さよなら20世紀、こんにちは21世紀
(平成12年12月31日)
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今日で20世紀も終わり、明日からは21世紀。別にどうってことない今日と明日、今年と来年なのだが、人間区切りが好きなもので、去年のミレニアム騒動同様、結構な騒ぎとなっている。大体日本人にとっては19世紀が終わるまで世紀(西暦)の概念がなかったのだから、1600年に関ヶ原の合戦があった以外は、日本史上めぼしい事件もなく、この年を境に何かが変わったなんてこともない。それでも、前回書いた、「善行は葬られ悪行は残る」ではないが、人は何かの区切りをきっかけに変わりたいという願望があるので、キリストの世紀でも何でもすがりたいのだろう。
じゃあ、21世紀はどんな世紀かと問われれば、20世紀にSFだったことが現実になる世紀ということだろうか。とりあえずは、ITの世紀の方が宇宙の世紀より先に来そうだ。先日も取り上げた、モバイル社会だが、モバイル&ネット社会の到来によって紙媒体は危機に陥るだろう。もちろん我が新聞媒体を含めての話だが、新聞、書籍、雑誌という大容量の紙媒体は、全てネット化するには現在の容量、通信スピード、解析スピードではまだまだ難しい部分がある。当面、A4用紙1、2枚程度以内の紙媒体があっという間になくなっていくだろう。
それはさておき、明日は年賀状の配達日である。(といっても、大手町、丸の内界隈ではすでに29日から配られているが。)私は小泉純一郎の郵政三事業民営化に大賛成の立場だが、年賀状は言ってみれば、私立大学にとっての入学試験料みたいなもんで、これがなくなったら郵便事業の赤字は単純な値上げじゃ済まなくなるだろう。去年から年賀状をまともに書かなくなって、以前は会社の分を除いても300枚も買っていたのに、返事用に100枚しか買っていない。あとは、極力メールで済ますつもりで、失礼する方も多いかと思うが、いずれは世の中の大勢がそうなるだろう。年賀状がなくなれば、郵便事業はもはや立ち行かなくなる。しかも替わりになるものが、森首相も分からないなりに一生懸命推進しようとしているITなら、まさか税金で維持しようということにもならないだろう。小泉先生、ご安心下さい、いずれIT(時代)が郵政三事業を追い込んでくれます。というわけで、来年もよろしく。
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世の中には人の数だけ正義がある
(平成12年12月30日)
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20世紀は戦争の世紀だという人がいる。まあ、2度の世界大戦を経験した世紀だからそう言いたくなるのも無理はない。しかし、戦争は20世紀だけに起こった訳でもなければ、これからも起こらない保証はない。19世紀までのヨーロッパは戦争の大陸とさえ言える。その集大成が2度の世界大戦だ。
では、戦争は何故起こるのだろうか。帝国主義時代以前の戦争は領土的野心から起きたと言うだろう。では十字軍はどうか。原因は他にもある。現代の戦争の原因としてクローズアップされてきた宗教、民族的対立だ。そしてその全ての要は"正義"である。領土的野心も宗教もイデオロギーも民族の存亡も、全ては自らが正しいとするところから戦争を引き起こす。戦争の原因はまさしく"正義"だと言える。
ゲルマン民族の正義、フン族の正義、ローマの正義スペインの正義、イギリスの正義キリスト教の正義、イスラム教の正義、日本の正義、ロシアの正義、ウィルヘルム2世の正義、ヒトラーの正義、スターリンの正義、共産主義の正義、アメリカの正義、ホー・チ・ミンの正義、平清盛の正義、源頼朝の正義、後醍醐天皇の正義、足利尊氏の正義、織田信長の正義、徳川の正義、薩長の正義。みんな自分にとっては正義であり、相手は悪である。悪は滅ぼさねば正義が滅びる。
最初から正義と認定できるものなど無く、勝った、あるいは生き残ったものが正義になるのである。世の中には人の数だけ正義があり、勝ち残ったものが正義を名乗り、負けたものはこの世から消え去るか、かつて悪だったものとして、いつまでも記憶に留められるのである。私の好きな言葉でこういうのがある。「人が死ぬやその善行は墓場に葬り去られ、悪行は千載の後まで残る」
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大事なのはイヴ
(平成12年12月29日)
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今年も喧噪のクリスマス商戦が終わった。26日の朝、ホテルのテレビをつけると、エリザベス女王やローマ法王がミサに臨んでいる映像がBBCから流れていた。そうそう、クリスマスはそもそもキリストの聖誕祭なんだよなと妙に納得させられる場面だった。翻って日本はといえば、クリスチャンでもない連中が、クリスマス・イヴになるとカップルで街に繰り出し、馬鹿騒ぎして仕舞いにはホテルへ消えていく。欧米のキリスト教徒がこの光景を見れば、やはり日本人はおかしいと思うだろう。というより、神の冒涜と怒らない方が不思議だ。
ラジオで誰かが言っていた。日本では大事なのはクリスマス・イヴで25日になると今度はとたんに正月モードになると。日本人は外国のものはなんでもありがたく頂いてしまう習性があるが、バレンタインデーにしろ何にしろ、宗教性があろうがなかろうが、お祭り騒ぎが出来るものは何でも取り入れてしまう。やはり、これもお人好しの民族性の一つだろうか。
まあ、それほど目くじらを立てるほどのことではないが、毎年気になる光景である。
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官僚制度(組織)の功罪
(平成12年12月28日)
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アメリカ大統領選の決着が着いて、ブッシュ政権の閣僚が続々と決まりつつあるが、民主党から共和党への政権移行に伴い、高級官僚の猟官運動も本格化している。私はアメリカという国があまり好きではないが、ところどころ素晴らしいと思うところがある。政権交代に伴う、このトップ全体の総入れ替えもその一つだ。おそらくは、州知事が変わっても同じだろう。日本では自民党政権だろうが、細川連立内閣だろうが、官僚機構の構成員はほとんど変わらない。吉村県政から田中知事体制になった長野県庁でも同じだ。まあ、それはそれでいい。しかし、石原都知事の言うように、官僚は政治家が政治を行うための行政官(ツール)でなければならない。ところが、みなさんご承知の通り、実際はそうではない。官僚出身の政治家が職掌する業界の利益を代表し、ボンクラ2世代議士が、官僚の意のままに動かされている。
日本における官僚制度の歴史は、もちろん大和朝廷発足以来の歴史があるのだが、そもそもは中国の官僚制度を手本にスタートし、幾多の工夫が加えられ、時の政権の執行機関として機能してきた。私は官僚機構というのは、国家にとって必要不可欠だと思う。特に、発展途上の国の舵取りには国を引っ張るエリートがしっかりしなければ、その国は沈没してしまうだろう。しかし、組織という不思議な生命体は、常に自己防衛本能と自己繁殖本能を持つものだ。従って、リーダーがきちんと制御しなければ暴走してしまう。暴走というと聞こえが悪いが、ようするに、組織防衛のためには、自分達が何故存在するのか忘れてしまうということである。
繰り返しになるが、明治維新時のような混沌とした社会を立て直すには、官僚組織を立ち上げ、そのリーダーシップによって国を引っ張っていかなければ、どこかの国の餌食になってしまうだろう。明治時代というのはそうした意味で、強いリーダーシップと官僚組織が車の両輪として機能し、外国からの圧力を跳ね返して、国家建設をするという一つの目的に向かって邁進していた時代であったと思う。しかし、官僚組織が成熟し完全に歯車化し、文官だけでなく、軍組織までが官僚主義に陥ると、結局は国を滅ぼすことになる。
官僚組織が職分を忘れ、組織防衛を第一に考えるようになったら、容赦なく破壊しなければならない。戦後日本を建て直し、新国家建設と世界の先進国に再び復帰するにあたっては、官僚の力がフルに発揮されたと思う。吉田茂や池田勇人は官僚を非常に重用したというが、その強いリーダーシップで見事に官僚を使いきったと言えるだろう。だが、大政治家といえる政治家がいなくなり、単なる権謀術数だけの政治家ばかりになってしまうと、知識と経験と巨大組織を持つ官僚機構には歯が立たない。官僚組織のリストラクチュアリングこそが本当の行革だとすれば、今こそ大政治家が出て、官僚機構を作り直さなければならない。
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日本人には宗教は馴染まない?
(平成12年12月23日)
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オウムのことを書いたばかりだが、連中といい統一協会といい、どうしてああも完璧にはまれるのだろうか。考えてみれば、日本の歴史上の大衆的新興宗教教団は、日蓮宗にしろ浄土真宗にしろ、みんな似たようなものだ。麻原が日蓮大聖人と同じだと言うのかとお怒りを買いそうだが、始祖が時の体制から弾圧されるのはキリストも含めて世の常である。但し、今は信教の自由とやらのおかげで、サリンを撒いたり余計なことをしなければ、いくらでも新興宗教は作れる。 戦争中の日本を天皇絶対の宗教国家と言った人がいる。日本人は極めて狂信的になりやすい性質を持っているのかもしれない。ちなみに今の信仰の対象は"平和"憲法である。何か一つのことを正しいと思い込むと思考停止してしまう民族。 宗教とはいったい何なのか。人は一人では生きてはいけない、人の心の拠り所として宗教は存在するのだろう。キリスト教やイスラム教は砂漠で生まれ、その飢餓的な状況からの救いを与えようとする宗教である。そして唯一絶対神を必要としている。仏教は砂漠の宗教とは逆に自分を現在よりも過酷な状況に追い込む修行によって心の悟りを得ようとする。日本の神道はこれらと比べ、自然に恵まれ、外敵のいない海の中の島で生まれた。日本にしか通用しない宗教?である。 宗教は心の葛藤を克服するための人間の哲学的営みである。生を死を考え、考え抜くことから宗教は始まるのではないか。いったんこれが正しいと決めつけてしまったら思考停止してしまう日本人には、生死を徹底的に突き詰め考えなければならない宗教は不向きなのではないか。
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素晴らしきモバイル社会
(平成12年12月16日)
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最近の携帯電話のコマーシャルで、スーパージェッターやら、サンダーバードやらを引き合いに出して、その昔SFでしかなかった携帯無線通信が実現したと楽しそうに騒いでいる。確かに来春の次世代携帯電話が登場すれば、もう完全に一昔前のSFは克服してしまいそうだ。 携帯を使い初めて7年半。半年前までに使った4代の携帯はあくまでただの電話だった。しかし、それでも今までは出来なかった、待ち合わせ時の相互連絡など全く問題なく出来るようになり便利さは何百倍にもなったように思う。それにしても、i-modeは本当に恐ろしい機械である。あれは、どう考えても電話ではない。携帯パソ通ツールだ。まったく、パソコン開いてメール送る(あるいは見る)必要性の大半はなくなってしまった。もちろん、まだまだパソコンじゃないと出来ないことの方が多いし、(メールを打つなど)使い勝手もパソコンの方が上だが、単なる連絡メールなら、i-modeだけでも充分機能を果たす。 インターネットを普及させたのも、ビデオを普及させたのも、ポルノだと言われるが、i-modeもそうなのだろうか。既に国民の6人に1人がネット対応モバイルを持ち、2人に1人以上が携帯を持っている状況では、そんなもの必要ないかもしれない。 ポルノではないにしても、それに近い物に「出会いサイト」というのがある。名前の通りならメルヘンチックなのだが、要はツーショット伝言ダイヤルのネット版のようなものである。あるサイトでは1日数十万アクセスがあるそうだが、それを見てメールを送る連中が何十人もいれば、たちまち何百万通というメールが飛び交うことになる。NTT DoCoMo(あるいはauやJ−Phone)丸儲けの構図である。全然はまらない人もいるだろうが、現に私の周りにもはまっている人間はいる。モバイル・コミュニケーションは人と人の壁を取り払うことが出来るのだろうか。 いずれにせよ、携帯電話が人間の基本的関係そのものを変えていくことだけは間違いなさそうである。きっと、倫理観も一緒に吹き飛ばしてくれることだろう。
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偽善的オウム擁護論
(平成12年12月15日)
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先日、足立区の某所を通りがかった時のこと、異様な横断幕にお目にかかった。「オウムは出て行け」だったか、「この街にオウムはいらない」だったか、そんなような文字が踊っていた。「○○建設はマンション建設をやめろ」みたいな世界である。その建設業者は建築基準法上の許可を得てマンションを建設している。それと同じように、オウムの構成員は破防法が適用された訳ではなく、宗教団体の認可が取り消しになった元宗教団体員でただの人の集まりである。 今の日本国中、おそらくどこへ行ってもオウムの連中は地域社会に受け入れられないだろう。当たり前である。仮に末端の一人一人は知らなかったとしても、サリンをばらまくよう指示した奴の教義を受け入れ、今でも信奉しているのだから。(おっといけない。刑が確定するまでは推定無罪ってか?)人数の多い少ないの問題ではない。 オウムへの破防法適用に反対した連中の大半は、本当の理由を隠して、とにかくオウムが破防法適用に値する団体ではなくなったことばかりを言い立てていた。曰く「幹部の大半が逮捕され、もはや組織的活動は出来なくなった」「オウムは壊滅的打撃を受け、信者数も激減している」。しかし、壊滅的であって、壊滅したわけではなかった。完治しなかった水虫がまたぞろ悩ますように、長野県内でも多くの場所で住民とのトラブルが起きた。 オウム信者とて人間であり、生きる権利はある。しかも、破防法を適用せず、個人個人の信者は人畜無害と決定したのだから、オウム追放などと言わず、暖かく隣に住まわしてやろうではないか。もしくは、オウムが隣に来て嫌な人は、今すぐ、破防法適用に反対した朝日新聞、共同通信や進歩的文化人に彼らを引き取ってもらうよう、申し入れしに行くべきである。
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死刑以外に何がある
(平成12年12月1日)
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昨日(11月30日)、信毎の夕刊をホテルで見ていたら、3人の死刑執行という見出しが目に入った。例によって国は何も言わないから(ということか)死刑反対団体からの談話が先である。今回執行された3人は6年前に死刑判決が確定している。裁判にはそれ以上の年月がかかっている。勝田清孝に至っては最後の殺人から18年経っている。死刑廃止論者は、人をを殺したからといってすぐ死刑にしていいものかというが、判決即執行ではない。国も執行をためらっているのだ。喜んでやっているわけではない。 死刑廃止論の根底にあるのは、キリスト教の教義である。「創造者たる神の前では人間は皆平等」という論理だ。神が創造した人間を勝手に殺す権利は人間にはないということで、だからこそ、自殺もキリスト教徒にとっては罪悪なのである。 死刑廃止論と死刑存続論の間には宗教観、死生観、国家観の点で埋めようのない溝が存在する。まさしくイデオロギーの違いである。私は死刑存続論の立場から当然話をしているが、向こう側の視点に身を置いてみれば、彼らの言い分は正しいと思う。この点からいけば、廃止論と存続論は永遠に平行線をたどるだろう。しかし、幸いにして私はキリスト教徒ではなく、しかも日本人である。仮に天賦人権説に従ったところで、凶悪な殺人犯にも人権があるとは思えない。彼らは人を自らの意志で殺すという一線を踏み越えたところである意味、人間としての資格を失ったと言える。過失致死罪と殺人罪は違うし、殺人教唆が殺人と同罪であるというのもそこから来ている。廃止論者は犯人を殺してやりたいという被害者の遺族の心情は理解出来ると口々に言うが、その感情を発露させていけば、果てしない仇討ち合戦になってしまう。そのために、国家という公が死刑あるいは禁固懲役といった罰を課すのだ。廃止論者の一部には国家を認めたがらない連中も居るが、そもそも国家は国民の安全(生命と財産)を守るために存在するのであって、その必要上死刑も存在しているのである。 日本では現在死刑相当の罪は少なくとも2人以上殺していることが条件であるかのようになっている。お隣中国ではたかが贈収賄でも死刑になる可能性がある。なぜたかがと言うかについては後日書こうと思うが、個人に対して課すことの出来る最高の刑が死刑であり、それに相当するのがどの程度の罪かという認識の違いだけの話である。つまり、生かしておくには忍びないほどの罪を犯したということなのだ。 冤罪の可能性を云々するのもまた、廃止論者の特徴だが、冤罪の可能性がゼロの人間にしか現在死刑は執行されていない。執行されない死刑判決は事実上終身刑に格下げされたも同然である。実際に死刑が執行されてこそ、死刑判決も死刑相当かどうか慎重に審理されるのだ。そして、死刑相当だからこそ死刑は厳正に執行されなければならない。なぜなら、彼らはそれだけの罪を犯したのだから。
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宏池会の間違った保守本流認識
(平成12年11月26日)
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内閣不信任騒動が終わって1週間が経った。結果は加藤紘一の完敗に終わった訳だが、何故こんなことになったのか。野党も自民党主流派も加藤紘一に振り回されただけのように思える。そして、彼は自分こそが保守本流という、時代遅れの認識にしがみついた結果、フライパンの上で踊らされ、敗れ去った。 吉田茂→池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮沢喜一→加藤紘一 これがいわゆる宏池会の領袖の流れであるが、前尾が衆院議長という以外は全て首相になっている。そして、吉田茂の流れを汲んで、常に自民党の中心を歩んで来たという誇りを持っている。保守本流とは何か、つまり吉田チルドレンだということだ。吉田茂と池田勇人のとった政策は、経済成長最優先であり、彼らのおかげで今の日本があると言ってもいい。敗戦後の日本を1日も早く立ち直らせるということが彼らの政治であった。吉田茂は旧来の党人派政治家を信用せず、官僚の中から優秀な人間を選び、国会に送り込むという手法を確立した。 加藤紘一も宏池会の反加藤派も宏池会は保守本流という意識が強く、自民党を離れるということには思いも及ばなかった、というより、その覚悟が全くなかった。彼らにとって自民党とは日本そのものであり、自民党を立て直すことが日本を立て直すことと信じて疑わないところに根本的な間違いがある。経済成長一本槍の政治は、副産物として拝金主義の風潮を産み出し、公共事業とそれに伴う利益誘導政治を育てた。加藤紘一は自らのホームページ上で、掲げる政策として、日本社会の構造改革を訴えているが、構造改革の最大の障害になっているのが、自民党という看板であることが分かっていない。かつて彼が幹事長時代にやったことは、野党にいた元自民党議員を自民党に復帰させること。自民党を大きくすることだった。 自民党にしがみつき、党を割ることが出来ない以上、彼にはその掲げる構造改革など出来はしない。そもそも根本的な問題は友情というだけで、基本理念の違う山崎拓と組んでいることである。いわゆる宏池会、加藤紘一も親分宮沢喜一も加藤のライバル河野洋平もみな、リベラルで親中国という点でで一致している。(どこが保守本流だ)かたや山崎は中曽根派の流れを汲むいわゆる保守だ。政界再編とは、個人的なつながりや怨念などでなく、政策の共通性で行われるべきであり、そのための前提条件は自民党の解党しかない。保守本流などというバーチャルなものにしがみついている限り、加藤紘一の明日はないだろう。私としては現在の宏池会系のリベラルな政策を考える限り、彼らには政治の一線から是非退いて欲しいと思うが、将来の二大政党制の実現のためにはもう一働きしてもらわないといけないかもしれない。
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フジモリ大統領をペルーへ帰していいのか
(平成12年11月23日)
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世の中が内閣不信任騒動で大騒ぎの11月20日、その影でペルーのフジモリ(前)大統領がAPECの帰途、本国の政変からか、日本にそのまま滞在していることが小さく報道された。その時私は、「もしかしたら亡命するつもりなんじゃないか?」と言っていた。みんな「まさか」と言っていたが、どうやらそういう風向きになって来た。 定住したいとか、日本国籍があるとか日に日に発言をエスカレートさせつつ、政治亡命の出来ない日本になんとか居続けようと必死で頑張っている。それに対して我が産経の「主張」では定住を歓迎しつつも、「ここは母国にいったん戻り、大統領としてのけじめをつけることが、ペルーのためであり自らのためでもないだろうか。」と言っている。何故、こんな日本呆けした事を言うのだろう。フジモリ氏以前のペルーはずっと軍政であり、もっと言えば、そもそもスペインがインカ帝国を侵略滅亡させて作った国である。首相外遊中に不信任案を提出するのはだまし討ちのようでいけないと言って、土日を挟んで時間を作ったあげく、負けてしまうような正直者の国とは違うのである。 フジモリ氏は帰るなら、もっと早く帰るべきであったし、APECには出ず、政変の収拾にあたるべきであった。おそらく、ブルネイに出かけることを決めたときから、ペルーには帰らないと決めていたのではないだろうか。トゥパク・アマルやセンデロ・ルミノソをほぼ壊滅状態に追い込み、6500%もあったインフレ率を7%まで抑え込んだ大功労者であっても、権力から滑り落ちれば政敵にとっては犯罪者である。国に帰っても命の保証はない。そんなことはないだろうと考えるのは、日本の常識である。日本に居たって危ないものである。一市民として暮らしていれば、テロに襲われる危険は十分にある。しかし、準公人として暮らしていれば、その危険は帰国の比ではないだろう。 フジモリ氏は、「私はペルー人」と強調しながら、日本領事館に出されたとされる自らの出生届を根拠に、日本に保護を求めているのだ。しかし、一国の大統領を務めた人物が簡単にそれを認めるわけにはいかない。日本政府の立場も考慮しつつ、駆け引きをしていると見るべきだ。例によって正直者ぶりを発揮して、フジモリ氏をペルーに帰すのか、このまま実質的な亡命状態にして、保護するのか。私は帰すべきではないと思う。それどころか、フジモリ氏の手腕を日本の政治に活かすべきだと思う。
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インターネットはビジネスを変えるか
(平成12年11月9日)
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今や世をあげてIT騒ぎである。Information Technologyというからには、あくまで情報技術であって、商売のことではない。インターネットや電子メール、モバイルツールがどれだけ発達してもそれは単なる手段であり、それ自体は目的ではない。人気取りの政治家が国民全員に端末を配ろうとか、技術講習の補助をしようとか言っているが、猫に小判ではないのか。必要のない人には全く必要がなく、必要な人は自分でどうにかするだろう。どうして、何でもかんでも国で面倒を見る福祉国家思想が染みついてしまったのだろうか。これでは国の借金も増えて当たり前である。所詮、人間嫌々やることは身に付かないものだ。そんなことやっても税金をどぶに流して終わりだろう。 携帯を使い始めて7年を超え、パソコンを触り始めて5年を超え、インターネットや電子メールを始めて4年になるが、いずれも必要を感じて始めたことで、誰かに強制された訳ではない。ただ、幸いにして私の回りに、世の中でパソコンがブームになり始める前から、コンピューターに精通していた人がいたというだけである。そして、自分自身がこれらのツールとしての価値に魅力を感じた訳だ。 さて、私も営業マンのはしくれなのだが、営業マンにとって、資料管理や計数管理、連絡手段としてのパソコンはもはや拒絶出来ない域まで浸透している。個別の商品発注ならインターネットは非常に便利な代物である。しかし、本来営業とは人間と人間との勝負であり、機械には代行できないはずのものだ。ビジネスは確かに物やサービスを売り買いして、お互いが利益を追求するもので、感情など介在する必要はないかもしれない。だが、信用とは何かといえば現物が手に入るまでは結局は、売り買いしている人間そのものの信用でしかないのだ。従って、いくらメールでやりとりしようが携帯でいつでも連絡が取れようが、会って顔を見て話すことに勝るものはない。顔の見えない商売など危険きわまりないし、全く見ず知らずの人との取引なんて、よっぽどのインセンティブがないと出来ないだろう。 結局、ITがどんなに発達しても、人と人が顔を合わせる営業はなくならないし、人が運搬手段をもって商品を運ぶ物流業も無くならないに違いない。最終的には全て人間に依存するのである。
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タバコを吸う奴に人権なんかない
(平成12年11月6日)
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産経新聞社は10月から新東京サンケイビルに移転したが、このビルは全館完全分煙かつオフィス内飲食禁止である。インテリジェントビルと銘打っているところはみんなこうなのかと嘆くばかりだ。禁煙の嵐は社員食堂にまで及んでおり、年中無休の新聞社の社員食堂が土日祝は完全禁煙、平日も喫茶コーナーの片隅だけの喫煙スペースである。もう随分前から、同僚や友人の家に行けば、夫婦そろってベランダで吸っている。ちなみに私は平気で吸っていたが、これも遠因か? そりゃあ、タバコは身体に悪いだろう。肺ガンにも成りやすいだろう。子供の時から吸ってりゃ馬鹿にもなるだろう。しかし、それは、元々吸わない人にとっての話だ。私が物心ついてしばらくは両親共々タバコを吸っていた。(母はある日突然やめてしまったが)昔の家は気密性が低かったが、今の家はそうじゃないからベランダで吸えということだろう。 私は、タバコと酒を止めたら、病気の前にストレスで死んでしまうのではないかと心配している。現にストレス死としか言いようのない"ある朝突然死"を目前で見てしまったのだから。 旧国鉄債務の穴埋めの一部にタバコ消費税が使われることになってもう1年以上経つが、旧国鉄が作ったレールで走っているJR各社の禁煙車両はますます増え、ホームの喫煙所は相変わらず隅っこに1、2ヶ所という有様である。喫煙者に元々は自分達が作った赤字を背負わせておいて、その喫煙者を邪険に扱うとは何事か。 分煙、禁煙オフィスの増大は、その職場のトップが吸うか吸わないかにかかっている部分が多分にある。ヒトラーはタバコを吸わなかったらしいが、現代のように、喫煙の害についてうるさくなかったからよかったようなものの、もしそうでなかったら、優秀なゲルマン民族を滅亡に陥れるとして、タバコを禁止した上、喫煙者を強制収容所送りにしたに違いない。何せ、世論が味方になるのだから。 伏流煙被害の話があるが、常時喫煙職場で働く非喫煙者と完全分煙職場で働く非喫煙者の間に肺ガン発生率でどの程度差があるか、(マウスでなく)人間のデータで実証して欲しい。どうせそんなデータ取れないに決まっているし、差があるとも思えない。大都市の真ん中で働いている人間は、どのみちガス室で生活しているようなものだ。 差別はいけないと大騒ぎするなら、この喫煙者差別も問題にして欲しいものだ。なにしろ、喫煙者に人権があるとは思えないのだから。
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白谷君への手紙
(平成12年10月31日)
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前略 白谷様
貴兄に産経新聞をお読み頂いてから、ほぼ半月が過ぎました。その間、なかなかシビアな紙面批評を頂き、さすが見るところは見ていると敬服致しております。ところで、今日31日で8回目を数えました連載、「日中再考」につき、ご感想を"ノート"にてお聞かせ頂ければ幸いです。
草々
PS 「日中再考」を書いている、古森義久中国総局長について簡単に説明します。彼は、元々毎日新聞の外信部記者で、ベトナム戦争中にサイゴン特派員をしていたスター記者でした。一方、我が産経には近藤紘一という特派員がおり、現地の女性と再婚し、当社のスター記者でした。後に「サイゴンから来た妻と娘」という本が売れたこともあります。古森記者と近藤記者は現地では大の仲良しでした。
南ベトナム解放戦線というのが実は北ベトナム軍であることは、国際的には周知の事実でしたが、日本ではあまり知る人はなく、近藤記者の書く記事で、産経の読者が知るのみでした。古森記者もその事実を記事に書いて本社に送稿していましたが、ことごとくデスクに握りつぶされていたのです。解放戦線が北の軍隊では都合が悪かったのかもしれません。
戦争が終わり、近藤記者はさらにバンコク支局長をしていましたが、やがて病に倒れ、86年に亡くなりました。翌年、古森記者は、近藤記者との友情、書きたいことを書かせてくれる、毎日社内の派閥抗争に嫌気が差したなどのため、産経に移籍しました。産経に来てからの13年の大半はワシントン特派員でした。そして、一昨年、産経としては追放以来、約30年振りに開設された中国総局に赴任したのです。産経は文革時にその本質は権力闘争だという欧米では常識だった記事を載せ続け、北京政府の逆鱗に触れて、当時の柴田穂特派員が追放され、北京支局は閉鎖となりました。日中国交正常化に伴い、各社が台北から支局を引き上げる中、産経は台北と香港の支局から中国情報を発進し続け、ついに一昨年、北京政府と和解し、台北支局を残したまま、北京に支局を復活するに至ったのです。古森記者は、北京政府に阿ることなく、産経の中国報道を続けてきましたが、11月1日付で中国総局長から局長待遇特別記者ワシントン駐在、論説委員として転任しました。後任は今年6月鳴り物入りで産経に移籍してきた元共同通信論説委員長伊藤正氏です。
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田中康夫当選にあたって
(平成12年10月17日)
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15日、長野県知事選が行われ、田中康夫が当選した。内容はともかく、そもそも噂の真相に連載を持っているということだけで、私とは正反対の考え方の持ち主であり、サンプロでの発言などを見ても、産経とは相容れない主張の持ち主であることは自明である。 そんな、田中康夫を知事選に引っ張り出してしまった原因の一つが、産経長野版で年始から7月まで連載した、「信州点検」という連載だったのは皮肉な話だ。支局長が県内外の各界著名人にインタビューしたものだが、その中に登場する人達の多くが、民間人知事を熱望し、田中康夫の名前を口にした人もいる。選対の事務局長をやった切り絵作家や、県財界の大勢から孤立してまで田中擁立に動いた連中など目白押しだ。しかも、その連載が、「信州スタンダードで大丈夫か」という本になって、県内最大手ブックチェーンの平安堂(ここの社長がまた、田中擁立派)の田中康夫コーナーに一緒に置いてある始末。当選翌日の記者団との懇談で、うちの記者に「歴史認識の間違った田中康夫が知事になったと産経抄に書かないの?」と言っているところを見ると、長野県のつくる会の運動はもはやお仕舞いかと悲しくなる。 さて、歴史認識はともかく、長野県民は旧来の体制を否定し、破壊してくれると期待する人物を選んだ。自民党も民主党も一緒になった県政会という最大会派と、120市町村の99%以上の首長が推薦する前副知事という大本命に対し、組織も何もないが知名度だけは抜群という対抗馬。オリンピック後の閉塞状況が続く長野県民にとっては願ってもない選択肢が揃ったのではないか。一昔前なら、これは典型的な保革対決だったはずだが、今回、石原慎太郎言うところの官民対決という声に隠れて、ついに保革という言葉は登場しなかった。社民党や自治労が池田支持だったから仕方ないのだろう。池田副知事派は保革対決を強調すべきだったのに、田中氏の女性関係に関するネガティブキャンペーンを前面に出してしまった。田中康夫が妻子持ちならそれもよかろうが、現在は独身なのだから、それこそ自由恋愛の問題で、時代遅れである。 いずれにしろ、長野県の県民性が遺憾なく発揮されるのはこれからだろう。4年間の行政を信託した田中康夫を支えるのか、ボロ衣のように捨てるのか。ちなみに私は民間人知事には賛成だし、大政翼賛会的なやり方には反対なので、今回の結果は是としよう。問題は、これで調子に乗った連中が出てきて、そこら中でタレントを知事選や国会議員に担ぎ出す輩が必ず出てくることである。横山ノックや青島幸男のようなリーダーシップのかけらもない馬鹿を引っ張り出さないように、そして、それを当選させたりしないよう注目し続けなければならない。 なお長野県知事選で私が産経長野支局とともに製作した号外(PDF ファイル)はこちら。
(このファイルは(株)
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世代が替わると云うこと
(平成12年10月9日)
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私たちの年代がまだ小学生くらいの頃までは、世の中そんなに豊かじゃなくて、千葉駅前なんかにも、傷痍軍人がいたのを覚えている。ほとんど覚えていない人が多いだろうが、白装束で、片足が無くて、ハーモニカ吹いてる姿が目に焼き付いて離れない。当時、実は傷痍軍人の格好をして実際はただの乞食という人もいたらしいが、今は誰もそんな格好をして乞食などしないだろう。いや、そもそも乞食自体、見かけることがない。ホームレスならいるが、彼らは乞食ではない。物乞いなどせず、自分でえさを探すからだ。 これは、そもそも30年くらい前の話だから、その頃50才だった人は今80才であり、終戦時は、25才だった。私はたまたま、年寄りっ子のため、子の世代だが、普通30代半ばはこの人達の孫の世代である。親から直接体験を聞くのと、じいさんの話を親が聞いて、さらにその子に聞かせるとなると、もうほとんど話はつながらない。どこか別の世界の話か、そもそも話を信じないか、端から親がそんな話をしないかどれかだろう。バブルの頃は、日本がアメリカと戦争して負けたというのを信じない若者がいたとまことしやかに言われているが、案外いたのかもしれない。それくらい、日本は豊かになったということだ。 今、マンガ「あぶさん」を1巻から順に読んでいるが、あぶさんが入団して最初の数年間(昭和40年代半ば)のシーンはまだまだ貧しかった日本のシーンがあちこちに出てくる。思えば、自分だって、家に電話が入ったのは小2の時だし、小6で家を建て替えるまでは終戦後のバラックみたいなところに住んでいた。服が破れれば母親が繕ってくれて、それを着ていても別に恥ずかしくなかった。今の子ども達は生まれた時からFAXがあり、高校生はみんな携帯を持っている。そして、今の高校生は先程の世代から見れば、既に曾孫の世代である。戦前は総て悪とする風潮の中で、既に3世代目が育っている。団塊の孫達には団塊そのものも別世界であろう。 ハングリーなんて今時流行らないのかもしれないが、アメリカと戦争をするなんて大それたことをしたのも、日本を高度成長させたのも、みんな戦前の人達であり、日本のたがをはずれさせ、破滅に導いているのはその次の世代である。それらを全く知らない世代が、危機感を持つのか、目先の豊かさに溺れるのかで今後の日本の運命は決まってくる。
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当たり前のこと
(平成12年10月4日)
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先日、夜遅く松本から長野へ帰る途中、空気が澄んで星がきれいだったことがある。思わず、高速の路側帯に車を止め、しばらく星を眺めていた。木星と土星がおうし座付近にあり、私の好きな"すばる(プレアデス星団)"もありぐるっと見渡すと、天の川がよく見える。高校3年の時、放送部の合宿で河口湖に行った時の1年生の言葉を思い出した。「ああ、こんなに星のよく見える所に住んでいたら、視力もよくなるのになあ」 長野県では、一歩市街地から離れれば、天の川は、天気さえ良ければ見えて当たり前である。一方、東京圏に住んでいると、天の川を見ることは一生ないかもしれない。長野では、天の川は当たり前のことであり、東京では見えないのが普通だ。環境が違えば、当然、人間の考え方も違って来るだろう。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は砂漠で生まれた宗教である。仏教や日本の神道は森で生まれた宗教だ。正反対の環境で生まれた宗教は自ずと性格が違って来る。砂漠の宗教は生き残りをかけた、いろいろな意味で厳しい宗教であり、森林の宗教は生死を超えたところから物事が始まる。 果てしなく続くイスラエルとパレスチナの闘いや旧ユーゴ紛争を見るとき、そう言う意味での宗教戦争は日本を含む東アジアではほとんど起きていないことに気付く。日本で唯一宗教をめぐる戦争は、聖徳太子が参加したという蘇我と物部の争いだけである。一向一揆や日蓮の弾圧はあくまで政治と宗教の戦いであり、宗教同士の争いではない。十字軍を見る間でもなく、他の宗教を認めず、自らの宗教が絶対であるとする宗教は始末に負えない。そして、その三つの宗教が世界人口の2/3以上を占めている。相手の宗教を認めない限り、戦争のない世の中は来ないのではないか。天の川を見ながらそんなことまで考えてしまった。
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