まで入っている。これはもうしばらくカーステでぐるんぐるん聞き続ける事だろう。うー、何で俺のカーステはオートチェンジャーじゃないんだと思っても後の祭りだ。それほど4枚続けて聞きたいアルバムである。

 しかし、よくこんなもの作るよなあと感心する。今、ユイに所属してるのは伊勢正三だけである。確かに名曲揃いだし、長渕の「乾杯」ってこんなに前だったんだって驚いたりもする。このアルバムのプロデューサーは当然の事ながら後藤由多加その人である。ユイ音楽工房の創業者社長にしてフォーライフレコードの3代目の社長、拓郎やかぐや姫と青春を歩いた人だ。70年代若者の音楽の旗手であり、日本の旧態依然とした音楽界に拓郎と共に革命を起こした人物である。フォーク・ニューミュージック界の影の帝王と呼んでもいいだろう。その人が、もちろんある種のコンセプトに基づいて選曲しているのだろうが、自分と一緒に仕事をしたアーティストの、自分の好きな曲を集めてアルバムを作り、しかもそれを売ってしまう。なんて贅沢でうらやましいことだろう。サブタイトルは後藤由多加栄光の軌跡とでもすべきだったのではないか。「君と歩いた青春」で始まり、「飛んでイスタンブール」で締めくくるこのオムニバスアルバムを聴くにつれ、偉大なり後藤由多加と思わざるを得ない。

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不起訴嫌疑不十分(平成15年10月23日)
 11日のMRIの結果を聞いた。痛みを起こす原因については今日も判らず仕舞だ。胆嚢腺筋症(adenomyomatosis)というものが見つかるには見つかったが、それが痛みの直接の原因とは考えられないという。また、肝機能値の方はいわゆるGPT(ALT)が相変わらず高いのに加え、9日の検査ではγ−GTPもそこそこ高くなっている。しかし、この程度の数字ではやはり痛みを伴う程の症状は考えられないという。尿酸値はついに10.1となってしまったが、最初から言っている通り痛風の痛みとは関係ない。肋骨の裏側が痛いということで、Google検索するとやはり肝臓胆嚢系の炎症というのが濃厚であるが、先生の結論としては、生活に支障のある痛みではないようなので、もう少し様子を見てみましょうとのこと。とりあえず痛風の薬だけは飲み続けなければならなくなった。なんだか、嫌疑不十分で不起訴になったような気分である。いったんは通院中止となったがなんだか納得がいかない。まあ、ここで粘って入院と言われても、このくそ忙しい時に困るので、今日はそのまま帰って来た。

 今後の展開としては、酒は休肝日を設けていればほどほどに飲んでいいということなので、ほどほどに飲みつつ様子を見ていき、今後痛みが増すような場合は病院を変えることも考えなければならないと思う。

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ニコニコ日記(平成15年10月13日)
 にこにこ・ぷんではない、ニコニコ日記だ。8月18日から10月2日までNHKの夜11時から15分ドラマでやっていた。この帯のドラマでは春先に酒井法子主演の「女将になります」にはまって以来なのだが、現実にはところどころで最終週以外ほとんど見ていない。再放送またはビデオ化されたら絶対ちゃんと見なくては。もし、28回全部録画してある人がいたら貸して下さい、お願い。さて、ニコニコ日記だが、木村佳乃扮する売れないシナリオライターが大女優の隠し子ニコちゃん(永井杏)を元付き人で出生の秘密を知る者として預かり、友達以上母親未満の共同生活を送る中で起こる様々な出来事を描いたドラマである。テレビで見るだけでも泣けるドラマだった。何と言ってもニコリン役の子役永井杏の演技が素晴らしい。久々に感動的な子役に会ったと思う、これからウォッチングしていきたい。

 ここまで気になると原作を読んでみたいというのが世の常だ。原作は集英社のコーラス連載、クイーンズ・コミックスで現在5巻まで刊行中の小沢真理原作の少女マンガ、おっとレディースコミックだ。マンガ喫茶で少女マンガコーナーから探す。生徒諸君にはまり、少女フレンド漬けになって以来の少女マンガかも。あっ、パタリロも少女マンガか。テレビも泣けたが原作は涙の大洪水だ。1〜5巻まで一気に読んだが、左手にハンカチが離せない。もう、次から次へと涙がボロボロ落ちてくる。途中でトイレに行って鏡を見たら、目が真っ赤に腫れていた。物語を見てこんなに涙を流したのは映画「フック」以来かもしれない。後はCXの「人にやさしく」でも結構涙を流したような。それにしてもテレビドラマというのは相変わらず原作のエッセンスを使って別のドラマに仕立て上げているものだなと思った。テレビでは放映出来ない部分もあるのだろうし、回数の都合もある、小鳥遊と高梨ではわかりづらいのもあるだろう。いずれにせよ、原作の方がかなり心に堪える話だ。フックもそうだが、親と離ればなれになった子供の物語を見ると涙が溢れてしまう。自分がやっている大悪行を反省しているからなのか、後ろめたいからか。だからといって、この大悪行を止めて、父親に返り咲くというわけではない。返り咲けるはずもないしその気も資格もない。今後改めてそうなろうという気もない。しかし、親と離ればなれの子供の話は私を泣かせるのである。半端じゃない涙を伴って。きっと死ぬまでこの大悪行の業からは逃れられない。これも運命と思ってこれからも泣き続けよう。

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レントゲン→CT→MRI(平成15年10月11日)
 今日、自身の人生初となるMRI(Magnetic Resonance Imaging ; 磁気共鳴画像)検査を受けた。

 半年前、ゴルフでドライバーをフルスイングしたときに右脇腹に感じた痛みがいよいよ"おおごと"になってきた。最初のうちは、クラブを振り切った時、右の一番下の肋骨の辺りが引きつるように痛い感じがしていただけなのだが、その後数回のラウンドと7月半ばに最後のゴルフをしたときも痛みを感じていた。その頃までは、ゴルフの時に痛かっただけだったのだが、8月半ば、前回お気楽極楽に書いたスーパー銭湯に行ってアカスリをしてもらった時、うつぶせで背中のアカスリをしてもらうと、下になって圧迫を受ける肋骨がすげぇー痛いという状態で「これはやばい、肋骨にヒビでも入ってるんじゃないか」と感じた。「医者に行かなきゃやばいなあ」とは思ったが、肋骨にヒビともなれば、コルセットは避けられない。くそ暑い夏にコルセットは嫌なので、9月まで放っておいた。

 9月に入ると、うつぶせだけでなく、普段寝る際の仰向けの時でも横になる角度によっては痛みを感じる様になってきたのでいよいよやばいと思い、9月中旬、会社を休んで慈恵医大(新橋)に行った。例によって受付でご相談。「痛いのは肋骨の辺りだけど、触ったり叩いたりする程度では痛くなくて、肋骨の裏側が痛いような感じだ」と告げると、受付のお姉さんに総合診療部での診察を勧められた。「右一番下の肋骨の裏側辺りが痛い」と言うと、先生は「位置的には肺か肋間筋肉か肋骨そのものかだと思うので、まずレントゲンと血液検査をしてみましょう」ということになった。おできや首の痛みで何度も行ってるので、勝手知ったる画像診断部であり中央検査部だ。でもって、検査が終わって総合診療部に戻ると、レントゲンの結果は肺も骨も特に異常が見あたらないということで、血液検査の速報値を見ると、「まずいっ」、尿酸値が9.9だ。先生に「これは発作が出る出ないにかかわらず薬を飲まなきゃいけない数字ですね」と言われ、心の中で「ちっ、ばれたか」とつぶやいていた。それにGPT、GOTの値が高い。「これは脂肪肝ですよ」と言われ、「あ〜、そこまで行っちゃったか」とこれまたつぶやいていた。で、結局は骨か筋肉かという仮の結論に達し、整形外科に行くことになった。整形外科でもレントゲンだけでは分からないと言うことになったが、とりあえず湿布を貼って様子を見ましょうといういつものパターンになった。過去2回首が痛くて慈恵の整形に行ったときと同じである。痛みが引かないようなら次はCTを撮ってみましょうということで、9月一杯湿布を貼っていたのだが、痛みは変わらず、10月2日、再度整形外科へ行き、CTを撮ってもらった。で、その結果を9日に聞きに行った訳だが、CTの結果も骨には特に異常なし(No Specific Findingと書いてあった)。で、やはり内臓系の疑いが消えないということで、総合診療部に差し戻しになった。

 再度訪れた総合診療部では、またもや尿酸値と肝臓が問題になり、痛風のザイロリックと肝臓のウルソという薬を飲んで2週間様子を見ることになった。その間の禁酒も一緒に言い渡されてちょっとショックだったがまあ仕方がない。焦点は肝臓と胆嚢に移り、ここを詳しく調べるため、MRIを撮ることになった。先に尿検査と前回より遙かに検査項目の増えた血液検査をしてMRIの予約をする。先生の指示はMRCPとなっており、後で調べると胆管と膵管を検査するもののようだ。予約は11日昼。予約票の注意書きを見ると、心臓ペースメーカーや脳などに金属が入っている人の他、砲弾の破片が体内にある人とか閉所恐怖症の人は受けられないと書いてあり笑ってしまった。それにしても何で体重だけ書かせるんだろう。

 そして、運命の10月11日ついにMRI検査である。4時間の絶飲食なので、起きてからつばも極力呑み込まないよう気をつけながら病院に行く。MRIの待合室に行って、下着の上からガウンを着て待つ。その間、先に造影剤を飲む。甘い。「これを飲むと黒い便が出ますが鉄分が多いだけですので気にしないで下さい」と言われる。そういえば、黒い便が出たかどうか確認しなかったな。そして、いよいよMRI室に入る。今回CTは2度目だったが、MRIは全くの初めて。しかし不思議とあまり緊張しない。寝台部に横たわり、バンザイをして、異常があったときに知らせるためのブザーのスイッチを渡される。さらに機械に入る前に胸から上腹部にかけて撮影装置を取り付けられ、ヘッドホンをかける。クラシックが流れている。MRIの音がガーガー、ギーギーうるさいのと、息を吸う、止めるなどの指示を正確に伝えるためらしい。そしてCTと同じように円筒状の機械の中に入っていく。撮影している時はガーっとうるさい音がするのだが、クラシックのせいで眠い。ついうとうとしてしまう。うっかり、「息を吸って止めて」の声を聞き逃しそうになったり、手に握ったスイッチを取り落としそうになったりした。どのくらい経ったのだろう。「ハイ終わりです」となって機械から出た。器具をはずして起き上がろうとしたが、ふらふらである。機械の中で横たわっているときは別に何とも感じなかったのだが、検査終了後かなり長い間ふらふらへろへろの状態が続いた。というより、この日一日使い物にならなかったと言っても過言ではない。そう、MRIは体内の水素原子に磁気と電波を当て、その水素原子が発する微弱な電波を測って画像に結ぶ装置だから、身体を全く動かしてなくても体内の細胞がもの凄い運動をさせられたのと同じ状態になるのだろう。こうして初体験のMRIが終わった。早く結果を知りたいモノだが、早く結果が分かるのは病院から呼び出しを食らうときだから、相当悪い結果が出たときである。次回23日の受診の後、この続きを書くことにしよう。でも、その時は入院してたりして。

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スーパー銭湯(平成15年8月13日)
 7月の仕事では10数年ぶりに銭湯にやっかいになった。辻堂駅北口から茅ヶ崎市にちょっと入ったところにある「浜の湯」という銭湯だったが、夕方7時頃行くと、そこそこお客さんが来ていた。銭湯の値段が400円になっているのに驚いたものだが、たまには銭湯もいいものだ。しかし、今流行のスーパー銭湯は、うちの近くの「若葉の湯」で入場料600円。サウナも露天風呂もあってこの価格では、普通の銭湯はたまったものではない。ちなみにビールも軽食もあるし、大広間もある。韓国アカスリやマッサージもあって、これでムービーシアターとかリクライニングシートの休憩室があれば、健康ランドそのものだ。健康ランドはといえば、だいたい安くても1500円、普通2000円強だから、スーパー銭湯はかなり割安といえる。長野に居たとき、篠ノ井に「信州健康村」という健康ランドがあり、若里に「ぷらっと」というスーパー銭湯があったのだが、「ぷらっと」は風呂上がりに休むところが少なくて、一回行ったっきりで行くのをやめてしまった経緯がある。でも、スナックのお姉ちゃん達は「ぷらっと」好きだったみたいで、よく日曜日に行くと言っていたっけ。私は、飲み過ぎて帰れなくなった時に、ホテル代わりに健康ランドの休憩室で寝ることが多いが、深夜割り増しがあって、結局は4000円近くなり、風呂に入って寝るだけならカプセルホテルの方がいいかなと思う。

 それにしてもスーパー銭湯とはよく言ったものだ。最近は既成の銭湯を改造したところが多いらしいが、この「若葉の湯」や「ぷらっと」は、明らかに新たに建設したところである。それだけ需要を見込んでのものなのだろうが、現に昨日は結構な数のお客さんが来ていた。特に親子三代で来ている人達が多く、5人とか6人とかで来てもこの値段なら十分おばあちゃんの年金で家族サービス出来る。おっと、近頃はとても年金もらうような年齢じゃないおばあちゃんが、若い父親母親と孫達を連れて来ている。これが健康ランドなら、飲んで食ったらあっという間に2万近くいってしまうが、スーパー銭湯なら1万以内で済む。実にリーズナブルだ。この「若葉の湯」、行く前にWEBで調べたところ、会員制を採っている。最初に入会金を200円払うと、入場が50円引きとかアカスリが500円引きとか、果ては軽食コーナーがことごとく20円引きとか会員にならなきゃ馬鹿みたいな設定になっている。アカスリ一回で元が十分取れるのだから、絶対会員になるわなあ。それでもって会員になったからにはやっぱりリピーターになるから、囲い込みも出来るし、実に上手い商売をしている。最初から会員価格を普通に設定して、一般価格はそれに若干上乗せしてやればいいのだから、みんな会員になっても全然損しないだろう。新聞もそういう方法が採れないだろうか。無理だな。禿げ鷹のような読者ばかりでは。

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うちのビルって学園祭みたい(平成15年8月12日)
 先日、会社のロビーを歩いていると、外の広場(メトロスクエア・フラット&ガーデンというらしい)の夏休みのイベントでキッズフェスティバルというのをやっていた。特設ステージ前に親子連れがいっぱい座って、ステージ上のおにいさんの説明を聞いている。こっちはステージ裏から見ているので、子供達の真剣な表情がなんだかおかしい。この広場、普段の昼間はワゴンが何台か止まって、タコスだかアジアン弁当だかを売っており、コーヒー屋台もあるので、OLや時間つぶしの営業マンでいっぱいである。夜になると昼間産経新聞ニュースを流している大型ビジョンで阪神戦の野球中継をやっているらしく、ビール飲みながらの野球観戦おじさん達でいっぱいなようだ。

 地下1階へ降りると、ちょっとした空間でケーキ屋さんが店開きしている。テーブルが2つくらい出ており、イベントにやってきた人達がお茶している。スタバもすぐ目の前にあるのだが、これは、カウンターを置いて即席で出店しているのだ。地下2階を見下ろせる渡り廊下のようなところでは、何やら展覧会のように絵だか版画だかが並んでいる。その見下ろす地下のレストランの向こう側は吹き抜けの広場になっており、時々ミニライブをやっている。一方、2階から4階の会議室では株主総会あり、企業の発表展示会ありで、たまに販売局全局会議なんてのもやっている。

 そうしたものを見ていると、何か学園祭の会場に来ているような錯覚に陥る。ミニステージ、屋台、廊下の絵、学園祭そのものだ。でも学園祭ならやっぱり屋台の定番は焼きそばだよなあ。学祭の屋台の焼きそば食べたいなあ。まあ、よくよく考えてみれば学園祭の方こそ、こういった一般社会の縮図みたいなものだ。我々が高校や大学の時にやっていたのは、所詮大人社会のサンプルパターンだったのだろう。それでも、こういったお祭り空間の中を通り過ぎると、何となく懐かしく、なんとなくウキウキする。サンケイビルでも丸の内ビルヂングでも日々繰り返されるイベントという名のお祭り。日本人、というか人間はやっぱりお祭り好きなのだろう。えっ、お前がお祭り好きなだけだって。だって、仕事だってお祭り好きだもん。

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火星大接近(平成15年8月3日)
 長い長い梅雨が明け、ようやく夜空に星が戻って来た。といっても、ここ千葉市では外へ出て真上を仰いでも、ようやく夏の大三角形(デネブ、ベガ、アルタイル)が分かる程度でよほど目をこらさないと、カシオペアすら満足に見えない。これが長野や仙台だったら、三角形を判別するのもかったるいほど星が見えるのに。しかし、そんな千葉の明るい空でも南に目を転じると一つだけ赤く輝く星が目に飛び込んでくる。そう、今話題の火星だ。新聞も満足に読まない人だと火星大接近といってもピンと来ないのだろうが、8月27日に火星が約2年2ケ月ぶりの最接近をし、さらに今回の最接近は15年に一度の大接近であり、なおかつ6万年ぶりの超大接近となる一大天文ショーなのだ。流星群や彗星や日食・月食のような派手さはないが、普段は2等星くらいの火星がマイナス2.9等星という金星よりも明るい星になるのだから大事件である。

 いきなりマイナス2.9になる訳ではないので既に今でもかなり明るいのだが、残念ながら、おとといまではほとんど雲が切れなかったため、見ることが出来なかった。そして今晩ついに火星とご対面となった訳だが、いつも夜空で一生懸命探す火星と違い、これなら視力ゼロコンマいくつの人でも容易に判断出来るだろう。間違いなく木星より明るく、最大離角の金星には及ばないまでも、シリウスよりはるかに明るい。(夏にシリウスが見られるかというなかれ。既に暁になっているとは言え、朝5時にはシリウスは昇って来る)

 別に強烈な天文ファンではないのだが、しし座流星群の大出現も見られ、6万年ぶりの火星の大接近も見られ、結構幸せな天文人生ではあったと思える今日この頃である。これを見ないと死ねないというものが多い中、天文的にはもう十分かな、後はジャコビニ流星群だけだなと思う。ハレー彗星は見損なってもう無理だし。そうそう大事なことを忘れていた。私はまだ水星を肉眼で見たことがない。水星見なくちゃだな。

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更新しない(平成15年8月2日)
 40歳になってはや3ヶ月。何の感慨もないと思って居たが、やはり何の感慨もない。ただ疲れるばかりである。四十にして惑い、波瀾万丈の30代を振り返ることもなく、余生を楽しく生きようと思うばかりである。それにしても、キーボードを叩くということがこんなに面倒くさいことだったとは。狂ったように、お気楽極楽だの、罵詈雑言だのといい気になって打っていたのはついこの間のことなのに、遙か昔のような気がする。そういえば、去年の今頃は長野県知事選で大騒ぎだった。そのわずか数ヶ月前は、仙台で楽しくやっていたのに、この1年何といろいろなことがあったことか。

 今から思えば、地方担当っていうのはやはり、精神的にも肉体的にも楽だったのだ。夏も涼しいし。それに引き替え首都圏は。なんちゅうこっちゃ。一難去らずにまた一難の繰り返し。とてもお気楽極楽にモノ書いてる場合じゃない。自分で手を上げて行ったにしろ、7月の仕事はこたえた。私はいつも、大仕事に取り組む時は、これが最後の仕事と言ってやっているが、肉体的にも精神的にも今までにないくらい消耗した。それが、更新停滞の理由というわけではないにしろ、キーボードから離れるのが長くなればなるほど考えるのも打つのも億劫になる。5万アクセスを前にして、見に来てくださるみなさんには誠に申し訳ないが、今後も更新は停滞するだろう。怒りが蓄積しない限り。

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渋滞しない(平成15年6月15日)
 お気楽極楽も、前回から何と2ヶ月以上経ってしまった。おかげさまで、4月末には5代目スバル・レガシィをヤフオクで手に入れ、仕事に仕事にと大活躍の今日この頃である。但し、オイル漏れとクーラーの電気系の故障に悩まされており、明日ディーラーに持っていこうと思う。今回の車は平成9年のブライトン77000km、16年7月車検という上玉を何と21万で手に入れたのであった。従って、多少の修理は織り込み済みである。

 さて、5代目レガシィちゃんと千葉から京浜方面へお仕事お仕事と出かけるのだが、どうも最近変だなという妙な感じがしていた。それがある時会社の後輩の一言で何であるか分かった。「最近道路空いてると思いません?」これが後輩の問いである。そう、湾岸線が空いているのだ。10年前、京浜県下を担当していた3年半は、朝の葛西の渋滞との戦いだった。おまけにその当時は空港中央からベイブリッジ直通の湾岸線が延伸されていなかったから、葛西新木場の渋滞をくぐった後、もう一発昭和島合流渋滞をくぐらなければならなかった。今はどちらもない。昭和島は道路が出来たからまだ分かるが、葛西新木場に関しては、道路建設による渋滞緩和といえば、中央環状線に清新町ランプが出来たことぐらいである。それも結構な効果があるのだろうが、道路が空いてる事に関して言えば、何と言っても交通量の減少である。そう、トラックの量があの頃に比べて格段に少ないのだ。トラックは加速という点で明らかに普通車に劣るので、交通量が多ければ多いほど渋滞を作り出す主役になりやすい。デフレの影響が道路の渋滞を緩和している。あまりいいこととも思えないが、おそらく事実に違いない。つまり景気が回復すればまた湾岸の渋滞は復活するということであり、サクサク走れるのも今のうちだから、せいぜい楽しくドライブしておこうと思う。

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ヤフオクで負けた(平成15年4月4日)
 先月1年9ヶ月にわたって愛用した4代目スバル・レガシィを廃車した。過去のこの欄で何度も登場した可哀想な愛車だったが、車検月を迎え、151000kmというそれなりの走行距離と、車検を通すには平成元年車というネックもあって金がかかりそうだったため退役してもらうことにした。宮城県で1年間つき合った可愛い車だったのだが、最初にヤフーオークションで買ったときから15年3月の車検切れには廃車というつもりだったので、今回またもやkotori氏の知り合いのホンダディーラーで廃車手続きをしてもらった。このディーラーで廃車してもらうのは3台目だが、一度も車を買わないひどい客(客じゃないか)である。ごめんなさい。

 さて、廃車はしたものの千葉に住んで首都圏担当をしていても、実際車がないと不便極まりない。訪店は辛抱出来るが、もっとも困るのがクリーニングである。私の自宅の近所には朝早くからやっているクリーニング屋がない。仙台や南行徳の時は、近くにクリーニング屋があったが実家に戻って以来、ちょっと距離のあるクリーニング屋でないと8時からやっていない。歩いて行けるところは9時からである。会社に9時半、訪店スタート10時でなおかつ滅多に休めないとくればどうにもならない。従って、車がなくて最も困ったのがクリーニングという訳だ。もちろん訪店で車を使いたい時もあるし、これからゴルフにも不便、荷物も運べないではやはり困るので、次なる車を早急に手に入れる必要があった。

 3月廃車予定のため、2月頃からヤフーオークションでスバルレガシィの項を見ていたのだが、なかなか手頃な値段で車検期間の長い車が出なかった。しかし、3月末、実に手頃な車が出た。これは何としてもゲットしたいと思い、とりあえず開始価格に最低入札単位価格を上乗せした金額で入札し、毎日見張っていた。前回ヤフオクでレガシィを買ったときは、初めてだったので、50000円開始の車を170000円まで吊り上げてしまった。今度はその轍を踏まないようにしたい。幸いにして終了直前まで他の入札は入らなかった。入札終了日時は4月4日午後10時32分。その時私は電車に乗っていたが、パソコンを開き、ギリギリまでF5キーを押しつつチェックしていた。最後に更新かけたのが終了10秒前。入札者無し。よし、ゲットだ。と思って終了数秒前に更新をかけたところ終了時間を過ぎ、オークションは終了していた。しかも、落札者は私ではない。何故だ。敵は終了時間すれすれに入札してきたのだ。最高入札価格をもっと高く設定していればゲット出来たかもしれないがもう来ないだろうと油断していた。100000円開始の車に私がつけていたのが101000円、敵は102000円で落札していた。悔しい。あまりのショックに呆然となった。終了20分前、私は最高落札価格を15万にするかどうかで悩んだ末、ケチってそのままにしておいたのだ。たったの1000円差で取られてしまったこの悔しさ。電車を降りた私は、自分の甘さ加減に嫌気がさして切れそうになるのをどうにかこうにか抑えた。

 そして今、また別の車の入札にすぐさま挑戦している。前回と今回の轍を踏まず、なんとかゲットしたいものである。

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税務調査にも活用される旅人のほーむぺーじ(平成15年4月2日)
 恐るべき事実が発覚した。なんと税務調査の参考資料にこのHPが使われていたのだ。先日久々にフェニックスに行ったところ、2月に税務署が入ったという話になった。超赤字店のフェニックスが税金ごまかすも何もないのだが、なかよしコーポレーション全体の税務調査だというので、私は「そうか、フェニックスの赤字が大きすぎて、会社全体の税金対策か何かをしていると思われたんだろうな」と思った。そういえば、その頃ママから電話が来て、「昨年の○月×日にあんた来てるんだけど、その時Aさんていうお客さん来てた?」って聞かれたのだが、当然そんなこと知るかという世界だ。なにやら、伝票の日付とボトルの入った日付が合わないんだかなんだかよく分からないが、たまたま、その日に私が飲みに行っていたらしく先の質問となったようだ。で、そんなことはすっかり忘れてほぼ2ヶ月ぶりに行ったところ、どういう風に調査が入ったかいろいろ説明してくれた。新聞販売店でもよく税務調査は入るし、ビッグコミックオリジナルの壁際の税務官というマンガも時々読んでいるので、なるほどなるほどと思いながら聞いていた。

 調査に入る前に当然のことながら客として各店を見に来ていたそうで、フェニックスに関して言えば、最初から知っているのに夢の舟のトイレに貼ってあるポスターを見て、紹介してもらって来たように振る舞っていたそうだ。銀行、おしぼり業者、酒屋などを調べるのは当然のことなのだが、なんと、店についての予備知識を得るため、ホームページも見るそうだ。フェニックスには公式ホームページはないのだが、検索したところ、私のHPが引っかかって、詳しく読んでから来たそうだ。なにせ私のHPにはボトルの値段やセット料金も書いてあり、かつては押すな押すなの大盛況だったことまで書いてある。最近まで独立したフェニックス宣伝用のページもコンテンツとして持っていたから、税務署としてはありがたい資料だったことだろう。今は辞めてしまった女の子のことまでいつから働いていたとか聞いたそうだ。最近、宣伝用コンテンツの方は削除したのだが、これは別に税務調査が入ったからではなく、3月末で潰れるはずだったのに4月以降も存続することが決まったのと、女の子の名前をフルネームで書いていてばれたのがきっかけだ。しかし、あそこにはママの最近の写真と10年前の写真まで載っていたので、事前調査用にはさぞかし役に立ったことだと思う。私もお国のために役立てて幸せものである。

 それにしても、北は北海道から南は少なくとも福岡まで読者のいるこのHPも新聞業界だけでなく、税務署まで利用してくれるとは誠に恐ろしいことである。これでは、うっかり自社の内情など、たとえ伏せ字してでも書こうものならすぐさま首が飛ぶことだろう。くわばらくわばら、やっぱそういうことは宝くじでも当たって会社を辞めてからでないと危なくて書けないな。

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休みは先に取れ(平成15年3月16日)
 眠いのである。ひたすら眠いのである。今月は3日で10時間くらいしか寝ないような仕事でスタートし、その後も朝まで飲んで翌日観光なんてことをやっていたら、その後遺症からいつの間にか月も半分過ぎたのに何やってたのかさっぱり覚えていない。人間寝ないとだめだとつくづく感じていたところ、昨日のサンスポに共同電のこんな記事が載っていた。

 1日に6時間しか寝ていないアナタ・・・3日徹夜の「脳力」しかない!?

 米・ペンシルベニア大などのグループが、21歳から38歳までのボランティアを使い、4時間、6時間、8時間睡眠の3つのグループ分けして記憶力や認知能力、問題処理能力などの実験をしたところ、4・6時間睡眠のグループは2週間後には3日徹夜の人と同レベルになっていたというのだ。

 今月はそれを地でいっていたような気がする。いつまで経っても眠い。会社は休んでも、引っ越しなどで身体も頭も休めていないから睡眠不足は一向に解消せず、挙げ句の果てにまた大酒飲んでグロッキーしている有様だ。その間正常な思考能力が働かず、もう何をやっても長続きしない。まったくもって記事の通りだ。今月は若干事情が違ったが、土日も休めず仕事をしていても、平日の代休はなかなか取る暇がなく、おまけに朝は必ず9時半までに会社に行かなければならず、現地にも9時半(これを会社に直せば8時半出勤)に行けと言われ、とてもじゃないがHPの更新まで手が回らない毎日だ。そのぐらい当たり前だと言われればそれまでだが、30代前半までは割と平気だったものが、ここへ来て急激に脳力の衰えを感じる。一度長期休養が必要と感じる今日この頃である。これは完全に悪循環である。疲労と睡眠不足で能率が落ち、そのため休もうとしても仕事がたまって休めない。結果としてさらに疲れがたまり、ますます非効率になる。

 今月は多分もう無理だ。このまま惰性で月末に突入するしかない。来月試してみようと思うことは、先に休むこと。会議のない日を選んでまず休む。先に休んで睡眠不足を解消すれば、気分も脳力も上昇気流になるはずだ。そうすれば、新聞裏話も罵詈雑言も書く気になるはず。来月は先に休むぞ〜。

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ジョイサウンドはいい(平成15年2月19日)
 先日、久々にニフティのパティオ「春だったね」のオフ会に出た。といっても、パティオそのものはもう2年も前に閉鎖されているのだが、まあしばらくぶりに飲んで、カラオケに行こうということになった。私が最年少の39歳であとは40過ぎという拓郎ファンの集いであるので、みんな歌うのは拓郎の唄ばかりである。当然拓郎の曲がいっぱいないと困る。そこで私は言った。「ジョイサウンドの店がいい」

 ところが辺りにはビッグエコーともう1軒やはりDAMの店しかない。ミスチルを歌うならDAMの方がいいのだが、今日は拓郎の唄を歌いたいので、私はだめだと言った。そこでメンバーは考えた。女子高生なら知っているだろう。そして、通りすがりの女子高生にいい年したおじさんおばさんが寄ってたかってジョイサウンドのあるカラオケボックスの場所を聞いた。その女子高生達は怯えながらも気さくに教えてくれた。多分あの店ならあるだろうと。そこはタクシーで10分くらいのところ。行ってみて、HyperJOYののぼりを見たときにはさすが女子高生と感心したものだ。

 ジョイサウンドのカラオケには拓郎の唄が1ページ半もある。感激したメンバーがそこで3時間にわたってマニアックな拓郎の唄を歌いまくったのは言うまでもない。最後は「アジアの片隅で」を全員で熱唱して終わったのだが、私のことを掲示板で声が超デカで一種の公害と言われているのはこのときのことなのだった。

 通信カラオケもいろいろな業者があるが、見たところDAM一人勝ちのような感もある。しかし、拓郎に関してはジョイサウンドは他の追随を許さない。このようなことは他のアーティストでも各業者様々にあるだろう。拓郎の唄がいっぱいあるというのでわざわざタクシー2台で乗り付けるおじさんおばさんもいるということは、やはり差別化の勝利かもしれない。最新のヒット曲などどこでも一緒なのだから、こういうことで差別化して是非それぞれの業者に頑張って欲しい。しかし、一番いいカラオケボックスはやはり全機種から曲を引っ張っている「パセラ」のような所に違いない。それが近くにないから苦労したのだ。次は是非とも東京のパセラでやりましょう。

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首が据わってない(平成15年1月10日)
 年末最後のお気楽極楽で、あの渋滞はどこにいったと書いたのに、年が明けたらしっかり渋滞が復活していた。年始は休みが2日延びたのだから、より分散効果が現れるはずだったが、所詮は放射状に出ていく帰省と一点に向かって集中してくる帰京じゃ条件が違った訳だ。その渋滞の中を約7時間かけて東北から車を運転して帰ってきて、そのまま10数時間に及ぶ徹マンに突入した。そこまでは首尾よく運んだ訳だがその後がいけなかった。その後寝て起きた時、首の頸椎のあたりに妙に違和感があった。特別痛いとか言うわけではなく、何となく違和感がある感じだったのだが、その違和感を取り払おうと首を縦横に運動させ、後ろ手で揉んだりしていたら、だんだん痛くなってきて、仕舞には吐き気はするわ、首が左右に全く回らなくなるわの大騒ぎとなってしまった。吐き気もすることだし、まるでむち打ちのような状態なので、翌日朝一番で慈恵医大に行くことにした。その晩は寝るのにもえらいことだったし、悪寒がして全身がぶるぶる震え、よっぽど救急車を呼ぼうかと思ったくらいだった。そうした絶望的な状況の中で朝一番に慈恵医大に行き、整形外科で診察を受けた。去年の7月にも、もっと軽い症状だったが同じところで首の診察を受けていたので、まだカルテが残っている。「また、首ですか。首が弱いのかな」などと医者に言われながら、首を押したり曲げたりして「ここ痛いですか」などと聞かれ、腕がしびれてないかどうか(しびれてなかった)聞かれた後、お決まりのレントゲンとなった。頸椎を4方向から撮って、その写真を見ながら解説を受けた。そう言えば前の時も言われたのだが、私の頸椎は、普通の人と違う反り方をしているのだそうだ。通常は後ろに向かって反っており、その上に頭蓋骨が乗っていてバランスがとれているのだが、私の場合は前に向かって反っている、いわば猫背(猫首か)状態なのだそうだ。こうなると首と頭が非常に不安定な状態になり首筋を痛めやすいのだそうだ。で、結局の所、どうって事ないという診断になり、筋弛緩剤と消炎鎮痛剤を飲み、湿布をして様子をみることになった。そのまま放っておくと苦しいし、湿布がはがれてしまうので包帯を巻くことにした。首に包帯を巻いて会社の中を歩いていると一躍人気者である。みんなどうしたのかと聞いてくる。結局は寝違えのようなものだからそう答えていたのだが、頸椎の反り方の話も極力していた。するとある女の子が、「それって首が据わってないってことですよね」と言った。じゃあおれは赤ん坊かよ。う〜む、でもそうなのかもしれない。首が据わってないから、年中首、肩が凝るし、痛めることが多いのかもしれない。今の痛みが治まったら、リハビリで頸椎の逆反りを少しずつ治そうと思う。

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今までの帰省渋滞って何だったの(平成14年12月29日)
 今日はこの項を、山形県酒田市のホテルで書いている。私のブロックの所長の父上にご不幸があり、その通夜告別式に参列するために酒田まで来ているのだが、東京から来るにあたって選択肢は3つある。高速道、新幹線、飛行機だ。どれで来るにしても、この年の瀬のことだ、いずれも非常な困難を伴う。通常この年末、飛行機や新幹線は帰省ラッシュでチケットがとれない。高速道は帰省渋滞で身動きがとれない。しかし、今年は異変が起こった。普通なら12月28日と言えば東北道や東名は渋滞何十キロとなるのが当たり前だが、27日から29日に至るまでまともな渋滞は起きていない。今年は12月28日が土曜で1月4日がこれまた土曜のため、年末年始の休みが普通のサラリーマンで9日間と長い。このため帰省ラッシュが分散化して渋滞が起きなかったようだ。後ろつまり年始は確かに2日長くなったが、年末は1日伸びただけだ。元旦を帰省先で過ごすとすれば、帰る日の選択肢が33%増えただけである。しかし、そのたった33%が渋滞を消した。実に見事なくらい渋滞が起きなかった。新幹線や飛行機は予定通り満員になっているのにだ。車で帰省する人が減ったのか。数日前からの日本海側での大雪が車での帰省をためらわせたのか。まあ、現に山形に来てみると、吹雪時々晴れという天気だから仕方ないのか。

 話はそれるが、庄内空港で時刻表を見て驚いた。庄内空港の発着はANAによる羽田への3往復しかなく、その総定員は片道約600人だ。1日に600人しか運べない。時間的には便利だが、便数による総定員で車や新幹線にはかなわない。やはり車という帰省手段は非常に有効だと言える。それが、33%帰省日が増えただけで渋滞が起きないとすれば、3車線の道路を4車線にすれば渋滞は起きないのか。(それ以下の1車線を2車線に、2車線を3車線に増やすならそれぞれ100%、50%の拡幅だから当然)きっとそうなのだろう。しかし、それは年末年始の話であって、普段はただのがらがらの道路になってしまう。道路なんて今更増やせないこのご時世を考えれば、やはりこの分散帰省は重要である。そのためには何が必要か。ハッピーマンデーなんてくだらない休日を作るよりも日曜日が休みという慣習を全廃し、祝日は本来の記念日に戻し、後はそれぞれの組織がフレックスに休日を定めることだ。そうすれば年末のたかが1日で渋滞が減るという効果が1年中見られるのではないか。いやあ、全くお気楽なお話でした。

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THE SHOW MUST GO ON(平成14年12月22日)
 スリー・ドッグ・ナイトのショー・マスト・ゴー・オンがどうしても聞きたくて、今年夏に発売されたというJOY TO THE WORLD-The Best of Three Dog Night-というベストアルバムを衝動買いしてしまった。1974年といえば、今から28年前のこと。思えば本当に年をとったものだが、この年、小学5年生だった私は、親にラジカセを買ってもらい、基礎英語を始めることになった。我が娘は現在小学6年生、基礎英語なんてやってるんだろうか。しかし、私はNHKの教育番組は全然聞かず、ニッポン放送や、TBSで小島一慶がパーソナリティーだったポップスベストテン、あるいはラジオ関東で土曜夜10時からやっていた全米トップ40などを聞く、洋楽小学生になっていた。その聞き始めの頃に流行っていたポール・マッカートニー&ウィングスのジェットという曲から、ポールそしてビートルズにのめり込んでいったのは自己紹介のページにも書いた通り。そして、その頃流行っていた曲の中で印象に残っている曲の1つがショー・マスト・ゴー・オンだ。しかし、その当時はベストテン番組で聞いていただけでレコードも買わなかったので、歌詞の内容も知らなければ、全曲通して聞いたこともなかった。時々あの有名なイントロがTVのBGMで流れたりすることもあったが、それ以後ずっと聞いていなかった。

 そして28年ぶりのその曲をカーステで聴く。ドラムロールから始まる、あの時代に生きた人なら聞いたことがない人がいないと思われる忘れもしないイントロ。3人のボーカルの内チャック・ネグロンのハスキーで歯切れのいいシャウト。いやあ、生きててよかった。今日だけで30回は聞いただろうか。それにしてもライナーノーツを読んで驚いた。この曲はあのレオ・セイヤーの作品だったというのだ。そしてスリー・ドッグ・ナイトは当時の新進アーティストの曲をずっとカバーしていたらしく、ベストに入っている曲はその後のビッグネームに彩られている。歌詞を読んでみてこんなにヘビーな歌詞だったのかとも驚いた。道化師の悲哀を描いているというが、I've been blindとかI wasted timeとかWalkin' on the wireとかいいながら、でもI must let the show go onという。まさしく我々の生活そのものではないか。この1曲のためにこのアルバムを買った甲斐があったというものだ。

 1974年から76年は私が人生の中で唯一洋楽三昧していた時代で、懐かしい曲が多い。先週僕たちの洋楽ヒットというアルバムを買って、いくつかの聴きたかった曲を手に入れたが、そこに入っていなくて、どうしても聴きたかったショー・マスト・ゴー・オンを手に入れて非常に幸せなのだった。あとはスージー・クアトロの悪魔とドライブかな。

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その日は近づいている(平成14年12月18日)
 既に21世紀も丸2年が過ぎようとし、世紀末世紀末と大騒ぎしたのは遠い過去になりつつある。世紀末が暗い時代を象徴する言葉だとすれば、今もまだ世紀末だと言わなければならないだろう。どちらかと言えば、今こそ”末法の世”と言う方がピンとくる。日本の絶望的な状況は何も変わっていない。が、今年は少しまともになる兆しが見えた年かもしれない。一つは外務省の手柄立てたい跳ねっ返りがお膳立てしてくれた外交上の歴史的出来事によって、その報道のされ方に問題はあるにせよ、北朝鮮という国の実像と、北に好意的な連中の欺瞞が国民の前に赤裸々にさらけ出されたことだ。そしてもう一つは言わずと知れた、産経新聞の夕刊廃止による増紙傾向である。来年はこの2つを基点に、憲法・教育基本法という、戦後日本人を腑抜けにしたGHQの贈り物からの脱皮への一里塚の年になって欲しい。それにしても、来年はいよいよNBC搭載ノドンが降るかも知れないが、ミサイルが降って初めて目が覚める人がまだ多いのは困ったものだ。雨が降ると天気予報が言えば、傘を持って出かけるのに、日本にミサイルを向けている国が周りに2つもあるのに有事法制すら先送りにして平気なのはなぜだろう。

 「人が死ぬやその善行は墓場に葬り去られ、悪行は千載の後まで残る」かつて、私が好きな言葉としてこのHPで初めて書き始めた頃のコラムで紹介した言葉である。世の中には人の数だけ正義があるというタイトルの文章の中に書いたものだが、都合のいい正義に、最近本当にうんざりしてきた私としては、千載まで残る後ろ指を指されないようにしたいものだと思っている。先の言葉を「一つの悪行が、全ての善行をうち消す」と言い換えてみたい。「一つの失敗が、全ての功績をうち消す」と言い換えてもいい。先日起きたある事件で、最近つくづく思う。さらに言い換えてみたい、「人に見えない功績はいくつあっても、いくら大きくても一つの悪行はチャラにならない」

 約束の日(エヴァンゲリオンの中でキール議長が言ってるせりふみたいだな)は近づいており、私としては明日その日が来たとしても後悔はない。17年前のあの日を境に私の余生は始まった。余生にしては非常に楽しい人生だった。そりゃそうだ若いんだから。歌もいっぱい歌った、楽しい仕事もした、つらい仕事もした、結婚もした、この世に血のつながった子供も存在する、富士山頂にも3回登った、素敵な恋と死にたくなるような失恋もした、残された日々も信念に基き、やりたいように過ごしていくだけだ。そう、心残りは親不孝と新聞裏話に書きたいことが書けないくらいかもしれない。その日はいよいよ近づいている。いつかは分からないが、しかし近いことは確かだ。これからもその日に向かって淡々と生きていこうと思う。

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マネジメントアナリシスのITコンサルティング(平成14年11月20日)
 このほーむぺーじのトップページには、一見広告のようなバナーが2つ貼ってあり、マーキーで宣伝文を流している。まあ、宣伝しているんだから広告には違いないが、金はもらっていない。1つは神田フェニックスで私にとってのオアシスのような飲み屋、そしてもう一つは私の高校以来の友人ことり氏の勤める経営コンサルタント会社(なのかソリューションプロバイダーなのかよく知らないが)マネジメントアナリシスだ。この会社は高校の先輩が作った会社で、同じく高校の先輩が専務、そしてことり氏と千葉高(正確には、なおかつ早稲田)のOB3人でやっている会社である。傍から見るとどうやってランニングしているのかよく分からない会社なのだが、HPにもあるように、歯科医院のレセプト作成ソフトとペット霊園管理システムを柱にして運営しているようである。ことり氏は前職の時は、マネアナのソフトの受注製作の仕事を下請けしていたが、いつの間にか正社員、しかもいきなり開発課長という肩書きで入社していた。それにしてもよく分からない会社である。私もたまに遊びに行くが、社長や専務には滅多に会わない。仕事で全国を飛び回っているかららしいが、以前は3人ともいないことがあり、電話番のおにいちゃんを雇っていたが、最近はそれもやめてしまった。しかも、ことり氏は医療過誤(と思われる)で死んだ友人の裁判の傍聴に月に一回、勤務時間中に東京地裁に出かけ、その克明なレポートをサイトで発表している。私も一日中見張っている訳ではないので、よくは分からないが、彼はおそらく会社に居るときは一日中パソコンで遊んでいる、いや、格闘している。

 彼の得意分野はマイクロソフト・アクセスをベースにした販売管理ソフトの製作であり、それに関する本も共著で2冊出している程だが、とにかく、パソコンのことで困ったことがあったら彼に聞くのが一番手っ取り早い。私はもちろんのことだが、某外資系証券会社の日経ランキングにも登場するさる高名な証券アナリストのお姉さまなどは、出張先のアメリカから直接携帯に電話してきたりする。まあ、これなどはまるっきり機械音痴の人だからいいとしても、うちの会社の現USAT担当某氏などは自身も結構パソコンには詳しいのに仕事(注:産経とマネアナの)に関係ない自分のパソコンの不具合までことり氏に見てもらったりしている。私がUSATの仕事をしている時、ちょうど長野オリンピックでアブク銭を稼いだので、日本の新聞と全然違うUSATの購読契約体系を管理するための読者管理ソフトの製作を依頼したのがことり氏が産経に出入りするようになったきっかけだ。最近ではそのソフトのバージョンアップの他、インターネットでの産経新聞の申し込みフォームからボタン1つで販売店を割り出し、カード化してプリントアウトするというソフトを作ってもらった。試運転すると見ているものから拍手が起こったものだ。もしN●CやIB●あたりに頼めば結構な値段を取られるのだが、今後のソフト製作のベースになるということで格安の料金でやってもらった。

 大手ベンダーにソフト製作を丸投げで依頼すると目ん玉飛び出るような見積もりが来る。彼とつき合っていると、大手ベンダーに依頼して大金を突っ込んだあげくにろくなソフトが出来なかった例をごまんと聞く。結局の所、優秀なプログラマーが不足しているため、自社製作出来ずに下請けに丸投げし、その下請けは孫請けに丸投げし、その孫請けは曾孫請けに丸投げするという構図でその間の中間マージンが上乗せされていくため法外な値段になってしまう。結果としてオウム関連のプログラマーが防衛庁のソフトを作っていたりする。クライアントは本来ならばそうした構図を見抜き、ソフト製作を丸投げせず、直接製作出来る腕の確かな業者を選んでチェックしながらソフトを作っていかなければならない。そういった、業界の裏の裏やコンピュータ一般に関する広くて深い知識を持った男、それがことり氏である。これ以上持ち上げても仕方ないのだが、私が40年近く生きてきて、最も信頼出来る最も優秀な男、それがことり氏である。コンピュータ・プログラマーであり、生物学科出身で、ミュージシャン、高校入学時には水泳部に所属した男、さらには2児の父、その彼にも弱点はある。テレビドラマの話題にはついていけないということだ。

 ITコンサルタントとして超一流であることは疑うべくもない。その彼が、マネアナの開発課長として今始めようとしているのが、マネアナITなんでも相談だ。私などは友人という甘えで年がら年中無料相談を受けているのだが、普通なら相当な料金を払わないとITコンサルタントは雇えないものを、何と月4万の顧問料で先程から紹介しているような親身のコンサルティングをしてくれる。ソフト開発もN●CやI●Mあたりに頼むととてつもない値段になるものを孫請け価格でより優秀なソフトを作ってくれる。これを利用しない手はないと思う。

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車上荒らし(平成14年11月14日)
 私にとっての4代目レガシィちゃんは、来年3月に車検を迎えるが、昨年8月の事故やパワステオイル漏れなど、修理するには金がかかるが、修理しなければ車検を通らないだろう様々なポイントが多く、車検切れを期に退役(廃車)予定であった。しかし、今回更なる重大な災厄が降りかかってしまった。私は仙台から戻って以来、3月に廃車予定のため、駐車場を借りず、とある工場地帯の駐車禁止でない道路を転々と路上駐車している。今回も数日間の駐車の後、仕事に使うため、いつものように車を取りに行った。キーを差し込み回すと、ロック解除の手応えがない。そして、車の中を見ると、助手席に地図やダッシュボードの中身が積み重なっていた。「げっ、何だこりゃ」と思い、ふと後部座席を見ると、ガラスが散乱している。さらによく見ると、後部座席後ろの三角窓が割れている。そう、賊は一番小さい窓を割り、そこから後部ドアの鍵を開け、さらに運転席のドアを開けたものと推測される。そして、何か金目のものはないかとダッシュボードの中身を物色したのだろう。しかし、残念ながらたいしたものは入っていない。よく、車検証を持っていかれなかったものだと思う。多分犯人は次にトランクを開けようとしたはずだが、さらに残念なことに、トランクを開けるためのレバーは馬鹿になっており、キーで開けないとトランクは開かないのだ。ゴルフ場に行って、クラブハウス前に車を止めると、エンジンを切って、キーを持って後ろにまわり、トランクを開けないとゴルフバッグを出すことが出来ない。非常に面倒くさい瞬間だ。それはともかく、トランクにもゴルフ道具以外金目のものは入っていない。犯人さん、よくぞ腹いせにエンジンやタイヤ持っていかないでくれましたと言いたい。しかし、また金のかかる修理箇所を作ってしまった。まあ、仕方ない、廃車を早めるしかないだろう。それまでは、ガムテープで目張りしてしのごうっと。

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さん付け(平成14年11月2日)
 テレビに象が出てきたときに「ぞうさん」と呼んで人に笑われたことがある。長い雨の後に太陽光が射してきたときに「お日様が射してきましたね」と言ってしまい、それに気付いて恥ずかしくなったことがある。「ぞうさん」、「きつねさん」、「たぬきさん」、「きりんさん」、「ぶたさん」。よくよく考えてみると動物の名前をさん付けで呼んでいることが多い自分に気がつく。みんな「象」、「狐」、「狸」、「キリン」、「豚」と呼び捨てにするらしい。らしいって、おまえさんだけだよさん付けするのはって言われそうだが、他にも結構いるのではないかと私は思っている。

 何故か、動物にさん付けしてしまう癖がついてしまった理由を私は、多分次の2つのテレビ番組の影響と考えている。その番組とは、「Dr.スランプ」だ。このアニメの中で主人公のアラレちゃんはなんでもかんでもさん付けで呼んでいた。そして私はこのアニメをよく見ていたのだ。太陽をお日様と呼んでしまうのはこの番組の影響を非常に大きく反映しているのではないかと思う。しかし、その1つの番組だけでそんなに影響を受けるはずがない。そもそもDr.スランプは高校時代の番組だ。そこで、よくよく記憶の糸を辿って見ると、幼児期にある番組を見ていた事に気がつく。その番組の名は「家族そろって歌合戦」だ。そう、「ぞうさんチーム」、「たぬきさんチーム」、「うさぎさんチーム」などと名付けられた家族が♪ぞ〜おさんぞ〜おさんや♪しょっしょっしょうじょうじや♪たらったらったらったウサギのダンスのメロディに乗って登場し、歌唱を競うあの番組だ。確かTBSの日曜午後の番組だったと思うが小さい頃いつも見ていた記憶があり、タイトル、司会のてんやわんや、チームの登場の音楽、そしてぞうさんチームなどのチーム名が鮮明に記憶されている。幼児期の記憶は原体験やトラウマなどその後の人生に大きく影響するという。家族そろって歌合戦で植え付けられ、アラレちゃんに補強されたさん付けの癖は、今も私にぞうさん、うさぎさんと呼ばせているのだろうか。家族そろって歌合戦とDr.スランプの両方を体験している人は多い。あなたの周りにもいませんか、ぞうさんって言ってる人。いや、きっと居るはず。

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今年の冬は寒いかも(平成14年10月29日)
 10月29日、トップ画面のJavaScript画像を、早くももみじから雪に替えてしまった。私は普通の年なら10月末はまだ夏服、しかもYシャツは半袖のままである。長野宮城で冬を過ごすのに、11月頭くらいで冬服にしていてはとても乗り切れないし、そもそもが暑がりだからだ。しかし、今年は少々様子が違うようだ。9月中旬以降断続的に降った秋雨のために地表が冷やされたのか、例年のような東京の強烈な残暑というのが今年はなかったように思う。すぐに秋がやってきたように思えるので、ある意味本来の夏・秋だったのかもしれないが、今年の秋は極めて秋らしい。そして11月を目前にした今は朝晩は寒いくらいだ。少なくとも半袖のYシャツは着る気がしない。

 私は天気予報士ではないから、予想などおこがましいが、この時期に磐梯山がもう冠雪したとか、泉ヶ岳で雪が降ったなどと聞くと、どうも今年は冬の到来が早いのではないかと思える。寒波が来ていたからではあるにしても、11月の声を聞かない内に寒波が来て、本州で雪が降ったなどと聞くと、1月末から2月にかけての頂点はどうなっちゃうんだろうって今から心配してしまう。今年の冬はとっても寒そう。

 話は変わって、冬と言えば、凍った路面で滑る人が絵になる季節だが、雪や氷ならぬ雨のエスカレーターで、先日滑って転がるという経験をした。まずいことに転んだ瞬間に肩から下げたカバンが落ち、エスカレーターとの間に指をはさんでしまった。薬指の爪のところが内出血状態になってしまって、しばらく寒いし痛いし、気が遠くなりそうだった。電車に座って痛みに耐えているときふと思った。「ああ、俺は身体を痛めつける拷問には耐えられないかも」それはさておき、その後しばらく箸がまともに持てなかった。う〜む、薬指一本で箸も持てなくなるのか、これじゃゴルフクラブなんてとても握れないな。ラウンド間近じゃなくて本当によかった。

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ノーベル化学賞(平成14年10月10日)
 今日は本当なら体育の日だったはずなのだが、ハッピーマンデーとやらでどこかへ行ってしまったので、携帯の時計表示を見るたびに妙な気になる。さすが晴れの特異日、これで月曜雨が降ればざまあみろだな。そんな、元体育の日の新聞、ワイドショーを騒がしたのが、島津製作所の一社員、田中耕一さんのノーベル化学賞受賞だ。何が凄いって、前日の小柴先生の場合は例のカミオカンデ絡みだから、分からないでもないが、日本の一企業の一研究者が受賞するというのは、ノーベル賞の選考の背景を考えればやはりとんでもないことだ。新聞や各種報道を見ている限り、会社が推薦したわけでもなければ、もちろん自薦でもない。所属する日本質量分析学会の人の談話を読んでも、推薦した形跡はない。日本国内の学会の派閥学閥主義などを考えればどう考えても国内からの推薦ではない。文学賞などでも言われることだが、論文あるいは作品が英訳されて、外国で通用していなければまず受賞は考えられないもののはずだ。

 私は完全無欠の文系人間なので、「生体高分子の同定と構造解析の手法の開発」などと言われても何の事やらさっぱり分からないが、田中さんの研究成果はそれこそ島津製作所がタンパク質解析装置として既に実用化されているわけだから、この装置自身が推薦への大きな原動力になったのかもしれない。

 本人はひょうたんから駒と言っているようだが、昭和62年(ちなみに私が会社に入った年)に開発したと言うことは、その時の年齢は28歳だ。これは大変な衝撃を日本の研究者に与えるだろうし、もはや励みなんてものではない。28と言えば、私の周りにも大学院生などがごろごろいる年齢層だ。この連中にしてみればすぐ目の前に、何の変哲もない普通の研究者がノーベル賞を取ったという事実だけが突きつけられる。これはもう日本人宇宙飛行士なんて目じゃない。理系の大学生や企業の研究者が目の色を変えてくれれば、その効果は絶大なはずだ。分数の計算の出来ない大学生の話などもううんざりするほど学力低下の話ばかり聞かされてきて、日本はもう終わりだと思っていた私のような人間でも、この受賞は本当に凄いことだし、素晴らしいことだと思う。これをきっかけに日本が元気になれば、田中さんは文化勲章なんかではなく、勲一等旭日大綬賞ものだ。それにしても、ご本人と島津製作所は、これから当分の間、大変だろうなあ。

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夏休みと喪失感(平成14年8月18日)
 夏休みと喪失感と言っても、♪麦わら帽子はもう消えた♪の吉田拓郎の夏休みという歌のことではない。今年の夏休みは極めて充実したものになるはずだった。普段からまともに休まず、会社に入って以来、本当の意味での骨休めをしたことのない私としては、本当はくた〜っと休んでみたい気がしていたのだが、長野県知事選に首をつっこんでしまったおかげで、極めて忙しいがしかし充実した休みになるはずだった。そうそう、私にとっての”休み”と言う言葉は仕事をしない日というのと同義語であり、花岡氏の選挙を手伝う動機として、産経新聞の元花形記者が恥ずかしい選挙をすれば、産経新聞のマイナスイメージにつながるという感覚を持っていた私としては、結局休んだ事にはならないのだった。

 長野県知事選の各候補者はそう言う意味では苦労している。選挙戦スタートの8月15日と言えば、お盆休み真っ盛り。動員から何から、それこそみんな休みでままならない。休みを潰して選挙戦につっこんだ私などは、もう何がなんだか茫然自失の状態に陥ってしまった。もっと早く降りてくれてれば、同じ長野に行くのでも、最初から、観光とか三三七拍子に飲みに行くとか、日にちを選んで、もっと楽しい思い出作りに行けたはずだ。あるいは、降りていなければ、告示日からの2日間、死にものぐるいでポスター貼りに走り回り、それはそれは充実した日々を送れるはずだった。

 田中でもなければ、県政会のロボットでもない知事を目指して立候補した花岡氏を応援しようとしたのは、会社の先輩に事務所開きに連れて行かれてからだ。それまでは、私も花岡さんは何をトチ狂ったんだろう、反田中が長谷川で決まりなら、花岡さんの立候補は余計な事だと思っていた。出来たら降りてくれた方が、会社のためにもなるし、本人も傷つかなくて済むだろうと思った。当選しても、惨敗しても、会社にとってはマイナスだと思った。県政会と有力なパイプのある、ある社長さんと電話で話した時も、私自身が上のような話をしたものだ。ただ、その社長に、花岡さんはポスターも満足に貼れないだろうし、数千票しか取れないんじゃないのと言われた時は少しカチンと来た。

 会社の先輩に事務所開きに連れて行かれ、そのあまりにも何の準備も出来ていない姿を見て、悪戦苦闘している秘書の人と話をしてから、少し気持ちが変わった。あれは革労協のシンパだという話を聞き、そんなものを押し立てて居るのかと思った事も心の変化をもたらした。何とか恥ずかしくない選挙戦を戦って欲しい。そしてうまく風が起きればいいところに行けるんじゃないか。そのためにはとにかくポスターを貼ること。そう思っていろいろ努力を開始した。翌週の日曜も長野入りし、いろいろ手伝いをして、あの12日のパーティー。森喜朗前首相の「この一番大事な時に、なんで花岡さんを東京に引っ張って来るんだ。中條さんあんたが金集めすればいいんだ。1万円の会費を払ってよしとするのではなく、ここにいる一人でも多くの人が長野に行ってポスターの1枚でも貼るというのが本当の応援だ」という鬼気迫るエールに感激し、評論家三宅久之氏の、「私も長野入りして選挙カーに乗りたい」と言ってくれた話に感激し、首都圏の某市議・区議さんの、告示日にはポスター貼りに応援に駆けつけてくれるという申し出に感激し、今後の展開に力強い手応えを感じた。しかし、その盛り上がりが長谷川陣営の焦りを誘ったのかもしれない。それはそれはもうあの手この手の大攻勢だったのだろう。最後の一本化工作が行われたのはその翌晩遅くのことだ。花岡さんの実家には、深夜黒塗りの車が何台もやってきたことが近所の人に目撃されている。きっと電話も凄かったのだろう。事務所を引き上げるまでは戦闘モードだったのが、選対本部長や事務局長、推薦人代表に相談する前に結果的に落城してしまった。

 今更何を言っても始まらない。降りてしまったのは事実なのだから。罵詈雑言に書いたように、金などもらってないし、もらっていたとしたらただじゃ済まさない。そうだな、精神的苦痛を受けたとして、100万くらいは出してもらわないと。しかし、金で解決しようとすれば、それこそ花岡さんは蹴ったはずだ。しかし、世間はそうは見ない、松本あたりでは、高校生まで、ありゃ県政会に金もらったに決まってるせーと言っているらしいし、自民党の某代議士が1億円用意したなんて話もある。事務所に来る苦情電話も一主婦なんていう葉書も金もらったと決めつけている。政治には往々にしてあるなんていうのは、旧世代の密室政治の話で、深夜から早朝にかけての密室で決まったということだけでも、これはもう、花岡さんは男を下げてしまった。あれだけ批判していた陣営と手を組むなんて、政治のプロならいざ知らず、我々素人はもう信用しないだろう。仮に花岡さんが今後他の選挙に出ることがあっても、もう応援はしない。私の心にぽっかり空いた穴はそう簡単には埋まらないのだ。

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ネクタイ(平成14年8月3日)
 今ニュースを見ていたら、住基ネットに対する自治体の対応のニュースをやっていた。住基ネットに関しては、罵詈雑言に書くつもりだが、ここでの本題はネクタイだ。私はネクタイが嫌いである。携帯は好きだが、ネクタイは嫌いだ。よく、携帯は首を鎖で繋がれているみたいで嫌だというが、ネクタイの方がよっぽど鎖みたいだ。だいたい、何の根拠でネクタイをしなければいけないのか。どう考えてもネクタイをしている社会人の方が多いから、習慣でしているとしか思えない。所詮はファッションの一形態でしかなかったものが、いつのまにか、しないと礼儀知らずのようなえらそうな代物になってしまったのではないか。ネクタイは冬はマフラーの代わりになるし、首に一枚布がまかれているだけでかなり暖かい。しかし、当然の事ながら、夏は。。。私のような大汗っかきはもう大変。Yシャツはもちろんのこと、ジャケットだって着てればびしょびしょになるくらい汗をかくのに、何でネクタイをしなけりゃいけないの?そう言いつつも、私の普段しているネクタイはほとんどキャラクターものである。スヌーピーだけで5本あり、これだけで1週間回せる。そのほかにピカチュウ2本、ミフィー、ストレイシープなどがある。実はネクタイを結構楽しんでいるかも。でも、夏はネクタイもびしょぬれになって嫌だ。

 さて、ニュースの話に戻るが、中田宏横浜市長の記者会見が映っていたが、彼はノーネクタイだった。我らが石原都知事も当然のことながら、ノータイである。一方で小泉首相や片山総務相はネクタイをしている。前者に比べてやっぱり暑苦しい。これを見ていて思ったのは、テレビの狂気じみた影響力をもってすれば、ノータイは恥ずかしくない、ノータイは礼儀知らずではないというイメージを広められるのではないかということだ。小泉首相をはじめとする閣僚、トヨタの奥田経団連会長をはじめとする財界人、NHKのアナウンサーをはじめとする、テレビのアナウンサー連がみんなノータイで画面に登場すれば、ノータイも市民権を得るだろう。まあ、記者会見している人達はクーラーの効いた涼しい家から、クーラーの効いた涼しい高級車に乗って、クーラーの効いた涼しい職場で仕事をしている人達だから、簡単にはネクタイを外してくれないだろうが、なんとかして欲しい。ノーネクタイ運動は、吉野家でねぎだくを広めるようにはいかない。偉い人の視線があるからだ。あ〜あ、明日はノーネクタイでつくる会のシンポ行こうっと。

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今やなくてはならないもの(平成14年7月29日)
 昔はなかったのに、今はなくてはならないものというのが、たくさんある。まず第一に携帯電話だ。携帯のなかった時にはいったいどうしていたんだろうと思うが、例えば女の子とスケートに行く約束をして、水道橋の駅で待ち合わせし、時間になっても来ないどころか、2時間も待たされるなんてことがあって、自宅に電話しても電話に出ない、どこでどうなっているか分からないから、とりあえず待っているしかない。今だったら、携帯に電話すれば状況が分かるし、もし何回電話しても留守電になっていれば、こりゃあもうだめだってことで、留守電にひとこと「死ね」とか吹き込んで帰ってしまえばいい。携帯もポケベルもないときは、1日2回会社に電話しなければいけなかったが、今では用がなくてもガンガン電話がかかってくる。そうそう、私はポケベルが嫌いだった。あんなに失礼な道具はない。用がある人が、用がない人に電話よこせと強要する機械だからである。

 クーラーもないと生きていけない。昔はクーラーなしでも十分生活出来たのに、何でクーラーなしでは生きていけなくなってしまったのだろう。身体がそういう風に改造されてしまったのだろうか。やはり、ヒートアイランド現象のせいなのだろうか。駅で、電車に乗るとホッとする。その一方で、地球温暖化はいたちごっこの様に進んでいく。一度、このクーラーシステムが徹底的に破壊されない限り、地球全体をクーラーで冷やさなければならないところまで行ってしまうのではないか。そういう意味では、長野などクーラーなしでも暮らせるのだから、なんとかそのまま歯止めをかけて欲しいものだ。

 そして新幹線。っておいおい何か違うんじゃないか?しかし、新幹線なくして、今の出張事情は語れない。東海道新幹線はともかく、東北新幹線や長野新幹線は、なかったらと思うとぞっとする。そういう意味では、東北道も上信越道も中央道もなくてはならないが、それは別にどうとも思わない。

 しかし、何と言っても今の私にとってなくてはならないのは、エスカレーターだ。そんなもん戦前からあるよと言うなかれ。数年前までの私はエスカレーターと階段が併設されていれば、必ず階段を上ったものだが、今や、駅でもエスカレーターがあるところまで回り込む始末である。階段を上って身体を鍛えようなんて気持ちはさらさらない。階段昇って青息吐息の毎日だ。ああ、ドラえもんのポケットから携帯エスカレーター出してくれないかな。

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遺言(平成14年7月15日)
 39歳という若さで、近頃体力の限界を痛切に感じる。階段を上れば青息吐息、くそ熱いコンクリートジャングルを500mも歩けば気が遠くなる。運動不足と言われればそれまでだが、今やただ座ってビールを飲むだけで、動悸がしているありさまだ。咳をして、痰がのどにひっかかったままとれない感触もここのところずっと続いている。病院へ行けと言われそうだが、そこまでの自覚症状でもない。こんなことで、田舎から上京して、首都圏の激戦区でやっていけるのかと思うが、仕事は仕事で、倒れるまで全力疾走するしかない。それが私の性分だ。

 そんな訳で、先日、私がこの世で最も尊敬し、信頼する他者であるkotori氏と夕食をともにした際、私にもしものことがあったら、葬式については、是非下記のようにやってもらいたい。この遺言を実行してもらうようにお願いをした。まあ、いずれもたわいもない話ではあるが、明日の朝、起きないかもしれないので、ここに書き記しておこうと思う。

 

  • 私の葬儀の際には、葬儀委員長をkotori氏が務め、弔辞はkotori氏一人が読むこと。
  • 私の葬儀の際には、棺桶に目玉マークの産経新聞社の社旗をかけてもらうこと。
  • 私の遺骨は、墓などに入れず、粉にして富士山(山頂、山腹を問わず)にまくこと。
    以上がことり氏との約束事項である。さらに私の要望としては、
  • 私の葬儀の際には、受付に産経新聞購読申込書を置き、参列者で産経を取っていない人は、供養のため1年以上の契約をすること。
  • 私の葬儀の際には、花環、生花等は次の1つの他は完全に順不同とし、誰も並び順に文句をつけないこと。
  • 私の葬儀の際には、CHB−OB会の生花もしくは花環を必ずどちらか一基出すとともに、喪主、施主を除く最上位の位置に置くこと。
  • 私の葬儀の際にはあらかじめ私が葬儀委員長に告知してある関係者には必ず参列してもらうこと。
  • 私の所持品はいったん全てkotori氏に管理を委ね、その後に形見分け等を行うこと。
  • 以上のことが出来ない場合は私の葬式は出さないこと。
 非常にお気楽極楽なお話でした。たとえ明日でも20年後でも、以上のこと、よろしくお願いします。俺より先に死ぬなよ。

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フーリガンは来なかった(平成14年6月23日)
 トルコ対セネガル戦はサッカー素人の私が見ていても本当に面白かった。やっぱ、フットボールの方がベースボールより、遙かに面白いよ。でも、やっぱりラグビー・フットボールの方が俺は好きだな。それはさておき、セネガル戦でのゴール枠に飛んだトルコのシュートは何と2本しかなかったという。その内1本が延長ゴールデンゴールだ。それでもトルコは勝った。拮抗した力のぶつかり合いの中で、少ないチャンスをモノした方が勝つという見本だったように思うが、そうだとすれば、スペインもイタリアも少ないチャンスもモノにしていたのに負けたということになる。そう、韓国は2回負けているはずなのに、ベスト4。これが、ホーム・アドバンテージの魔力か、はたまた脅迫か無言の恐怖か、買収か。ドイツもやばいな。どんなにゴールを決めても全部ノーゴールにされたりして。

 日本戦では、審判が恐怖を覚えるようなホーム・アドバンテージはなかった。ただし、予選リーグではやはりサポーターの応援が日本代表の後ろから強烈な追い風を吹かせていたと思う。しかし、宮城スタジアムではその追い風が雨に鎮められてしまったのではないだろうか。韓国の赤一色のスタンド、日本の青一色のスタンドが追い風を吹かせる。あの土砂降りの雨は日本サポーターの青いシャツを白い合羽で覆ってしまった。その夜一番町で奇声を上げるサポーター達を見て私は思った。そんな元気が残ってるなら、何でスタジアムで青いシャツのまま応援しなかったんだよと。選手は合羽なんか着られないんだぞと。

 あと4試合でW杯が終わる。フーリガンはとうとう来なかった。いや、まだドイツがベスト4に残っているからなんとも言えないが、イングランドとアイルランドの去った今、世界最悪のフーリガン襲来の危機は去ったとほぼ言えるだろう。起こるかも知れない騒乱を考えれば、すすきのの多くの店がイングランド対アルゼンチン戦の夜、シャッターを降ろしたという選択は実に正しいと思う。ドーバー海峡の両側ではきっと今でも、その時は台風に備えるように家を封鎖してしまうんだろうから。

 W杯はいろいろな民族特性を浮き彫りにするが、日本にでキャンプを張った各チームは淡路島でのイングランド、中津江村のカメルーンに限らず、その歓迎ぶりにさぞかし驚いたことだろう。キャンプ地になった各市町村は、単なる観光誘致という以上の歓待ぶりを示していた。指宿のいちホテルが誘致したフランスだけはその恩恵を受けなかったかもしれないが、母国からやって来るサポーター以外に、開催国民が専属サポーターとして応援してくれるというのは、心強かったに違いない。もっとも、カメルーンが中津江村を選んだのはあまりに僻地過ぎて、これならサッカー以外の雑音から遮断出来ると目論んでのことだったらしいから、自分たちが遅れて来たおかげで、一躍中津江村を有名にしたあげくに、もの凄いマスコミの取材攻勢を受けることになってしまったのだから皮肉なものだ。しかし、縁を大事にする日本人の優しさを各国とも思い知らされただろう。同じH組の敵であるベルギーを熊本では歓待したが、こんなことは普通考えられないことだという。普通なら、ロシアキャンプの清水のグラウンドに除草剤が撒かれた事件の類とか、今回無かったようだが選手の宿泊施設の周囲で大騒ぎして選手を寝かさないなどは、よくあることだという。そう考えると、敵チームだろうが、敵国のサポーターだろうが、みんなまとめて歓迎してしまう日本人は、やはりお人好し民族なのではないか。かく言う私も、日本対ベルギー戦の前夜、ベルギー人のおねえちゃんに親切にしていたのだから、やっぱりお人好しの血が流れているかも。

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ニッポン・チャチャチャ(平成14年6月13日)
 フランス、アルゼンチンが予選リーグで敗退し、今日もあわやのところでイタリアまでもが、決勝トーナメントから姿を消すところだったが、赤黒チェックのクロアチアが敗れて事なきを得たようだ。そのイタリアが今日戦ったメキシコ戦を見ていて、メキシコが攻勢のときの観衆の声援が私にはこう聞こえた。

「メヒコ・チャチャチャ」

昨夜、ちょっと駅の様子を覗きに行った時、スウェーデン・サポーター達が仙台駅構内で「スウェーデン・チャチャチャ」をやっていた。競技場に来ている客の少なくとも半分は日本人だ。仙台駅で見ていると黄色のスウェーデン、水色のアルゼンチン、それぞれのシャツを着た日本人のなんと多いことか。韓国と違って日本人サポーターは平気で外国チームに感情移入出来る。その最たるものが中津江村のカメルーン応援団だろう。きっと、その連中が試合中に「○○チャチャチャ」をやっているのを外国から来たサポーター連中が一緒にやっているうちに覚えてしまったのだろう。9日の夜の仙台駅はメキシコサポーターに占領されていたが、ところ構わず日本人客が彼らと記念写真を撮っている姿がほほえましかった。その時は、日本対ロシア戦があるので、脇を通り過ぎただけだったが、あのソンブレロ軍団が今日大分で声援を送っていたと思うとなんだかうれしい。

 話は違うが、あるFIFAオフィシャルホテルの人と話していて、FIFAのスポンサーシップの恐ろしさをまざまざと聞かされた。オフィシャルホテルには、FIFAの役員や対戦チームのVIP、例えば大使などが宿泊する。試合の日にはPRESTIGE RECEPTIONなどがあるが、試合会場へのケータリングなども担当するらしい。そのパーティでは、飲み物はオフィシャルパートナーであるバドワイザーのビールやコカコーラの清涼飲料水が大量に持ち込まれるので、ビールやジュースはホテルの売り上げにはならない、料理やワインだけなのだという。また、例えば紅茶を出したとして、それがリプトンの紅茶だとすると、リプトンというブランドが分からないようにタグを切っておかなければならないという。スポンサーシップの強烈な制約にもの凄く気を遣わなければならないらしい。一方、客室も○月×日△人と指定があれば、その部屋数を必ず提供しなければならないので、常に一定の空室を確保して置かねばならず、かといって買い上げというわけではないから、埋まらなかった分はホテルの持ち出しである。それでいて、コミッションは取られているのだから、ボランティアより大変かもしれない。あるのは名誉だけである。

 スポンサーといえば、空席問題も必ずしもFIFAやバイロムだけのせいではなく、オフィシャル・パートナーやオフィシャル・サプライヤーがチケットを持て余して、直前まで抱えていた例をいくつか聞いた。韓国のように、もともと自国戦以外はチケットが売れないというのは論外だが、チケットが売れていないというほかに、スポンサー席が埋まってない例もあるかもしれない。いろいろとお騒がせなW杯ではある。

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やっぱり書かずにいられない (平成14年6月9日)
 私はサッカーについてはラグビーほど詳しくないし、昔からサッカーを見てきた人達に失礼なので、ワールドカップについて書くのは止めようと思っていたが、この歴史的勝利を前にしたら書かずにいられない。いくらホーム・アドバンテージがあるとはいえ、やはり2試合終わって1勝1分はうれしい。飛び上がりたいくらいうれしかった。

 ロシア戦については、事前の論調も抑制が利いていて苦戦が予想されたが、ベルギー戦よりも安心して見ていられる展開だった。そして、ワールドカップ初勝利。ロシアのインディペンデント紙はロシアが勝ったら北海道を捕る、日本1−0で国後を返すというジョークを載せていたらしいが、さあ国後を返してもらおうじゃないか。

 6月3日の晩、たまたま六本木に飲みに行った帰りに終電間近の地下鉄で外人のおねえちゃんとお話した。日比谷線の最終に間に合わず、大江戸線のホームに来たものの、自分の宿にどうやって帰ればいいか私に尋ねてきた。そこに居合わせた外人のおじさんは、イングランドサポーターで、勝どきのホテル浦島だと言うが、おねえちゃんは新御徒町まで行きたいという。本当は稲荷町に行きたいらしく、しかも宿の名前を覚えていないらしい。なんて無謀な旅をしているのか。既に電車は清澄白河までしかない。そこまで行ってタクシーを拾うしかないと説明し、ところでどこから来たのか聞くと、なんとベルギー人で今はロンドンに住んでいるという。げげっ、レッドデビルか。でも彼女は言っていた、日本が1位でベルギーが2位で決勝トーナメントに行くのがいいと。ところで明日は中田は出るのかと聞いてくるので、もちろんだが、小野のおなかが心配だと言うと、小野知らないという。なんじゃいそりゃあ、と思ったが、こっちはベルギーの選手の名前なんて全然知らないのだからまあしょうがない。イングランドのおじさんは、スウェーデン戦の引き分け残念でしたねというと、惜しかったがいい試合だったと言っていた。フーリガンのことばかり言っているとこういう交流も出来ないわなあ。

 フーリガンの騒ぎがあまりなくて、拍子抜けしているようだが、各国の徹底した出国防止措置が効いているということで、いいことだ。フリーで入れたらとんでもないことになるんだから、いずれにしろ警備は厳重じゃなきゃいけない。昔から、ラグビーの5ヶ国対抗(今は6ヶ国)のシーズンにラグビーマガジンを読んでいると、まるでドーバー海峡を挟んで侵略軍が遠征してるみたいな騒ぎのことが書いてあって、フーリガンの恐ろしさは20年くらい前から知っている。それを考えれば、今回とりあえずそんな騒ぎが起きてなくてよかったんじゃないか。

 さて、今日は宮城で最初の試合があり、仙台駅に着いた8時頃は駅の構内にメキシコサポーターがうじゃうじゃいて、メヒココールを繰り返し、騒然としていた。新幹線改札の前ではメキシコサポーターと日本人観客がそこら中で記念写真を撮っていた。それを見て、ああニッポンでワールドカップやってるんだ。いいなあ、よかったなあと思った。たとえにわかサポーターでも、日本中がサッカー一色になって燃える。実に素晴らしい。日本の成績はもちろん大事だが、観戦にやってくる世界各地のサポーターと交流出来、サッカーの人気がもっと盛り上がれば、ワールドカップアイ症候群があっても、Jリーグも盛り上がるだろう。次はラグビーワールドカップを日本に招致して欲しいものだ。そうしたら、俺は何が何でもチケット取って見に行くぞ。なんせにわかファンじゃないからな。

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恐るべしセブンイレブン (平成14年5月16日)
 昼飯におにぎりを食べようと、宮城県北某所のセブンイレブンに寄った。昨年末の痛風騒動以来、出張中は半ばおにぎりが主食のようになってしまった。さて、梅とかシャケとかの他に、セブンイレブンで私は必ず赤飯おこわというおにぎりを買う。この3つを持って、レジに並び、会計を待った。パートのおばさんがバーコードリーダーを操る。すると、突然カウンターから出て、おにぎりの棚へ行き、残っていたもう一つの赤飯おこわを持ってきて両方を見比べながら言った。「すいません、賞味期限が来ているので、お売りできないんです」、「えっ」

 私はどうしても赤飯おこわが食べたいので、別に腹壊しても訴えないから売ってよと、おばさんに訴えた。しかし、おばさんは、「いえどうしてもだめなんです」という。どうやら、バーコードにまで賞味期限が入っているのか、売れば分かってしまうからのようだ。どうしても食べたかったが、「じゃあ、ロスにするならただで頂戴」と言おうかと思ったが、さすがに恥ずかしかったのでやめた。仕方がないので、赤飯をあきらめ、チャーハンおにぎりにした。

 あの2つのおにぎりはロスとして処分される。2時半だったが、賞味期限4時というおにぎりがもう売れないという。なんだかきつねにつままれたようだったが、金を払って買うという客がいるのに絶対売らない。仕入れは取り消せないから、原価は本部に支払わなければならない。まあ、その分売値に上乗せされているんだろうが、儲けようとして知らん顔して売ったら、POSでばれて、おそらくペナルティでもあるのだろうし、エリアマネージャーの目が光っているのだろう。はっきり言って、宮城の農村地帯の国道沿いのセブンイレブンである。こんなところにまで、マニュアルが徹底している。ファーストフード、ファミレス、コンビニにレンタルビデオ屋と、この世にマニュアル商売は多いが、ここまで何から何までがんじがらめに管理されてるのはコンビニが一番だろう。一体何で店の特色を出すのだろう。そもそもマニュアル商売に特色なんて必要ないか。マニュアル通りが100点満点として、どこまで完璧にマニュアルに近づけられるかの減点法でやっているのだろう。一人で何十店も担当している新聞社の担当員と違って、コンビニのエリアマネージャーは一人当たりほんの数店しか受け持っていないらしい。より精密なマニュアルを作り、それをいかに現場に完璧にこなさせるかが勝負なのだろう。マニュアルだから簡単だと思ってはいけない。実際に動くのは生身の人間であり、パートの主婦や女子高生など、およそ商売向きでない人たちを使いこなさなければならない。オーナーや店長、エリアマネージャーもさぞかし苦労が絶えないだろう。新聞社の担当員とコンビニのエリアマネージャーの比較についてはいずれ新聞裏話の方で書いてみたいと思う。

 それにしても、何故赤飯おこわにこだわるかって?一番腹にたまる感じがするから。

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スキンヘッドにしてみて (平成14年5月6日)
 トップページの写真にあるように、5月3日に床屋に行ってスキンヘッドにしてきた。最初に五厘刈りにバリカンをかけ、しかる後にカミソリ負け防止ローションを塗り、剃髪する。しかし、どうも剃っても剃っても後から後から伸びてくるような感じだ。全然ツルツルって感じじゃない。しかし、我ながら坊主に合う頭の形だ。癖になりそうである。そんな話はどうでもいいのだが、何故この時期に突然スキンヘッドにしてみたか。だいたい、営業マンのくせにスキンヘッドなどとんでもない。

 初めて五厘刈りにしたのは7、8年前の事だが、最初はそれは驚かれた。それからほぼ毎年のように、夏になると五分刈りまたは五厘刈りにしているので、今ではあまり驚かれなくなった。しかし、昨年は怖いと言って反対する人がいたのでやらなかったため、仙台の皆さんは、今年初めて私の五分刈りを見て驚き、何か懺悔するようなことでもしたんですかとおっしゃる。ほら見ろ、怖くないじゃないか。よしとりあえず短髪には慣れてもらったぞということで、よく見ると、そこにはGWが横たわって居るではないか。3日に剃れば、7日にはもう五厘刈りくらいになるし、月中には五分刈りくらいに伸びるだろう。これなら、やっても営業上問題ないはず。よーし、やっちゃえ。ということで、初めて五厘にしたときに比べたら、勇気なんて全然必要なかった。

 一度丸坊主にしてどのくらいの早さで髪が伸びるのか試してみたかったのが一つ。外見が変わっても中身は変わらないということ、あるいは外見が怖くても中身は優しい、つまり、外見は後天的に作られるものだということを周囲の人によって証明してもらおうと思ったのが一つ。一度ゼロにしてやり直すということの快感を味わってみたかったのが一つ。私は反省するときに坊主になるという選択肢がありませんという宣言。これらが、スキンヘッドにした理由だ。業界内の人ばかりとのつきあいなら、本当にスキンヘッドにしてみてもいいかなとは思うが、やっぱり手入れは面倒だし、読者にも会わなきゃいけないし、まあ、内勤にでもなったら、スキンヘッドにしちゃうかもしれないけど、今回は1日だけのトライということで。それにしても、予備校時代には肩まである髪をカーリーにしていた男が20年経って、ずいぶんと変わったものだ。

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今日はいいものを見た (平成14年4月27日)
 今からちょうど20年前の冬の夜、私は高校3年生で受験勉強をしていた。時間は10時頃。突然、外で女の人の悲鳴がした。私はすぐ2階の窓を開け、大声で叫んだ。ほぼ同時にお袋も玄関に飛んできて大声で叫んだ。私が、階段を駆け下り、サンダルをつっかけ表へ出ようとした目の前を通り魔が走って行った。私が追いかけると、犯人は路地に置いてあった車に飛び乗り、急発進して逃げた。しばらく追いかけつつ、車のナンバーを暗記し、警察に連絡しようと家に戻った。ちょうど、被害者の女子大生のおねえさんを抱きかかえて、お袋が玄関に入るところだった。おねえさんは、犯人ともみ合った時に、手でナイフを握ったらしく、掌から血を流していた。私は警察と救急に電話し、駆けつけた警察に状況を説明した。パトカーが到着するに及んで、ようやく近所の人たちが様子を見に表へ出てきた。女の悲鳴が聞こえても出てこなかった人たちが、パトカーが来ると何事かと出てくる。今の日本は大体そんなもんだろう。

 今日の訪店の帰り道、夜7時頃、宮城県本吉町内の商店街を走っていた。私の前には軽自動車が1台。その100mくらい前のカーブで事故は起こった。軽のワゴンが対向車線へ大きくはみ出し、急ブレーキを踏みつつすぐ自分の車線に戻ろうとしたが、対向車と接触したのだ。その瞬間、凄い音とともに火花が散った。私も前の軽も車を寄せて止め、事故った車が動くのを待った。しかし、エンジンかミッションをやられたのか、動かない。押しに行こうかとも考えたが、止まっている2台の事故車の間を、飛び散ったガラスやプラスティックをバチバチ踏みつけながら、対向車線から車がやってくる。よく見れば、すぐ向こう側にガソリンスタンドがあり、お兄さん達が出てきた。きっと動かしてくれるだろうと思い、動くまで待とうと思って車の中から見ていた。すると、通り沿いの人たちが、懐中電灯や竹ぼうきを持って来て、交通整理しながら、事故の後片づけを始めたではないか。ある程度掃き終わったところで、通してくれたので、私はその場を去った。

 女の子が通り魔に襲われていても誰も出て来ないところがあると思えば、事故の後始末をみんなでやる商店街もある。今日は昼間、近頃の若い奴は、言われないと何もしないという話をしたばかりだった。先日、会社の内務部門の気のきかなさに腹を立てたばかりでもある。竹ぼうきで掃除するおばさん達の姿を見て、20年前の寒い光景を思い出し、事故とはいえ、逆にいいものを見せてもらったと思った。

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旅人のほーむぺーじは商用サイト? (平成14年4月26日)
 先日、旅人新聞裏話で見出し人間の話をした。吉田拓郎の唄「ひらひら」の歌詞に出てくる言葉なので、せっかくだから、JASRACに歌詞掲載の許諾を受け、使用料を払って(ちなみに1曲年1200円)でも、全文掲載しようと思った。JASRACの許諾専用ページJ−TACTで申し込みをし、プリントアウトした申込書をJASRACに郵送して、返答のメールを楽しみに待っていた。そして今日、待ちに待った返信メールが来た。メールは冒頭、次のように述べている。

"・・・非商用配信の申込書でお申し込みいただいておりますが、・・・新聞購読の申し込みが直接できるの理由から商用配信の区分となるため、申し訳ございませんが、今回以後郵送いただいた申込書では手続きを進めることができません。"

 げっ、なんかヤバそう。メールはさらに続く

"・・・個人であっても事業に関わるホームページなどでの音楽のご利用は、楽曲を特定の企業や商品、事業とイメージ付ける「広告目的の利用」となる蓋然性が高いご利用形態となっています。"

おいおい、広告利用?見出し人間の語源を明らかにするために、唄の内容を知ってもらいたいだけなのに。うーむ、困った。広告目的となると、直接権利者(この場合はユイ音楽出版)の許諾を得ないといけない。うーむ、どうしよう、面倒くさいな。ユイにメール出すか、それとも、JASRACの次の条件を呑むか、どうしよう。JASRACはこう言う、

"・・・ご利用をお控えいただくか、ホームページの内容から会社・事業の紹介や記述などを除く、などのご対応をいただきますようお願い申しあげます。"

会社・事業の紹介や記述などを除くって言ったって、申し込みフォームを削るくらいならどうってことないけど、産経新聞と私や新聞裏話は、このサイトの重要なコンテンツであり、言うとおりにするなら、このサイト自体の存立が危うい。仕方ない、歌詞掲載は諦めよう。

 ということで、トップページにマーキーさせているように、「ひらひら」の歌詞は掲載を断念することにした。このHPの性質を個人であっても事業に関わるホームページである蓋然性が高いと、オフィシャルに認定されてしまったのだから今後とも、JASRAC許諾の歌詞は載せられない訳だ。まあ、確かに新聞購読申込が出来るということは優れて商業性の高いサイトと言われても仕方ない。しかし、会社・事業の紹介と言われても、自分のやっている仕事を書いているだけのつもりなので、企業イメージと結びついた広告利用と言われるのは、どうもピンと来ないのだ。まあ、つまらないことなので、JASRACとケンカする気はないが、どうもすっきりしない。アクセス数が欲しくておもしろおかしく書いていると言われるのも癪だから、バナー広告も取っていないのに、商用サイトまがいとはなんともやりきれない気持ちだ。(本当のことを言うと、バリュークリックには2回断られた)こうなったら、産経新聞の宣伝してるサイトってことで、会社に金もらわなきゃいけないかな。

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前門の痛風、後門の免疫不全、側面の薬漬け (平成14年4月7日)
 先日は老化と体力の減少と睡眠不足の相関関係について書いたが(おいおいそんなたいそうなこと書いたか?)、書いたその翌日に痛風の発作が来た。ここしばらく、傷がなかなか治らないとか、腰に出来たおできが一つ治ると隣に出来るとか、免疫不全じゃないかと思っており、結局は体力の減少、つまりタンパク質不足、総カロリー不足が原因ではないかと思って、肉を食べる食生活に戻していたのだが、それでも体重が増えないのでまあ大丈夫だろうと思っていたところに発作である。余談だが、体重78kgというのは、入社時比+12kg、最大時比−12kgと、自分としては理想的な体重と思っている。

 発作が来ると、とりあえず、ルメンタール(11〜12月の発作の時にお世話になった、とてもよく効く消炎鎮痛剤)を飲み、発作部位を冷やしてやり過ごす。その間、酒は×、食べ物は低カロリーに戻し、お茶をがぶ飲みするとだいたい、2、3日で発作は収まるのだが、今回は、その最中に別の不具合が発生した。腰のおできと同様のものが、太股の裏側に出来てあっという間に大きくなり、腫れて熱を持ち、歩くと痛いし、全身に毒がまわったかの様にだるくて気分悪いという状態に陥ったのだ。

 さすがの病院&薬嫌いの私も、今回は慈恵医大に走った。土曜の午前に採血し、午後から組織培養の検査を受け、切開と膿み出しをしてもらい、抗生剤を点滴してもらった。結論は火曜日に出る。先生の話では、抗生剤を投与したから、これからよくなっていくだろうということだが、私は、細菌性など直接の原因はともあれ、免疫不全が今回の不具合の背景にあると信じている。身体のバランスが崩れていることと疲労が最大の原因であると。仕方がないから、今回の不具合が治ったら、そのまま痛風の薬をもらって、痛風予備軍から痛風患者に昇格しようと思う。

 なにせ病院嫌いなので、今まで、体重は量っても、まともに体温など測ったことがなかったのだが、初めて電子体温計を買って、面白がってやたらと測っていると、朝は35.7℃、昼間は何度測っても36.1℃であることが分かった。ということは、病院で測ったときに36.7℃あったのは微熱状態だったということか。私は小さい頃から平熱は36.5℃だと思っていたので、35.7℃にはちょっと衝撃を受けた。院外処方箋というのも初めてもらって、処方箋薬局に初めて行った。紹介状無しで大学病院に行くと3000円とられるなど、たまに改心して病院に行くといろいろなことが分かっていいものだ。

 診察の際、事前に研修医のような先生が、予備審問のようなこと(町医者が紹介状を書く代わり)をしてくれたのだが、自分ではこうだと思って放っておいたことなど、片っ端から自己判断と書かれたのには参った。ちょっとでも、身体に変調を来したら医者に行かなきゃだめですよ、だめですよと無言の圧力をかけられて居るような気がして苦笑してしまった。病院行け病院行けとずっと言われ続けて、言う人が消えてしまってから初めて病院に行ったのだが、あの頃素直に痛風の本格治療に入ってれば、こんなことにはならなかったのかなとふと思った。しかし、私は病院や薬に全面降伏するのは相変わらず嫌である。自己復元能力を維持するためにも、今後とも薬漬けにならないように気を付けようと思う。

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気力は体力をどこまでカバー出来るんだろう (平成14年3月29日)
 今年になって愕然としたことがある。なんと、数え40歳になってしまったのだ。5月の誕生日で39歳というのはともかく、かぞえしじゅう、う〜む。卒倒しそうだ。不惑というにはほど遠い精神年齢なのだが、身体の方は確実に衰えている。20代の頃は徹夜などへっちゃらだったのだが、今や翌日動けない状態だ。1ヶ月ほど前に、この項で、出力120%で突っ走って、太く短く生きようと書いたばかりなのだが、体力の衰えにどうやって打ち克って行くかが最大の課題になってきたようだ。

 先月もまともに休んでいなかったが、今月も気がつくと日曜はやたらと出ている。通常の仕事の他、チラシ撒きに、見本紙駅頭配布なんかも加わって、東京に居た期間が長く、現地の仕事が無理を承知の日程になってしまった。ジプシーはきついな。当初組んだ予定が変更になるなんてのは毎月の事だが、それでも、普段はない1日300kmコースなんてのは、1年前まで長野で毎月やっていたのにもう出来ないのだろうか。いや、その日は出来るのだが、翌日に響く。今月はそれで、大ポカを2回もやってしまった。以前に比べれば酒なんか全然飲んでないに等しいのだが、いつの間にか身体を動かすのがつらくなっていた。

 年末のぷらいべえとの悪夢で体重が10kgも減り、ただでさえ体力が落ちているところに来て、このハードな毎日。しかし、仕事はしたい。追いかけられるのは嫌だし、問題は解決したい。絶対負けないぞという気力と知力と話力でなんとかしようと、もがきあがいている今日この頃だ。これは会社そのものにも言えるのかも知れないが、大東亜戦争時の日本のようだ。週休二日の連中のことをうらやましいと思ったことなどなかったのだが、最近は、人間休息をとらなければ能力を発揮出来ないと言う事が実感出来るようになってきた。35歳を越えた頃からこんな感じを持っていたのだが、数え40の声を聞いて、ますますくたびれるようになり、最近では雨が降ると担当員を辞めたくなる。でも翌日晴れるともう頑張っちゃうんだから人間面白い。

 精神力だけでは戦争に勝てない事は、先の大戦で実証済みなのだが、やはり、多少の体力ダウンは気力でカバーしなければ。しかし、寝てしまったら、起きるのは気力では起きられない。昔は大事なことがあるときは勝手に目が覚めたものだが、毎日が大事なことになってしまうと、身体のリズムだけが頼りだ。気力は体力をカバー出来ない。というより、体力あっての気力だな。やっぱ、ホームページの更新なんかやってちゃいけないって事だ。

 結論。体力を気力でカバーする前に、余計なことやってないで早く寝ろ。

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ぎりぎりで止める (平成14年3月3日)
 新聞裏話で他社の名前を実名で書いていることについて、Y社とかA社とかにした方がいいんじゃないかという意見がある。一方で、最近歯切れが悪いという意見も聞く。例えば、伏せ字にしたところで、Y社は読売に決まっているし、その社長はナベツネに決まっている。例えば名誉毀損で訴えられるとして、Y社と書けば逃れられるのだろうか。前後の文脈までぼかさなければ逃げられないだろう。そう考えたら、伏せ字にしたって一緒だと思って社名や社長名や部署名は実名で書き、社長未満の個人については役職名かあだ名等を用いようと思っている。

 歯切れが悪い問題について言うと、やはり、今までと違って、事情をよく知っている人間が読んでいると思えば、あまり過激な極論にはどうしても走れない。極論が私の持ち味だとすれば、やはり、今の文章はイマイチだなと自分でも思う。最初の頃のやつは各方面から随分過激なことを書く奴がいると言われたようだが、今の文をみれば、なんだやっぱりたいしたことないなと思ってくれるだろう。

 産経の僚紙日本工業新聞の社員で「裏日本工業新聞」というホームページをやっている人がいる。この人は産経のことを正論新聞と呼び、休刊日即売に合わせて全社的に行ったティッシュ配りを揶揄する文章が数回にわたり出てきているが、あくまで揶揄であって、批判ではない。最初読んだときは随分不愉快なことを書く奴だなと思ったが、直接的に社を批判している訳ではないので、会社の上の方にチクロうかとも思ったがやめた。ぎりぎりのところで止めるのは難しいものである。今回電子メディアについて書いたが、自分としては電子メディアそのものを批判しているんではなく、ちゃんと稼げと言いたかったのだ。その辺が切れ味が悪くなっている要因かも知れないが、給料をもらっている会社の批判を直接的にやることは出来ないし、するつもりもないが、社内から社をおかしくしようとする動きがあれば、それはやっぱり正してもらわなければならない。私のイチホームページ如きにそんな力はないのだが、ギリギリのところで止めながら、これからも、楽しく新聞裏話を書いていこうと思う。

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旅人のほーむぺーじの未来予想図 (平成14年2月24日)
 このホームページを開設して2年半以上が経過した。最初はニフティのサクサク作成君なんていう、それこそお気楽なソフトで作っていたのでろくな事が出来なかった。その内、ことり氏のご指導の下、EditHTMLやNextFTPを導入し、形が作れるようになり、曲がりなりにもホームページの体裁を整えて来たところで、コラムを書き始め、JavaScriptやフレームなども使うようになった。それでも、当初から趣味でやってるページなので、読者として意識しているのはあくまで友人・後輩達や社の同僚、いわば身内であった。ところが昨秋、旅人新聞裏話というこのホームページが他と差別化出来るコラムのページを開設し、産経の夕刊廃止、休刊日即売に関わる文章を書き始めてから異変が起きた。

 1月16日、何者かが、2ちゃんねるのマスコミ板に「朝読毎の産経いじめを糾弾する」というスレッドを立ち上げ、最初の書き込みが、私の旅人新聞裏話の直リンクのみという異常事態が発生したのだ。それ以前、私はメールの大半にHPアドレスを署名し、あるいは、年賀状にも刷り込み宣伝していたのだが、始まって以来ずっと平均アクセス数は1日20前後であった。2ちゃんねるにリンクされて以来、1日100前後のアクセスが来るようになった。しかも、私は社の後輩に指摘される2月1日まで、リンク張られたことに気付かず、「いやあ、何か最近アクセス多いなあ、うれしいなあ」などとのんきに構えていたのだ。しかし、実は深く密かに事態は進行していた。新聞販売業界で密かに注目され、社によってはコピーが出回るなどという、怪文書もどきのページになってしまったのだ。周囲から入ってくる情報はそれを裏付けるものばかりで、やばいなあと思いつつも、ま、いっか、なるようにしかならんと、社名実名で好きなこと書きまくって来てしまった。

 まあ、誹謗中傷にあたるようなことは書いてないし、胸に手を当てれば思い当たるような事ばかりしか書いていないので、別に抗議・圧力の類は来ていないのだが、これから、我が社のデジタルメディアの批判なども書こうとしている私としては、ちと有名になり過ぎてやばいななどと考え始めてもいる。なにせ、元々個人のナルシズムを満足させるためのページだったから、ハンドルなんてのは名ばかりで、完全に面割れしているのだから、いざとなると首を洗って待って居なきゃいけないのは自分の方になりそうだ。

 しかし、そこは会社でも仲間内でも異端児で通っている(と思っているのは自分だけ?)私のこと、言いたいことがあると我慢できないたちなので、きっと、あることあること書いてしまうのだろう。その行き着く先は何か。やっぱ、破滅だろうなあ。早くロト6当たらないかなあ。1億以上当てたら、大好きな長野の奥に引っ込んで、好きな事書いて暮らせるのになあ。

 まあ、そんな夢を見ていてもしょうがないので、日本を破滅から救う産経新聞の発展のために相変わらず出力120%で突っ走って、太く短く生きよう。そんでもって、このほーむぺーじも初めて見に来ると全部見るのに2時間かかるなんて言われているけど、まだまだ容量に余裕があるので、もっともっと、好きなこと書いちゃおうっと。ほんでもってやばくなったら、首を洗って待っててくれるターゲット探して、自爆テロでも敢行するか。そうすると、やっぱ行き着く先は破滅だな。うーむ。

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スパムメーラーになってしまった、かも (平成14年2月3日)
 スパムメール対策のため昨年10月末に携帯アドレスを変更した。まあ、送信先不明になれば、届かないアドレスは削除されるだろうと思い、数ヶ月したら元に戻そうと思っていた。別にまだ変える必要はなかったのだが、アドレスが悲しみに満ちたものだったので変えることにした。3ヶ月経ったので、もうスパムメールも来ないだろうと思い、元のアドレスに戻すことに決めた。

 2月1日午前0時を期して変更しようと思い、関係者他70数人に変更のメールを出すことにした。そんなことを携帯でやってたら気が狂ってしまうので、パソコンから一発で送ろうと、To:は自分宛でBcc:に送り先70数件を入れてメールした。普通なら私宛のメールが数分後に返ってくるはずなのだが、いつまでたってもいっこうに返ってこない。しかも、ニフアドレスにはEZWebのUSER UNKNOWNメールやMAILER DAEMONが返ってくるようになった。MAILER DAEMONに入っていた届かないメールというところにもう一度送ってみたが、それでも自分宛が返って来ない。だが、そのうち、届いたというメールや電話も来るようになった。しかし、自分宛は届かない、ということはやはりMAILER DAEMONで来たやつは届かないと思い、仕方なく何人かに携帯から変更メールを打った。結局私宛にメールが届いたのは朝になってからだった。一方、3回も変更メールが来たよという人もあった。結局は大量にメールを送ったためにサーバーがパンクしたのかなと自分で納得した。

 ことり氏にメールが届いたかどうかの確認をして、事情を話すと、それはドコモのスパムメール対策網に引っかかったのではないかということだった。つまり、同じメールアドレスから、瞬時にある一定以上の宛先にメールが発信されたとき、それをスパムメールと認識し、チェックが入るというものだ。うーむ、確かにそうかもしれない。しかも、へたをすると、@nifty.ne.jpというドメインがスパム発信元と認識されて、他のニフティ・ユーザーにも迷惑をかけているかもしれない。スパムメール対策にアドレスを変更しようとして、自分がスパムメーラーになってしまったということだ。

 結局3ヶ月では問題は解決せず、その日のうちに10件以上のスパムメールが来た。やっぱりだめだということで、2月3日にメアドを再変更しようと思うが、今度は件数を分割して送ろうと思う。

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やたらとアクセスが増えた訳 (平成14年2月2日)
 今年に入って、旅人のほーむぺーじのアクセスカウンターの回り方が非常に早く、一体どうなっているんだろうと思っていた。i-mode版にもアクセスカウンターを付けたので、携帯から見に来る分もカウントされるようにはしたのだが、それにしても、元々1日20くらいだったのが、一気に100くらいになった。いくらなんでも異常に多いなと思っていたのだが、その理由が分かった。なんと、旅人新聞裏話が2ちゃんねるのあるスレッドに直リンクされていたのだ。

 2月1日午後、会社の後輩がメールを寄越した。なんか2ちゃんねるの掲示板で旅人のほーむぺーじが載ってるが、自分で書いたんですか?って言われた。私は2ちゃんねるに発言したこともなければ、ここ2ヶ月くらい見に行ったこともなかったので、なんだそりゃと思って見に行ってみた。マスコミのスレッド一覧から、「朝読毎の産経イジメを糾弾する」というスレッドを見つけ、見てみると、いきなりなんのコメントも無しに1/16スタートの1番にhttp://homepege2.nifty.com/yt-tabibito/column4.htmが書いてある。まあ、たいしたスレッドではなく、現在でも120弱の発言しかないのだが、ロムの人も含めれば相当数の人がとりあえずクリックするだろう。しかも、下の方の発言を見ると、このスレッドを建てたのが旅人自身で、自作自演じゃないかという発言まである。うーん、困ったもんだと思ったが、わざわざ発言してもしょうがないと思ったので、放っておくことにした。

 それにしても不思議なのは、直で旅人新聞裏話に来てもアクセスカウンターは上がらないのに、こんなに増えたことだ。みなさん、わざわざ、トップページへ行ってくれたということだな。しかし、フレームを使ってる関係で、トップページのリンクはindex.htmには張ってないので、目次を見ることは出来ない。ということは、他のページは全然見てもらってないということか。まあ、気の利いた人なら、/yt-tabibito/で切って見てみるだろうが。

 ことり氏にこの一件を話したところ、おめでとうございますと言われてしまった。私がめでたかないよと言い返したのは言うまでもない。

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NHKラグビー中継副音声のわかりやすいラグビー (平成14年1月28日)
 ラグビー観戦が趣味と言いながら、最近スタンドはおろかテレビすらまともに見ていない。ところがここに来て、早明戦、社会人大会の決勝、日本選手権の準決勝とテレビでみてしまった。ラグビーの場合は毎年毎年IRBやJRFUがルール改正するので、本来毎年シーズン前に今年のルール改正点などをチェックしておかなければならないのだが、なにせ、ラグビーマガジンも見なくなって久しく、サンスポもせっかくとっているのに毎日必ず読んでいる訳ではないので、つい見落としてしまう。まあ、ラグビーのルールの最大の基本は、ボールの前でプレーしてはいけないということなので、それが分かっている限り、たいした支障はないのだが、いずれにせよ、気が付かないでいると数年も改正点に気が付かないということがある。モール、ラックがパイルアップしたときに、どっちボールのスクラムになるかなんてのは未だによく分かっていない。

 今年に入って、ビデオデッキが帰って来たので、先日の日本選手権準決勝でNHKの副音声、わかりやすいラグビーの方を聞きながら見ていたら、まあ、本当に親切に初歩的なルールから解説してくれる。ルールを分かっているものにとってはうざいものとばかり決めつけていたが、聞いてみるとこれはなかなかいい。これからしばらくNHKの中継(といっても今シーズンはもう日本選手権決勝しかないが)は副音声で聞こうと思った。最近、新しくラグビーファンになる人は少ないと思うが、ラグビーを知らない女の子をスタンドに連れて行こうという人は、まず彼女に、副音声で何試合か見せてから連れていったらいいと思った。15年前にこれがあったらよかったのにと、ふと思ってしまった。

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日本の教育もまだ捨てたもんじゃない、かな? (平成14年1月5日)
 ご承知のように、(知らない人は自己紹介のページ参照)私は、3年半以上、妻子と別居しているわけだが、今日、お年玉と遠隔地保険証を持って、11ヶ月ぶりに連中の部屋に顔を出した。以前は、お年玉や誕生日のプレゼントだけ置いてそそくさと立ち去ったものだったが、最近はずうずうしく上がり込んで長居するようになっている。妻子は3人で住んでいた(といっても、そもそも私は某所に書いてあるように、まともに住んでいたわけではないが)検見川のテラスハウスに未だに住んでいる。部屋でトールペイント教室をやっているため、1FのLDK部分手前側に極力構造物を置いていない。何か妙に部屋が広く感じる。いや、そんな身の上話は今回の主題ではない。せっかく行っても会話の種がないので、子供に身長、体重、足のサイズ、帽子のサイズなどを聞き、髪型がおかしいとかいちゃもんつけて時を過ごしていた。すると、ある賞状が目に入った、東電主催の絵画コンクール小5の部で、優良賞(県内約8000人の参加者中最優秀から数えて26位以内)をとっていたのだ。うーん、さすが母親が美術教室もどきをやっていると、子供もすごいものだと感心していた。おっと、こんな自慢話が主題ではない。で、やれ通信簿を見せろだのなんだのと学校の話をしていると、なんと今期娘は放送委員をやっているではないか。うーん、蛙の子は蛙、って、主題からどんどんそれて行くぞ。で、ひょんなことからたんぼの話になった。ああ、やっと主題が始まった。

 検見川小では、校外学習として、今年の5年生全員でたんぼで米を作ったというではないか。どこの学校でもたたみ6畳くらいの実験田みたいなのがあるものだが、検見小5年がやったのは、写真から想像するに、少なくとも2アールはある本格的なたんぼである。それを苗代づくりから案山子作り、稲刈り、脱穀まで全部手でやったというのだ。脱穀などは昔の器具でやったらしい。

 5年生の父兄の中に農家の家があり、休耕田を持っていた。先生が提案したのか、父兄が提案したのか分からないが、とにかく学校から歩いて45分もかかるところにあるその休耕田で米作りの実体験をしようということになり、児童もPTAも先生も一緒になって半年間米作りにいそしんだと言うわけだ。これは農家の人、あるいはちょっとでもかじったことのある人なら分かるように、とんでもないことである。田が狭くて人手がべらぼうにあるからいいようなものの、ヘリでの農薬散布以外は、ほぼ無農薬でやろうと言うのだから、草取りやら何やら、膨大な手間暇がかかる。交代だとしても、あるクラスが田に行けば、そのクラスは行き帰りの90分も含めて、午前中全部農作業に取られる。通常の授業を切り詰めてもそれだけのことをやるというのは、学校とPTAの協調と献身的な奉仕がなければ絶対に出来ない。そして、近頃の学級崩壊状況から言えば、田植え一つとっても、もう強烈な重労働なのだから、当然はみ出すガキも出るだろう。それを見事にまとめ、収穫まで漕ぎ着けたというのは快挙と言ってもいいだろう。まさしく、生きた教育である。今時こんな体験の出来る学校が公立小学校であったとは、本当に驚きである。

 娘と言えば、2年ほど前に行った時に、学校周辺の神社を片っ端から案内してくれたことがある。神社といっても小さな祠のようなのもいっぱいあったのだが、これも授業の一環で、検見川という漁師町の歴史とともに、神社巡りをやったというのだ。今の戦後世代、日教組世代の教師なら、神社など目の敵と思っていたのだが、これも実に素晴らしいことだと感心したものだ。

 新しい歴史教科書をつくる会や自由主義史観研究会に参加して、日本の教育の現状を憂いていたのだが、小学校でこういう教育がまだまだ行われているなら、日本の教育もまだまだ捨てたモノじゃないと思った次第である。

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痛風の思わぬ副産物 (平成13年12月12日)
 先日痛風発作の話を書いたが、トップページに<MARQUEE>で流れているように、僅か2週間の間に2度の発作を起こし、すっかり意気消沈してしまった。もはや、食事療法では無理と思い、痛風患者宣言したのだが、1回目の発作の後、ほぼ収まったと思ったところで会社の宴会で焼き肉と焼酎を摂取し、その後すぐ2回目の発作が出た。それまでも極力カロリー制限していたのだが、2回目の発作で拍車がかかり、もう毎日毎食、おにぎり、パン、日本そば・うどん、シリアルといったものとサラダサラダ野菜という極端な食生活に入ってしまった。宣言通りいずれは通院投薬治療ということになろうが、それまでやることはやろうと、未だに超低カロリー生活を続けている。その結果何が起こったかと言えば、なんと、腹がへこんだのである。発作前はおそらく86kg前後だったと思うのだが、12/9に84.5kg、12/11には82.3kgになっていた。まあ、そんな数字はどうでもいいのだが、ズボンのベルトが、、、、、、。前はベルトの一番目の穴にやっとこさ差し込んでいたのが、今や3番目でもまだ余る状態だ。これはウエストが6cm縮んだことを意味する。うーむ、恐ろしい。まあ、ダイエットに必死に取り組む女性諸姉から見ればうらやましいだろうが、元々いくらでも減らす贅肉があるのだから、この程度はすぐに減る。そう考えればおやぶんなどはすぐにでもダイエット出来そうだがどんなものだろうか。必死でダイエットする女性諸姉は無い物を減らそうと言うのだからさぞかし苦しいだろう。はっはっは、ダイエットなんて簡単よ、野菜ばっかり食って、運動してりゃすぐ出来る。なに?運動?おまえ、たまのゴルフ以外になんか運動してるのかって?いろいろあるじゃん運動にも。1回で100m競走に匹敵するなんていうやつがさ。

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ウィルスとアンチウィルス (平成13年12月2日)
 ここ2、3日、ニフマネでのメールチェックをしていなかった。メールは全部i-modeに転送されるので、必要なものだけ見ればいいからつい、億劫になっていたのだ。で、その間に文章のない送信者不明で、タイトル文字化けというメールが2つ来た。i-modeでは添付ファイルは削除と表示されている。変だな。何だろう。と思って、一応ニフマネを開いてみると、それぞれ、S3MSONG.DOC.scr、Pics.DOC.scrというファイルがくっついている。ことりのひとりごとで分かっているので、当然これはウィルスだと思うべきだったのだが、つい魔が差してS3MSONG.DOC.scrというファイルをダブルクリックしてしまった。すかさず、Norton Antivirusが起動し、ウィルスを検知しましたときた。最初、修復出来ませんと来て、ヒヤッとしたが、最終的に解決してくれて、コンピュータは安全ですと出た。後でアンチウィルスの検疫履歴を見ると、W32.Badtrans.B@mmという今流行のウィルスだった。いやあ、アンチウィルス入れといて本当によかった。それとAir H"を年中繋ぎっぱなしにしてるおかげで、時々勝手にアップデートしてくれているから助かった。先日トレンドマイクロのHPを見たときにはBadtransは除去不能という文字を見たような気がしたので、魔が差したとは言え、一時はどうなるかと思った。いろいろスキャンしてみたけど特に問題はないようだし、ことり氏の言う教訓を胸に刻み、今後魔が差したりしないように気をつけようっと。それにしてもアンチウィルスってやっぱりすごいな。私のところに来たウィルスはこれでやっと3つ。そうそう、Badtransは記念にニフマネのキャビネットに保存しておきます。よろしくね。(何がよろしくだ)

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ついに来た痛風大発作 (平成13年11月24日)
 それは11月21日夕方のことだった。どうも右足に違和感があり、徐々に徐々に痛くなって来ているような感じがしていた。帰宅する頃には歩くのも億劫な状態になり、翌朝には完全に足を引きずる状態だった。それでもなんとか、県北地方の訪店を済ませ、23日は仕事が午後からだったため、22日から23日にかけて14時間近い睡眠をとり、食事もほぼ炭水化物とお茶だけという態勢で臨んだ。しかし、時既に遅く23日午後、仕事に出かけるときには、サンダルも履けず、泣きながら靴に足をねじ込むという状態になっていた。前回、昨年3月の発作の時には病院で消炎鎮痛剤と湿布をもらったので、今回もなんとかそれでやり過ごそうと思い、仕事に行く途中の薬局でルメンタールという薬を手に入れた。これが効を奏して24日夜現在、裸足ならば普通に歩けるという状態にまで回復した。今のうちになんとか尿酸値を下げなければと、お茶をがぶ飲みし、痛風危険食物を極端に避けている。

 近くに痛風患者のいる人や、本人が経験あれば同情されるのだが、痛風のなんたるかを知らない人は、口を開けば贅沢病だという。確かに糖尿も痛風も食糧難の時代には考えられない病気だが、今の日本は完全に飽食の時代、もはや、痛風も糖尿も日本人なら誰がなってもおかしくない時代である。銀座のホームレスが糖尿病になる時代だ。しかし、最大の原因が暴飲暴食と運動不足であることは言うまでもないことなので、やはり、痛風や糖尿病にかかるのは恥ずかしいことだ。

 それはさておき、痛風のなんたるかを知らない人に一通りの説明をしておこう。痛風とは体内の尿酸が一定以上の量になり、それが結晶化して、血管の細いところに詰ることから起きる病気である。風が吹いても痛いというのは、例えば足の親指の付け根などの血管に尿酸の結晶が詰まって、ちょっとでも動かせば、その針のような結晶が血管と神経に刺さって強烈な痛みを生ずるところから来ている。では、その尿酸は何から作られるかといえば、プリン体という物質である。そしてこのプリン体が多く含まれる代表的なものが、ビール、イカ、レバーなどの臓物、揚げ物、大豆、鰯や鯖などの青魚である。また、糖分や塩分あるいは炭酸の多い飲み物も避けなければならない。普通なら健康にいい、大豆や青魚がだめなのだから、もう食べるものは穀類と野菜くらいしかない。通常の人なら適度に運動して適度にバランスよく食事をしているからそうそう出るものではない。しかし、そこは担当員。酒はばかすか飲むは、焼肉だやれ寿司だと大食いする挙句に仕事は車でドア・ツー・ドアである。私の周りにも痛風患者や予備軍がうじゃうじゃいる。最近、セクハラならぬアルハラという言葉があるようだが、酒を飲めなきゃ仕事にならない時期もあったので、これはもう職業病に近いものがある。

 私がまだ駆け出しの頃、今は局次長になっている時の上司が痛風で、忙しくて病院に行けないため、薬が切れて、地獄の苦しみを味わっているのを目の当たりにしていた。まさか、自分がそうなるとは思わない体重70kg台の頃である。今、死ぬ思いで訪店している自分があの頃の局次長とオーバーラップする。何でこうなる前に節制出来なかったのかと。そう、今述べたように、一度薬のお世話になったら、2度と抜けられないのだ。強制的に尿酸値を下げるため、切れれば途端に跳ね上がるらしい。ほとんど人工透析の薬版だ。そうならないためにも、極力ビールは控え、揚げ物もなるべく食べず、といろいろ手を打って来たのだが、ここのところ、確かに飲み過ぎたということが数回あった。今度こそ薬の世話にならなければならないかもしれない。そして、薬の世話になって、局次長の様にビールを普通に飲んで、でもきっと羽目をはずし過ぎて次は糖尿を併発、というのが一番怖い(医者をやってる中学の同級生にそう予言された)ので、極力食事療法で何とか乗り切ろうと思う、今日この頃なのであった。(そうそう、1日2g以上水かお茶を飲むことも忘れずに)

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今年のしし座流星群 (平成13年11月23日)
 既に数日が過ぎてしまったが、今年のしし座流星群はそれはそれは凄かった。まさに天文ショーだった。皆既日食に匹敵する、いや、それ以上の天文ショーだった。イギリスの天文学者デビッド・アッシャーがわざわざ来日して記者会見し、ZHR8000の可能性があると発表しただけのことはあった。国立天文台は否定的な見解だったが、よい方にはずれたのだからまあいいだろう。普段は星空など見上げない、あるいはそもそも星なんか見えない人たちまでが、19日未明のLEONID METEOR SHOWERに狂奔した。

 私が初めて流星群という言葉に触れたのは1972年10月、あのユーミンの歌にも出て来る、ジャコビニ流星群だ。その日、小3の私は兄と一緒に夜空を見ていたが、ずっと曇っており、あきらめて寝てしまった。そして結果は歌の通り、「シベリアからも見えなかった」という不発だったのだった。それからしばらく流星群とはおさらばしていたのだが、会社に入って何年目かに、CHBの連中と富士山にキャンプに行き、そこで見たペルセウス座流星群によって、私の流星熱は復活したのだった。その後、毎年8月12日前後にペルセウス座流星群を見に行くことは別項のユーミン・陽水・流れ星でも述べている通りだ。

 そして、1998年、最初のしし座流星群狂想曲がやってきた。前年に母彗星である、テンペル・タットル彗星が回帰し、当然のことながら天文ファンの間では大変な話題となっていた。私も当然大流星雨を期待し、野辺山高原に陣取った。今年と同様、月が沈み、快晴で、条件最高だったのだが、日本では期待された流星雨は見られず、欧米で大出現が観測された。それでも私は100数十の流星を見られて満足だった。翌年は極大日が曇天。しかしながら、極大日の翌未明に別の回帰年の塵帯に突入するとの情報をネットで仕入れて、急遽飯綱高原に急行し、1時間に100個以上という結構な流星群を見ることが出来た。昨年は、月齢その他の条件が最悪で最初からあきらめ。

 そして今年は先述のように、大出現の予測と、天候、月齢ともに条件最高ということで、私は宮城県内で見て、新幹線で出社するつもりだった。だが、なんということか、世紀の大天文ショーが期待されているというのに、会社は19日朝8時半から会議をセットしてきた。私は泣く泣く新幹線での帰京をとりやめ、車で帰り千葉から車で見に行って、車で帰って来れるところに観測地をセッティングせざるを得なくなった。その場所は、茨城県太洋村である。南に鹿島臨海工業地域、北に水戸市の明かりが煌々と輝くこんなところで見たくはなかったのだが、会議に遅刻したりすれば、即リストラだのヘチマだの言われかねない状況では最良の選択だった。

 そして、午前2時半に現地に到着した私を待っていたのは、息もつかせぬ、カウントすら許さない、次々に流れる星たちだった。98年も99年も経験しなかった大量の流れ星。私はあきらめずに見にきてよかったと思うと同時に、これが、長野だったら、宮城だったらと悔やまれて仕方なかった。来年以降はまた条件が悪くなるようだし、しし座群がこんなに見られるのはこれが最後かもしれない。あとは、ジャコビニにかけるしかないか。あれだけのものを見ると、もうペルセウス座流星群なんて馬鹿馬鹿しくて、って言ったら失礼なのだが、ちょっとやそっとの流星群じゃ見る価値がないと思ってしまった。今年のしし座群はそれ程の価値があったのである。

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初めて見た雲の上のカミナリ (平成13年11月12日)
 今日、大阪から仙台へ帰る飛行機から雲海を眺めていたら、かなり遠くのほうで、雲から火花が花火のように飛び散るのを見た。まるで、エヴァンゲリオンの中に出てくる、葛城みさとが南極でみた、セカンドインパクトのアダムのようだった。

 あまり飛行機に乗った経験がないので、何だか分からないのだが、やはりあれはカミナリなのだろう。ネットでニュースをいろいろ見てみたが、別に爆発の記事はない。その後もその近辺をずっと凝視していたのだが、2度と見ることはなかった。

 目の錯覚ではないと思うが、テロじゃなくて本当によかった。

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おそらく今、エシュロンは機能不全 (平成13年10月18日)
 今回のテロ事件で、CIAやFBIは何をやっていたんだという風当たりが非常に強いらしく、アメリカの新聞では糾弾の投書が大変な数だったらしい。日本にはアメリカはわざと撃たせたとか、CIAの陰謀とか言っている連中もいるようだ。しかし、それはCIAには酷と言うものだろう。世界に冠たる民主主義大国、自由主義大国、人権大国として、諜報機関としての手足をどんどん縛っていった結果、スパイの養成より電子的に情報収集する方へ大きくシフトし、人間のもたらす情報を軽視し続けてきたつけが今、回ってきたのだ。

 2、3年前、欧州議会で問題になっていると聞き、今年に入ってから、日本でも関心を持たれる様になってきたエシュロンが電子諜報戦の最たるモノだろう。通信、電子メール等の盗聴・傍受を米英豪など英語圏諸国が協同で、毎日何百万という回線を行き交う通信の中から、特定のキーワード(例えば"爆弾"とか"誘拐"など)を抜き出して、チェックするようだが、今回の事件はエシュロンを機能不全に追い込んでいるんではないだろうか。なぜなら、世界中の一般市民が、今回の事件のことを茶飲み話のように電話で話し、メールで会話していることは容易に想像がつくからだ。それは、平時に交わされる量の何万倍にも当たるだろうから、最終的に人間がチェックするにしても、とても追いつかない量の情報になってしまい、普通なら鳥取砂丘で探すようなものが、サハラ砂漠に埋まったダイヤモンドを探すような作業になっているのではないかと思う。それでも、作業が順調に出来るとすれば、コンピュータ恐るべし、エシュロン恐るべしと言ったところだが、そもそも、その存在すら否定されているのだから、困ったという話も聞こえて来ないのだろう。私は常々、営業は最終的には人と人と言っているのだが、諜報活動も最終的には人と人ではないかと思う。CIAに限らず、人間電子情報ばかりに頼りすぎるとろくでもないことになりますよ。

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ドコモ圧勝でもない現実 (平成13年10月1日)
 今回、携帯からもこのホームページが見られるようにしようと、今までのコンテンツの大半を、i-mode用のフォルダーを作って入れてみた。i-modeは自分で確認できるのだが、EZやJ-SKYでどうなるのかが気になり、各方面に問い合わせをしている。EZwebでは表示出来る容量が小さいらしく、J-SKYはOKらしい。まあ、ドコモが大半だからいいかと考えたいのだが、今回携帯用コンテンツを作った動機から考えるとそうもいかない。パソコンを持ってない連中(主に学生)に見せようというのが動機だからだ。会社では私の周囲は90%以上がドコモの携帯を使っているし、仕事関係でもやはりほとんどドコモである。実際の携帯普及率でも、ドコモは圧倒的だ。しかし、先日、CHB(千葉高放送部)のOB会名簿を見ていて驚いた。高校生や大学生は圧倒的にJフォンやauなのだ。たまたまこいつらだけなのかなとも思うが、現実問題として、「学生さんはお金がない」なのだろう。

 これは興味深い現象だ。この現象が全国的にも、あらゆる階層(年令を除く)においても起きているのなら、今のドコモ独占現象は、何年か先には崩れるのかもしれない。電話番号というのはなかなか変えたくないものだから、低年齢層に学割で売り込むというのは戦略としては正しいと思う。産経新聞もこの方法でやればと思うのだが、上は振り向いてくれない。

 今後、次世代、次々世代携帯が出現したときには番号の相互乗り入れも実現しているかもしれないから、結果がどうなるかは数年なり十数年なり先にならないと分からないが、携帯勢力地図の変遷からは本当に目が離せないと思う。

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交通事故は偶然の積み重ねで起こる (平成13年8月22日)
 お気楽(で取り上げる題材)じゃないぞと、ことり氏にこらこら,と怒られてしまったが、なんとか免取の最悪の事態だけは回避出来た。さらにおやぶんからもその後は・・・・と尋ねられているが、今回の最大のネックは私が前歴2回の2点免停5点取消という状態であったことにある。警察の見解では今回の事故は軽傷軽責任で4点の人身事故だということだった。普通なら、この結果を受け入れ、素直に4点貰って、後は保険屋に任せて終わりである。しかし、私は4点くれば免停150日、もう1点何か付けば即免取という執行猶予中の身である。保険代理店(=うちの関連会社)の担当者に泣きついたところ、人身扱いをはずして、任意は物損だけ、人身の治療費は自賠の加害者請求でという風になればなんとかなるのではないか、但しそれには被害者の協力が必要、とのことだった。そこで私は被害者宅に謝罪に訪れた際、無理を承知で頼み込んだところ、OKしてもらい、警察に一緒に行ってもらって、診断書を取り下げてもらった。結果はもう少しいい形になったのだが、それはここには書けない。

 さて、警察からの帰り、台風の中、もう一度事故現場に行ってみた。ある仮説を検証するために。ある仮説とは、以前に知人が私に言ったことである。曰く「交通事故っていうのは例えば10個なら10個の原因があって、それが一つでも欠ければ起こらないんですよ」ということだ。

 今回の事故でいうと私の視点から見ても、下記のような原因が存在する。

  • 今私はあることで悩んでおり、悩み事でぼーっとしていたかもしれない。
  • 現場手前50mくらいまで、緩やかな左カーブで見通しが良くなかった。
  • 被害者の車が右折にもかかわらず、十分右に寄っていず、死角だった。
  • そのため、私には右折とも停止しているとも見えなかった。
  • 現場が信号のない交差点だった。
  • 交差点の標識はあったが見落とした。
  • 現場が国道45号線の道幅のある制限速度50kmの道路だった。
  • ブレーキ痕が15m(警察調べ)であるところから私は60km以下で走っていた。
  • 現場は私が初めて通る道路だった。
  • 時間帯が夕方4時半頃でちょうど正面に太陽があり、逆光だった。
  • 私の車がスタッドレスタイヤだった。
  • 私が本来なら夏休みなのにわざわざ仕事の日程を組んでいた。
  • 被害者が右折した先にある実家にその日たまたま行こうとしていた。
とりあえず、13個の原因を挙げたが、これらのうち一つでも欠けていればこの事故は起こらなかったか、すんでの所で回避出来たはずなのである。例えば、現場が50km制限でなく、40km制限であったなら、私はもっとゆっくり走っていたはず、何故なら、とにかく今は捕まる訳にはいかず、スピードを出していないから。あるいは、被害者がもっと右に寄っていれば、発見が早く、ブレーキとハンドルで回避出来たかもしれない、、等々である。しかし、残念なことにこれら全ての条件が重なり、不幸にして事故は起こり、両当事者と周辺の人々も含め多大なる迷惑をした。但し、完全に私に非がある原因がいくつかあり、それさえ欠ければ事故は無かったのだから、責任逃れは出来ない。しかし、私も含め全てのドライバーが完璧に道路交通しているわけではなく、そう考えると、実は皆、事故と紙一重のところで運転しているのではないか。その恐怖を持って運転しなければと改めて自戒した次第である。

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いつまで愚行を繰り返すのか (平成13年8月18日)
 愚行といっても罵詈雑言に書いているような、中韓への土下座外交のことではなく、今回は自分のことである。この文章は、傷心の上り新幹線の中で書いている。

 私が交通違反常習者で、今回も免取の危機に直面していることは先日書いたばかりだが、その最も緊張して過ごさなければならない時に、あろうことか事故ってしまった。平成13年8月18日(土)午後4時30分頃、石巻市の南に隣接する矢本町の国道45号線路上で右折しようと止まっている車に追突事故を起こしてしまった。*錦糸町事件以来約8年振りの事故なのだが、違反に最新の注意を払っていたはずの私がなぜまた事故ってしまったのか。はっきり言って、急ブレーキを踏んだことは覚えているが、その前のことを覚えていない、よそ見していた記憶はない、逆光がまぶしかった記憶はある、あんな広い道路の真ん中に車が止まっているなどとは考えも及ばなかった、相手は右ウィンカーを出していたと言うが、見えなかった。考え事をしていたのだろうか、おそらく約60kmくらいで走っていたと思うが15mのブレーキ痕(警察発表)を残して、あと一歩のところで止まれず、カマ掘ってしまった。左にハンドルを切ろうとしたブレーキ痕が空しい。直前の訪店で自分の違反歴の話をし、慎重に運転しているという話をしたばかりだった。あと残り1店回れば、今日は東京へ帰るという目前の事故だった。

 何であれ、事故は事故であり、しかも相手は止まっていたのだから、おそらく100対0だろう。魔が差した、とか、済んでしまったこととか言えば、聞こえはいいが、いかんせん、過去に全損自損事故2回、示談にした追突、衝突事故3回、人身事故1回の経験があり、免停歴5回、免取1回の常習者である。これは明らかに愚行だ。やはり、私は車を運転してはいけないのだろうか。昭和58年に初めて免許を取って以来、通算走行距離は30万kmをゆうに超える。ある意味、車とともに生きて来た、レガシィとともに生きてきた私だが、運転には向いていないのだろうか。車がなければ仕事にならないが、どうにかするしかないのか。喉元過ぎれば熱さ 忘れる体質がいけないのか。いずれにせよ、事故処理は保険屋さんに任せるのだから、自身は深く反省して今度こそ事故も違反もしないように注意しなければならない。

*錦糸町事件=平成5年に首都高速小松川線下り錦糸町ランプ付近で、入り口から入ってきたトラックとタクシーをよけて、側壁に激突した事件。ウィンカーを出さずに急に右車線に出たタクシーを避けようとして起きた。奇跡的に負傷者はいなかったが、初めて自ら新車で買った初代レガシィは5万kmを目前に全損廃車となり、JAFに錦糸町から本八幡まで引いてもらうという屈辱を味わった。以後、中古車で通しており、その後事故は起こしていなかった。

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久々に拓郎のつま恋を聞いて (平成13年8月14日)
 16年前の夏といえば、日航機墜落事故のあった年だが、その年7月、私は吉田拓郎の自身3度目のオールナイトライブ「ワン・ラスト・ナイトinつま恋」に参加した。違法なのだがその時、夜7時から朝4時過ぎまでのコンサートの模様をテープに録っていた。夏休みを利用して久々に聞いているのだが、改めて驚くのは、当時39才(今の私と1才違い)の拓郎のパワフルな歌、多彩なゲストと取り巻くミュージシャンの音楽的レベル、集まっている客(私も含めた)の熱さ等々である。それにしても1曲が長い。今MDに落としながら聞いているのだが、90分テープを74分MDにダビングするとかなりのロスが出る。

 まあ、今聞いても苦笑するのは、私の大声での「タクロー」コールと一緒に唄う声、周囲の歓声である。今、拓郎のコンサートは随分おとなしくなってしまったが、あの当時は当たり前のように大騒ぎしていたものである。あるいは男の比率が7割を超えるコンサートだから余計に強烈なのかもしれない。先日ミスチルの野外コンサートに行ったが、女7割のコンサートはやっぱり雰囲気が違う。

 野外コンサートの醍醐味はその開放性にあると思うのだが、あのつま恋という場所は本当にそれにピッタリだ。休憩をはさんで9時間半、ミュージシャンも我々もテンションを保ち続けられたのは、野外と言うことが大きいと思う。ドームや武道館で10時間なんて狂ってしまうだろう。  いやあ、野外オールナイトライブって本当にいいですね。

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今年も炸裂!CHB高速花火大会 (平成13年8月12日)
 高校時代の同級生を中心に毎年やっている、CHB高速花火大会を今年も8月第2土曜である11日に開催した。どんなものかは99年の模様が独立した頁に載っているが、高校を卒業した年の夏、放送部のOB会で集まった折に、朝から夜まで遊んでいて、夏の夜と言えば花火ということで、コンビニで花火を買い漁って、磯辺高校に隣接する空き地で始めたのが発端だ。

 なんとなく毎年夏に花火をやっているうちに、いつの間にかみんな大学も卒業してしまい、社会人になったが、夏休みの同窓会イコール花火という風になってしまった。最初の頃はメンバーの一人の父君が火薬関係の仕事に就いていたこともあり、余り物の(と言っても大量の)花火をもらい、それにデパート、ディスカウントショップ、おもちゃ屋などでパックの花火を追加で買ってやっていた。メンバーが一人二人と結婚し、さらに子供が出来るに至って、次第に規模がエスカレートし、今では、家族ぐるみで総勢20人前後、予算3万円という大がかりなものに発展している。ここ数年は、8月の第2土曜日に私が浅草橋の長谷川商店で花火を買い付け、千葉の真砂中央公園で3万円の花火を1時間で燃やすという形が定着している。

 残念ながら、去年、今年と雨の予報で参加者が若干少ないため、予算規模を縮小して行ったが、毎年長谷川商店で聞く、新しい花火の楽しみ方が大いに参考になり、今年も素晴らしい花火大会が出来た。

 具体的にはトリにやった、400連発乱れ打ちがそれだ。上から火をつけるとポンポン飛び出すタイプの20連発の花火を20本(約2000円相当)買い、これをバケツの中で束ねて輪ゴムでとめる。次に束ねた花火をねじり輪ゴムを切った時にバラバラになるようにする。そして、手持ち花火で導火線に火をつけ全部火がついたところで輪ゴムを花火で切る。すると360度の飛び出す花火が楽しめると言うわけだ。口で言ってもたいして実感が湧かないが、実際にやるとそれは迫力があった。なお長谷川商店のお兄さんはとても親切で、実技指導の他に、「ばらす練習を必ずして下さいね」とワンポイントアドバイスもしてくれた。おまけに輪ゴムを数本サービスしてくれたのだから、至れり尽くせりだ。

 いやー、花火って本当にいいものですね。

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健康補助食品って一体何だ (平成13年6月15日)
 最近、健康補助食品というのが流行っているらしい。先日も会社の後輩がコンパクトなケースに入った某社のビタミンだのカルシウムだのの錠剤やカプセルを飲んでいる(食べている?)のを見て唖然としたばかりだ。ケースの中のその丸い粒を見たとき、ふと、忍者の携行する非常食を思い出してしまった。

 そういうものに頼りたい気持ちは分からないでもない。確かに我々の食生活はあまりにも偏り過ぎている。特に酒タバコまみれの生活をしている我が同僚なら理解したいと思う。しかし、そもそもが自業自得から出発していることではないのか。バランスの取れた食事なんて、ちょっとの努力で出来る、本当に健康を心配するなら、酒もタバコも止めればいい。仕事そのものが健康に悪いなら辞めればいい。まあ、それを言っちゃあ酷なのだが、要は安易にそういう簡単なものに頼る傾向が問題だと思うのだ。そんなに簡単に健康になれるはずがないのである。

 最近の世の中は全てが簡単軽量へと突き進んでいるパソコンも携帯もまさしくその最先端だ。しかし、人間の身体にとって最も大事な「食」という部分まで簡略化していいものなのだろうか。小学校の時に給食で教わった「三角食べ」というのはやはり理にかなっていたのではないか。栄養のエキスだけを摂取するのではなく、いろんなものをバランス良く摂取することで血や肉が作られていくのではないのか。私は努力という言葉を吐くのは嫌いだが、努力することは好きである。そして何事にも努力が必要だと思う。健康も今や努力しなければ勝ち取れない時代だが、現在五体満足な人間が、薬や健康補助食品に頼るのは、安易な選択ではないかと私は思う。風邪をひいたら寝て、食って直す、カルシウムを取りたければ魚の骨を食べる、ビタミン摂りたきゃ野菜や果物を食えと私は言いたい。  

この文章を書いていて、僕の好きな「旅人」という歌の次の一節を思い出した。   情報過多で簡略化だぜ文明の利器は僕らをどうして何処へ運んでく(旅人 by Mr.Children)

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交通事故死の確率は決まっている? (平成13年6月14日)
 先日、お約束の免停の講習に行って、疑問に思ったのだが、何故毎年交通事故死者の数というのは1万人前後をうろうろしているのだろう。免停に限らず更新時講習や取消者講習などでほぼ毎年と言っていいほど幕張免許センターに行っているのだが、今までさして疑問に思わなかった。

 資料によれば、昭和45年に16000人を超える数字を記録しており、交通非常事態宣言が出されたようだが、その後はおよそ11000人から9000人の間である。私が年がら年中捕まっていることを考えてみても、交通事故対策というのは大なり小なり行われている訳で、その割には交通事故死者は減っておらず、4000とか5000とか言う年は、交通事故死者が10000人に乗ってからはない。そして、この資料を見ると驚くべき事に気付く。人口10万人当たりの死者はこの25年間7人から10人の間に収まっており、自動車1万台当たりの死者は1人ないし2人である。2.2人が1.2人になれば半分に減ったともいうが、10人が1人に減った訳ではない。こういうことを言っているとことり氏に統計学的に突っ込まれそうだが、もっと数字に上下があってもいいはずなのに、大きな意味ではほとんど変わっていないと言える。

 これは何か。神の見えざる手か。何故交通事故死者は毎年同じくらいの人数なんだろう。それとも放っておけば、うなぎのぼりの死者数になってしまうのだろうか。幸いにして私はまだ交通死亡事故を起こしたことはないが(起こせばここにはいない)、いくらスピードを出していても事故には気をつけている。みんな気を付けてはいるが、それでも事故は起こり、毎年同じくらいの人数が死ぬ。気を付けても気を付けすぎることはない。みなさんも違反はしても事故は起こさないよう気を付けましょう。

 そうそう、無免許、飲酒運転や集団暴走行為で対人死亡事故を起こした奴は殺人罪(つまり死刑もある)とするべきだというのが私の持論です。

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ソリューションはイリュージョン (平成13年5月19日)
 最近流行の言葉にソリューションという言葉がある。特にIT関連の世界では頻繁に目につく言葉だ。ソリューション・ビジネスとか、ソリューション・プロバイダーとか、ソリューション事業部なんて部署がある会社も結構あるらしい。solutionというからには、直訳すれば問題解決法ということだろう。

 幕張メッセ辺りでソリューションEXPOなんてのがありそうだが、これだけ目について、ビジネスになっているというのだから、顧客も相当いるのだろう。考えてみると、これはつまりは経営コンサルタントのことではないのか。ただ、ITの仮面を被っているのでなんとなく格好よく聞こえるだけだ。昔、就職活動していた時期に経営コンサルタント会社の会社説明会を聞きに行って幻滅したことがある。「御社の業績向上のためにお手伝い致します」というのがキャッチフレーズで、そのためにまずすることは、片っ端から会社訪問して、名刺交換してくることだという。私が訪問される会社の担当者なら、「大きなお世話」だと思うのだが、商売になってるからには、そうやって何百件も回っていると、弱っている会社にぶちあたることもあるのだろう。しかし、コンサルタントといってもその業界の人間ではないのだから、言ってみれば素人である。それをお手伝いしましょうというのだから、この商売はインチキだと思ったものだった。得意分野があって、そのノウハウを伝授しましょうというのが、本当のコンサルタントだと思うのだが、そう言う意味ではマネジメントアナリシスなどは、方向性の定まったいい会社なのではないか。

 さて、ソリューションだが、昨今、コンピュータやインターネットを商売に利用しないのは時代遅れという強迫観念があり、猫も杓子もIT、ITであるのをいいことにあっという間に定着したビジネスなのではないか。単にソフトを供給するのであれば、それはアプリケーション・プロバイダーであって、ソリューションとは言えない。コンサルティングが加わるからソリューションなのだろう。しかし、自分の頭で考えられないものが定着するはずもなく、結局は高い金を払って宝の持ち腐れになっているところが多いのではないか。それでみんな成功するなら、とっくの昔に日本経済は5%成長くらいしているはずである。結局解決するのは自分自身であって、必要なツールをアプリケーション・プロバイダーから買って、自分なりに応用して自分自身の解決法を見つけだしたものが成功するような気がしてならない。他人が与えてくれる解決法など幻想に過ぎないというのが私の考えである。

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この道はいつか来た道 (平成13年4月10日)
 この道はいつか来た道といっても、社民党を始めとする左翼連中がお題目のように唱える、今の日本は戦争に向かってまっしぐらという話ではない。某所で数次にわたり書かれているように、私は交通違反の常習者といってもよいぐらい、よく捕まっている。取消歴1回、免停歴数回、違反はシートベルト、駐車違反、スピード違反、軽傷軽責任の人身事故(車対バイク)、交差点優先妨害、一時停止無視、左折禁止違反等々捕まってないのは飲酒と集団暴走行為くらいじゃないかというくらいだ。

 今は春の交通安全運動まっただ中である。重々承知しているはずだった。はずだったと書かなければならないところが、つらいところだが、恥ずかしいことに、東北道で真っ昼間からパトカー(覆面ではないいわゆる提灯パンダ)に、スピード違反で捕まってしまった。昨年免停をくらい今度こそ1年我慢しなければと思っていたのに即駐車違反で捕まり、なんとか1年と思っていたところがこの有様だ。

 前回面取喰らった時も、実際同じ様な経過をたどっていた。捕まらない人は全然捕まらないのに、何故俺だけがという思いもあるが、まあ、実際常時違反していて、たまたま捕まらなかったのだから、悔い改めない自分が悪いのだ。それにしても見事なくらい1年持たない。もう一息というところで元の黙阿弥になってしまう。

 しかし、この点数制度は過酷である。前歴2回は5点で取消である。1年間無事故無違反なら6点でやっと免停だというのにだ。捕まらない人にとってみればどうってことないことだが、坂を転げ始めた人間にとってはもうほとんどアリ地獄だ。きっと、私もこのアリ地獄にまた落ちてしまうのだろう。この道はいつか来た道。歴史は繰り返す、である。

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女性は何でダイエットする?(自己パロディ) (平成13年3月31日)
 女性は何でダイエットするのか?何でダイエットしなければならないんだろう?ちなみに私はやせた女が嫌いだ。そもそも自己紹介にぽっちゃり型が好みなどと書いている。何が嫌いかと言えば、1に健康的でないこと、2に痛そう、3に蹴ったら折れそうだからである。骨皮女は大嫌いである。まあ、世の中には太った女は嫌いだっていう男の方が多いんだろうから、それも一つの理由だろう。街を歩く男によく見られたいのか?じゃあ、結婚してもするのは何故?ああ、でも考えてみれば恋人同士の関係までだったら、嫌われないように美しく見せたいのか。

 ダイエットしなければいけないという固定観念なのだろうか?ダイエットしないのは罪悪のように言う女の子もいるらしいし、某同級生の職場では、ダイエットをしないと服務規程に反するらしい(ってさすがにこれはないな)。幼いときから母親がダイエットするのをずっと見て育つからだろうか。ダイエットしないおんなは裸で歩いてるに等しいらしい。

 しかし、理由は別のところにあるらしい。綺麗になりたいっていうのが、女性の根元的な願望なのだろう。綺麗は絶対的な感覚である前に、極めて相対的なものである。男に綺麗に見られたいっていうのはどちらかといえば絶対的な感覚ではないだろうか。絶対的というか、必要最小限で済むというか。男が「あっ綺麗だ」って思ってくれればそれでいいはずである。

 では、相対的とは何か。つまりは、敵は男ではなく同性なのではないか。他のおんなより綺麗に見られたいというのが本音ではないのか?ようするに、男がどう見るかではなく、他のおんなとの競争あるいは後ろ指を指されたくないということではないのか。うーん、やだやだ。私はポッチャリしたおねえちゃんが大好きである。

 いつも極めて短絡的なのだが、今日はただのギャグです。自分の嫌いなものに理屈つけようとしてるだけじゃないかって?そうかもね。次は垂れ目の女の話か(笑)。女性陣からの反論あるいはご説明は是非旅人掲示板へ。

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女性は何で化粧する? (平成13年3月30日)
 女性は何で化粧するのか?何で化粧しなければならないんだろう?ちなみに私は化粧が嫌いだ。何が嫌いかと言えば、1に自然でないこと、2に匂いが嫌い、3に色が嫌いある。私は化粧の厚い(あるいは濃い)女は大嫌いである。まあ、世の中にはすっぴんの女は嫌いだっていう男の方が多いんだろうから、それも一つの理由だろう。街を歩く男によく見られたいのか?じゃあ、結婚してもするのは何故?ああ、でも考えてみれば恋人同士の関係までだったら、嫌われないように美しく見せたいのか。

 化粧しなければいけないという固定観念なのだろうか?化粧しないのは罪悪のように言う女の子もいるらしいし、某同級生の職場では、化粧をしないと服務規程に反するらしい。幼いときから母親が化粧するのをずっと見て育つからだろうか。化粧しないおんなは裸で歩いてるに等しいらしい。

 しかし、理由は別のところにあるらしい。綺麗になりたいっていうのが、女性の根元的な願望なのだろう。綺麗は絶対的な感覚である前に、極めて相対的なものである。男に綺麗に見られたいっていうのはどちらかといえば絶対的な感覚ではないだろうか。絶対的というか、必要最小限で済むというか。男が「あっ綺麗だ」って思ってくれればそれでいいはずである。

 では、相対的とは何か。つまりは、敵は男ではなく同性なのではないか。他のおんなより綺麗に見られたいというのが本音ではないのか?ようするに、男がどう見るかではなく、他のおんなとの競争あるいは後ろ指を指されたくないということではないのか。うーん、やだやだ。私はすっぴんのおねえちゃんが大好きである。

 いつも極めて短絡的なのだが、今日は特に短絡的かもしれない。女性陣からの反論あるいはご説明は是非旅人掲示板へ。

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ついに仙台上陸 (平成13年2月11日)
 2月1日付で宮城に異動になったことは、フロントページで告知済みだが、その仙台についに足を踏み入れた。愛車レガシィで11日午前2時に須坂長野東インターから高速に乗り、上信越道、北陸道、磐越道、東北道と乗り継ぎ、悠々早朝には仙台入りし、サウナにでも入って仕事に備えるはずだった。しかし、最初の洗礼は、上信越道も終わりに近づく、上越高田インター付近から始まった。風速10mで雪が車に叩きつけられてくる。路面はもちろん雪、雪、雪。平均時速を常に120kmで計算している旅人としては、最高速度が80kmすら出せない暴風雪に早速進路を阻まれることになった。普通、高速道走行中に雪が降れば、雪は正面から向かってくるはずであるが、風が巻くのと同じように、雪が渦を巻いて車に襲いかかってくる。雪道に慣れているとはいえ、まるでSF映画の世界のような光景に恐怖した。あの状況で、時速100kmで追い越していくトラック野郎達の命知らずぶりにはあきれるしかなかった。

 磐越道に入って、風だけはやんだが、雪は相変わらずで。雪との戦いに疲れ果て、会津付近で仮眠をとり、気を取り直して東北道へ向かった。東北道に入ると雪はだんだん少なくなり、仙台に近づく頃には、ついに快晴となった。これが、太平洋側と日本海側の違いかと改めて納得させられた。結局仮眠時間を含め、8時間かかってようやく仙台にたどり着いたのである。ついに来た。仙台宮城インターを降りて、市内に抜けるトンネルをくぐると、突然大都市は現れた。名古屋や博多をを彷彿とさせる広い道路。林立するバラバラの高さのビル。うーん大都市だ。一通の多さは東京譲りか。まあいい、さすが、100万都市。千葉市が四街道市を合併したとしても達成できない人口100万を擁する、東北の首都である。さあ、これから、2年余り、私の宮城担当生活が始まる。と、期待に胸震わせるのであった。

 午後、早くも洗礼第2弾はやって来た。雪である。今年の仙台は雪が特に多いらしい。なーに、こんなの長野に比べりゃ屁でもないと心の中でつぶやいていた旅人であったが、みるみるうちに街が白くなってしまった。まあ、所詮仙台の雪だ、天気になれば消えちまうだろう。ブルブルブルッ、夕方になると気温はマイナス3度を下回った。ワイパーをかけるとフロントガラスが一瞬のうちに凍る。これじゃあ、長野と一緒じゃないか。おまけに、路面に残る雪まで凍っている。うぎゃーっ、ここは長野か。何が太平洋側だ、何が海抜0mだ。仙台は暖かい、雪も少ないと侮っていた私へのきつーい挨拶をもらったような気がした。

 しかし、一つホッとしたことがある。夜飯を食いに有名な国分町へ行ってみると、そこら中で凍った雪にすべっている若者がいるのだ。長野では考えられない光景だ。ああ、やっぱり、ここは長野じゃない。路面の雪が凍るのは珍しいことなんだと妙に納得して、仙台の記念すべき第1日目は終わろうとしていた。

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2年振りのミスチル (平成13年2月3日)
 一昨年5月以来のMr.Childrenのコンサートを観るため、埼玉スーパーアリーナに出かけて来た。今回のライブはアルバム「Q」が地味なだけあって、全体に地味な印象を受けたが、大好きな「everybody goes」もやったし、「Q」の中の好きな曲もちゃんとやってくれたので、乗り乗りで帰って来れた。桜井の個人的な考え方なのか、プロデューサーの小林武史の考え方なのか、ミスチルの社会派系の唄が大好きだ。若い姉ちゃん達は、初期のラブソングの方がいいと言うけれど。

 その若いねえちゃんだが、5年前に初めて行った時は95%が女子高生という感があった。今は下からあまりファンが増えないので、平均年齢も上がり、男も2割くらいになって、37才のおじさんでも多少恥ずかしくない程度まで客層が変わってきた。5年前には、ほんとにガキばっかりで「抱きしめたい」なんかやった日にゃ、それこそ会場が黄色い歓声で地響きするくらいだったのに、なんかおばさんばっかりになって、妙に落ち着いた雰囲気でもあった。2年前の代々木の時はここまで落ち着いてなかったな。

 それにしても、埼玉スーパーアリーナはすり鉢型の会場なのに音が回らなくていい。2階スタンドだったが、同位置の武道館や東京ドームじゃ、とんでもない音になってたんじゃないか。天井に吸音材でも適度に貼ってあるのか、ロックコンサート用に使うことを充分意識して設計されているようだ。照明も天井に数ヶ所ピンスポ用のブースがあるし。

 大宮から1駅なので、新幹線で来る人にもありがたい。帰りの新幹線には会場で配ってた袋を持った人がいっぱい長野まで帰っていた。長野の場合、大宮発の終電が10時34分だから、時間を気にせずに楽しめる。北関東や南東北、信越の人にも充分利用出来る、立地的にも最高のホールだ。収容人員もステージ潰しても3万人近く入るし、素晴らしいコンサート会場が出来たものだ。

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チェーンを禁止しろ (平成13年1月31日)
 また、雪の話だが、27日に降った雪には参った。東京の人もそりゃあ参っただろうが、長野県の陸の孤島ぶりをいかんなく発揮させてくれた雪だった。29日の朝、もろもろの事情があり、4店ばかり、自分で新聞を配送した。70cm降った諏訪〜上伊那地方では除雪も中途半端で地面には雪が残り、しかもでこぼこである。北信ではあまり考えられないが、やはり、雪に対する日頃の備えが違うのか、北ならほとんどスタッドレスを履いているが、南じゃ結構チェーンの人が多いようだ。まあ乗用車ならそれは構わないのだが、トラックの連中のチェーンにはうんざりする。あれのおかげで道路がでこぼこになるのだ。東京ならそれで溶けて終わりだろうが、こっちはなにせ、昼間でもマイナスの世界だから、でこぼこが全て氷のギザギザになっているのである。ハンドルなんて全然利かない。ブレーキはもちろん踏まないが、ハンドルはまっすぐにしとくしかない。あれじゃあ、スタッドレスなんか役に立たないし、渋滞も起きるだろう。まっさらな雪道で初めてスタッドレスも効果を表すというもんだ。今日にいたってもまだ、高速の入り口で立ち往生してるトラックが何台もいやがる。あんな無茶苦茶な道路にしてくれるんなら、チェーンなんか禁止して、チェーン規制ならぬ、スノータイヤ規制にして欲しいものだ。

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雪用タイヤ (平成13年1月27日)
 しかし、それにしてもよく降る雪だ。しかも、山梨西部と長野南信だけねらいうちしたように。そして、今日は関東全域で雪。東京もさぞかしパニックだろう。長野に赴任して3回目の冬の今年も長期予報では暖冬予想だったが、見事にはずれたようだ。1月16日には菅平でマイナス29度、長野市でマイナス12度と私も初めての経験をし、諏訪湖の完全結氷も初めて見た。

 1月7日、20日、25日の雪では、中央道の雪へのもろさと一般道における愚か者の存在を十二分に認識させてもらった。あれだけ雪が降る降ると騒いでいるのに、スタッドレスも履かず、チェーンも巻かずにうろついている大馬鹿野郎がよりによって山梨や長野にいるとはあきれてものも言えない。そりゃあ、スノータイヤは高いが、1回買えば3シーズンは使えるのだし、こんなに快適に走れるのに、雪なんて滅多に降らないからと、買わないやつがいるらしい。さすがに長野北信ではそれはないようだが、南には居るらしい。そういう連中が善良な我々を巻き込んで大渋滞を巻き起こしてくれるのである。思い起こせば2年前の12月3日、中央道で私もその一人だったわけだが、今にして思えば、たった1週間スタッドレスを履くのをためらったために、えらい怖い思いをしたものだった。

 考えてみればNHKのニュースも東京中心だから、長野南部と山梨西部の局地的な大雪とか東北日本海側で当たり前のように降る雪なんかはあまり大きくは取り上げられないから、ついつい甘く見てしまうのも仕方ないかもしれない。雪用タイヤを過信してはいけないが、そのありがたみは1度使ってみれば分かる。次は宮城なので当然今年末にスタッドレスを買い換えるが、これからも3年毎に買い換えようと思う。

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白線流しを観て (平成13年1月20日)
 この正月、CXのドラマ、白線流しをビデオで通して観た。舞台が松本ということで、もっと早く観ればよかったのだが、結局異動する直前になってしまった。

 テレビドラマで、最後にこのドラマはフィクションであり云々というのがあるが、このドラマを観ていて笑ってしまったことがいくつかある。まず、舞台の松本市、これは実名である。他に実名が登場するのが、城東、裏町、中山台、信大、早大、小川天文台、松本電鉄などだが、一方で実在しない松本北高校(松商学園で撮影していながら松本深志高校を模している)が舞台になっている。で、何が笑ってしまうかといえば、松本市内の絵になるところをふんだんに使っているため、実名で登場している地名や交通機関の相互の脈絡が無茶苦茶なのだ。主人公の家や友達の家と繁華街、学校を結ぶ線が(松本に住んでいれば)考えられないような設定になっているのだ。主人公の家は「城東」といういわば市内中心部にあり、学校が松商の位置でであれ、深志高の位置であれ、松電に乗って通うことは考えられない。待ち合わせの約束をした中山台公園なんて、歩いて行くことはおろか、自転車で行くのもためらわれるような遠くにある。松本市内のことを知らない人にはなんてことないが、当時リアルタイムで観ていた松本市民はさぞかし苦笑したことだろうと思う。

 そう言えば、昔観ていたドラマで、舞台が幕張新都心なのに、主人公が小田急に乗って通っているなんてこともあった。「3年B組金八先生」なんかでもあれっと思うことが結構あった。そんなこと気にしてたら、ドラマなんて観ていられないんだろうが、どうしても気になってしまう旅人なのであった。

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雪の長野にさようなら (平成13年1月19日)
 1月19日、社で内示があり、いろいろな思い出を残した長野県担当から2月1日付で宮城県担当に移ることになった。思い起こせば2年7ヶ月前、地方担当1年生として長野にやって来た。これだけ観光地や温泉がありながら、結局黒部峡谷にも行かなかったし、白骨温泉にも行ってない。私の好きな店で分かるように、飲んだくれて終わってしまったようだ。しかし、経費削減の中でも結構長野に腰をおろして仕事が出来たと思うので、もう少し居たかったがまあ仕方がない。新天地宮城で酒浸りを悔い改めて、1からやり直しすることにしよう。

 それにしても、今までずっと首都圏にいて、地方を見たことがなかったのが、ずいぶんといろいろ勉強になったものだ。産経の固定読者の熱狂度も分かったし、それによる新たな読者対応の方法も考え始めることが出来たし、初めての雪国で世の中にはこんな状況でも新聞を読者に届けてくれる販売店がたくさんあることを、自分で雪道を走り回ることで実感出来た。

 次の赴任地は東北。長野ほどは雪が降らないにしても、寒いところ、遠隔地であるには違いない。長野の経験を活かして、次も楽しく仕事をしたいと思う。

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