中学1年の時、従兄弟からお下がりのフォーク・ギターをもらいましたが、勉強不熱心な私は、どうやって弾けば良いやらわからず、しばらく放置してありました。大勢の人たち同様、押さえられるコードはC、Am、Emぐらいなもんでした。 中2になったとき、たまたま通りかかった公園で、同じクラスのD君が大学生と一緒にギターを弾いているのを見かけ、格好いいと思い、それまであまり話したことがなかったのですが、ギターを教えてもらうようになりました。最初の頃、拓郎の「落陽」「人間なんて」「蒼い夏」あるいは陽水の「東へ西へ」「神無月にかこまれて」などをいっしょに練習しながら、だんだんとのめり込んで行ったのを覚えています。校内では、時を同じくしてギターは一気にブームになっており、気の合う仲間同志でバンドを組み始めました。
僕たちも拓郎、陽水を中心にフォークをやるようになり、中学時代はもっぱら文化祭を目指して活動し、卒業のときには、謝恩会に出たり、卒業コンサートをやったりもしました。卒業時点では完全に拓郎の虜になっており、当時拓郎はセイヤングをやってましたが、眠い目を擦りながら、土曜の夜中に起きていたものです。そして、高1の夏、愛知県篠島に拓郎のオールナイトコンサートをD君と一緒に見に行きそれからの数年は拓郎のツアーがあれば片っ端から行ってました。
高校時代はフォークソング部で拓郎を歌いまくり、放送部では、時々ちゃっかり拓郎の曲をかけてました。