第六章

パキスタンの孤立と第二次グレートゲーム



 94年11月に姿を現した新勢力「タリバン」。彼らはラバニたちが手を焼いたヘクマティアルを倒し、ヘクマティアルたちが成し遂げられなかった首都カブールを落とし、ソ連が10年かかっても実現できなかったアフガニスタン全土を、わずか4〜5年で手に入れてしまった。武器の扱い方も知らない貧しい村の「タリブ」たちに、なぜこのような偉業ができたのであろうか?

 その理由は三つある。

1 ソ連侵攻・内戦に疲れた人々の支持
2 ヘクマティアルから乗り換えた、パキスタン・サウジアラビアの援助
3 運送マフィアの支援

 まず「1」について。1978年12月に始まったソ連の侵攻、そして1992年から始まったムジャヒディン各派による権力闘争。この十数年間の最大の犠牲者は一般の人々だ。彼らは家を失い難民となり、中央アジア・イラン・パキスタンに逃れた。残った人々も相次ぐ内戦と追い打ちを欠けるような大干ばつ・二度の大地震により生活はどん底だった。難民の数、400万人以上。餓死者の数は年間50〜100万人。アフガニスタンの人々は、もう疲れた。誰がリーダーになっても良いから、最低限の行政活動をして欲しかった。

 タリバンがそれをかなえてくれると思った。彼らは他のムジャヒディンたちと違い、権力欲はなく、「悪」を嫌い、「不正」を憎んだ。そしてその支配地域にはタリバンがもたらした「平和」(=戦闘のない状態)があった。人々はタリバンを熱烈に支持し、歓迎した。そして、後悔することになった。この「人々の支持」が快進撃をもたらした一つの要因である。アフガニスタンに暮らす普通の人々を味方に付けたことは、とても重要だった。「ムジャヒディンよりもタリバンの方が良い」という人々の認識はムジャヒディンたちにとって、彼らの存在そのものを危うくすることになるからだ。

 次に「2」について。前章でも書いたが、タリバンの登場はパキスタン・サウジアラビアの対アフガニスタン政策を変えた。それまで両国はヘクマティアルを支援していた。しかし思うように勢力を拡大できないヘクマティアルとは対照的に、タリバンは南部の各州を瞬く間に押さえてしまった。ヘクマティアルとタリバンを天秤に掛けていた両国は、タリバンを採用し、ヘクマティアルを捨てた。タリバンは、ジハードの時のゲリラ養成施設を使って訓練し、資金はこの両国が提供したのである。

 最後の「3」について。ここでいう「運送マフィア」とはパキスタンからアフガニスタンを通ってイランや中央アジアに麻薬や密輸物資を運ぶ人たちのことである。彼らはパキスタンの軍部や政府に強力なパイプを持ち、タリバン支援を拡大させた。その理由はこうだ。運送マフィアはアフガニスタンを通ってイランや中央アジアに抜ける。しかし、内戦中の各ムジャヒディンたちは至る所で莫大な通行税を要求してくるし、酷いときには密輸品を強奪され、命まで狙われる。一方、タリバンの支配地域でも通行税は要求されるが、ムジャヒディンたちに比べればその額はとても安いし、通行税さえ払えば旅の安全も保障してくれる。つまりタリバンがその支配地域を拡大させることは運送マフィアたちにとっても利益になるし、運送マフィアの通行が盛んになればそれだけ多くの通行税がタリバンに入ってくることになるのだ。タリバンにとってこの運送マフィアとのつながりは、重要な資金源となったのである。

 以上、三つの理由によりタリバンは快進撃を続け、国土の90%以上を手に入れることが出来た。そしてこれは皮肉なことに、パキスタンを近隣諸国から孤立させることになったのである。それではタリバン登場後の近隣諸国、そしてロシア・アメリカの動向を見ていきたいと思う。

パキスタン
パキスタンはタリバン支援。その理由は次の通り。タリバンに政権をとらせることにより、ヘクマティアルに代わるパキスタンの傀儡が生まれる。それにより、中央アジア・イランとの貿易を独占できるし、中央アジア(特にトルクメニスタン)の原油や天然ガスをアフガニスタン経由でパキスタンに導く「パイプライン建設」を有利に進めることが出来る。さらに、インドとのカシミール紛争に投入する兵士の訓練を、タリバンの軍事施設(元々はジハードの時にアメリカとパキスタンが作った施設)で行うことができるし、タリバン兵をカシミールに投入することもできる。アフガニスタンに親パ政権が誕生することは、後方を気にせずに前面のインドとの戦争に集中できるのだ。タリバンはパキスタンにとって、経済の面でも安全保障の面でも重要なのである。
イラン
イランはシーア派ハザラ人を支援していたが、過激なスンニ派タリバンの台頭はシーア派国家イランにとって危険な存在になった。アヘンの増加は国内を混乱させ、運送マフィアによる密輸は国内経済にダメージを与える。さらにタリバンはイラン反体制派に聖域を与えているし、98年にはイランの外交官を殺害している。イランは北部同盟を支援するようになった。
(北部同盟のマスード軍は95年にイスラム統一党マザリ派を虐殺した。このときマザリ派は、前方にマスード軍、後方にタリバン軍との戦闘を強いられていた。このような過去があったにもかかわらず、イランはマスードたちの北部同盟を支援している。タリバンを危険視している現れだ。)
タジキスタン・ウズベキスタン
この両国はそれぞれの国内にイスラム過激派の反体制組織を抱えている。この反体制組織はタリバンとのつながりがあり、アフガニスタンにタリバン政権が出来ることは脅威になる。さらにイランと同様、麻薬と密輸の問題もある。いまは北部同盟支援である。元々、タジキスタンはラバニ・マスードのタジク人グループを、ウズベキスタンはドスタム将軍のウズベク人グループを支援していたので、北部同盟支援には抵抗がなかった。
トルクメニスタン
トルクメニスタンはもともと中立だった。どのグループにもこれといって援助をしていたわけではない。しかし1995年、パキスタン、サウジアラビアの石油会社「デルタ石油」「ニンガルチョ社」、アメリカの石油会社「ユノカル」とのパイプライン建設構想が浮上すると、トルクメニスタンはタリバンよりになった。なぜならば、タリバンこそが一番早くこの内戦の勝者になると考えたからだ。だが、その態度はあくまでも「タリバンより」であって、パキスタンやサウジアラビアのような力の入った援助はしていない。実際、タリバンとも反タリバンとも外交チャンネルを持っている。
ロシア
ロシアは中央アジア諸国の安全を守ることにより、ソ連崩壊後のCIS(独立国家共同体)でも指導的な立場をとり続けたいと考えていた。また、チェチェン紛争のイスラム組織はタリバンとのつながりがあった。麻薬と運送マフィアによる密輸の問題もあった。パキスタン、サウジが進めるトルクメニスタンのパイプライン建設は、ロシアにとっては何の利益ももたらすものではなく、見過ごすわけにはいかなかった。以上の理由により、北部同盟支援、とまではいかないものの、タリバンは不支持。
サウジアラビア
この国は、元々はパキスタンとともにヘクマティアルを、次いでタリバンを支援していた。その理由は、1:サウジの国教である、イスラム教ワッハーブ派をアフガニスタンに輸出したいと思っていたこと 2:シーア派のイランに対抗するため(イランのアフガニスタンでの発言力を強めたくなかった) 3:トルクメニスタン、パキスタン、アメリカ「ユノカル社」のパイプライン計画にサウジ王室とのつながりがある「デルタ石油」「ニンガルチョ社」が絡んでいたため、である。しかし98年8月にタリバンによるサウジ王室への侮辱とサウジ反体制活動家のオサマ・ビン・ラディン問題により、サウジアラビアは激怒し、タリバンから手を引いた。
アメリカ
ソ連撤退後、アメリカはアフガニスタンに関心を示さなかった。近隣諸国による各勢力への身勝手な援助も、気に留めなかった。しかし反イランを表明しているタリバンの台頭は「イラン封じ込め」に使えると判断し、また「ユノカル社」の積極的なロビー活動により、タリバンを支持した。ユノカル社のパイプライン建設は、中央アジアの石油と天然ガスをアフガニスタン経由でパキスタン・インド洋に流すことだが、それは同時にこの地域の資源をイランとロシアには渡さないということでもある。これはアメリカの外交政策に適っていた。
ところが、タリバンの人権侵害や女性に対する迫害が明るみに出ると、アメリカの女性団体、人権団体、そしてヒラリー・クリントンが猛反発し、政府とユノカル社にタリバンから手を引くことを要求。そして98年8月のケニア・タンザニア米大使館同時爆破事件で、アメリカの政策変更は決定的になった。この事件の首謀者、オサマ・ビン・ラディンをタリバンはかくまっていたのである。以後、アメリカはタリバンを全否定している。

 以上のように、近隣諸国(+アメリカ・ロシア)は反タリバンになり、パキスタンだけが唯一タリバン支援となってしまった。しかしパキスタンはタリバンを傀儡にして、自由に操ることは出来ないだろう。パキスタン国内の反体制組織(イスラム過激派)はタリバンとつながっている。この過激派はタリバン流のイスラム革命をパキスタンでも実行しようとしているのだ。また運送マフィアが運ぶ密輸品はパキスタンの地場産業を破壊し、国内経済にダメージを与えている。大量のアヘンもパキスタンに流れている。『タリバン』の著者、アハマド・ラシッドはパキスタンのことを文中で次のように述べている。

「主人か、それとも、犠牲者か」

 さて、各国の動向で書いた「パイプライン建設」を巡る話だが、これをアハマド・ラシッドは「第二次グレートゲーム」と呼んだ。ロシアと大英帝国が19世紀に争った「グレートゲーム」にちなんでいるのだが、この「第二次グレートゲーム」のプレイヤーは多すぎだ。パキスタン政府、サウジアラビア王室、サウジアラビアの石油会社「デルタ石油」と「ニンガルチョ」、アメリカ政府、アメリカの石油会社「ユノカル」「アモコ」、アルゼンチンの「ブリダス」、日本の「伊藤忠」、韓国の「大宇」、イラン政府、ロシア政府、ロシアの「ガスプロム」、オーストラリアの「BHP石油」、そしてトルクメニスタン政府。私が現在わかっているだけで、これだけのプレイヤーがいた。彼らが奪い合ったのは、トルクメニスタンの原油と天然ガス、そしてそれを運ぶパイプライン建設権である。中でもアメリカの「ユノカル」とアルゼンチンの「ブリダス」が主役だった。

 このパイプライン建設を巡る各国の駆け引きは、まさに「国際政治」である。しかもその主体は国家ではなく、民間企業だ。民間企業が国家を動かし、国家が相手国を動かす。または民間企業が相手国そのものを動かしたりする。この混沌とした状況を巧みに利用し、最大の利益を獲得したのがタリバンだった。ユノカルグループとブリダスグループ(各プレイヤーはこの二つを中心に動いていたので、便宜上このように呼ぶ。)を同時に交渉の相手にし、一方を蹴落としたかと思うと、他方を裏切った。そうやって値を釣り上げていったのだ。このゲームはオサマ・ビン・ラディン問題でタリバンと断絶しなければならない状況に追い込まれたユノカルグループの敗北で終わったが、ブリダスグループが勝ったわけでもない。なぜなら、その工事はいまだ着工されておらず、その予定も決まっていないからだ。



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